“善意”でも他者に精神医療、精神福祉に繋がる事を薦める…という行為について、私の考え

【この記事を読む前に把握して頂きたい大前提3つ】

前提①
まず、この記事は決して
『決して他者に「精神医療や精神福祉に繋がったほうがいい」と言ってはいけない』という趣旨の記事ではありません。
筆者もそう考えていません。
人からそう言われて助かった方もいる事でしょう。

前提②は精神疾患を持つ人間への差別的な発言が含まれます。フラッシュバックのおそれがある方は②は読み飛ばして頂いて問題ありません。
---前提②ここから---
前提②
インターネットで昔から使われる「精神病院に行け」等の差別的な罵倒が存在しますが、もちろん筆者はこういった発言ないし世間に根強く残る精神疾患(精神障害)への差別には心の底から反対です。
スティグマの強化をやめてください。
---前提②ここまで---

前提③
同時に、「善意で精神医療や精神福祉を他者に薦める人」の全員が②のような意識を持っているとは思っていません。
むしろ、それと戦おうとしている人が多い事も私は理解しています。

大前提を理解して頂いた事前提でお話を進めていきます。

ここからはいくつかの事例を個人を特定できないように混ぜ込んでお伝えしていきます。

以降はこの話をする上で「精神疾患を持つ人への差別的な物言い」について触れるシーンがございます。ご自身の体調とご相談して読むかどうか決めてください。

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差別に反対する人々の繋がり…以降は便宜上反差別コミュニティと呼ばせて頂きます。
(私は全ての差別に反対というスタンスです。反差別コミュニティや反差別自体を腐すためにこの記事を書いているわけではございません。)

そのコミュニティの殆どの方はご自身の加害性や無自覚な差別に気を付けて、自分に何が出来るかを考えていらっしゃいます。
もちろん、精神医療や精神福祉に対するスティグマにも反対の立場をとる方がほとんどです。
そして、その中にはさまざまな事情で精神疾患にかかってしまう方もいらっしゃいます。

そのコミュニティ内において「考え方のズレか
ら来る議論」「思想の違いからくる議論」「差別を指摘した事から始まる議論」「マイクロアグレッションを発端にした辛いやり取り」「反差別へのバックラッシュ」「被害者と加害者の関係」等…様々な「穏やかではないやり取り」がTwitterにはたくさん存在します。
筆者も指摘からピリついた議論になったり、冷静でいられないときは何回もありました。
その中で、相手が差別的だったり、あなたに対して加害的だった時、「医療やカウンセリングやその他支援が必要そうだ」と思う事はあるかもしれません。

しかし一歩立ち止まって考えてみてください。
すでに心療内科や精神科に受診していたとしたら。すでにカウンセリングを受けていたとしたら。

「もうすでに自分は治療を頑張っているのに…なぜあなたにこの文脈で「もっと頑張れ」なんて言われなくてはならないのだろうか」と捉えてしまい、傷付いてしまう可能性もあります。

カウンセリングの多くは一回の料金が高く、保険適応でない(保険適応でない事に関しましては折に触れて筆者も声を上げていくべきと思っています)現実があります。

「自分はすでに通院や服薬を頑張っている。でも生活に困窮しているから、民間のカウンセリングルームに通うのは現実的じゃない。どうしたらいいの?」と混乱、孤立感を深めさせてしまう可能性があります。

カウンセラーや精神科/心療内科には相性があり、合わなければ、逆に傷ついてしまう人もいます。
もしかすると、相手は医療側の責任や生育環境等の理由から医療不信に陥ってる可能性もあります。

他にも「地域差」によって気軽に精神科や心療内科、カウンセリング等に受診出来ない方もいらっしゃいます。
必要性はわかっていても周囲の目線や圧が…と二の足を踏んでしまう方もいらっしゃるわけです。

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また、完全クローズドな場ではなく、誰でもアクセスができてしまう場で、「あの人は適切な医療に繋がった方がいいよね」と発信してしまった人もいらっしゃいました。これは、言われた当事者だけでなく、その場に居た精神疾患を持つ人に怖い思いや嫌な思いをさせる可能性があります。
おそらくこう言った事はインターネットでは無数に行われているでしょう。誰がこれをした、という追求をするつもりはありません。
これ以上あらゆる人が同じような過ちをしない為に、一人でも多くの人に、「善意だとしてもそういう安易な物言いは深く傷つけかねないよね。気を付けよう。」と心の隅に置いておいて欲しい為にこの記事を書いています。

さて、こちらの問題点としては、
①相手は既に医療にかかっているかもしれません。
②誰でもアクセスが可能な場で、自分に対して不当な事をし続ける相手の加害性を「その加害性はケアをされていない事由来のものではないか」と言ってしまうのはあまりに危険だと感じました。

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「『(精神)病院に行け』という言葉は露悪的な誹謗中傷ワードとして機能してしまっている。だから本来の使い方を取り戻したい」と仰っている方も見た事があります。私個人としては、気持ちはとてもわかります。
「クィア」という言葉は蔑称として使われていた時がありましたが、当事者コミュニティが「奪い返した」歴史があります。この言葉の潮流に倣い、言葉を取り戻そうとあえて使用する方針の方もいらっしゃるのだと個人的に理解しています。
「クィア」は今でこそ当事者の多くに受け入れられている言葉ですが、言葉を取り戻したり奪い返した言葉の中ではとても貴重で珍しい事例だと私は考えています。
現状「(精神)病院に行け」という言葉(ミーム、ジャーゴン)で加害された人も数え切れないほど存在するでしょう。本来そんな侮辱の意味はない、言葉を取り戻したいんだ…そう言われながら「適切な医療にかかって」と言われて、傷つかずに素直に受け入れてくれる人はやはり限られていると思います。
もしかすると、「病院に行け」…その字面を見るだけで辛くなる人もいるかもしれません。
つまり、善意で発言していたとしても取りこぼしや排除が発生するのです。発言者に、そのつもりがなくても。

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私が危険だと思う事をまとめます。
①既に医療にかかっているのに…。と傷付けてしまう可能性がある。
②医療や福祉にかかるハードルが高い人がいる
③精神科領域へのスティグマを解消しようと、敢えて他者に積極的に医療につながる事を勧める

以上の三つから取りこぼされて、心の行き場を失ったり、希死念慮を強くしてしまう人を筆者は見てきました。

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そして筆者個人の体験をここに記しておきます。

私も精神医療を利用して生きている人間です。それをオープンにして意見を発信した時、上述のような対応をされ(相手に悪意があったのかどうかは分かりませんが)、一人前の人間の意見として扱われていないなと感じる場面がありました。
そういう思いを誰かにさせている可能性を考えて頂きたいと思います。

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じゃあ、一切言うなって事?
もしそう読めてしまったらごめんなさい。そういう事ではありません。
話の流れや文脈、相手との信頼関係をよく加味した上で言うかどうか判断するべきだと思います。
相手と今喧嘩や言い合いをしているわけでなく、加害/被害の関係でもなく、お互い冷静になっている時であれば。言葉を選びながら、言う必要がある時がくるかもしれません。
その際は、まず相手に対して細心の注意を払いながら相手に精神医療の話を振って良いかどうかの合意を取る事、既にケアを受けているのであればどの程度までケアを受けているのか、等しっかり言葉を尽くして丁寧に確認するべきだと最近非常に感じます。

拙い文ですがここまで読んで頂きありがとうございました。

あなたの善意や心配が、誰かを傷つけない事を祈ります。

END

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