仮に完全に自動運転できる車が実現した場合、どのような世界になるのかを淡々と妄想したり、それについて書かれた記事を収集したりするページ
いわずもがな。
人が運転するほうが危ないのは確定的に明らか。
車が完全に自動制御されると、そのデータを収集すればどの道に車がどの程度走るかが予測しやすくなるので、道路の利用効率は上がるだろうし、全体的に効率のよい運転ができそう。加速減速が最低限になり、燃料の消費の少ない運転プログラムなども作られ、人が運転する場合に比べて燃費なども向上するはず。
などなどの理由により、車は買うものではなく借りるもの、というのが普通になる。
ただ、車の内装にこだわりたいとか、自分の車でなくてはできないこともあるので、車を所有する人も一定数はいるはず。ただ、今よりはぜいたくな事という位置付けにはなると思う。
オンデマンドで車を借りる、という仕組みを前提にすると、↑の通り車を持つ人が少なくなることと、移動が済んだら車は別の借り手のところに移動すればよいので、全体的に駐車スペースは少なくても済むようになるはず。
アングル:バラ色の未来描く自動運転車、ビジネスに大打撃も http://blogos.com/article/173699/
「移動時間でマッサージ」「移動時間は映画を見て過ごす」「移動時間に集中して仕事ができる設備の整った車」みたいな。車が店舗と同じようなサービスプラットホームになる。
車が単なる「移動手段」「運搬手段」でなくなり、サービス指向が強まるとすると、単純に乗れる人数や積める荷物によるバリエーションも増えるだろうけど、「宿泊に向いた車」「運搬に向いた車」「多人数が乗れる車」「映画を見るのに向いた車」「食事に向いた車」「ラブホ的な設備の車」「観光案内つき自動車」「住める車」など多種多様なサービスに合わせた車ができる。
自分を含めた人が運転する場合より、振動やG、騒音などは余計に気になるものになる。それらを低減する技術の重要度は今よりも増す。
自動車がある程度快適になり、同時に無線インターネット網などの発達で、「居場所」「家」から自由になると、生涯を車で過ごして旅暮らしをする人が一定数出てくるかもしれない。土地と家を買うより安いだろうし。
…家を持たずに車で暮らしす人って、住民票とか税金とかどういうふうになるんだろうね。
借りるのが当たり前になると、家に駐車スペースを用意する必要がなくなる。
家を建てる時に必要になる土地の面積が少し小さくなることで、全体的に家や土地の値段がほんのり下がる。
よく買われる商品を積み込んだ自動販売車が、ネットを通じた要請に応じて近所まで来てくれるようになる。その他、病院など色々なサービスが「来てくれる」事が可能になる。
旅をする場合、旅先でのアクティビティが旅の主目的である場合は、「移動時間」と「宿泊している時間」はロス。
自動運転の車があるのであれば、自動車内で寝ることにより移動と宿泊を兼ねることができるため効率的に旅ができるようになると同時に、宿泊施設の一部は必要なくなる。
東京にいて電車移動ばっかりしてると、道路を中心とした地図はまったく覚えてないのだけど、自動運転車が当たり前になると、行きたい場所言えば運んでくれるので、地図を覚えたり道を覚えたりする必要がなくなって、ますます地図を覚えなくなる。
乗り合い自動車などで、各個人の家や目的地をうまく繋いでいくような経路最適化のアルゴリズムが必要になり、これは人を運ぶというよりは物流・ロジスティクスの領域になる。
クロネコ◯マトあたりが物流と同じ仕組で人を運ぶ最適化などをするとよさそう。
そもそも人が移動するというのは無駄と危険の多いことなので、車などを使って人が移動すること自体が大きなコストでありリスクを産む。人間が移動しないでもよい世の中になるのも一つの可能性。