--- Title: つ厨二病が転生したら移植用 Author: gat Web: https://mimemo.io/m/ERa6lBRbWWlPb0v --- 序章 十話までに終わらせる。ガチダークな感じで。 主人公 田舎のとある街 帽子を被って人として生きる 七歳ごろ バレる。母サキュバス 磔刑 村の一人ずつ家を回って斧で惨殺。後に逃亡→第一 十三歳頃 とある山に流れ着く イノシシ用の罠に掛かる 藻掻くが逃げられん 夕方頃 諦めかけた時 おんなノコくる 悪魔を知らない少女に助けてもらう。 無理やり連行 足の怪我もあり、まともに逃げられない。女の子の良心、怪我で主人公を保護。→二 半年。この辺は充実したスローライフを。→三 さらに一年。女の子が村に遊びに行って、父と主人公を自慢。ソレを知った父、母激怒。主人公宥めるも、女の子家出。→四 女の子、俯いて小陰、魔物遭遇、覚えたての魔法で善戦するも、押さえつけられ、主人公参上魔物殺し、女の子から思いを寄せられる。→五 女の子の自慢が街中に広がり、騒ぎ。家に悪魔狩り。なんとか隠れきるも、ここにいてはきけんだと、主人公は家を出る。→六 2年後、雨ヤバい。なんかへんな悪寒。空を飛んでた。天候を司る天使、ウェザエル。天使、悪魔嫌い。殺しにかかる。主人公魔法で応戦も歯が立たず、逃走。息を潜めてなんとか、天使たちの目的を聞いた主人公。天使と戦うことに。→七、八 1年後街を放浪中、同い年くらいの黒髪。糸杉参戦。利害の一致で一時的にタッグ。仲悪く。→九 協力して戦い、仲良く&同行→十 1  セミがなく夏の昼下がり。入道雲が道の端に影を落とし、去っていく夏の太陽の下。  白い光の中を揺れるのは、美しい母の姿だった。母は白いワンピースをまとって、つばの大きな帽子を被って、揺れていた。  そして、少年は愛おしいたった一人の母の手を、たった一人の肉親の手を、力強く握っていた。そんな少年もまた、つばの広い帽子を深く、深く被っていた。 「アレス。今晩は、何を食べたい?」  母は少年の名を呼び、言った。アレスと呼ばれた少年は、帽子のつばが作った陰に顔を沈めて、考えた。 「……僕、決められない……。だから……お母さんが決めていいよ」  少年はそう、口にした。  少年は母の料理が本当に、本当に大好きだった。だから、母の料理が食べられるのなら、なんでもいいと思った。  少年がそう口にしたのは、そんな理由。  そして理由は、もう一つ。  少年は単純に、そうすることが好きだったのだ。  「今日、母は何を作ってくれるんだろう……」「今夜、母はどんな物を食べさせてくれるんだろう……」  少年はそう考えて、ただ単にワクワクすることが好きだった。  「……そうね」  母は少年の言葉にそう漏らし、帽子のつばから覗くずっと、ずっと青い空を、静かに見上げた。  少年はそんな母を見て、同じように青い空を見上げてみた。  この、どこまでも広がる無限の青は、きっとどんな名画よりも綺麗で、美しいだろう。少年にとって、その空はそんな風に映った。  母と見上げた空の色、雲の形。母と感じた風の風味に、土の香り。少年は、そんな素晴らしいものを見上げて、感じて、心の底から幸せだ……と。そう思った。  けれど、少年にとってのそんな空は、母にとってのそれとは違ったのかもしれない。  だって少年が見た母の背中は、どこか小さいような気がして、とても自分と同じことを思っているようには、とてもそんな風には見えなかったから。  少年は思う。母にはこの空が、一体何に見えているんだろう……と。 「それじゃあ……今日は……」  少年がそうしていると、母は言い出した。 「やめて!!」  そして少年は、咄嗟に割って入った。母は割って入った少年の声に驚き、青い空から目を逸らす。だけど、そんな母の瞳にあったのは、驚きだけじゃなかったような気がする。 「……ど、どうしたの?」  母は少年に訊いた。声色にはほんの少しだけ、動揺が混じっていた。少年はそんな母を少し心配に思いながらも目を合わせ、頬を膨らませ、答えた。 「お料理は晩ごはんまでのお楽しみにするの!! だから言っちゃダメ!!」  母は少年の、年相応な小さなわがままの言葉を聞き、安堵を浮かべた。少年はそんな母の様子を見て少し不思議に思ったが、相も変わらず、母に向かって頬を膨らませていた。 「……そう……そうよね……。……わかったわ。じゃあ、夜が来るまで……楽しみにしていてね」  母は何かをふと思い出したかのような反応をしつつしゃがみ、少年に向かって自らの小指を差し出した。 「うん! 夜まで……楽しみにしてるね!」  少年はワクワクで胸をいっぱいにして、母と小指を交わした。しゃがみ込んだ母は穏やかにはにかみ、少年を一度抱きしめた。 「さあ、行きましょう? 家まではまだ長いわよ」 「うん! お母さん!」  母は少年の手を引いて行く。土の道を照らす太陽はどんどん傾き、やがて地平線の向こうに潜り込もうとする。その頃、少年は母と共に、町外れの小さな家に辿り着いた。  扉が唸り、ゆっくりと開く。扉から入る光が二人の影を、向こう側の壁まで長く伸ばしていった。 『ファイア……』  母は指を立て、魔法の言葉を唱えた。すると指先に炎の玉が、小さな渦を巻いて現れた。  母は部屋に置かれたランプに火を灯し、暗かった室内に光を満たしていった。そんな母を、少年は不満げな眼差しで見つめた。 「ねえお母さん……」  少年は母に話しかけた。 「なに?」  母は答えた。 「どうして、僕らは外で帽子を取っちゃダメなの? 他のみんなは取ってたし、僕暑かったよ? それに、どうして僕は他の子と遊んじゃダメなの?」  少年は母に不満を叫んだ。  少年はこの屋敷に帰り着くまで、楽しそうに遊ぶ子どもを何度か見てきた。  ずるい。  少年はそう思った。彼は他の子どもたちと一緒に遊びたかったのだ。だけど、母は理由も言わずにそれを禁止し、遊ばせてくれなかった。  少年はそれが不満で、不満で、ならなかった。 「帽子を取っちゃ駄目なのは……そうね……。……太陽の強い光から、自分の体を守るためよ」 「雨の日も被らされてる……」 「それは雨を避けるため。帽子を被ってれば、濡れるのは帽子だけで済むわ」 「曇りの日もだよ? 太陽もないし、雨もないのに……おかしいよ?」 「それは……それはね……? ……んーと……。……あ……曇りの日には空から鳥の大きな魔物が狙ってくるからよ。だから食べられないように、帽子を被って身を守るの」 「本当に……?」 「うん。本当よ」  少年は納得いかなかった。だって太陽の光は母が言うほど強くなかったし、雨だって帽子よりも傘を差した方がいいに決まってる。それに、鳥の魔物なんか曇りの日でもそれ以外でも、一度も見たことがなかったから。  だけど少年には、それ以上に納得いかないことが、一つだけあった。 「……でも……どうして他の子と遊んじゃいけないの? なんで僕だけ? それ……おかしいよ」  少年は泣きそうな声で、俯いて言った。母はそんな少年の様子を見て、声を聞いて、少し心を痛めた。 「……ごめんね」  母は、無意識の内に謝っていた。溜まりに溜まってはち切れそうなくらいの申し訳ない気持ちが、この瞬間に少しだけ漏れ出した。 「……アレスは周りと違うの。特別なの。だから周りの子と、遊んじゃ駄目」  周りと違う。特別。少年は母のそんな言葉に、一つだけ心当たりがあった。 「……これのせい?」  少年は頭に手を触れた。そこには固くて小さな、突起物があった。 「ねえ、どうなの? これのせいなの?」  少年は重ねて訊いた。しかし母はそんな声に、言葉を返してはくれなかった。でも、ただ一言。 「ごめんね……」  と。そうとだけ呟いた。 「ねえ、謝ってばっかりじゃわかんないよ。どうして僕は、外で他の子と遊んじゃ駄目なの?」  少年の言葉が静寂を引き裂く。母はいつにもなく暗い背中で俯き、苦い表情を滲ませて考えた。そして母は、決心を固める。 「……あなたが……あなたが私にとって……何よりも、何よりも……本当に、本当に大切な人だから……」 「大切な人……?」  少年は首を傾げ、疑問を浮かべた。 「お母さんの大切な人だと、他の子と遊んじゃ駄目なの?」  そんな言葉を皮切りに、部屋に沈黙が流れた。母の背中は小さく、小刻みに震えていて、少年の目にはそんな母が、とても小さく映った。 「ごめん……。本当に……本当にごめんね……」  そんな母の謝罪の声は泣いていた。どうして泣いているのか、少年にはちっともわからなかったが、母の何かを傷つけてしまったということだけ、それだけは理解できていた。  少年は大好きな母を傷つけてしまったんだ……と、泣きそうになった。そんな時だった。 ――パチン……。  母が手を叩いた。そして。 「さあ! 切り替えて行きましょう! アレスちゃん、今晩のご飯は何なのか、楽しみに待ってくれていたわよね! 作ってるところ見せてあげるから、当ててみなさい!」  と。そう言った。  母から吐き出された気丈な言葉は、明らかに苦し紛れだった。泣きそうなことが、少年のような小さな子供にさえわかってしまうほど、あからさまに取り繕われた物だった。  だけど少年には、やるせなくもどうすることもできなかった。 「……うん」  こう答える他……なかった。  母はかまどに小さな鍋を置き、火を点けた。鍋には魔法で水を注ぎ、大きめに刻んだ肉を入れた。  次に母は玉ねぎの皮を剥き始めた。 「……お母さん……。僕もやるよ……」  少年はやるせなさから、そう申し出た。 「そう、じゃあお願いするわね」  母の声は、もういつも通りに戻っていた。もう苦し紛れじゃなかった。もう取り繕っていなかった。少し気持ちが前向きになった少年は。 「うん!」  強く、大きく頷いた。  拙い手つきで、少年は玉ねぎの薄皮を剥いていく。汁が目に入ったせいか、目に少し涙が滲んできた。少年は涙を拭って手の甲を湿し、残りの玉ねぎの皮に指を掛けた。 「お母さん。できたよ」  皮を剥き終えた少年は目に走る軽い痛みと滲む涙を堪え、拭いつつ、皮が剥けて艷やかな黄緑色になった玉ねぎを手渡した。 「ありがとうね」  母は玉ねぎをまな板の上に置き、刃を通した。切れ味が悪いみたいで、断面はあまりきれいじゃなかった。そして玉ねぎの汁は母にも牙を剥いたみたいで、母は玉ねぎを刻んでいる途中、何度か煩わしげに目を擦っていた。  母は刻み終えた玉ねぎを鍋に入れて蓋を閉じ、少年に訊いた。 「さあ、何の料理か、わかった?」 「うん!!」  少年は頷いた。 「シチューだよね! お母さん!」  少年が大きな声で言うと、母ははにかんだ笑顔で答えた。 「正解!」  少年は母とそんな言葉を交わし、席についた。しばらくは体を揺らして、ご機嫌にシチューが机に敷かれたマットの上にくるのを待っていた。だんだんと、部屋に、美味しそうな匂いが立ち込めてきた。  母がシチューの蓋を開けた。湯気が天井まで一気に昇り、空気に馴染むように消えていった。母がスプーンを手に取り、味見をする。 「お母さん! できたー?」 「うん。できたわよ。今行くわね」  母が小さな鍋を持ち、机に向かって歩いた。少年は机の下で足を揺らし、その到着を心待ちにした。  敷かれたマットの上に鍋が置かれた。少年は目を輝かせて、鍋の中を覗き込んだ。温かい湯気が鼻の中を、喉の奥を湿す。  具材は肉と玉ねぎ。たったそれだけ。彩りもないし、味付けだって塩がほんの少しだけだった。だけど少年の目にはそんなシチューが、本当に美味しそうに映った。だってそのシチューには、母の愛情が籠もっているような気がしたから。  少年がそうしている間にも、母は台所の戸棚から木のボウルを二つ、コップを二つ持って机に近づいた。  それに気がついた少年は椅子から飛び降り、戸棚に走った。軽く跳ね、素早くスプーン二つとレードルをその手に握った。そして今度は、戸棚に向かって走った道を、そのまま引き返した。  少年は母にレードルを渡した。 「ありがとう」  母は少年からレードルを受け取り、木のボウルにシチューを流し込み始めた。そんな中、少年は椅子に飛び乗ってバランスを崩したりもしつつ、机の上に二人分のスプーンを並べた。  少年が再び席につき、ほぼ同時に母も席についた。 「いただきます!!」 「はい。いただきます」  少年は元気よく、母は落ち着いた声でそう言った。  少年はシチューを啜る。口の中には質素ながらも素敵な薄っすらとした塩の風味と、玉ねぎの優しい甘みが広がった。  少年は肉を食む。薄かったけれど塩味が滲みていて、美味しかった。  少年は次から次へとシチューを口に運んだ。すると、あれよあれよという間に、鍋は空になってしまった。 「……もうない……」  少年は残念そうに呟いた。 「ねえお母さん。また作れない?」 「……そうね……。明日になったら、また一緒に作ろうね」 「明日……」  少年は楽しみに呟いた。その途端、少年からあくびが漏れる。 「お母さん、僕、今日はもう寝るね」 「……うん。おやすみなさい」  母は食器を洗いながら、そう返した。 「おやすみなさーい」  少年は眠たくなって更にあくびをした。目から少し、涙が滲んだ。  少年は背伸びをして扉を開け、ベッドに急いだ。少年の足を急かしたのは早く寝たいという気持ちが半分、それと、明日が楽しみな気持ち半分だった。  少年は掛け布団を捲り、そこへ潜り込んで暗い夜の天井を見上げた。少年はそのまま、夜闇に溶けるように目を閉じた。そっとそっと、明日に思いを馳せるように、目を閉じた。 ……。 ……。 ――ピピピ……。  そして少年が目を覚ました。寝起きの少年は目をこすり、自分を起こした窓際の小鳥に目をやった。茶色い小さな鳥だった。少年は鳥に手を伸ばす。  あとちょっと。もう少しで触れられる。そんな時、鳥は羽ばたき、淡い朝霧の向こうへと消えていった。 「アレス? ごはんよー?」 「あ! はーい! お母さん!!」  少年はベッドから飛び降り、昨晩のように背伸びして扉を開けた。母が包丁でまな板を叩く音が聞こえる。机の上には皿が二つ並べられていた。  少年は、今朝のご飯はなんだろう、というワクワクに胸を膨らませながら、机に駆け寄った。椅子を引いて、その上によじ登った。  目玉焼きだった。下にはベーコンが敷かれていた。皿の縁には葉野菜が、彩りとして添えられていた。 「お母さん! 食べてもいい!?」  少年は待ちきれず、訊いた。 「ええ。いいわよ」  少年はその言葉を聞くなり、すぐにスプーンを手に取った。黄身と白身をスプーンの先で切り分け、白身から先に口に放り込む。黄身は最後のお楽しみ。  一分と少し経って、少年は白身を平らげた。そして少年は、黄身に向かってスプーンを向けた。切って食べたりはしない。トロトロとした中身が溢れると勿体ないし、食器洗いも少し大変になるから。  少年は黄身を口に入れた。半熟のトロトロが、口いっぱいに広がった。少年はそんな黄身の風味を楽しみながら、一度、二度、と分けて、黄身のトロトロを飲み込んだ。  最後に葉野菜を放り込んで口直し。後に水で流し込んだ。  少年はコップを皿の上に重ね、台所へと運んだ。そして母へと目をやった。母はもう半分くらい食べていた。多分、あと少しで食べ終わるだろう。  それからしばらくして母も朝食を食べ終わり、台所へ皿を運んできた。母は魔法で出した水を使い、皿を洗浄する。少年は洗い終わった皿を拭き、足場を使って戸棚へと戻した。  皿を片付け終えた二人は、次に掃除を始めた。少年は背伸びをしながら埃をはたき落とす。母はそうして床に落ちた埃を回収し、窓から外に捨てた。 「お母さん、まだ?」  とある棚の埃をはたき終わった少年は部屋を見渡し、はたき残しがないか確認した後、母に言った。 「もう少しだけ待ってちょうだいね」 「……早くしてね」  母の答えを聞いた少年は、残念そうに言った。  なぜか。それは少年が母との買い出しを、何より、誰よりも日々の楽しみにしているからだ。  そんな日々の楽しみが、ほんの少しであっても延期されてしまった。少年にとってそのことは、この上なく……とまではいかずとも、かなり残念なことだった。  少年は待った。窓から外の景色を見て、待った。玄関から、母がほうきでゴミをはく音がきこえる。  鳥が、青い空に細い線を引っ張るように飛んでいた。白い、小さな鳥だった。  そんな自由に飛ぶ鳥を見て少年は、いつか自分にもあんなふうに空を飛べるんじゃないかな、と。そんな気がした。  気がした、というよりは、確信に近かったかもしれない。どうしてか、羽ばたけば飛べるような気がしたのだった。  鳥が屋根の縁の向こう側に隠れ、消えた。それと時を同じくして、母が鳴らしていたほうきの音も止んだ。 「ねえお母さん。お掃除終わった?」 「うん。終わったわ」  その言葉を聞き、少年は目を輝かせる。 「やった! じゃあさじゃあさ。今日も行こうよ! お買い物!」 「うん。いいわよ。じゃあ、お買い物に行く準備をしましょうね」  少年は満面の笑みを浮かべて。 「はい!! 行ってきます!」  元気よく返事をした。  少年が走り出す。母は財布を取り、昨日と同じ白い帽子をかぶった。大きな籠を持ち、スカートを軽くはたいた。 「お母さん! 準備できたよ!」  少年が母に駆け寄り、言った。しかし、母はそんな少年の声に首を横に振った。  そして少年の頭に、深く、深く帽子を被せ。 「うん。これで完ぺきよ」  そう言って、母は微笑んで見せた。しかし、それとは対照的に少年は不満げだった。  しばらくして家の扉が開き、そこから元気よく少年が駆け出した。さっきまでの不満げな顔なんて、もうウソみたいだった。  少年は庭先の戸まで走り、跳びはねて母の方へ振り返る。そして手を振り。 「お母さーん! はーやーくー!!」  母に叫んだ。 「はいはい。そんなに急がなくても大丈夫よ」  母はそう言いながら少年の所へ向かい、戸を開けた。  少年は母のワンピースのスカートを握り、母と並んで、戸の外へ踏み出した。  雲の影が作る並木を通り、少年は母と歩いた。 「見て! あの雲、お魚みたいな形をしてるよ!」  少年は空に浮かぶ雲の一つを指さした。 「うん。そうね」  母は静かに微笑んで言葉を返し、歩き続けた。そして数十分歩き、ようやく街の端が見えてきた……そんな時だった。  少年の目に、露店の、赤い表紙のとある本がはたと止まった。少年は、その本のことが気になって、吸い寄せられるかのように母のスカートから手を放した。 「あ! ちょ、ちょっとアレス!? どこ行くの!?」  母が少年を呼び止めた。それからしばらくして、少年は露店の前で立ち止まった。  露天には年うつらうつらとした老いた老女が座っていた。 「ちょっとアレス……。いきなり駆け出したりしてどうしたの? さあ、早く先に行きましょう?」  少年に追いついた母が困ったように言ったが、少年には届いていないようだった。 「ねぇおばさん……」  少年が露店の老女に声をかけた。しかし、老女はまだ目をつむり、うつらうつらとしていた。 「おばさん!!」  少年が始めよりいくらか大きく言うと、老女はゆっくりだったが、やっと目を開けた。 「おやぁ? 子どもかい? 珍しいお客だねぇ……」  老女は気味の悪い笑みを浮かべ、言った。少年は、ほんの少しだけ息を詰まらせながらも、老女に対して言葉を吐く。 「ねぇこれ……」  少年は赤い表紙の本を指さした。すると母はどうしてか、見て取れてしまうほどの嫌悪感を顕にした。 「これっていくら? 僕、これ欲しい……」  そう言ってその本に手を伸ばそうとした少年の肩を、母は強く制止した。 「……? お母さん? どうしたの?」  少年は母のことを見上げた。白い帽子の下、見上げた母の表情は、なぜかとても引き攣っていた。まるで、心のなかで何かと戦ってるみたいだった。  そんな母を見て、少年は不安を感じた。もしかしたら、僕が言ったこと、実はまずかったんじゃないだろうか……。僕がやったこと、実は良くないことだったんじゃないだろうか……、と。  母が黙れば黙るほど、少年の不安は増していった。そしてその不安が臨界に達しかけた頃、母が遂に言葉を発した。 「……ご、ごめんなさいね。この子ったら、本を買うお金なんてどこにもないっていうのに、急に走り出しちゃって……さあ、行くわよ。アレス……」 「う、うん……」  声は普段通りの母の声だった。しかし、その顔は未だに嫌悪感がうっすらと滲んでいた。  少年はよく分からなかったが、自分が何か母にとってよくないことをしてしまったのだということだけはわかった。  お母さん……ごめん……。  だから、少年はそう言おうと思って、口を開きかけた。そんな時だった。 「ケケケ……」  そして。 「いやぁ……仲がいいねぇ……。なんだか、ものすごくいいものを見せてもらった気がするよ……ケケケ……」  老女は不気味に言った。 「……行きましょうアレス」  母は少年の手を取りながら言った。 「う、うん……」  不気味さに追い立てられるように、二人は歩き出した。 「お待ち……」  老女がその場を去る二人に対して声をかけた。少年は母に、無視しても大丈夫なのか、と視線を送ったけど、母は無反応だった。しかし老女は言葉を続ける。 「この本……格安で売ってやるよ……。それなら、あんたも買えるはずだ……」  そんな誘いを聞いて、少年は立ち止まった。そして、少年と手で結ばれていた母も連鎖的に。  そうして立ち止まった二人に向かって、老女は揺らり揺らりと歩み寄る。手の届く範囲まで寄った後、少年の手に本を握らせた。 「わたしゃつい昨日有り金が全部尽きちまってね……。安くても金を手に入れなけりゃ、今日を食い繋げなくて死んじまうのさ……。ケケケ……」  相変わらず不気味な笑い声……。しかし、少年は自身の手の中にある本を、そんな笑い声も聞こえなくなるほどにまで食い入るように見ていた。 『勇者の伝説』  それが少年が手にした、この本のタイトルだ。陳腐で、そこかしこに転がる小石のようにありふれたタイトル。しかし、少年にはそれが、とても魅力的に見えていた。 「おっと……!」  老女がそう言って、少年の手から本を取り上げた。 「あっ!」  少年は咄嗟に手を伸ばしたが、それが本に届くことはなかった。 「か、返してよ! おばさんが僕に渡したんじゃないか!」 「渡しはしたが、プレゼントしてはいないのさ。この本がほしいなら、坊やのお母さんにお金を出してもらいな……!」  老女はかすれた声でそう言う。 「え? で、でも……」  少年は母を見上げた。すると、帽子の上に母の手が降りてきた。 「わかりました……。買います。いくらですか?」  母は声こそ普段通りでいつもの優しい母だった。しかしその表情はというと、とても普段の母には見えなかった。  母の表情。それは貼り付けた笑顔の裏に、得体の知れない黒い感情が見え隠れしているかのような、そんな表情だった。 「ケケケ……そう言ってくれて、あたしゃ嬉しいよ……。いくら……そうか、値段ねぇ……。30ウェンくらいでどうだい? ケケケ……」 「わかりました。払います」 「ケケ……ありがとうねぇ……」  母はさっと10ウェン硬貨を三枚老女に渡した。そして老女は、ゆったりとした動きで手のひらの上の小銭三枚を数えた。  数え終えると老女は腰を丸めて、少年に本を手渡した。 「大切に読むんだよ……」 「う、うん。ありがとう。おばさん……」  少年は静かにお礼を言った。 「……いくわよ。アレス……」 「はい。お母さん……」  少年は母に腕を引かれて、ついていく。本はしっかりと、少年が脇に抱えていた。  少年は嬉しさと申し訳なさが半々で入り混じったような複雑な気持ちで、母を見上げた。本を買ってもらえたことは嬉しかったけど……。 「……お母さん」 「……どうしたの? アレス」  少年は少し下方向へ目をそらし、表情に影を落とす。その影には、母への申し訳なさが充満していた。 「えっと……ごめんなさい……」  少年は謝った。母は多分、この本に対していい思いを抱いていなかったと思ったから、少年は申し訳なさでいっぱいになりながら謝った。 「……えぇ。大丈夫よ。私は……私はね? アレスが喜んでくれさえすれば嬉しいの。笑ってくれれば嬉しいのよ。……うん。だからね。これからもそうして笑っていてちょうだいね?」  母はそう言葉を返した。  少年は自らが脇に抱えている本を見つめた。なんだか複雑な気持ちだったけれど、母は喜んでくれさえすれば、笑っててくれさえすれば嬉しい、と言ってくれた。  心の隅に申し訳なさを残しながらも少年は母の言葉がすごく嬉しくて、口の端から少し笑みを漏らしてしまった。 「うん。お母さんありがとう……」  少年は心のそこから、母に伝えた。 「……えぇ」  母はまっすぐ前を向いていた。 「……さあ、急ぎましょう。太陽が沈む前に帰らないとね……」 「うん! お母さん!」  少年は両手で本をぎゅっと抱えて、はにかんだように笑った。そして母も、表情では笑っていた。表情では……笑っていた。 ・□◆□・□◆□・□◆□・□◆□・□◆□・  かつて彼の神々の地は、強大なる魔のものに侵されていた。魔のものは次々と街を喰い、大地を蝕み、人を誑かし、取り込んだ。  人々は神々の力を借り、抵抗したが、魔の者共は強大であった。人々は抵抗虚しく次々と食われ、飲み込まれ、魔のものに取り込まれていった。  いつしか人々は魔のものに屈し、ひれ伏し、追い詰められていった。  神々は人々の戦いに加わり、魔のものと共に戦った。だが神々は下界ではうまく力を発揮することができず、それでも魔のものたちの侵略を完全に止めるには至らなかった。  そんな時、神々はついに地上に彼の使徒を遣わした。神々の力を賜った『勇者』と呼ばれしその使徒は、またたく間に魔のものを追い返し始めた。  勇者の力は凄まじく、太刀一振りで幾千もの魔のものを葬り去り、老いず、強大な魔のものであっても彼の体に傷をつけることは叶わなかった。  勇者は次々と街を取り返し、人々を解放していった。人々は勇者に感謝し、彼を下界に遣わした神々を賛美した。  そして勇者は数年間戦い続け、魔の者共の王、『魔王』が巣食う根城に辿り着いた。魔王は今まで勇者が戦った魔のものとは比べ物にならないほど強く、勇者に対して初めて傷を追わせた。  だが、それだけだった。勇者は魔王よりも限りなく強く、ものの数分で魔王を打ち砕いてみせた。  それ以降、指導者を失った魔の者共は統率を乱し、世界各地に散り散りになった。  勇者は世界中に赴き、魔の者共を倒し続けた。勇者は下界を救うために奮戦し、世界中にその逸話を残した。  しかし、そんな勇者はいつしか自らの力に溺れ、飲み込まれ、ついには彼に力を与えた神々に叛逆した。  勇者の力はすでに神々では押さえつけられぬほど強大であった。神々は次々と敗れ、下界の殆どの土地は勇者の物となっていった。  いつしか、勇者は自身の軍団として生き残った魔族の軍勢を率い始めた。もはやその様子は勇者などではなく、神々に反逆せし第二の魔王のようだった。  第二の魔王はついに下界の全てを占領した。人々は第二の魔王の、魔のもの達の圧政に苦しみ、神々に祈ることさえも禁じられた。  第二の魔王は、下界で着実に力をつけ、ついには天界に侵攻した。天界の神々は地上にあった時より数倍も強く、第二の魔王も苦戦を強いられた。  しかし、第二の魔王はその圧倒的な力と卑怯な策略によって次々と神を滅ぼし、さらなる力を得ていった。  下界の信仰は絶たれ、長きにわたる戦いにおいて神々は疲弊していた。下界に並び、天界までもが第二の魔王の手に堕ちるのも時間の問題だった。  そんな時、我らが主なる神『最高神』が第二の魔王の前に立ちはだかった。  最高神の力は圧倒的で、深手を負わされた第二の魔王は下界まで逃走せざるを得なかった。  最高神は天界からは離れられない。故に最高神は自らの側近にあたる神々を下界に遣わした。  下界では神々は力の大半を失う。だからか、第二の魔王を世界から完全に消し去ることは叶わなかった。  だが、最高神による傷が未だ癒えていない第二の魔王を封印することなど、神々にとっては容易いものだった。  こうして魔のもの共は再び散り散りになった。そして人々は第二の魔王の圧政から解放され、再び神々への信仰と信じることで得られる自由を再び手にした。  だが、未だ脅威が完全に消えたわけではない。魔の者共は世界に溶け込み、今も生きている。魔の者共『魔族』は絶対的な悪であり、人類の大敵である。  見つけ次第、すぐに殺さねば、再び人類の信仰は魔族に侵される。  そして魔族がこの世界から一匹残らず駆逐されるまで、憎き魔族共に奪われた真の『信仰』と『信じることで得られる自由』は戻ってこない。  我々人類は戦わなくてはならない。信仰と自由のために、憎き魔族を駆逐するまでは、この世界に平和は訪れないのだから。 ・□◆□・□◆□・□◆□・□◆□・□◆□・  ……少年が、母に赤い表紙の本を買ってもらってから、すでに二年半あまりの時間が過ぎた。少年は七歳を迎え、背も伸びた。  あの日以来、少年は毎日のようにこの本を読みふけっていた。他にやることがないから、というのもあるだろう。だが、一番の理由はこの本のことが好きだからだ。  単なる英雄譚ではなく、勇者の裏切りや闇堕ちなどの要素が含まれた平坦でない物語が少年を夢中にして、この本のことを好きにさせていた。  ただいくつか嫌いなところもあった。例えば、神に敵対する者を一方的に悪と決めつけたり……とか……。  少年にはうまく言語化できなかったけど、なんだかこの話は一方的な感じがして、少年は少し違和感を覚えたこともあった。  少年は読み終えた赤い表紙の本を閉じ、空を見上げた。真上は晴れていたけどずっと遠くには黒い雲が立ち込めていて、ゆっくりとこっちに向かってきているような気がした。 「一雨来るのかなぁ……」  少年は遠くの雲を見て、ボソリと呟いた。  雨の前触れだろうか。冷たいそよ風が足の間を通り、草を揺らして吹き抜けて去っていった。そんな時だった。  カサカサ、と。庭の植え込みから何かが這ったかのような音がした。 「……誰か居るの?」  少年は内心ビクつきながら、茂みに向かって話しかけた。カサカサという音が、次第に大きくなる。そのうち地面の小枝を踏み折るような音も聞こえてきて、ついには植え込みの葉までもが揺らされ始めた。  少年の腹の奥に、だんだんと恐怖が込み上げてきた。もし、茂みから飛び出してきたモノに襲われたりしてしまったらどうしよう……。そう考えると身一つではどうしても不安だった。  少年はあたりを少し見渡し、すぐそこの草の上に転がっていた木の枝を手に取った。  少年は棒の先を揺れる植え込みの葉に向けて構え、顔の前には本を構えた。茂みから何かが飛びかかって来ても棒で攻撃できるように、本で防御できるように。  植え込みの葉の揺れが、どんどん激しくなっていった。そろそろ出てくる。そう思った少年は息を呑み、茂みを睨んだ。  それから数秒も経たないうちに植え込みが大きく揺れた。少年は怖がって、思わず目を瞑った。  それからほんの少し、少年は右目だけを薄っすらと開いて、揺れていた茂みを見た。 「女の子……?」  そこには、茶色い髪の少女が頭を覗かせていた。少年は本と木の枝を下げ、少女を見下ろした。 「……あれ? あなた誰? 見慣れないわね。……この村の子?」  そう言った後、ガサガサと音を立てて少女は茂みから這い出した。  少女は緑色のシャツを着ていて、更にその上からベージュのサロペットを身につけていた。目は緑で、見た目からして自分と同じくらいだな、と少年は思った。 「……ちょっとダイジョブ?」  少女は自分のことを眺めるばかりで質問に答えない少年を見て、少し腹を立てながら少年に言葉を投げつけた。 「あ。あぁ……うん……」  少年は静かに頷き。 「ぼ、僕はこの村に住んでるよ。多分、生まれた時から……」  言った。 「へぇー。そうなんだ。じゃあ、友達になりましょう!?」 「え?」  少年は少女の距離の詰め方が急すぎてついていけずにいた。 「何……? 嫌なの……?」 「いや! 全然、嫌なんかじゃないよ……! ……何なら、嬉しいくらいだし……」 「なんだ。嬉しいんだ。良かった。じゃあ、もうこれからは私達、友達ね!」 「あ……う、うん……」  少年は少女の勢いに押されるようにして頷いた。 「よし、そうと決まれば、おしゃべりしましょう? お互いの理解を深めないと、友達とは言えないからね!」  少女は家の外壁を背もたれとして、地面の草に腰掛けた。そして、早く来いとでもいうかのように、僕に向かって隣の地面の草を叩いてみせた。  少年は少女の隣に腰掛けた。 「あのさ……。ほんとにこんなところで僕なんかと話してていいの?」 「えぇ。いいわよ。かくれんぼだし、どうせ草の中でじっとしてるだけなんだもの。こっちの方が面白いわよ」 「そ、そう……」  少年が黙り込み、庭に一瞬の沈黙が走る。 「……ねえ、お名前は?」  少女が少年に訊いた。 「僕? 僕……あ、アレスって……いうんだ……」 「へー。アレスね。私はシャリア。よろしくね。アレス」  シャリアと名乗った少女はそう言いながら、少年に手を伸ばした。 「あぁ、うん。……よろしく、シャリア」  少年はその手に応じるようにシャリアに触れ、手を交わした。 「じゃあ、次の質問ね。年齢はいくつ?」 「ね、年齢? 年齢はえっと……な、七歳くらいで……」  シャリアとの会話は、思った以上にはずんだ。訊けば訊くほど互いの理解が深まりあって、一歩一歩わかりあえているような気がした。  彼女の名前はシャリア。年齢は同い年の七歳。誕生日は三月24日。好きな食べ物はとうもろこし。嫌いな食べ物はきのこ。好きな遊びは鬼ごっこで、嫌いなのはかくれんぼ。町の薬屋の娘で、早朝には病人のところへ薬を配達したりもしてるそうだ。  そんな風に楽しく話していたら、いつの間にか日が傾き、強い西日が少年とシャリアを照らすほどにまでなっていた。 「あ! もうこんな時間! 私、帰らないと!」 「……そっか。……うん。元気でね」  少年はシャリアとの別れを、少し残念に思った。もう少したくさん話していたかったから、名残惜しさを感じた。 「ん! そうだ! 最後に一つ、訊いてもいいかな?」 「うん! いいよ」 「その帽子、なんでかぶってるの?」  少年は一瞬黙り込んだ。この帽子、どうしてかぶってるの。その疑問は、散々母に問うてきたが、未だに教えてもらえた試しがないものだった。  教えられない理由があるのかと訊いても、あると一言答えるだけで、具体的にどうして教えられないのかは答えてくれなかった。 「……か、かっこいいと……思ってさ……」  少年はこの帽子のこと、この帽子を人前でとること、この帽子の中のことは、母にとって何かのターブのようなものだと考えていた。  だからシャリアにはほんの少しの申し訳なさを抱きつつも、少年は適当なことを言って、誤魔化した。 「そう……。うん! 確かにかっこいいと思う!」  少年はシャリアのそんな言葉を聞いて、心の中で少し安堵した。ああ、誤魔化しは効いたんだな、と。 「じゃあね! また明日!」  シャリアはそう言い残して足早に庭の端、最初に這い出てきた茂みのところに駆けて行った。どうやら、そこから帰るみたいだ。そしてシャリアは茂みの中を通って、庭から出ていった。 「……なんか……やたらと距離が子だったな……」  少年は、ああいう距離の詰め方をしてくる人は苦手なはずだった。だけど、どうしてだろう。今日は、なぜかすごく嬉しかった。  少年はほんの少しの笑みを浮かべながら立ち上がり、家の扉を開けた。  その日を境にというもの、少年は毎日のようにシャリアと一緒に言葉を交わした。いつも同じだった世界の景色が、一気に変わったような気がした。  母も「最近明るくなったわね」と喜んでくれた。そして同時に「どうして? 何かあったの?」と訊かれたりもした。  だけど、少年は一切答えず、シャリアのこと、毎日会って一緒に話していることを、母に伝えはしなかった。  少年は、母が自分を他人とかかわらせたくないと思っていることを知っていたから。でも、母がなぜそう思うのかを、少年は知らなかった。  例えそこになにか思いがあり、そうして息子を縛ることが母にとって苦しいことだったのであったとしても、そうする理由を少年は知らなかった。  少年は毎日のようにシャリアと会い、話し、笑っていた。そしてそんなある日、シャリアは言い出した。 「ねぇ、いっしょに外で遊ばない?」  それは少年が『勇者の伝説』の本をシャリアに読み聞かせて、その話が丁度終りを迎えた頃のことだった。 「え? どうしたの? 急に……」 「だって……アレス、ずっとここにいるじゃない? だからたまには外に出てみたらどうなのかな……って……!」  少年は、最近母と買い物に行くことを辞めずっと家の裏手でこの本を読んだり、シャリアと話していたりした。だからもうかれこれ、おおよそ十数ヶ月は家の敷地から出ていないかも知れない。 「で? どうなの?」 「そ、それは……」  シャリアの問いに、少年は難色を示す。  少年は母から『私と一緒でないと外に出てはいけない。』と言いつけられていた。少年は言いつけを守ろうと思っていた。  歯向かえばどんなペナルティが課されるかわからないし、何よりも大好きな母に歯向かいたくなんてなかったから。  だけど、シャリアの質問に対して、首を横に振るのも嫌だった。少年にとって、彼女は人生で初めての友達、だったから。  少年は母か、シャリアかの間で揺れた。大好きな母の言いつけを破りたくなんかないし、初めての友達に捨てられたくもない。 「僕は……。僕は……! えっと……その……」  少年はどうするべきだろうと、地面を睨んだ。  そしてシャリアはというと、そんな風にウジウジしている少年を見て少しずつだが苛立ちを募らせていた。  そして数秒も経たない内に、シャリアは募らせた苛立ちを爆発させる。 「んもう!! グダグダしてないで、さっさと決めてよ!」 「ご、ごめん! でも……」  謝っておきながら、少年の態度は何一つとして変わっていなかった。 「あぁ、もう!」  そう言って、シャリアは少年の手を取った。 「え? ちょ……シャリア……!?」 「いつまで経っても決めない、アレスが悪いんだからね!」  少女はそう言葉を吐き、少年の手を掴みながら茂みの中に飛び込んだ。 「い、痛いよシャリア!」  シャリアは少年の声に耳を貸さず、植え込みの中をずんずん進んでいく。少年は何もできないまま引っ張られ、そのまま家の敷地から出てきてしまった。 「ま、まってよシャリア……。僕、家から出たらお母さんに怒られちゃうよ……」  シャリアに手を引かれながら、少年はそう言った。しかし、シャリアは止まらないし、腕を放してもくれなかった。  少年は仕方なくシャリアに手を引かれて歩き続ける。感じていたのは、母への罪悪感。そして、ほんの少しのなにか別の感情だった。 「さあ、着いたわよ!」  10分ほど歩いたところだっただろうか。シャリアは言い、立ち止まった。  家からも少しだけ見える、小高い丘を越えたあたりだった。そこには木が一本も生えていなくて広い原っぱで、遠くには森が茂っていた。そしてその原っぱには子どもが数人、楽しそうに遊んでいた。 「どう? いいところでしょ?」  シャリアは何故か自慢げに、少年の方へ目をやった。  でも少年は無反応で丘から下を見下ろしていた。どうしてそんな風に見下ろすだけで他に何もできなかったのか。少年にはまだわからなかった。  でも、そこに広がっていたのはただの原っぱじゃなくて、いつも母の隣から眺めていることしかできなかったあの風景。自分も混ざりたいと、何度思ったかももうわからないような、そんな景色があった。 「あ! おい見てみろよ! シャリアだぜ!」  下で遊んでいた子どものうちの一人が、シャリアを指さして言った。 「ホントだ! シャリアだ!」 「シャリア久しぶり!」  その一人が放った言葉を皮切りに、次々と子どもたちがシャリアに視線を移した。 「うん。みんな。久しぶり!」  シャリアはそう言いながら少年の手を引き、丘の下の方へと降りていった。そうして降りていった先で、シャリアはすぐに別の子どもたちに囲まれてしまった。  少年は内心気まずくなりながら、シャリアとその周りの横目でチラチラと子どもたちの様子を伺っていた。  そんな中、シャリアを囲んでいた子どもたちのうちの気が強そうな一人と目があってしまった。少年は突然気まずさが津波のように押し寄せ、咄嗟に目をそらした。 「……なあ、シャリア。コイツだれだ?」  同い年くらいの赤毛の子が言った。そして他の子どもたちの意識が、一気に少年の方に向かった。 「ん? あぁ、アレスっていうんだよ。私の友達なんだ!」  シャリアは三歳くらいの子の頭を撫でながら、そう皆に紹介した。 「へー。シャリアの友達かぁ……」  そんな紹介と、それに対する反応が続く中、少年は気恥ずかしさで少し赤くなりながら地面と睨み合いをしていた。  直後、少年の肩に人の重みがのしかかった。そして、耳元で。 「よろしくな! アレス!」  と。そんな言葉が響いた。 「え?」  突然のこと過ぎて、少年は混乱と共にそう声をもらした。 「なんだ? だって友達の友達は友達って、父ちゃんが言ってたんだ! だからもちろん、シャリアの友達のお前とは友達だぜ? ま、シャリアとは親友だけどな!」 「えぇ? 私、あんたと親友になった覚えなんかないわよ?」 「あ? そうだったっけ? まあいいんじゃね?」  少年は赤毛の子に肩を組まれ、どうすればいいのか全然わからなくなってしまった。それでシャリアに視線を送り、何度も助けを求めた。  しかし、シャリアから帰ってきたのはサムズアップで、助けではなかった。少年は誰かに対して軽くこそあったが、初めて恨みを抱いた。 「なあ、アレス。俺の名前、レイツっていうんだ。今後、よろしく頼むぜ」  肩を組んできていた赤毛のレイツは勢いよく少年から離れ、他の子どもの前に飛び出した。 「さあ! お前らもさっさと自己紹介しろ? これからは、コイツもお前らの友達に加わるんだからな!」  レイツがそう言ったのと同時に、シャリアが同い年くらいの金髪の男児を軽く突き飛ばし、一歩前に進ませた。 「お、俺の名前はランペル! ここの町の靴屋の息子で……。あ! あと、足が早い!」  ランペルは振り返って元の位置に戻りながら隣の子どもの背中を押して、小太りの子をシャリアがしたように一歩前へ進ませた。 「あ……ぼ、僕はテルン……いうんだ。……よろしく」  そんなテルンの自己紹介の最中にシャリアは移動し、周りよりも少し小柄な少年と少女の後ろに駆けていった。そしてその二人の肩に手を置き、言った。 「こっちの二人はヴェーリャとヴィーリャ! 男の子の方がヴェーリャで、女の子の方がヴィーリャだよ! 双子なの!」 「「よろしく!!」」  怒涛の自己紹介に気圧されて、いつの間にやら少年は少し及び腰になってしまっていた。  すると、そんな風にウジウジしている少年の後ろにシャリアが回り込み、自分の勇気を分けてあげるみたいに、そっと肩に触れた。そして。 「がんばって……」  小さく呟いた。少年はなんだか気恥ずかしくなりながらも奮い立ち、声を出した。 「え、えっと……アレスっていいます。よ、よろしく……」  ……なんとか言い切った。そして少年は今の自己紹介を聞いて彼らがどう感じたのかと思い、一抹の不安を胸に眼前の彼らの様子を伺った。 「あぁ、よろしくな! アレス!」  レイツが言った。 「これから仲良くしようね……」 「みんなで楽しくやってこうね!!」「一緒に楽しく!」「ね!」  テルン、ヴィーリャ、ヴェーリャがそれぞれ言った。 「さ、遊ぼうぜ! 何して遊ぶ? せっかくアレスも居るわけだし、楽しいのがいいよな!」 「そーだね!」「楽しいのがいい!」「ね!」 「どんなのが……いいかな? かくれんぼ……とか……?」 「えー……私やだよー……」  柔らかで、和やかで、仲よさげな言葉の応酬。少年はずっと遠くにあった気がしていた景色がこんな近くまできていることに、未だに実感を得られずにいた。近寄りがたかったのは、きっとそのせいだろう。 「……? どうしたんだ? アレス。早く来いよ! お前も仲間なんだからさ!」  レイツが少年に向かって手を招く。少年は勇気を出して一歩踏み出した。  それからは、確か鬼ごっこをしたと思う。かくれんぼでも良かったけど、シャリアが嫌がるから結果的に鬼ごっこをすることになった気がする。  誰の足が早かっただとか、逆に誰が遅かっただとか、アクシデントがあっただとか、なかっただとか、少年はよく覚えていなかった。  だけど、楽しかったことだけは覚えている。他のすべてをおざなりにしてしまっても構わないほど楽しかった。そのことだけは覚えていた。  しかし、楽しい時間ほど、早く終わってしまうものなのである。 「……もう日が沈むな」  そんなレイツの言葉に少年が気づかされた、その時にはもうすでに空がオレンジかかってきていた。 「そうね。もう帰った方がいいかも知れないわ」 「そーだね!」「僕達帰る!」「ね!」 「みんなが帰るなら……僕も帰るよ……」  シャリアが、ヴィーリャとヴェーリャが、テルンが、みんながそう言った。ああ、もう終わりなんだ。少年の脳裏にそんな言葉が言いようのない名残惜しさを残して流れていった。 「じゃ、解散だな。それじゃあなぁー!」 「う、うん……」 「ばいばい!!」「ね!」 「みんなじゃあね」  みんなが思い思いの言葉を交わし、ここから去っていく。少年は寂しさを紛らわすように身を翻し、家の方へと歩いていった。 「あ! そうだ! ねえ! アレスー!」  そんな少年に向かってシャリアは大きく手を振り、遠くから声をかけた。少年はなんだろうと思い、振り返る。 「また、明日もここで、遊ぼうねー!!」  その言葉を聞き、少年は夕日よりも目を輝かせた。そうだ、明日があるんだ。明日もまた、ここでみんなと楽しい時間を送ることができるんだ。  シャリアの言葉一つで、少年の感じていた寂しさはすぐに明日への希望に近しいものに変わった。少年は空気を吸い込み、希望で胸を膨らませてシャリアに叫んだ。 「うん! また……また明日ねー!!」  夕日が邪魔をして、シャリアの表情はよく見えなかった。でも少年には、夕日の輪郭に象られたシャリアの黒い影がにこりと笑ったように見えたのだった。  少年ははち切れんばかりの笑顔を表情に貯めて、家に向かって走った。鬼ごっこをしたせいかすごく疲れていたけど、そんなのちっとも気にならなかった。  少年は飛びつくように扉を開けて、家の中に駆け込んだ。その頃には、家を出たときに覚えていた母への罪悪感なんてとっくに上書きされてしまっていた。  しかし、そんな罪悪感はすぐに蘇ることになる。  パン――ッ!!  家に駆け込んだ少年の頬に、強烈な平手が飛んだ。母の平手だった。少年はわけも分からぬまま打たれた頬に手を触れ、困惑を浮かべた目で母を見上げるしかなかった。 「お母さん……? どうし……」 「黙りなさい!!」  必死の思いで絞り出した言葉も、母の一言に容易く弾かれてしまった。 「どうして、お母さん以外の誰かと一緒にいたの!?!? 挙句の果てには外出までするなんて……!  お母さん、言ったでしょう!? お母さんと一緒の時以外は外出しないでね……って!」  母は少年が口を開くことを許さないかのように言葉を浴びせ続ける。 「……これからは、ずっと母さんの目の届く範囲にいてもらいます。そしてもう、誰とも会っちゃいけません」 「……はい」  本当は嫌だったけど言いつけを破ったのは少年の方だったし、始めは罪悪感を感じていたのも確かだった。  誰がどう見ても、明らかに自分に否があったから。  それからというもの、少年はずっと母と一緒に行動した。こっそり逃げ出そうとしても、それは叶わない。母が、ずっと目を光らせていたから。  一緒に買い物に行ったり、一緒に家で言葉を交わしたり、そんな母との時間が楽しくないわけじゃなかった。でも、少年は物足りなさを感じていた。  友達と育む楽しさと母と紡ぐ楽しさは別物だった。少年はどっちも両立できたらいいのに、と叶わない夢を何度も見ていた。  その日、少年は母と並んで道を歩いていた。こうしている間、少年は幸せだった。でもやはり、物足りなさは拭えずにいた。そんな時、街でシャリアを見かけた。  少年は、最初は無視を決め込もうかと思っていた。だけど、先に向こうが気づいてしまっていた。 「アレス! どうしたの? あれからぱったり遊びに来なくなって……庭にもいなかったし……なんか病気でもしてたの?」  シャリアは心配してくれた。でも、少年は俯いて無視を決め込む。シャリアは不思議そうな顔をしてアレスの顔を覗き込もうとした。 「……いくわよ。アレス」  そんな時、母がアレスの手をぐいっと引き、連れて行った。シャリアは、その様子を何かを察したように見つめていた。  次の日、少年が母と一緒に掃除をしていると、窓の間に白い折りたたまれた紙が挟まれていることに気がついた。  なんだろうと思って、少年は母の目を盗んで窓から取った髪を、開いて中を見てみた。すると、中からはシャリアの名前が綴られた手紙と、薬包紙が出てきた。  シャリアの手紙の内容は。 『久しぶり。昨日会った時は本当に元気がなくて、びっくりしたよ。あれ以降、遊びにこなくなったのは多分、アレスがお母さんの言いつけを破ったせいだよね。元はと言えばアレスの手を引いて無理やり連れて行った私が悪いのに……ごめんね』  と書かれていた。そして最後に。 『同封した紙の中には睡眠薬が入ってるんだ。だからうまく使って、また遊びに来てね』  手紙はそう締めくくられていた。そして、同封されていた薬包紙の中身は睡眠薬だったらしい。少年はシャリアの家は薬屋だから、こういうのも持っているんだろう、と思った。 「うまく使って……」  少年は手紙の言葉を反芻する。もう、この薬をどう使えばいいのかなんて大体わかっていた。  次の日、少年は早速母の昼食に薬を盛った。シャリアが手紙で言っていたうまい使い方とは、多分こういうことだろう。  数分後、母は机に突っ伏して眠り始めた。うまく使ってまた遊びに来てね。少年は罪悪感に苛まれながらも、手紙の内容を頭の中で繰り返し、家の外に出た。  そして、いつかのあの原っぱの方に歩いていった。足取りは遅かった。だけど着実に母のいる家から遠ざかっていた。  しばらく歩き、少年はあの原っぱに着いた。そこにはレイツもシャリアも他のみんなもいた。 「あ! アレス!」  シャリアが指を差し、声を上げ、少年のもとに走る。 「おっ! ホントだ。久しぶりー!!」  レイツはそう言って大きく腕を振った。少年はあの日のようにシャリアに手を引かれながら、みんなの所へと下っていった。 「今、鬼ごっこしてんだ。お前も一緒にやろうぜ!」  レイツがそう言って走り出した。それと共鳴するように、みんなも。 「うん!」  少年はレイツの言葉に答え、みんなの後を追って走り出した。  そしてしばらくして太陽がある程度傾いてきた頃、少年は一足先にみんなに別れを告げ、家に帰った。シャリアからそろそろ薬の効果が切れる頃だと言われたから。  そして別れ際、シャリアに呼び止められて、次の分の睡眠薬をもらった。  母に薬を盛るなんて、良くないことなのはわかっていた。しかし、少年は言い聞かせる。自分に好きにさせない母が悪いのだ、と。自由に、とまではいかずとも、友達と遊ぶことさえ許さない母がいけないのだ、と。  少年は心の中で誰も聞こえない言い訳に近しい何かをブツブツ呟きながら、家への道を歩いた。  そうして家に帰り着いた時、母はまだ眠っていた。少年は、もし母が起きていたらまた叱られてしまうんじゃないかと考え、内心ビクビクしていたので少しホッとしていた。  少年は証拠を隠すために服に着いた枯れた芝の葉や土を払い落とし、靴を家から出たときとまったく同じように並べた。  そして最後に隠し残しがないか確認し、母の肩を揺すった。 「お母さん起きて。起きてよ!」 「んん~……」 「起きてってば!」 「ん? あぁ……アレス……どうしたの?」 「お母さん、寝ちゃってたんだよ。お昼からずっと」  少年は自らが言いつけを破り、外に出たことを誤魔化すために嘘をついた。 「……そうだったの? 悩んでる間に寝ちゃったのかしらね……」 「悩んでる間……? お母さん、悩み事してたの?」 「ううん。アレスには全然関係ないの。だから忘れてくれて大丈夫よ」  母が不思議なことを言うので、少年は首を傾げたのだった。  結局、その日のうちに母が少年の外出に気づくことはなかった。 ========  結局、その日のうちに母が少年の外出に気づくことはなかった。それをいいことに少年は3日に一度ほどのペースで母に睡眠薬を盛り、眠らせ、外へ遊びに出かけた。  あまりペースが早すぎると、外出のことがバレてしまうと思ったから。  最初は母に対して罪悪感もあった。しかし、日を追うごとに段々とそれは薄れ、ついには何も感じなくなっていった。  ある日、少年は普段のようにシャリアたちと遊びに出ていった。母は薬を飲ませて、もう眠らせた。  少年は歩き、進む。丘を越えて、いつもの原っぱに降りれば、そこにはいつものみんながいた。 「みんなー!!」 「あ! アレス! 久しぶりー!」 「おいシャリア。久しぶりったって、まだ三日ぶりくらいだぞ?」 「何よレイツ。別にいいじゃないのよそんなの」  そんな会話をする二人の元に、少年は走っていった。 「あ! そうだそうだ。そんなことより、見てくれよアレス……!」  レイツがそう言いながら、楽しそうに取り出したのはボールだった。 「父ちゃんに新しく買ってもらったんだぜ!」 「へー……。ピカピカだねー……!」 「おうよ! なにせ新品だからな! 今日はこのボールで玉遊びでもしようぜ……って話だ!」 「でも、玉遊びって言っても色々あるんじゃない? どうするの?」 「……玉をぶつけ合う遊び……みたいな?」 「えぇ……なんか暴力的じゃないか?」 「うるせぇ。じゃあ逆に、他にどんな遊びが思いつくんだよ」 「それは……」  少年は顎に手を触れ、しばし考えた。このボールで何ができるんだろう。少年はそんな風にボールを眺めながら、頭からアイデアを絞り出そうとした。 「どう? 思いついた?」  シャリアが後ろから言った。 「……全然、思いつかない」  少年は、厳密には思いついていた。だが、正直言ってレイツの案より面白そうだと思えるようなものではなかった。 「だろ? 俺もボールをもらってからずっと考えたんだけど、面白そうなのはこれしか思いつかなかったんだよな」 「それはアンタの頭の問題なんじゃないの〜?」  そう辛辣な言葉を吐いて、シャリアはクスクスと笑った。 「……まあ、ともかく、今日はこの遊びで遊ぼうぜ。ルールは必要に応じて逐次制作していく感じでな」 「うん。それでいいと思う」 「えぇ、私も異論ないわよ。三人は?」 「えっと……僕はみんなのやりたいやつ……で……」 「大丈夫だよね!」「うん! 大丈夫!」「ね!」  テルンもヴィーリャもヴェーリャも、全員異論はないようだった。 「よし! 反対もなさそうだし……もういいか! はーじめ!!」  レイツがそう言って、ボールを宙に放った。  ボールが飛び交う。ボール遊びをするみんなの姿勢は、三種類に分けられた。  一つ目はひたすら避け続けるもの。もう一つは積極的にボールをぶつけ合うもの。そして最後に、傍観者のような立場で遊びの様子を眺めているもの。この三種類だった。  具体的に名を挙げるとするならば、避けるものがテルン。ぶつけ合うものがシャリアとレイツ。傍観者がヴィーリャとヴェーリャ、そして少年という感じだった。 「おりゃ!!」 「まだまだ!!」 「おっと……! ……その程度じゃ私には……」  シャリアがレイツが投げたボールをキャッチし、再び腕を大きく振りかぶった。レイツはまたボールをキャッチしようと、体勢を低くとった。そして。 「勝てないよ!!」  シャリアがボールを力強く投げた。ボールは少し曲がった軌道を取りながら避けたテルンの頭の上を通過し、レイツに向かった。  そしてレイツは、シャリアのボールを両手で受け止めた。 「二人、めっちゃすごいね!」「うん! ボール早い!」「ね! アレス!」  ヴィ―リャとヴェ―リャがそれぞれ少年に向かって言った。 「うん。そうだね」  少年はそう返事をしながら、二人の間で行き交い続けるボールと、それを避け続けるテルンを目で追った。 「これで……終わりだぜ!!」  レイツがそう言いながら大きく腕を振りかぶり、前足で地面を強く踏み切って……そんな時だった。 「おあっ!?」  レイツが突然体勢を崩し、思い切り転んだ。そんな中、ボールはレイツの手を離れてぐんぐんと飛んでいき、遠くの木に引っかかった。 「いてて……」  レイツは膝を叩いて付着した土を落としながら立ち上がり、ボールを探してあたりをぐるっと見渡した。 「あぁ……あんなところか……。やっちまったなぁ……」  レイツは木の枝に引っかかるボールを見つけ、頭を掻きながら呟いた。 「レイツ、あれ、どうやって取るつもり?」 「それは……」  少年の質問にレイツは口ごもった。あぁ、こいつ、どうやって取ればいいかわかんないんだな、と少年は思った。 「……ねえ、みんな! 私いい考えがあるよ!」  そんな時、シャリアが言い出した。 「ねえシャリアーー! 危ないよーー!」 「大丈夫だよーーーー!!!」  シャリアのいい考え。それは木に登って取りに行くという、なんとも危なっかしいものだった。 「はぁ……心配だなぁ……」  少年は思わず声を漏らした。 「何だアレス。どうせ平気だろうし、心配なんかしなくてもいいと思うぞ」  レイツの根も葉もない謎の自信の言葉を適当に無視しつつ、少年はシャリアのことを心配そうに見上げる。 「……そういえばレイツって『木に登る』っていう、誰にでも思いつきそうなやり方すら思いつかなかったのかなぁ……」 「ぶっ!!」  少年のふとした呟きに、レイツが吹き出した。 「どうしたのレイツ。汚いよ」 「いや……『汚いよ』じゃないねぇよ。何の脈絡もなく突然俺のことディスってきやがって……」 「……ディスるもなにも、本当のこと言っただけじゃないか」 「ぐっ……! ……だ、大体な! 俺はちゃんと思いついてたんだぞ!? ただ、危なそうだったからボツにしただけであってだな……」  レイツがそんな言い訳をならべ始めた頃、シャリアはすでに、ボールの引っかかった木のかなり上の方まで来ていた。 「よいしょっ……よっこらせ……っと……」  シャリアが手を伸ばす。もう少しでボールに届きそうだ。 「シャリアーー!! もっと進んでーー!!」「進もーー!!」「ねーー!!」 「うーん!!!」  シャリアは足でしっかりと木の枝を挟み、左手を一足長ほど前へ進めた。そして次に右手も同じように進め、そして……。 「あっ……!」  枝をうまく掴みそこねて、手が滑った。それを皮切りにするように、数分間登り続けていたせいで疲労が溜まっていた左手も、両足も、ほとんど同時に滑り落ちた。  シャリアの体が空中に投げ出されて、声を出す暇もなく地面に一直線に引き寄せられ、落ちていく。  まずい。少年はそう思って、咄嗟に駆けた。シャリアが落ちてきそうな所で止まり、左右に体を揺らすように位置を微調整。右へ一歩、左へ半歩、前へ一歩、後ろへ二歩。  そしてまだ位置が完璧でなかったその時、シャリアが少年の腕の上に降ってきた。  少年は唐突に両腕にのしかかってきた重さに体勢を崩された。そしてシャリアを抱えたまま彼女が落ちてきた木の幹へと、不可抗力に引っ張られるように向かっていった。  そして。  ドン――ッ!  ……と。あたりに痛々しい音が響いた。ぶつかった衝撃で木が揺れ、引っかかっていたボールがレイツの頭の上に落ちた。  少年は額に走る痛みに一瞬意識を持っていかれそうになったが、なんとか留め、痛みをぐいっと飲み込んだ。 「ね、ねえシャリア……大丈夫だった……?」  少年はそう言いながらゆっくりと目を開いた。そして次の瞬間、少年はシャリアと目があった。  シャリアはどうしてか目を大きく見開いて輝かせ、頬を赤くしていた。木から落っこちて、恥ずかしかったんだろうな、と少年は思った。でも少年はほんの少し、自分でも気づかないくらい少しだけ、ちょっとだけドキッとした。  少年とシャリアはしばし互いに見つめ合う。そんな中、ポタポタと。シャリアの頬に赤い雫が垂れだした。シャリアは手で自分の頬に触れ、赤い液体が転写された指先を見る。そして、我に返ったようにハッとした。 「きゃあ! アレス! 血……血が出てる! えっと手当てしなくちゃ……だけどその前に降りて……どうやって降りれば!?」 「あぁ! ごめん。降りないとだよね。わかってるよ」  少年はそう言いながら、取り乱すシャリアを地面に降ろした。 「う、うん。降りた……。じゃあ、手当て……でもその前に……えっと助けてくれてありがとう……? じゃないよ! まず手当しないといけないのに……!! でもどうしよう……!!」 「い、一回落ち着こう? 座って、ほら……」  少年はシャリアの肩に手をおいて、木を背にするように座らせた。 「み、みんなは遊びに行ってて大丈夫だよ! シャリアは僕が見ておくから!」  少年は一連の流れを見ていたレイツたちに言った。 「いやぁ……でもよ。もとはといや俺のせいだぜ? ……だから俺も見とくよ……。なんかアレスに申し訳ないしな……」  レイツは申し訳なさそうに頭を掻きながら少年とシャリアの方に歩いて行こうとした。 「あ……。じ、じゃあ僕も……」  後を追うみたいにテルンも言い、その足を一歩前へ。しかしそんなレイツとテルンの前に、突然ヴィーリャが立ちはだかった。 「だめ!! 行っちゃ、駄目だよ!」  そしてそんなヴィーリャに呼応するように、ヴェーリャも並んで立ち塞がった。 「え? なんでだよ……」 「いいから行くの!!」「行く!」「の!」 「おぁ! お、おい! 一体なんだってんだよ!」  そんなふうにヴィーリャとヴェーリャに押されて、レイツとテルンはシャリアたちから遠ざかっていった。 「……ヴィーリャたち、一体どうしたんだろう……」  少年はそんな彼ら彼女らを見て呟き、赤い顔で地面をじっと見つめるシャリアの隣に、そっと腰掛けた。  するとシャリアはなぜかビクリとして、少年からそっぽを向いてしまった。少年は、不思議そうにシャリアの顔を覗き込もうと背中を丸めてみた。しかし、シャリアはひょいと、更に目を逸らすだけだった。 「……ねぇシャリア……。どうしたの? もしかして、さっき怪我とかした……?」 「ケガなんて……して……ないけど……」 「けど……?」  少年はシャリアの俯いた横顔を眺めた。その横顔は見れば見るほど赤くなってきているように、少年には見えた。 「あぁ! というか、怪我したのアレスじゃない!! 応急処置してあげるから……こっち向いて……!」 「う、うん……」  少年は小さく頷き、体ごとシャリアの方を向いた。そしてシャリアは大きく息を吸ってから、少年の方へ体を向けた。 「じゃあ、い、いくわよ……」 「うん……でも、帽子は取らないでね……」 「……わ、わかったわ……」  不思議な頼みだな、と思いつつも、シャリアは帽子をほんの少しだけずらし、少年の額の傷口の側に触れた。 「あー……。結構バッサリね……」  血はもう止まっていた。でも黒く固まった血が皮膚に張り付いていて、ついでに顔の上半分はその血で、赤黒い筋が数本入っていた。  シャリアはそれを自前のハンカチで拭き取り、水筒の中の水で少年の傷口を洗った。 「い、痛い?」 「ううん。ちょっとヒリヒリするけど……別に……」 「そっか……」  シャリアは少年の傷口にガーゼを当てた。そして、スカートのポケットから包帯を取り出し、カーゼを押さえるように少年の頭に巻いた。 「よし。おしまい」 「ありがとう。シャリア」 「ううん。もとはといえばこっちが悪いから」  少年は額の傷に触れてみたけど、もう痛みは感じなかった。  シャリアは腕に顔を埋め、再び遊び始めたレイツ達を眺めていた。時々、ちらりと少年に目をやることもあったが、少年がそれに気づくことはなかった。  少年は、目の前の花の周りで蝶が二匹、じゃれ合うように飛んでいるのを見た。すごく仲が良さげな様子で、少年の脳裏には昔の自分と母の姿がふとよぎった。  最近、少年は母とまともに話していなかった。こうしてみんなと遊ぶのは三日に一度だけだが、ここで遊ぶ以外の二日も本を読んでばかりで、もう数日も口を聞いていない。  昔はそんなことなかったのに。毎日喋って笑ったりしていたのに。少年は、最近の自分が母のことを蔑ろにしているような気がしてしまい、少し、表情を曇らせる。  母に隠れて薬を盛って、気づかれずに外へ、なんて。まるで、母を邪魔者にしてるみたいじゃないか。  少年はそう思いながら、言いようのない申し訳なさといっしょに空を見上げた。 「……ね! アレス」  シャリアが少年に声をかけた。 「……どうしたの?」  少年がシャリアに言葉を返す。 「……なにか、考え事でもしてたの?」  シャリアのそんな何かを押し込めたような問いに、少年は言ってしまってもいいものなのだろうかと少し考える。 「……なんでもないよ」  少年は、やっぱり言わないことにした。もしここに母がいたら、多分この考え事を他の人に話されるのは嫌だろうな、と思ったから。 「……そう」  そのシャリアの言葉を最後に、しばらく沈黙が広がった。そして少年はそんな沈黙の最中、少しずつ母への申し訳なさを募らせていた。  やっぱり、今後はこうやって遊びに出るのを控えるべきかもしれない。母に薬を盛るなんてどう考えてもおかしいし、自分のことを大事にしてくれている母にこんなことをするのはひどい親不孝だと思ったから。  少年は家に帰って、母に不孝を詫びようと思った。そして少年が立ち上がろうと腕に力を入れた、そんな時だった。 「ねぇアレス」  シャリアが少年に声をかけた。 「……どうしたの?」  少年は少し考えてから、シャリアに答えた。  母のことを後回しにするのは少し気が引けた。でも、わざわざ友達の他愛のない質問を突っぱねるような真似をする必要はないと思ったから少年は答えた。 「あのさ。アレスはさ。どうして帽子を取らないの?」 「……なんでなんだろうね」 「ちょっと。どうしてアレスが知らないのよ!」  どうして知らない? つまりは、知らない理由。……強いて挙げるなら、母が教えてくれなかったからだ。だから少年は理由なんか知らない。でも…… 「お母さんに昔から言われてたんだ。だから被ってるだけ」  そう、言われたから被っている。ただそれだけ。 「理由は知らないの?」 「うん。知らない」 「そう……」  シャリアがそう言ったのを最後に、二人の間にまた沈黙が立ち込めた。そしてしばらくして、再びシャリアが沈黙を破る。 「ねえアレス。帽子、取ってみせてよ」 「え……? 駄目だよそんなの。お母さんに怒られちゃうよ」  少年はそう言って体制をすっと少し後ろに倒し、両手でしっかりと帽子を押さえながらシャリアを睨んだ。 「ねえいいでしょ? 誰にも言わないから……」 「えぇ? や、やめてよシャリア……」  シャリアが手を伸ばし、少年の帽子を取ろうとした。少年は伸びてくるその手を捌きながら、どんどん後ろのめりになっていく。  ついに少年は背中を地面につけるほどのまでのけぞり、もう逃げられなくなってしまった。  そしてシャリアはそんな少年の腕をその頭の上で束ねて、片手で押さえて、空いているもう片方の手で少年の帽子に手を伸ばした。 「や、やめってってば……」  少年は体をひねり、力む。しかしシャリアの方がほんの少しだけ力が強くて、少年はなかなか抜け出すことができずにいた。  そんなふうに少年が藻掻いていにも、シャリアは少年の帽子に手を伸ばす。させまいと藻いても、振り払うことができなくてシャリアの手も止められない。  少年の表情に焦りが滲んできた。帽子を取られ、シャリアにその中を見られてしまえば、きっと母に知られた時怒られてしまう。  それに、母がそこまで言いつけるということは、何かしらそれなりの理由というものがあるはずなのだ。  きっと今まで母が自分に言ってきた全てに、教えてはくれなかったけどそれなりの理由があったんだと思う。  だけど少年はもう、母の言いつけをいくらか破ってしまっている。例えば、こうして勝手に遊びに出ていることであったり。  それもあって、少年はこれ以上母の言いつけを破りたくはなかった。 「や、やめてよ!!!!」  少年はシャリアに向かって叫んだ。するとシャリアは驚いたかのような表情を見せて、力を緩めた。その隙に少年は手を振り払って拘束を抜け出して、少し距離を取ってからシャリアを睨んだ。  睨んだシャリアは混乱と驚きが半々くらいの表情をしていた。少年は首を傾げながら、シャリアに問う。 「……い、一体どうしたっていうのさ……シャリア。前はこんなことしなかったし……やめてっていえば、すぐやめてくれたでしょ……?」  するとシャリアはぷいとそっぽを向き。 「し、知らないわよ。ただ……ちょっと接し方がわかんなくなっちゃった……っていう……それだけ……」  そう、とても小さく呟いた。  少年は太陽を見た。日の傾き具合からして、母の薬が切れるまでにはまだ時間がある。  これならまだ……と。少年は帽子を押さえながら、シャリアの隣の地面に再び腰を降ろした。するとシャリアの身体がビクリと震えた。そしてなぜか、顔も赤くなり始めた。 「何かあったの? シャリア……」  少年は心配そうな顔をして訊いた。シャリアの様子がおかしいから何かあったんじゃないかと、少年は思った。 「べ、別に……何もないわよ……」  シャリアは所々でつっかえながら言った。この口振りと普段との違い、それで少年は、シャリアに何かしらあったんだなと、なんとなくだったが察した。 「何かあったなら話聞くよ? 友達だし……」  少年はシャリアに言った。シャリアはそう言ってくれたことを喜んでいるかのような表情を見せつつも、その奥ではなんだか少し残念そうな、そんな複雑な表情を浮かべていた。 「……話したくない?」  少年は特に無理強いをしてでも聞こうとは思っていなかった。だからこんな顔をしながらうんともすんとも言わないシャリアに向かって、そう言ったのだった。 「別に……そんなことないけど……」  少年の言葉に、シャリアが返す。 「じゃあ、話してみてよ。僕、少しでもシャリアの助けになりたい」 「う、うん……」  シャリアは頬を少し赤くしながら頷いた。 「えっと……まずさっきは……その……ありがとう……?」  シャリアはそう話を切り出した。 「そ、それでね……。んーとね? 私、木から落ちた時、死ぬかと思ったの。すっごく怖かった。うん……。怖くて……それで……えーっと……」  少年はシャリアの横顔をまっすぐに見つめながら、彼女の話を聞いていた。 「重ねてお礼、言うわね……。木から落ちた私を助けてくれて……ありがとう」 「うん。どういたしまして」  少年は何のひねりもなくさっぱりと、シャリアの感謝にそう答えた。  だけどシャリアは、ここまでさっぱりしたのが返ってくるとは思っていなかったようだ。「大分サッパリしてるのね……」と、少し調子を乱されたように咳払いをした。 「そ、それでね?」  狂ってしまった調子を立て直すように、シャリアは言葉を続ける。 「私を助けてくれた時のアレス……なんか……その……」  シャリアは口ごもって、少年は黙ってシャリアの口から続く言葉が紡がれるのを待つ。あたりはまた少し、シンとした。  そんな静寂が始まってから少し、シャリアがその静寂を破る。 「かっこよかったよ……アレス……」 「……え?」  少年は一瞬言葉を飲み込めず、考えた。そして意味を理解した瞬間、顔を真っ赤に染め上げる。  もしやシャリアって僕のこと……、そんな馬鹿げていながらも現実味がないわけではない思考が、少年の頭の中を埋め尽くした。  シャリアは、気持ち上目遣いで少年を見上げていた。そして二三秒後にブンブンと首を振って…… 「は、話、変えようか!」  そう言った。 「う、うん。そう……そうだね」  少年も首を縦に振り、答える。二人は、話を変えるということに同意した。  しかしながら、二人とも何を話そうかとは考えていなかった。したがって、必然的に二人はまた黙り合うことになってしまった。  沈黙と静寂が続く。次の瞬間、シャリアが肩が互いに触れ合うくらいまで少年に身体を寄せた。  少年は少し驚いてビクリとしたが、すぐに恥ずかしさからか気まずさからか、視線を地面に落とした。  シャリアの方も少年と同じように地面と睨み合いながら、膝に顔を埋めて頬を赤くしていた。  傍から見れば、初々しい恋人同士そのもののようだった。 「ねぇシャリア……。ちょっと近い……気がする」  少年は気恥ずかしくなってシャリアに言った。 「……ご、ごめん……。でも私……もうちょっとここにいたいから……」  シャリアはそう言って、さっきと同じように座り続けた。そして少年はそんなシャリアの言葉に頷いて、考えにふけり始める。  やっぱり、シャリアは自分のことが好きなんじゃないか、と。  少年自身、こんな事を考えて心臓を高鳴らせているのは、自分ながらになんだか気持ち悪いような気がしている。しかし、シャリアが今までした思わせぶりな態度を見ていたら、そうとしか思えなくなってしまった。  少年は心臓を落ち着けるためにも、考えないように意識しようとする。けれど考えまいと意識すればするほど、心臓は騒がしく跳ねるばかりだった。  やっぱりシャリアは、僕のことが好きなんだろうか。もしくは実はそんなことなくて、今まで通りの友達としか思ってないこともありうる。  少年はこの二択の間で揺れに揺れた。どっちなんだろう、というこの不確定さが少年の心臓を大きく跳ねさせ、騒々しく鼓動させていた。  これを止めるためには、白黒どちらかはっきりさせなくてはならないだろう。少年は思い立ち、思い切って訊いた。 「シャリアってさ。僕のこと好きなの?」 「はぇっ!?!?」  シャリアはそんな声を出して、ガバっと顔を上げた。それからほんの一二秒後、少年は少年で「あっ!!」と声を漏らし、顔を上げた。 「ちっ、違ぅっ……! そういうことじゃなくって……えっと……なんていうか……」  そこまで言いかけて、少年はここから話を変えて今の言葉をなかったことにしてしまったりとか、言葉の意味をすり替えてしまうだとか、そんなことはもはやできないのだと察した。  ならば、と。少年は慌てた顔を落ち着け、シャリアの目をまっすぐ見た。そして。 「……できる範囲のことなら何でもするから、答えてほしい。シャリアは、僕のことを好き?」  少年は迷いなく言い切った。シャリアはそんな言葉と真っ直ぐな視線にまいったかのように目を逸らし、乱れた髪を耳の上にかけた。 「えっと……私が……アレスのことを好きかって……こと?」 「うん」  少年が答え、シャリアが大きく息を大きく吐いてみたり、また落ちてきてしまった耳の上の髪を再び乗せ直したりしだした。 「えっと……私は……えっと……」  シャリアは落ち着かないように目を左右に動かした。そしてふとしたみたいに顔を上げ、少年の真っ直ぐな視線に当てられてすぐに目を逸らした。 「あぁ、もう! あなたが言ったんだから、まずはそっちが先に何でもしなさいよ! そっちが頼んできたのに私が先なんて、明らかにおかしいわ!!」 「え? 僕、何でもするなんて言ったっけ?」 「い、言ったわよ!!」  少年はこめかみを掻きながらシャリアから目を逸らし。 「ご、ごめん……。ちょっと、僕も特によくわかんないまま言っちゃってて、混乱してたからさ……」 「なっ!? だ、だからって無しは無しよ!? 私はそう聞いたんだから、私の言う事絶対聞いてもらうわ!」 「わ、わかってるよ……ただ、その……ちょっと弁明のつもりで……」 「そ、そうなの? まあいいけど……とりあえず、答える前に私の言うこと、聞いてもらうからね……」 「う、うん……」  少年が頷き、シャリアは立ち上がって考え始めた。そして十数秒経ってシャリアは「よし! 決めたわ!」と少年へ目をやった。 「帽子、取って頂戴!」  シャリアは少年の頭を指差し、そう言った。 「え? 帽子? それは……ちょっと……」 「何? できないっていうの? あなたが何でもするって言ったのに?」  そう言われ、少年は黙り込む。  少年はこれ以上母の言いつけを破るのはどうなのか、とついさっき思ったばかりだった。けど、無意識ながらシャリアに「何でもする」と言ってしまったことも事実らしい。これもある意味約束だろう。  少年は迷った。母の言いつけを優先するべきか、シャリアとの約束を優先するべきか、決めかねていた。 「だ、大体、そんなことでいいの? 帽子を取って、だなんて。もっと他にやってほしいこととかさ……なにかあるんじゃないの?」  少年はシャリアに命令を変えてもらうことで、どちらの約束も犠牲にせずに穏便に済ませる方向に舵を切った。が。 「ダーメ! 私はアレスに帽子を取ってほしいのよ!」  と。そんな風に一蹴されてしまった。 「そもそも、なんで僕に帽子を取らせたがるのさ! さっきといい……。なんでそこまで執拗なの?」 「そんなの、私が気になってるからよ」  少年は初めての友達との約束を切り捨てる勇気も、母の言いつけを破る度胸もなかった。穏便に済ませる方法もどうやらなさそうで、完璧に八方塞がりというやつだった。 「早く言ってよね。じゃなきゃ私、アレスの質問に答えてあげないわよ?」 「……じゃあ、答えなくていいよ」  少年はシャリアに聞こえるくらいの声の大きさで言い、歩き出した。 「え? ちょ、ちょっとアレス! 待ちなさいよ!」  シャリアが少年を追いかけ、手を掴んだ。 「アレスが言い出したんじゃない。僕が何でもする代わりに……その……僕のこと好きかどうか答えてよ……って!」 「だ、だから、大丈夫だって! 答えてもらわなくてもいいから、もう帽子も取らないって、それだけのことじゃないか!」  少年はシャリアの手を振りほどき、さっきのように歩き出した。  シャリアは下唇をグッと噛む。悔しさのようでありながら残念でもあり、ほんの少しだけ焦りを生じる感情が湧き上がって。  シャリアは五六秒少年の背中を眺めた後、走り出した。そして少年の帽子を通りすがりに掠め取った。 「あっ!!」  少年がシャリアから帽子を取り返そうと手を伸ばしたが、もう遅かった。その時シャリアはすでに少年から一メートルほど離れたところにいた。 「ちょっとシャリア! 返してよ!!」  少年がシャリアを追いかける。 「いーやー!!」  シャリアはそう言って、木の周りをぐるぐる走った。シャリアが微笑みながら逃げ、少年が必死に追いかける。この追いかけっこは三十秒ほど経った頃、少年の体力切れで決着となった。  少年が疲労感に飲まれ、膝に手を着いて肩を大きく上下させる。シャリアはほんの少しだけ頬に汗を伝わせながら軽く深呼吸をした。 「強引だったけどごめんね。好きな人の秘密って気になるものだから、こうやってしつこくしちゃったの。でも、これで私もアレスに思ってることを伝えなきゃ駄目になっちゃったね」  シャリアは少し緊張しながらもスッキリしたような顔でそう言った。しかし、息が上がった少年にはそんなシャリアの言葉、到底届くものではなかった。 「ねえアレス……。その……ついさっき、木から落ちて、そこで助けてもらった時からなんだけどね……」  シャリアは言葉を続ける。そしてそれは、少年も少年で少し呼吸が落ち着き始めてシャリアの話をまともに聞けるようになってきた頃だった。  少年は疲れ切って片目だけを開けて、シャリアを見た。 「私、アレスのこと……」  シャリアは振り返った。そして疲れ切った少年と、初めて見る少年の帽子の中を見て。 「好き……に……なっ……た……」  唖然とし、言葉を失った。そして脳裏には、彼女の祖母から散々聞かされた、人ならざる『魔のもの』の姿が通り過ぎた。  魔のもの。白い髪に赤の眼を持ち、頭から一から三本の捻れたかのような角を生やした、人殺しの怪物。  今まで帽子に隠れていたアレスの髪は白かった。今までは特に気になっていなかったが白い髪に寄ってより強調された眼の色は、赤色だった。  そして極めつけには紫の、捻れて生えた二本の歪な、禍々しい角。 「え? ……う、嘘……」  シャリアは数歩後ろに、逃げるように下がる。その表情は恐怖に染まり、呼吸は荒い。歯はガチガチと震えていた。 「ど……どうしたの? シャリア……」  少年は突然様子が変になったシャリアが心配になり、声を掛け、手を伸ばした。しかしシャリアにはもう少年の事など、ただの人殺しの化物にしか見えなくなってしまっていた。  死の権化である。それが何か言いながら手を伸ばしてきた。殺される、殺される、逃げないと、叫ばないと、助けを呼ばないと。シャリアの心に、それが充満した。 「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」 〜〜〜  レイツ達はヴェーリャとヴィーリャに連れられて、広い原っぱの真ん中で話を聞かされていた。 「あの顔を見てわからなかったの?」「の!」 「あれは恋する乙女の顔だったよ?」「よ!」  ヴィーリャが諭す言い、ヴェーリャは相槌にもならないような短い声を頷きながら吐いていた。 「そんなこと言ったって……顔なんて横からしか見えなかったぜ? なんで恋する乙女が云々とか……そんなのがわかるんだよ……」  レイツは納得行かないようにヴィーリャに質問をぶつける。 「女にはわかるの!」「の!」「あれは好きな人を見る目だったって」「って!」 「そ、そういうもんなのか……?」  レイツはなんだか納得できないまま、ヴィーリャの熱量に頷かされた。 「でもよ! それであの二人から離れないといけないってのはどういうことだよ! シャリアは友達で、友達の恋の行方は見届けてやりたいし、何よりあいつらは怪我してたんだぜ? 離れてっちまうのは良くないじゃないのか?」 「レイツはわかってないのよ!」「わかってない!」「好きな人とは二人きり、そこに異物として入り込むのは最悪よ! 最悪ってものなの!」「最悪……? ……最悪ー!!」 「そ、そうか? そうな……のか……? ……」  レイツは一瞬解せないような顔で黙り込んだが、すぐにまた騒ぎ出す。 「だ、だがよぉ! おいヴェーリャ! お、お前は一体何なんだよ! お前だって最初は俺やテルンと同じように、あの二人のところに行こうとしてたじゃないかよ!! のくせに……どうして説教側に回ってんだよ! お前は!」 「僕は馬鹿だからよく間違えるけど、姉ちゃんは間違えない。だから真似して、僕も間違えないようにしてるんだ」  レイツはいつにもなく長く喋ったヴェーリャで呆気に取られつつ、力なく空を見上げた。そんな時だった。 「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」  遠くから、シャリアの悲鳴が聞こえてきた。 「なんだ? 今のシャリアか?」 「どうしたんだろうね……」「ねー!」 「とりあえず行くぞ!」  レイツは走り出した。 「あっ! 待ってレイツ! 最悪になっちゃうよ!」「最悪だよー!」 「知るかよそんなもん! 緊急事態かもしれなねぇだろ!」  ヴィーリャたちの呼び止める声にも応じず、レイツはシャリアと少年のいる木の下に走った。 「あぁ、もう! 追いかけるよ!」「追いかけるー!」 「え? ぼ、僕は……?」 「テルンも来る!!」「来るー!!」  話していた四人は走り始めた。そして一分も経たない内に、二人がいた木の下に辿り着いた。 「おい! ど、どうしたんだよ。シャリア。急に叫んだりし……て……」  その時、少年の姿が眼に入った。思考が停止し、即座に恐怖と動揺に塗り替えられた。レイスは反射的に叫び、尻もちをつく。  テルンやヴィーリャ、ヴェーリャも大体同じような反応だった。誰しもが少年を目に入れて驚愕し、恐怖し、その場から逃げようとした。  真っ先に逃げ出したのはテルンだった。次にヴィーリャが腰の抜けたヴェーリャを引きずるように逃げ出した。 「み、みんな……。一体、どうしたっていうんだよ……」  少年が言ったが、レイツは這いずるように怯えて逃げ出す。もはや少年の言葉は内容が何であれ、人からすれば地獄から奏でられた呪言の歌と大差ないものだった。 「本当に……一体みんな、どうしたっていうんだよ……。ねえシャリア。これってどういうことだかわかる?」  少年はそう聞きながら、シャリアの方に歩いた。 「いや!! こないで!!!」  シャリアは叫んだ。少年は驚いて立ち止まった。そんな中、シャリアはどんどん後ずさっていく。 「なんで……なんで悪魔が……人間のフリ……なんて……」  そしてそう吐き捨てるように呟き、取った帽子を捨て、その場から逃げ去っていった。 〜〜〜  少年はシャリアが落とした帽子を被り、その場を後に、家へ帰った。扉を開けると母はまだ寝ていて、空はもう夕方間近であった。 「お母さん……」  少年が肩を揺すると、母は目をこすりながら起き出した。 「あらアレス。私ったら、また寝ちゃってたのね」  母は窓の外を見た。 「もうこんな時間じゃない。ちょっと待っててね。ご飯作るから……」  母はそう言って、台所へ向かおうとした。少年はそんな母の背中を見ながら、悲しみと混乱の中、一切を母に打ち明けようと決めた。 「友達ができたんだ」  少年は語りだす。 「……何?」  母は少年の突拍子もない言葉に振り返った。 「お母さん。僕、友だちができたんだ」  母は少年の前まで早足で歩き、かがみ込んで言った。 「詳しく……聞かせて……」 〜〜〜  少年は母に、近頃自分がしていたことをほとんど全て包み隠さず話した。  ただ、睡眠薬を盛っていたことだけは話さなかった。流石にこれは怒られるだけじゃ済まなそうだと思ったからである。  そして少年は一通り話し終えて。 「ごめんなさい……」  俯き、謝った。言いつけを破ったことを叱られる、それも覚悟していた。しかし、母は穏やかに笑って頭を撫でてくれた。  少年は母の思いもしなかった行動で、驚きと一緒に顔をあげた。 「アレス。私、考えてことがあるのよ」  母は少年の目をまっすぐ見て言い、更に言葉を続ける。 「あなた、そのお友達と遊びたくて、私の寝込みを狙って外出してたんでしょう?」  少年は母の問いに頷く。 「なら、いいわよ。遊びに行っても……」 「ほ、ホントに!?」  少年は思わず大声を上げてしまい、ハッとして口を両手で押さえる。 「えぇ、本当。考えてる中で思ったのよ。このまま私がアレスを縛り付けて危険から遠ざけようとしても、あなたの不満が溜まるだけだわ。それは絶対あっちゃ駄目なことだもの」  少年は目を丸くして母の言葉を聞いていた。少年が思っていたのとは完全に対極をいくような言葉だったのだ。 「あ、ありがとう。お母さん……!」  少年は未だ母の言葉を飲み込めぬまま、感謝を告げた。母は笑っていた。ニコニコと。静かに。微笑むかのように笑っていた。  しかし、少年は気づかないで母のように笑った。母のその笑顔の奥には拭いきれないような不安と、道を誤ってはいないかという懐疑の心があったことに。 「……さあ、アレス。お母さんに教えて。今日はそのお友達と、一体どんなことをして遊んだの?」  母の質問に、少年は喜んで頷く。 「今日はね! ボール遊びしたんだ! すっごく楽しくて……! あ……でもレイツが投げたボールが木に引っかかっちゃってね……」  少年は今日あったことを話した。ボール遊びをした話。レイツがボールを木に引っ掛けてしまった話。シャリアが木から落ちた話。シャリアと二人で喋り合った話……。  そして少年は、その後の話をしようとしていた。 「それでね! それで……! それ……で……」  少年は露骨に表情に影を落とした。 「どうしたのアレス。さあ、続きを話して頂戴」  母の表情は心配とさっきからの笑顔だ。少年はなんだか沈んだ気持ちになってしまっていたが、この笑顔のおかげでなんとか話す気になれた。 「えっとね……その……友達がみんな逃げてっちゃったんだ……。シャリアもレイツもヴィーリャも怯えたみたいな顔しちゃってさ……」  少年はなんだか言い出せずに、過程を説明しなかった。その過程まで話したら、母がどんな風にいうかわからなかったからだ。 「あら、どうしてかしらね。何があったの?」  母は訊いた。その声はなんだか平坦だったが、確かに奥の方には少年がいう友だちの、息子に対する仕打ちに憤っている感じがあった。  そんな母の口ぶりが、これを話しても大丈夫だ、という安心感に近い何かを少年に与えてしまった。 「……そうだよ。ひどいんだよ! シャリアもレイツも! 他のみんなも! ただ僕の帽子の中を見ただけだったのに! みんな我先に逃げ出して――」  ――ダンッ!!!  何の前触れもなく、母が思いっきり机を叩いた。少年は驚いて一瞬肩をすくめた。だが、すぐに母の顔を見上げた。  母は笑ってなんていなかった。表情は跡形もなく消し飛び、さっきまでニコニコとして自分と話をしていたのが全部ウソみたいだった。  机に叩きつけた手は震えていた。目だってどこか怯えた様子だったし、目に見えてわかるくらいに大量の冷や汗もかいていた。 「アレス今なんて言ったの?」  呆気に取られていた少年に、母は鬼気迫る表情で問うた。 「え、えっと……」 「早くッ!!!!!!!!!!!」  母が叫び、また机に手を叩きつけた。 「ぼ、帽子の中を見られたんだっ! でも……でも僕は悪くない! シャリアが取ったんだから、怒るなら僕じゃなくてシャリアにしてよ!!」  母のあまりの剣幕に、少年は怯えて言い訳をする。しかしながらそんなもの、母には完全に上の空だった。 「逃げなきゃ……」  怯えた目で母が呟いた。 「お、お母さん? 一体、何を言って……」  少年の声を聞き終える前に母は足早に歩き、戸棚の奥に手を突っ込んだ。そして引き抜かれた手には、薄汚れた緑の翡翠のペンダントとボロ切れみたいな麻袋が握られていた。 「お母さん……? ソレって……」  何なの? と言う前に母は少年の手を鷲掴みにし、無理やり帽子を被せ、自らも帽子を被り、家のドアを蹴飛ばして全速力で走り始めた。 「い、痛いよ!! お母さ……」 「黙って走って!!!!!!」  母は今までに聞いたことがないくらい強い口調で少年に叫んだ。少年は混乱して何もわからないまま、母に言われた通り走った。  おそらく、もう10分は暗闇の中を走り続けただろう。だが、母は足を止める兆しを一切見せなかった。 「お母さん……! 一体どうしたの……? なんで急に走り出したの……? 僕もう疲れたよ……」  少年は言ったが、母には上の空だった。 「お母さん……!! お母さんってば!」  少年は息を切らしながら必死に叫ぶ。すると、母はピタリと立ち止まった。 「……お母……さん……。どうしたっていうんだよ……急に……」  少年は肩で呼吸しながら膝に手を突き、母に訊いた。だがしかし、母は答えない。少年は不思議に思い、目を開け、母を見る。  母はただ遠くをずっと、怯えた目で見つめていた。少年は母の視線を辿ってみる。そして少年はそれを見た。  闇に浮かぶ赤い火を。それに映し出された、この世のものとは思えないような顔をした村人達を。彼らが携えた煌めく鉄の刃の数々を。 「何……あれ……」  少年は呟く。何なのかわからない、得体のしれない恐怖が、そこにはあった。  母は再び、人は逆方向に走り始めた。進んできた道を引き返し、途中で道を折れ、走って、走って、駆り立てられるように走り続けた。 「……おい! そこの女! 止まれ!」  後ろから男の声が聞こえた。少年は振り返り、声がした方をちらりと見る。声は殺気立った男たちの群れの先頭から発せられたようだった。 「お母さん……」  少年は不安になって母を見上げた。が、母は少年の言葉に耳を貸さず、男たちの声にも従わず、一心不乱に走り続けた。 「止まれ!!!! さもなくば撃つぞ!!!!!!」  男たちの群れから発せられた怒声がさっきよりずっと大きくなった。ただの脅しには到底聞こえないような、そんな恫喝。  男たちが今にも弓やクロスボウなんかを構え、そして撃ってくるんじゃないだろうか、と。少年が否応なしに感じさせられてしまうほどの恐ろしい声だった。  次の瞬間、少年が感じたことが現実となった。母の肩に矢が一本、深々と突き刺さった。血が吹き出し、母がよろめき、帽子が落ちる。 「お母さんっ!!!」  少年が叫ぶ。それは途方もなく悲痛だったが、その悲痛な声は母を撃った男たちには一切響かない。 「角だ!! やっぱり悪魔だぞ!!! レイツが目撃した悪魔のガキはきっと隣のヤツだ!」 「野郎ども狙えーッ!!!」  殺意のこもった怒声の中、母は体制を立て直してまた走る。肩に刺さった矢のことなんてもうお構い無しで走った。 「ッ――テエエエェェェェェッッッ!!!!」  そんな時、無慈悲な声が響く。母は羽根を広げた。とても飛べそうな様子ではない、ズタズタの翼だった。だが、少年の身を守る盾とはなった。  次の瞬間、母は少年を抱いて地面にかがみ込む。  そうして母は身を呈して少年を守った。が、その羽根はもはや、原型を留めないほど風穴が開き、身体の方にも新たに数本矢が突きっ去ったようだった。  母の口から血が溢れ、少年の額を伝って頬を流れる。少年は絶望と混乱に染まりきった表情で、苦しげに矢の刺さった痛みに耐えている母の顔を見上げていた。  矢の雨が止むと、母はすぐにまた走り始める。少年は顔中を母の血と涙でぐちゃぐちゃにしながら、母に続いた。 「クソが殺しそこねたッ!!」  後ろからまた男の声が聞こえた。 「奴らは満身創痍だ! 追い打ちをかけろ! 弓矢は第二射を用意!! クロスボウは再装填だ!!」  さらに声が聞こえるが、母は構わず走り続ける。弓の第二射が放たれた瞬間、母は一軒の家屋に転がり込んだ。  その中に人はいない。だが、大量の大きな樽が並んでいた。ここは村のはずれにある、醸造所だった。 「がっ……ごふっ……」  母が凄まじい量の泡が立った血を吐いた。矢にはいくらか、魔物の血から作った毒が塗ってあったのだ。 「お母さん!!」  少年は母の肩を揺する。母は苦しそうに唸るばかりだった。  死ぬんだ――。死んでしまうんだ。母は死ぬんだ。大好きな母がここで死んでしまうんだ。少年は深く実感し、母を失う恐怖の中で泣き叫んだ。 「起きてよお母さん! やだよ! 僕、まだお母さんに死んでほしくないよ! お母さんをもっと大事にしようって……さっき決めたばっかりなんだよ! お願いだから死なないでよ!!」  少年の声は部屋の影に虚しく消える。そんな時、最後の力を振り絞るかのように、母はゆらりと立ち上がった。  そして母はふらふらと部屋の角へ歩いていく。一歩。一歩。また一歩。母が危うい一歩を踏み出すたびに、まるで死期を映し出すかのように母の髪が白くなっていった。  少年は母の後をついていく。もうどうせここで自分も死ぬのだからと。最近母を邪魔者扱いしてしまっていた分、最後くらいは母と一緒に死のうと思い立った。  母は空の樽の蓋を開けた。ここに入れということだろう。入った後、火でもつけるのだろうか。少年はそれでも構わないと思い、樽の中に入った。  すると母は力なく微笑みながら翡翠のペンダントと麻袋を一緒に入れ、しっかりと蓋を閉めた。そして母は少年の入った樽に頬をつけ、語りかける。 「私は、何をされてもあなたのことが大好きよ。アレス」  少年はなんとも言えない気持ちだった。人生の最後に対する恐怖の波はもうすでに去って、嫌に落ち着いてしまった。 「そのペンダントはね。お父さんのなのよ。あなたの。私と、お父さんの形見だから、ずっと大事にしてちょうだいね……」  少年は聞いていた。ただ、何をどう思うわけでもなかった。父の話とか、もうどうでもよかった。 「麻袋の中はお金。明日も生きていけるように……貯めておいた……」  少年はそれもどうでもよかった。もう死ぬのに、こんなもの持っていたってどうしようもないから。 「そして……ごめんなさい。あなたは悪魔と人間の……間にできた子……なのよ。どうして私があなたのことを産んじゃったのかしらね。私じゃなければ……もっと普通に人と……して……生きられた……かも……しれないのに……」  そんな母の言葉に、少年は心の中で声を返す。  違うよ。僕は幸せだったよ。母さんの子でよかったよ。できればもっとお母さんと長く生きたかったけど、それだって僕の人生は幸せだったよ。友だちもできたし、何よりお母さんがいてくれたから。僕は幸せだったよ。  少年は樽の蓋に手を触れる。すると少年は母が微笑んでいるのを感じることができたような気がした。少年は母に返すように少し微笑んだ。 「あれ……もう……時間がない……みたい……。ごめんねアレス……私はもう……こうしてはいられないみたい……ね……」  そんなことはないよお母さん。僕達はあの世で一緒じゃないか。空の上で、また一緒にこうして話そうよ。ずっとこうしてさ。話していようよ。 「私が死ぬの……もう……近いみたい……ね……。最後に一つ……いい……しら……」  何? お母さん。僕、何だって聞くよ。だから何でも言ってみてよ。一緒に死んだ後も、生まれ変わっても、ずっと聞き続けるよ。もう約束破ったりしないよ。だから言ってよ。 「あなた……は……私と彼……の……大切な……子……だから……だから……ね? 私達の分も……」  お母さん。言いつけ、守るよ。そう、僕は母さんとお父さんの大切な子。だから、母さんの言うことなら何だって聞いて見せるよ……だから。さあ。 『――――生きてね……』  ……母さん? 一体……何を言って……!?  その時、少年の意識は吸い込まれるように遠くなる。母が少年に催眠の魔法をかけたのだ。少年はわけもわからぬまま睡魔に意識を飲み込まれる。  そうして、少年の意識は深く消えていった。母の残した言葉と一緒になって、深く深く、消えていった。 〜〜〜  母は少年に催眠の魔法をかけた後、壁に立てかけてあった斧を手に取る。本来はワインの樽を割ったりするものなのだろうが、この時点でこの斧は、大量の血を吸うことになった。 「奴らは此処に逃げ込んだ!」  醸造所の外から男たちの声が聞こえる。母の髪が段々と、純白に近づいていった。そして目は深い赤へ。角はより禍々しく捻れ、悍ましく伸びていった。 「やつらはすでに満身創痍! 私の合図で突入し、悪魔を殺すぞ!!」 「「「「「おーーーーーッ!!!!!!!」」」」」  母は斧を片手に壁へと走り出す。 「三ん……二ぃ……一ぃ……」  母は壁の寸前で飛び上がり、斧を高く振りかぶった。 「突げ……ぃ――」  醸造所の外にいた者達の音頭を取っていたものを、的確に殺した。そして周囲の者が反応するどころか驚くほどの隙もなく、斧を奮って三人の頭を切り飛ばした。 「で、出ぁ……」  言いかけた者の頭を蹴り潰し、その後すぐに斧を振るって、男の胴体を真っ二つに切り裂いた。 「う、撃てぇ! 早く撃てよぉ!!」  そう誰かが叫び、ソレに合わせるようにわらわらと矢が向かう。斉射の統制はまともに取れていなかったが、それでも三十本以上の矢が悪魔に向かって飛び、数本が突き刺さった。  しかし、悪魔はもろともしないように突撃し、敵の鮮烈の中に直々に殴り込んだ。老若男女問わず、人間の血が、腸が、叫びが、あたりに凄惨に飛び散る。  まさに阿鼻叫喚。悪魔が作り出すにふさわしい地獄絵図。  斧で飛び散った者。羽根の爪で八つ裂きにされた者。仲間の矢で死んだ者。頭を完全に叩き潰されて肉片となったモノ。首筋を食いちぎられ、悪魔の無惨な食残しとなってしまった物。  本当に様々な死に様だった。かつて死んでいった者たちの中にも、これほど凄惨に散っていったものはそういないだろう。 「私の子にはッ!! 誰一人近づけないッ!!! たとえぇ!! 例えここで死んでもだあぁァァァッ!!!!」  血に濡れた白い髪が夜空に揺れる。だが彼女の死は、唐突に訪れた。自身の腕が勝手に、自らの胸に斧の刃を叩きつけた。  母は血を吐き、薄れゆく意識の中で天に向かって呟いた。 「お前は必ず殺す……」  母は倒れた。死んだのだ。地獄を作り、自らの子への愛だけで全ての限界を超越し、人間を殺し続けた悪魔が、あっけなく死んだ。  そして訪れた静寂の中で、何かの声が響く。 『衰えた力でこの地獄……。やはり、腐っても『暴虐』か……。やれやれ……できる限り早く滅ぼし、始めなくては……』 〜〜〜  少年は真っ暗ななかで目を覚ました。身体にあたる質感は木のようで、少年は必死に壁や床や天井を叩いた。  そして数回目、天井が開き、目だけ出して外を見渡せるようになった。  少年の目に映るのは焚き火、背の高い家、見たことがないほどの人通り、楽しげな人々の声だった。だが、母は見当たらない。  そこで少年は思い出す。母は自身を生かすためだけに死んだのだ、と。  少年は全てを思い出し、急に呼吸が早くなる。その時に人間の男が二人、酒を片手にこちらへ歩いてきた。  マズい。  少年は咄嗟に樽の中へ頭を引っ込めると、ドカッと。何かが少年の入る樽の上に座った。人間だ。  少年は口を押さえる。しかし、呼吸はずっとずっと早くなっていく一方だった。少年は目の縁に涙を溜めて、人間が自分の存在に気づかないことを願う。 「ふうぅ〜〜〜っ……! 飲んだ飲んだぁ!」 「だなぁ……」  しかし樽の上の二人はそんな少年の必死の願いなど気にせず、二人でくだらない飲み話を始めた。 「にしても! レイツのガキンチョと薬屋んとこの……えっと……シャリアちゃん、だっけか? は、かなりお手柄だったなぁ! 悪魔連中の尻尾を掴んでくれるなんて、感謝しかないぜ! あんなのが人間のふりしてたんて、鳥肌もんだかんな!!」 「まあ、確かに討伐成功はいいことなんだが……みんな結構死んだんだなぁ……」 「……あぁ……たしか、40人とかだっけ……? ひえぇっ……恐ろしい限りだぜ……」 「あの惨状……思い出しただけでも吐きそうなんだなぁ……」 「だがよぉ。まだ残ってんだろ? ガキが一匹」 「だなぁ……」  少年は、これは自分の話だと確信する。 「まだどこにいるかわからねえ、って話らしいじゃねえかよ」 「だなぁ……」  少年は自分の存在にまだ誰も気づいていないことに、ひとまず安心感を覚える。 「いやぁ、どこに隠れてんだろうなぁ……。もしかしたら、お前んちの床下かもしれねぇなぁ……」 「こっ! 怖いこと言うのやめるんだな!! それにそんなこと言ったら、お前が今座ってる樽の中にいることだって……あり得るんだな!」  少年はドキリとする。 「お、おい! 恐ろしいこと言うんじゃねぇよ!!」 「うるさいな! そもそも、先に言ったのはそっちなんだな!!」 「クッソ……おっかなくなっちまったじゃねえかよぉ……。どぉしてくれんだよぉ……。この気持ちぃ……」 「じゃあ、開けてみて確かめればいいんだな! いないことを確かめれば、きっと怖くなくなるんだな!」  少年の心臓の鼓動が一気に早くなる。 「えぇ、開けんのかァ? これ……」  樽から降りる音が聞こえた後で、そんな声が聞こえる。 「むぅ? もしかして怖いんだな?」 「こ、怖くなんてねぇよ! い、いいよ。開けてやらあ! 行くぞぉ……行くぞお!!!」  バカっと樽が開く音がした。 「い、いねえな……」  開かれた樽は、どうやら少年が潜む樽の隣の樽だったみたいだ。 「あ、酒がなくなっちまったよ……」 「あ? そおなんだな? おれのもだいぶ少なくなってきたし……よぉし! 新しく汲みにいくんだなぁ!」 「おう! そうだな!」  二人の足音が去っていった。少年は心のそこから安堵を感じ、そのせいか、また眠たくなってきてしまった。  少年は眠りに落ちた。 〜〜〜  少年が真実を目の当たりにし、立ち尽くしたのは、丁度朝霧が立ち込める頃だった。場所は母との買い物の時、なんどか訪れたことがある町の中の小さな噴水広場。  多分昨晩見た醸造所から、寝ている間に運ばれてきたんだろう。そこで少年は、消えた松明と、未だ残る酒の匂いと、地面から立ち上る鉄錆の匂いに囲まれながら、木組みと肉塊の十字架を見上げていた。 「嘘だよね……。お母さん……」  少年が見上げていたのは、母の磔にされた亡骸だった。手には最後に母に託されたペンダントと、麻袋を握りしめていた。 「お母さんってば……起きてよ……ねえ……」  少年の言葉に母が答えることは、もうなかった。すでに母は物を言わない屍となってしまっていたのだ。  だが、少年は諦めずに言葉をかけ続ける。自身が母にかけた一言と、それによって帰ってきた沈黙が自らを傷つけ続けるというのに。  母にいいたかったことを口にするたびに、母を失った実感が、心の傷に塩を塗り込んでいくというのに。  だが少年は、ひたすら虚しく言葉をかけ続けた。償いを、愛を、感謝を、謝罪を。そんな言葉を並べるたびに、自責が強大な力で傷口をこじ開けていくというのに。  ついに少年の心は悲鳴を上げ、その悲鳴は涙として地面に滴った。  まず現れたのは衝撃だった。母は声を返さない肉の塊になっていたし、四肢を割かれて体中に穴を開けられたような、ひどい見た目だったから。  身体から離れ、だらしなくぶら下がった、いつか僕を撫でてくれた母の手を。ズタズタの状態で吊り下げられていた、いつか僕と一緒に歩いた母の足を。信じたくなかった。  切り裂かれた腹から垂れ下がった、いつか僕と一緒の物を味わった腸を。殺意に固まった、いつか僕と一緒に笑いあった母の表情(デスマスク)を。拒絶したかった。  しかし、脳は無情にも現実を受け入れ始める。そして少年は実感するのだ。あぁ、もういないんだな、と。  あの日一緒に笑った母はもういないんだな、と。あの日一緒に食事をした母はもう消えてしまったんだな、と。認識し始める。  あの日一緒に買物に出かけた母はもう戻ってこないんだな、と。大好きだった母は、もう、死んでしまったんだな、と。完全に知覚する。  そして次に少年に襲いかかったのは自責であった。母が死んだのは、考えれば考えるほど明らかに自分のせいだった。  少年は謝罪を呟きながら過去の間違いを回想する。  あの時、シャリアの話を聞こうとしなければ、こんなことにはならなかったんじゃないか。あの時、母に薬を盛ったりしなければ、こんな結末とは違ったんじゃないか。  あの時、母に本を買ってとねだらなければ、母はこんなひどい目には合わなかったんじゃないか。言いつけさえ従順に守っていれば、母は死なずにすんだんじゃないか。  少年は今にも自責に押しつぶされてしまいそうだった。 「違う……僕じゃない……」  少年は、こうでも思わなければ自分を保っていられなかった。 「僕のせいじゃない……」  違う……。違う。違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うッ……。 「そうだ違う……僕のせいじゃない……」  少年は繰り返すうちに、いつの間にか自責から逃れていた。ではその自責は、一体どこへ向かったのだろう。  それは他責だった。  そうだ。母がこんなになったのは僕のせいじゃない。母を殺した奴らが悪い。  大体、母がもう言葉を返さないただの屍になってしまったのは、村のやつらのせいだ。決して僕じゃない。  そもそも人間のせいだ。人間が魔族を勝手に恐れ、なんの罪もなかったはずの母をこんなにも無惨に殺したのだ。  世界のせいだ。この世界が悪い。世界がこんなであるせいで母は死んでいる。四肢がバラバラに引き裂かれている。引きずり出された腸が垂れ下がっている。胸に深々と斧が突き刺さっている。  世界のせいだ。この世界が悪いんだ。  少年の目は復讐に燃えていた。  母の死は衝撃へ。衝撃は実感へ。実感は絶望へ。絶望は自責へ。自責は他責へ。他責は復讐へ。そして復讐は。  ――殺意へ。  風が吹くと、小さな身体にそぐわないほど大きな赤黒い二対のコウモリのような翼と、凶暴に尖った魔族の尾が現れた。  風が止むと、少年は母の胸に刺さっていた斧と共に消えていた。 ・□◆□・□◆□・□◆□・□◆□・□◆□・  この日、この村は五人を除いて完全に全滅した。村にいた悪魔は二人。一人が成人済みの女の悪魔。もう一人はその女の子どもだと思われる。  村人の虐殺は二度にわたって発生した様子である。  一度目は胴体が真っ二つにされていたり、頭が叩き潰されていたり……。死に方としては多様だった。  二度目は死んだ村の者は全員、斧か鉈のような鈍い刃物で心臓を叩き潰されて死んでいた。規則性があり、不気味だ。  一度目の虐殺を起こしたのは母であり、こちらは多くの犠牲を払いながらも討伐に成功している。  なお、この犯人の悪魔の母は魔王軍四天王第二席『暴虐のフェイリネス・ヴァン・サタナキア』であったと思われる。  そして二度目の虐殺。これは『暴虐』が吊し上げられた次の日に起こっており、子どもの方の起こした虐殺であるとのこと。  犯人の犯行動機は母を殺された復讐、またはただ悪魔の本能に任せた虐殺だと推測される。  生存者の五人の名はシャリア、テルン、レイツ、ヴェ―リャ、ヴィ―リャ。いずれも十歳にもならない、幼い少年少女たち。  二度目の虐殺で大抵の村人は殺害されたが、犯人と思われる悪魔がなぜ子どもたち五人だけを生かしたのかはわからない。  だが彼ら彼女らは悪魔の第一発見者であり、二度目の虐殺により村を滅ぼした犯人と思われる悪魔の友人でもあったのだとか。  悪魔が生かした理由は親を失った苦しみを味わわせるためなのかもしれないし、単にかつての友人としての好だったのかもしれない。  ともかく、村は全滅した。死者は『暴虐』の討伐時に46名。後の虐殺時に289名。合計335名。これはおそらく、公国史に残る魔王軍残党の大量虐殺記録となるだろう……。 ルーシヤ公国:チユヴァーシ領領主 チユヴァーシ・アンヴァカイドの報告書 ・□◆□・□◆□・□◆□・□◆□・□◆□・