0 ペギー・カーターの沈黙 みんなに公開

・原文は「The Silence of Peggy Carter」です。『アベンジャーズ/エンドゲーム』の感想 その2の補完のために訳しました。


ペギー・カーターはさまざまなことを成した。第二次世界大戦下の暗号解読者であり、MI5の諜報員であり、SSRのメンバーであり、S.H.I.E.L.D.の創設者にして長官。また、妻であり、おばであり、深い喪失と悲しみを経験した女性でもある。悲嘆に暮れていただけでもなかった。自己研鑽に努めた―そして他人を助けた―問題を解決して前へ進むために。

だが、これらは重要な要素ではない。なぜなら、彼女の存在意義は「スティーブ・ロジャースの最愛の人」なのだから。

スティーブの乗った飛行機が墜落したあとの彼女の物語は明確だ。彼女はスポットライトが当たるのをただ待つだけのキャラクターではない。映画『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』に登場した瞬間から、びっくりするほど短いドラマ『エージェント・カーター』まで、彼女は望みを露骨なほどはっきりと主張している。兵士として、捜査官として、女性として尊敬されることだ。彼女は自信に満ち、強く、聡明だ。暗殺者と戦い、射撃の腕前はスナイパー並みで、悪い奴らの裏をかいて翻弄する。いくつになっても目を見張るような頭脳は衰えない。スティーブやハワードと始めたことを彼女は引き継ぎ、完成させた。

また、彼女の人生だけが第二次世界大戦とスティーブの悲劇のあとに力強く前進したわけではない。我々は彼女がダニエル・スーザ(訳注:『エージェント・カーター』の登場人物)との仲を育んだおかげで、新しい一歩を踏み出せたことを知っている。我々は彼女に夫がいたことをインタビュー映像によって知っている。我々は病院のベッドの枕元に置かれた写真を見て、彼女に家族がいたことを知っている。我々は『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』で彼女がそう言ったように、文字通り人生をまっとうしたことを知っている。

それにしても奇妙だ。ペギーをはじめ、大勢から自分の人生を生きろとアドバイスされたことなどお構いなしに、スティーブは古い恋の炎を燃やそうとしている。とりわけ奇妙なのは、この映画で―この映画はペギーがスティーブのエンドゲーム(訳注:運命の人)だと嫌になるくらい主張している―ペギーは口を挟めなかったことだ。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』でペギーは、サノスによる大量消滅をなかったことにしようとするスティーブの原動力になる。それなのに、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で何か役割を担うわけでも言及されるわけでもない。

チームが一ヵ月前に失った命を取り戻そうと画策している間、スティーブは二年前に死んだ女性の写真を物憂げに見つめている。大量消滅によって生じた喪失を乗り越えようと苦闘する人たちに、スティーブは自分も最愛の人を失ったと語って共感を示す。この時点で、彼女が老衰で亡くなってから丸七年が経っている。スティーブがバッキー・バーンズに思いを馳せることは一度もなかった。無二の親友を助けるために二本の映画が費やされたが、結局目の前で塵になってしまった。あるいは、サム・ウィルソン。誰もそうしなかったときに、キャプテン・アメリカと世界のために今までの生活を捨てた男。

一般人が身近な人たちの消滅を嘆いているというのに、スティーブは消えていない人物のことで頭がいっぱいだ。

信頼できるコンパスであり、スティーブを上の空にするペギーは、映画の中にいつも存在している。しかし、登場シーンは二回だけだ。どちらも非常に短い。どちらもスティーブを中心に展開し、彼女によってかき立てられる感情を描く。

タイム泥棒の作戦実行中、四次元キューブ奪取が未遂に終わり、スティーブとトニーはさらなる過去へのジャンプを余儀なくされる。幸いにも、キューブはS.H.I.E.L.D.の掩蔽壕(えんぺいごう)に数十年間保管されており、トニーはどの時代に移動すればいいかを承知していた。もちろん、我々もみな、1970年のS.H.I.E.L.D.に在籍する人間を知っている。スティーブが身を隠す場所がカーター長官の部屋に他ならないことに驚きはない。彼女だと気づくまでに時間がかかるが、観客にとっては明らかだ。

スティーブがブラインドの隙間からのぞくと、ペギーが見える。だが、あるべき姿ではない。1970年のペギーはS.H.I.E.L.D.を創設した、およそ50歳の長官だ。スティーブはオフィスを歩き回る彼女をじっと見つめる。彼女は難解なことを話している(言っていることは重要ではない。スティーブが目撃するためだけにいるのだから)。彼女の姿は一見すると若い。白髪も目尻の皺もほうれい線もない。映画が腐心してマイケル・ダグラスを半分の年齢に、クリス・エヴァンスを二倍の年齢にしているのだから、彼女の若々しさは間違いでも見落としでもない。

ペギーはスティーブの思い出の中で氷漬けになっている。コンパスの中に仕込まれたゆるやかなカールの若い女性の写真として。

50歳のペギーには人生もキャリアも家族もある。にもかかわらず、スティーブが暗い部屋に入ったとき、机には有名な写真が一葉あるきりだった。すぐにそれとわかる、血清によって兵士になる前のスティーブ・ロジャースだ。友達の写真も、新居の前に立つ新婚夫婦の写真も、ぴったりくっついてカメラに向かって微笑む家族の写真もない。ペギーが前に進んだ証しはない。

このような写真は幻想を壊してしまう? スティーブなしで成功したペギーの人生は、スティーブと観客に、彼女は自立した人間であってご褒美ではないと思い出させてしまう? もはや存在しない理想の女性に恋焦がれていたと気づいていたら、サノスに勝利したあとのスティーブの選択は違っていた?

すべてが終わったあと、スティーブに残された唯一の仕事は、今までのやらかし以上の問題を起こさずにストーンとハンマーを正しい時代に戻すことだ。しかし、彼は再びペギーの元に戻ろうとする。ブルースとサムにさよならを告げる前に、バッキーとのよそよそしい意味深な別れの前に、彼はすでに心を決めていた。スティーブには平穏で満ち足りた人生を送ってほしいと切に思うが、なぜ過去でなければならないのか? 苦労して関係を築いた友人や家族に囲まれている今ではなぜだめなのか? 過去を利用して現在を回復させる映画で、前に進む唯一の方法は引き返すことだとスティーブは決心した。それはペギーのためでもある。

ペギーは自身のためにスティーブと暮らすことを選んだのだろうか? いかにもありうる。我々は彼女がスティーブを愛していたこと、とても会いたがっていたことを知っている。だが、スティーブは別の時間軸の彼女が違う家庭を築き、違う人生を送っていたことを想像したのだろうか? 今までの自分でいるか、それとも新しい人間になりたいか、選択肢を提示したのだろうか?

我々は知りようもない。ペギーは沈黙を守っているからだ。彼女は例の忌まわしいダンスでリードされて満足しているように見える。スティーブを失ったばかりのペギーなら満足したかもしれない。だが、スティーブがアベンジャーズとともに戦う期間限定の物語の最終章を飾るシーンにおいて、彼女は小道具だ。ヒロインが長い間ヒーローのものではなくても、大団円を迎えれば必ず手に入れられると証明するための存在だ。

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』でペギーは言った。「世界は変わってしまった。後戻りはできない。最善を尽くすしかないわ。一からすべてをやり直すことになるかもしれないけど」と。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』でペギーは無言だ。

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