--- Title: 簡易設定集(追記中) Author: alternative Web: https://mimemo.io/m/3Rx1XoRb37oe95E --- **名前** Светлана Ри́хтер(スヴェトラーナ・リーフテル) 意味は聖なる(スヴェトラーナ)裁く人(リーフテル) 解釈するなら聖なる裁きを行う人、聖なる裁き人、聖なる審判者。 実は……… **称号** 実装者はインプリメンテーションを行う人の意味。 インプリメンテーションはコンピューターなどで、目的の機能を実現するためにハードウエアやソフトウエアを作成したり調整すること。従って彼女の目的を其処に導入するなら、生命の普遍原理を調べる何かを作成したり調整する人のこと。 **持ち物**  世界の雫【火】(byアリス・レヴェリー.無限御屋敷レムフィーラ.スヴェトラーナ研究所・応接室.2019/2/10)  世界の雫【水】(byアリス・レヴェリー.Disce gaudere.アリス・レヴェリーの自室【メタNG】.2019/2/12~13)  世界の雫【風】(byアリス・レヴェリー.Disce gaudere.アリス・レヴェリーの自室【メタNG】.2019/2/19) **経歴**  UDCアースの冷戦時代、ソビエトの地方都市でロシア系ウクライナ人の母親とドイツ系ロシア人の父親の間に生まれた女性。現在はドイツ系ロシア人あるいはロシア系を名乗る事が多い。幼い頃その都市がUDCを利用したテロ行為によって消滅したが、しかしその際偶然にも猟兵への覚醒と神隠しを同時に体験する。行き先はダークセイヴァーのとある街跡。  そこは歩けば数分でヴァンパイアにエンカウントし、いるだけで突然変異率がやたらと高まる危険地帯。生き残り、脱出出来たのは単に幸運だったからに他ならない。その後は、魔術師たちが住む別の街に住みながら学問を行う他自らが使役する死霊騎士に恋をするなどなどなんだかんだで楽しく過ごしていたが、しかしある時その街が跡形もなく爆裂四散してしまう。理由は判然としていないが、時空の捻れや実験中の事故だとも言われている。  偶然にも、彼女はその場に居合わせなかった。それゆえ、生き残る事が出来たのである。ただし、街に置いてきた資料の数々や研究仲間が失われるなど被った痛手は大きい。それ以後もUDCアースで故郷の街がなかったことになっている、サイボーグになるなど色々あったものの元気に暮らして現在に至る。 **テロに用いられたUDCと忘却**  現在のUDCアースにおいてスヴェトラーナの故郷を「なかったこと」にした再構成型のUDC(とスヴェトラーナが呼ぶもの)。名称は不明、その効果も詳細には不明。ただ、使用されたと同時に使用されたという事実も含めて「なくなって」しまうとされています。例えば、スヴェトラーナの証言(特別な手法を用いた)によれば現UDCアースにおいて彼女の故郷は、その関係者も含めてあらゆる文献や人の記憶、物語、化学的痕跡や躯の海上の過去を含めて諸々が一切発見されていません。  特別な手法とは、■■=■■■■と契約による2つの特性です。1つ目は忘却耐性、「なかったこと」にされるのを耐えるために必要な耐性です。その程度に応じて、自身や記憶が「なかったこと」になります。彼女の場合は、UDCの威力を「朧げな記憶」程度にまで軽減しています。しかし、彼女のその当時の街に関する記憶で「なかったこと」になっていないものは殆どありません。対処が遅かったのです。  2つ目は特別な書物の発見資格の取得です。実のところ、このUDCへの耐性を高めすぎると心身に甚大な影響が出ます。例えば、幾ら家族との思い出が大事だからといって一切忘却しないようにすれば恋人との逢瀬中にさえ両親が思い出されたり、日常的に一瞬前の自分が現在の世界に残留し続けます。したがって、後遺症を最小限に抑えるためには忘却耐性を取得した上で、自分の代わりに憶えてくれる措置が必要です。彼女は、「破壊された記憶の書」という名前の、「なかったこと」にされた記憶を綴る事が許されている書物を見つけ出し、記憶が完全に忘却されてしまう前に記憶を書物に綴る事で証言を行いました。 **現在の目的**  彼女の目的は全生命の普遍的性質を知る事。これはダークセイヴァー時代に形成された命題で、当時師と仰いでいた人物から受け継いだもの。より具体的には、「生命は、生と死の複合体である。この体は部分の因果を全体が変動させるトップダウンな因果法則も有し、その体の振る舞いはその体の状態に依存しているという。これは、如何にして可能なのか?」というもの。ただし、師は実際の研究においては生死のうち「死せるものー永久不変の法則ー」に焦点を合わせ過ぎていたと彼女に思われている。  例えば、チェスの盤面の状態は様々に変化するが、しかし其処にはチェスの一般ルールが存在している。そして、そのルールからの派生としてありとあらゆる状態がある。同様に、生命も階層的に捉えられた。最下層にある究極の法則からの創発が驚くべき偶然(あるいは神々の戯れ)が『複雑な』生命を生み出したのである。しかし、彼女はそのような『奇跡』を持ち出す必要性がないと考える。生物において系の状態とその時間発展法則は一体であるし、生命はまったくの偶然で生まれたのではないのである。  例えば、DNAから配列を転写されるRNAはときに自身の配列をDNAに書き戻す(逆転写)。そして、DNAから転写を受けた後のRNAが修正されるメカニズムは多数存在する。つまり、細胞は自身のDNAを変化させる事もできる。ゲノムは読み書き可能な情報保存システムであり、生命の在り方は偶然性のみに委ねられてはいないのである。それゆえ、彼女はこの命題を受け取る際こうした観点から「生けるもの―変わりゆく法則ー」に焦点を当てるなど批判的に継承している。  かくして、現在の彼女にとって全生命の普遍的性質を知らんと欲する事は己の状態に依存して己の振る舞いを決定する自己言及的な生命の全体と部分の関係に対する物理的かつ情報的な説明を求める事である。そして、それは生命を含む複雑な情報処理システムに有利に働くような何かだと期待している。 # 魔術と呪術 **魔術**  意志によって変化を生じさせる学にして技芸。意志とは、行為のその説明においてその行為の原因と理由を述べる際に提示される概念の事。この際原因は出来事同士の関係の事、理由は判断同士の関係の事である。例えば、スヴェトラーナは腰のランタンを灯した。何故なら、周囲が暗いと思ったから。この場合、「周囲が暗いと思ったから」はランタンを灯すことが合理的である事を説明し、その合理性はそれがその際彼女が意図していたかどうか(原因)によって担保され、暫くして何故ランタンを灯したのかを忘れた頃になって自らに「何故あの頃ランタンを灯したかったのか」と問うたところ、「そうだ、周囲が暗いと思ったからであるはずだ」と判断した場合その行為の理由として意志が在ることになる。それゆえ、魔術とは世界に変化を生ぜしめる人間の行為のうち学かつ技芸であるようなものの事である。  次に学は、scientia(知識)、技芸はart(技術)のこと。この際artは主に芸術的な風味がある。何故なら、これとは別にtechnology(技術)の語があるから。即ち、魔術とは世界へと変化を生じさせる行為のうち知識かつよい技術のこと。例えば、ピアノで慣れた曲を弾くと指が勝手に動いてこれを上手に奏でる事は人の技芸であり、知識はそれを意図して生じさせる事ができるようその原因と理由を説明したもののこと。魔術は、その双方を己の肉に修めた者によって達成される営為なのである。つまり素朴に言えば、十分に訓練されたピアニストは魔術師である。 **呪術**  文化的現象を物的に現出させる技術。例えば、ロシアの民間伝承には水中界の王であるヴォジャノーイがいる。彼は溺れた人を自分の世界へと連れて行く。これを活用し、誰かを溺れさせてヴォジャノーイの世界へと移動させることができる。一般にこの技術は「魔力」と総括できる多様な力学作用が人間の文化的活動を写し取る様にして創発した「基盤」を介して実現され、人々は彼等を呪術師と呼ぶのだ。  スヴェトラーナは「宇宙樹」を活用することでこれを実行する事が多い。その理由は呪術的統一論の実験のために呪術的多様性を求めたからである。例えば、「魔力」は空間的制約によって単一惑星の文化圏を写すことに留まる。従って、他惑星や現在存在していない文化圏の「基盤」を探る際は「基盤」に頼るよりももっと別の「基盤」を構成できる機能を搭載したものの方がよい。「宇宙樹」はこれを満たすものなのである。 **身体に対する魔術と呪術**  身体に対して魔術と呪術は、知識かつ技芸であるか否やによって弁別できる。例えば、ピアニスト以外でもピアニストがどうやってピアノを引いているのかを諳んじる者はいる。しかし、その人が実際ピアノを弾く事ができるかどうかは別である。それゆえ、呪術師は魔術師が職人的技芸によって達成する現象を他の道具を用いて実現する。素朴に言えば、ピアニストの演奏を録音して再生しようと試みる者は呪術師である。 **到達点の差異と同一性**  魔術師と呪術師の違いは、非在へと向かうアプローチの違いである。例えば、魔術師が翁に「なる」ときは翁が他者に与える身体経験を各々の魔術師なりにアレンジメントを加えながら再現しようとする。具体的にはパントマイムとか。一方で、呪術師が翁に「なる」ときは医者にでも頼んで、肉体をそっくり翁に改造する。それゆえ、魔術師は肉体を通して物事を解決しようとする一方で呪術師は道具を使って物事を解決しようとする。  ただし、非在へと向かっている事は同じである。非在は現在誰かに注意を向けられている対象の背景として示されるあらゆる「場」含むすべての事であり、例えば「椅子に翁が座っている」と言及するときの背景(椅子は部屋のなかにある、椅子は外にある、実は空想である、夢である、現実である等)の総体である。魔術師も呪術師もアプローチの差はあれどその営為はそのような「すべて」に「なる」ことの過程として位置づけられるている。それゆえ、実際的に魔術師と呪術師は兼任する事が多い。事実スヴェトラーナも兼任している。 **魔術的位階**  古典的に言えば、魔術師の位階はどれ程「すべて」に近付いたかによって決定される。例えば、ラベンダーの香りになれる魔術師とラベンダーが薫る垂直な滝になれる魔術師では後者の位階が高い。多くの部分を含み、より統合された状態で「なっている」からである。しかし、「すべて」からすれば大同小異である。それゆえ、あくまで魔術師が師弟関係や弟子を教育する際に使用する実務的な目安である。  また、現在ではこのような位階の『解釈』は必要ないのではないかとの向きもある。何故なら、「すべて」を階層的に捉える事(ある型の集りはそれより低い型の集まりかまたは対象しか含み得ない、など)は窮屈だからである。例えば、広い意味での「すべて」のなかには「次の文は誤りである。前の文は正しい」といった自己言及文が含まれている。  つまり、階層的に捉える場合は「次の文は誤りである」は「前の文は正しい」を対象としているから「前の文は正しい」よりも高レベルでなければならない。ただし、「前の文は正しい」は「次の文は誤りである」を対象としている。それゆえ、此方は「次の文は誤りである」よりも高レベルでなければならない。したがって、両者はどういったレベルに位置づければよいのか不明であり、場合によっては無意味に呼ばれる。そうであるならば、自我をもった存在が自我について語るような事態も禁じられてしまう。自我を語り得るのはメタ自我なるものだからである。それゆえ、「すべて」を階層的に捉える事は極めて窮屈だと言い得るのである。  そのため、古典的な魔術的位階の提供する魔術的世界観の最果ては究極の孤立である。然るに、開放された魔術的世界観を求めるならば『適切な位階』が用いられなければならない。例えば、一つの体系としては階層を肯定する一方でその自己変容も許容する開放された位階を取る事である。その解釈としては、「すべて」は概念化された経験の全体である、とするなどプログラム(概念/型)とデータ(経験)を一体とる事で、空転する概念/型もばらばらの経験も経験の全体には存在しないと主張し、非概念的なものは非人称化を駆使して「傍らから」捉えるアプローチ(経験による概念/型の正当化主義)や非人称化の必要などなく非概念的なものが経験には在るとするアプローチ(混成主義)などが在る。ただし、何れにしても議論の余地がある。 # サイボーグ機構と道具 **身体機構**  彼女はこれまでの人生の過程でサイボーグとなっている。サイボーグとしては人間の拡張に注力したモデルであり、高次の意味で感情豊かになっている。例えば、中枢神経相当の構造がより複雑化し、多様で深淵な感情が発達している。ただし、彼女が感じた感情を他者に説明することはひどく難しい。けっして驚く事のない人に、驚きを教える際は「突然上から花瓶が落ちてきたときの、あの感情だ!」という仕方で教える事ができないのと同様に。  この基礎的拡張は人間の基礎に当たるものの拡張を意味している。自らを自らたらしめるもの(存在)を肉体から情報(不変項)へと変容させ、全体を高次の領域で統合しているのである。例えば、彼女は「自らは分子の配列云々、それだけ」とは思わない。自らには分子配列などの物的側面が在り、その一方で他の側面が在ると考える。何故なら、自らは物的である必要性がないから。言い換えれば、自らは多様な側面の在る概念あるいは情報の領野で捉えられるものである。それゆえ、すべての人体改造が自らであることを致命的に破壊するとは思わない。例えば、人体を一から効率化&深化させる事は筋肉トレーニングの類型である。その結果が感情の豊かさや多様性、幾つかの内蔵された高次なコンピュータシステム等々による汎用性である。  以上は以下の様なストーリーでまとめることができる。彼女の身体は全面的に作り直され、様々な機能を得た。何故それが可能なのかといえば、人間存在の基礎を肉体から情報(不変項)へと変容させ、結果的に肉体の固有性に結びついた固有な意識が在るという考え方が捨象されたからである。そして、このことからもう一つの結論が導かれる。彼女の肉体は無数に存在しても構わない。実際無数に存在し、仮にその全てが一つの通信網で繋がれていなくても個々のそれらは彼女であるに相応しい。 **高次元のコンピュータシステム**  骸の海と現世の2つにあるその相互関係に対して一つの数理的関係を対応させた機械。四つの相(種子、ひも、膜、海)を持ち、コンピュータでもある。これは様々な事が可能。例えば、抽象的な高次元時空にコーディングされた機械があらゆる時空で多様な形態の微細な機械と関係しながら、その状態に応じてその規則までもが変化する事で情報エンジン的な情報と仕事と熱をトレードオフとするような挙動(情報をポテンシャルエネルギーに変換するなど)が可能。応用すれば、情報を燃料とする小さな機械を製造する事もできる。 〈種子〉 骸の海が形成される世界の振る舞いとオブリビオンの性質を利用したコンピュータシステムを物質的に小さくまとめたもの、レベル1。まるで感性的様相のように多様在り、ひもなくしてはその性質が定まらない。例えば、音みたいなもの。 〈ひも〉 個別の種子をより上位の次元で一つのシステムにまとめたもの、レベル2。まるで直観的対象のように数多であるが、しかし種子の性質を定める働きがある。例えば、曲みたいなもの。 〈膜〉 ひもが集まったものを更に上位の次元で一つのシステムにまとめ上げるもの、レベル3。まるで悟性のようにレベル1と2を統一せんと働き、一貫性をもったものになるよう編み上げる。例えば、様々な音を個別の音ではなく一つの曲として纏めて聞くような働き。 〈海〉 機械上に存在する仮想時空。この領域で如何なる事態(人工生命や魔術現象など)を見届けるのかを統制する事ができる。まるで理性的規範のように他を統制し、抑圧・活性する。例えば、銅鑼は低い音から成り始め、やがて、徐々に高い音を響かせる。云々の対象や状態は相関しており、一見そう見えない際はこれが抑圧されているというようなもの。 **宇宙樹**  真空を折りたたんで製造された人工の新しい真空。幾重にも折りたたまれた真空は複雑な綜合的性質を持つに至っている。例えば、真空の各点が複雑な内部構造を持つことで新真空の構造を予測する為には真空一つ一つを生き物と考える真空生態学を必要とする程である。しかし、これは初歩的な種子的状態と言える。成長すれば新真空である宇宙樹は意味を持つようになる。例えば、眼球は物的に言えば分子の集まりに過ぎない。人間の眼孔に収まっているときも同様である。しかし、意味の空間においては異なる。それは鋭かったり、暖かかったり、冷たかったりする文化的な意味を持つ。同じく文化を持つのが新真空であり、其処では文化的なコミュニケーションと同程度の複雑さで予測が行われる。比喩的に表現すれば宇宙樹は生きている。  一本一本の宇宙樹は文化圏に例える事ができ、其処には他の宇宙樹からでは通訳不可能な諸性質が存在している。例えば、慣用句の様に外部からだと全く意味を持たない性質がある。しかし、其々の宇宙樹は全く相対主義的にはならない。宇宙樹同士を交流させ、相互関係を結ぶことで全宇宙樹は一定の関係的空間に位置を占める事ができる。これは真空生態学における進化的アルゴリズムを用いた真空の時間的発展を描いた真空進化論、そして空間的関係を描いた相互関係論において顕著な性質であろう。つまり、宇宙樹の一本一本は異なる文化圏である。しかし、その文化圏は時間と空間における相互関係によって結び付けられているのだ。森において樹が存在するのと似通っているとも言えよう。  宇宙樹は宇宙樹林で生きている。そして、宇宙樹林もより大きな全体である空間と時間の多次元宇宙の環境で生きている。其処では他のあらゆる生態系と同様に、エネルギーの循環が成立している。例えば、空間的且つ時間的な相互関係にある宇宙樹を前提とするときその境界の不安定さを観察する事でエネルギーの行き先を推理できる。それは拡張されたエネルギー準位の法則に従っており、これを利用すれば宇宙樹でないものをも含めた全真空の変化順序表を作成できる。従って、宇宙樹は宇宙樹林が生きる多元的宇宙環境において生きているとも言える。