【拡散OK】SAMのアセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムとnon-SAMのアセクシャルを併記してください #アセクシャル #アロマンティック #Aスペクトラム

はじめに

初めましての方も、そうでない方も、こんにちは。灯葉と申します。
アジェンダー、アセクシャル(SAM)、デミロマンティック、クワロマンティックに近いアイデンティティを持つ者です。AroWeekを迎え、自分の中でずっとモヤモヤしたままになっていた「アセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムについて拡散してほしいこと」をまとめることにしました。
ここで記した「アセクシャル」とは、性的な惹かれと恋愛的な惹かれを分けて考えるモデル(SAM)と、性的な惹かれと恋愛的な惹かれを分けずに考えるモデル(non-SAM)の両方を指します。この記事において、注釈を用いない場合の「アセクシャル」は2つの定義を持つ言葉として扱います。
この記事は、現在の日本コミュニティにおけるアセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムという言葉の認知向上を目的とし、二つあるアセクシャルの定義を併記するように求め、どういった発信がアセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムの人たちを傷つけてしまうのか、といったことをまとめた内容です。特定の個人を攻撃・誹謗中傷する目的で書かれたものではありません。この記事を元に、批判や提言の範疇を超えて、誰かを攻撃・誹謗中傷することはおやめください。

AroWeekになんでアセクシャルの定義の話?

後述しますが、日本コミュニティでは二つあるアセクシャルの定義のうち、「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」という一方を中心的に発信してきました。そのため、性的な惹かれ(セクシャル)と恋愛的な惹かれ(ロマンティック)を区別するアイデンティティであるもう片方の定義のアセクシャル、そしてアロマンティック/Aスペクトラムの概念に到達できない人たちが数多く存在してきました。
二つあるアセクシャルの定義についての認知向上を行うことは、アロマンティック/Aスペクトラムの認知向上にも繋がると強く感じ、この記事を書く運びとなりました。
長くなりますが、お読み頂いて拡散にご協力頂けましたら幸いです。

アセクシャルの定義は大きく分けて二つある

依然として知らない方も多いようなので、まずは下記内容を周知して頂きたいです。
アセクシャルの定義は大きく分けて二つあります。
●「性的な惹かれがない」として恋愛的な惹かれの有無ついては問わないもの
●「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」として2つの惹かれを区別しないもの
上の定義は、性的な惹かれと恋愛的な惹かれを区別して考えるため、スプリット・アトラクション・モデルと呼ばれ、その頭文字を取ってSAMと略されています。そして、下の定義はnon-SAMと呼ばれています。
アセクシャルを「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」とする下の定義は、日本語圏独自のものとされることが多いですが、実はそうではなく、英語圏にも存在しており、文脈によって使い分けられています。
SAMについて、詳しくはこちらの記事をご参照ください。
SAM:Aro/Ace(2) 夜のそら:Aセク情報室
SAMの弊害・曖昧さを守る:Aro/Ace(5) 夜のそら:Aセク情報室
スプリット・アトラクション・モデル(SAM)とは何ですか? メリットとデメリットとは? AセクAロマ部

片方の定義だけを説明することは排除であり差別である~Xジェンダーの例えから考えてみる~

必要な定義にアクセスできなかった筆者の体験

アセクシャルの定義が大きく分けて二つあるということについて、これまで知らなかった人、今は知っているけれど長い間知らなかった人、多くないですか?
筆者もそのうちの一人です。ほんの数年前まで、アセクシャルのことを「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」という定義のみで認識しており、SAMという考え方があることも、アロマンティックやAスペクトラムという単語も知りませんでした。
先述の通り、自分はアセクシャル(SAM)、デミロマンティック、クワロマンティックに近いアイデンティティを持ちます。性的な惹かれは一切ありませんが、精神的なつながりや信頼関係を構築した相手にのみ、ごく稀に何らかの強い魅力を感じます。しかし、アセクシャルについて「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」という片方の定義しか知らなかったため、長い間、自分に必要な情報にアクセスできず、苦痛を感じてきました。元パートナーから「性的に惹かれないならお前の好意は偽物だ」と感情やアイデンティティを否定され、望まない性的接触を求められたり、「自分はおかしいのだ」と強く思い込まされてきました。
もっと早くにもう片方の定義にアクセス出来ていたら、経験せずに済んだ苦痛が本当にたくさんあります。何故、日本のメディアや性的マイノリティのコミュニティは、アセクシャルという言葉について、二つの定義を併記してくれないのでしょうか?

Xジェンダーの例え話

例えば、Xジェンダーという言葉について「Xジェンダーとは中性のことです」と拡散する人がいたら、皆さんはどう思うでしょうか。「その説明は間違っている」と指摘する人がほとんどなのではないでしょうか。Xジェンダーには、代表的なもので中性、両性、無性、不定性という四種類があり、その他にも左記の四種類に属さない多様なアイデンティティが存在しています。その中の一つだけを取り上げて、あたかも単一の意味の言葉であるように説明することは、Xジェンダーにアイデンティファイする人への偏見を助長するものであり、同じラベル内に存在するはずの複数の属性に対する排除であり、差別であると筆者は考えます。
ですが、この「複数の意味があるのに一つの意味でしか説明されない」現象が、これまで多くの指摘がされてきたにも関わらず、何故かまかり通ってしまっているのが、アセクシャルという言葉なのです。
最近では「二つの定義がありますが、ここではこちらについて説明します」とするメディアも多くなりましたが、ただでさえアクセスしにくいアセクシャルの情報について、苦労してようやくたどり着いたメディアから説明されなかったもう片方はどうしたらいいのでしょうか。これも、例えばXジェンダーについての情報で、「ここでは中性についてのみ説明します」と言われたら、その説明がいかに排除的で不十分なものであるか、お分かり頂けるのではないでしょうか。
アセクシャルの情報について、包括的で十分な説明をしてほしい。それが筆者の一番の願いです。

何故「定義の併記」を求めるのか

排除の歴史を反省しSAMの認知向上に尽力してほしい

基本的に、日本語圏の性的マイノリティのコミュニティの多くでは、アセクシャルを「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」と説明してきた歴史が長く、「もっと早く性的な惹かれと恋愛的な惹かれを区別して考える定義(SAM)を知りたかった」という意見が多く挙がるのは当然のことだと思います。これまで多くのコミュニティで、SAMを必要とするアセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムが潜在化され、排除されてきました。日本コミュニティに居場所がなく、必要な情報にアクセスできず、自分はおかしいのだろうかと悩み続けてきた人たちは本当に多いと思います。
日本のコミュニティの多くは、この歴史を反省する必要があると思います。
積極的にSAMの説明をして拡散したり、アセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムを包括する居場所を作ったりしてほしいと願っています。勿論、既にそれを実践しているコミュニティもありますが、全てのコミュニティにそうなってほしいと願っています。
これまで排除してきた属性を、これ以上、排除したままにしないでほしいのです。

定義の統一を求める発信に対する批判と「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」アセクシャルの必要性

ですが、これまで排除されてきた苦痛や困難さを理由に、「アセクシャルの意味をSAMに統一してほしい」とするのは、また別の排除と差別を生んでしまいます。
SAMの必要性を訴えるアセクシャルの方が、「恋愛的な惹かれも性的な惹かれもないのならば、アロマンティック・アセクシャルを名乗ればいいのでは?」という疑問を発信することもあります。ですが、性的な惹かれと恋愛的な惹かれを分けて捉えない/捉えることが出来ない人たちにとって、それは「アセクシャル」としか表現しようのないものであったり、他に言い換えることが出来ないアイデンティティである可能性があります。
ラベルは自分で自己を肯定したり、その存在を訴えるために使用するべきであり、他人が貼るべきものではないと、筆者は考えます。
勿論、これまで「性的な惹かれと恋愛的な惹かれを分けない」意味でアセクシャルを使ってきた人が、SAMという考え方を知って「自分はアロマンティック・アセクシャルだ」とラベルを変更する可能性も大いにあります。大切なのは「選択肢があること」です。そのためにも、アセクシャルについての二つの定義が、同等に扱われ、認知向上することが必要なのではないでしょうか。
アセクシャルの定義にまつわる排除の問題は、「二つの定義が同じだけ認知されていないこと」「メディアやコミュニティが片方の定義だけを説明してきたこと」に原因があるのであって、それらは「どちらかの定義に合わせること」では解決しないと思います。これまで必要なラベルやアイデンティティを知らずにいた悩みや苦痛を、また別のアイデンティティの誰かに体験させることになってしまいます。それでは結局、排除や差別はなくなりません。

アセクシャルの定義について発信する時に気を付けてほしいこと

アセクシャルの定義について「各々の名乗り、フィット感を尊重しませんか?」「いつまでもこうしてこの話題に拘るのもよく理解できない」と投げかけることの暴力性

先述したように、日本の性的マイノリティのコミュニティにおけるアセクシャルの説明の仕方は、片方の定義に偏っている場合が多く、両方の定義を丁寧に併記している記事はほとんどありませんでした。また、両方の定義が記載されている記事があっても、そこに辿り着ける人は、インターネットに接続でき、かつ、検索能力の高い人たちに限られているのが現状です。今でも、英語圏の情報にアクセスする能力がなければ、必要なラベルにアクセスできない人が多い、それがアセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムの置かれている現状です。
上記の投げかけに、悪意がないことは分かっています。
ですが、名乗るにはまず用語を知る必要があり、用語によって、そして生まれ育った環境や個人の能力、発達傾向などによって「知るための労力」には大きな格差が存在する、ということに自覚的でいてほしいのです。
アセクシャルの人たちに、「各々の名乗り、フィット感を尊重しませんか?」「いつまでもこうしてこの話題に拘るのもよく理解できない」と投げかけることは、現状、自分にフィットするラベルを名乗るための情報が著しく不足しており、必要な情報へのアクセスが公平でなく、あらゆる場から排除されてきた人たちを傷つける言葉として機能してしまいます。
アセクシャルという言葉が、日本コミュニティにおいて、誰もが簡単に自分の名乗りやフィット感を大切にできるように説明されてきたなら、こんな問題提起はしなくてよかったのです。フィットするラベルを自分で選べるような状態にないからこそ、自分のアイデンティティを日本コミュニティから尊重されてこなかったからこそ、多くの人たちはアセクシャルの定義から一方を排除することに怒ったり、アロマンティックやAスペクトラムを潜在化するな、と発信しているのです。
アセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムの人たちに対して、上記のような投げかけをするよりも、まずはアセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムの認知向上のために連帯してください。アセクシャルについて片一方の定義を排除した説明が拡散された際には、訂正を求める発信をしてください。
ちなみに「」の言葉は筆者がツイッター上で実際に言われた言葉です。非常に傷つきましたし、トラウマになっています。今後こうした投げかけをする人が一人でも減ってくれたら救われる命があると思いますので、本当によろしくお願いいたします。

「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」とするアセクシャルを肯定する際に「歴史」を持ち出すことの危うさ

「何故『定義の併記』を求めるのか」でも記述しましたが、日本のメディアやコミュニティにおいてはアセクシャルを「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」とする定義のみ紹介するケースが数多くありました。20年近くの歴史を持つ言葉ですので、この定義を肯定する際に「歴史があるから」と表現したくなるかもしれません。ですが、その日本コミュニティの歴史は、同時にSAMを必要とするアセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムを潜在化してきた、排除の歴史でもあります。このことにどうか自覚的であってください。
「性的な惹かれも恋愛的な惹かれもない」という意味でアセクシャルを使うことは間違いではありませんし、否定されるべきではありません。ですが、それを肯定するためには「自分のアイデンティファイするラベルを他人が取り上げることは暴力であり、してはいけない」ということを提示するだけで十分ではありませんか?
日本コミュニティから排除されてきた属性の人たちにとって、日本コミュニティの歴史を肯定的に語られると傷つくこともあります。それを覚えておいてほしいのです。
また、歴史がある、ということは必ずしも正しさの証明になるわけではありません。歴史があるからといって、現代に合わせて変えていかねばならないこと、アップデートすべきことはたくさんあります。アセクシャル/アロマンティック/Aスペクトラムという言葉だって、より包括的な表現へと変化していく可能性を含んでいますし、「歴史がある=正しい」という認識は危ういのではないか、と筆者は考えています。

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