時々、“最愛のペットが亡くなった“ といって
亡くなって横たわっている姿の写真や、動画を載せてツイートしている人を見かけます。
あくまでも私の考えなんですけど
そういうのは、正直あまり見たくないかなと思っていまして…
悲しい気持ちはわかります…
亡くなったことを、受け止めたくない(受け止められない)気持ちもわかります…
私も、物心つくかつかないかくらいの頃から
保護猫や、犬、鳥を飼ってきていて
何度もそういう場面は目にしてきましたし、学生の頃はショックで学校を休みたいと思うほど
悲しい気持ちにもなりましたから…
でも、亡くなって横たわっている姿をツイートするということは
ツイートを見る人によっては、その姿が焼きついてしまうこともあると思うんです…
亡くした側としては、“最期の姿を残しておきたい“
という気持ちから、そうしているのかもしれませんが
やはり、残しておくとか焼きつけておきたいのは
“最期の姿“ ではなくて、“元気だった頃の姿“ じゃないのかなって…
これがもし、ペットではなくて人間の場合
身内や恋人、凄く仲の良かったご友人が亡くなったとして
“最期の姿(死に顔)“ を、写真や動画に撮って
ツイートして残したいと思いますか?
あるいは、残しますか?
焼きつけておきたいですか?
私は、“最期の姿“ はツイートして残したいと思いませんし残しません。
焼きつけたくもないです。
写真や動画として残すなら、“元気だった頃の姿“ です。
焼きつけておきたいのも同様。
要は、そこだと思うんですよ。
もしも、どうしても伝えたいとか残したいというのであれば
“文章だけでツイートして、“最期の姿“ の写真や動画は
自分の端末の中に残して悼んであげる“
それが一番いいんじゃないかと、私は思います。
Twitterは、色んな方が目にするツールです。
Instagramも同じです。
なんらかの理由で、精神的にダウンしている方もいらっしゃると思います。
そういう状態の方が、こういうツイートを見たらさらに気持ちが沈んでしまうかもしれません。
精神状態が安定している方でも同じです。
ですから、なおさらなんです。
悲しさのあまり、ツイートせずにいられないとか
何も手につかない、何も考えられない気持ちもわかりますが
ある程度の配慮って必要だと思います。
私の考えるのは、そんなところです。
私の文面がきつく感じたら、ごめんなさいm(_ _)m