『ゴールデンカムイ』とクィアコーディング

※『ゴールデンカムイ』のネタバレが含まれています※


◇定義◇

英語版Wikipediaによるクィアコーディングの定義は以下の通り。

Queer coding - Wikipedia

Queer coding is the subtextual coding of a character in media as queer. Though such a character's sexual identity may not be explicitly confirmed within their respective work, a character might be coded as queer through the use of traits and stereotypes recognisable to the audience. Such traits are greatly varied, but traits of exaggerated masculinity and femininity, vanity, and hypersexuality are frequent.

クィアコーディングとは、メディアに登場するキャラクターがクィアであるとほのめかすこと。それぞれの作品内でキャラクターの性的指向が明言されることはないが、観客がそうとわかる特徴やステレオタイプを用いてクィアであるとコード化される。特徴は多種多様であるが、誇張された男らしさ、女らしさ、虚栄心、色情症が頻繁に見られる。(筆者による訳)

日本語版Wikipediaによるクィアの定義は以下の通り。

クィア - Wikipedia

クィアあるいはクイア(Queer)とは、元々は「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉であり、同性愛者への侮蔑語であったが、1990年代以降は性的少数者全体を包括する用語として肯定的な意味で使われている。


◇歴史◇

『Queer Coding, Explained | Hidden in Plain Sight』という動画によると、クィアコーディングの始まりはハリウッドで1930年代から実施されたヘイズ・コードと呼ばれる自主規制条項。


11ある禁止事項のうちの4番目、「性的倒錯」には同性愛も含まれていた。脚本家や監督たちはスタジオシステムのルールから逃れるためにクィアコーディングを使用した。


◇特徴◇

前出の『Queer Coding, Explained | Hidden in Plain Sight』が挙げたクィアコーディングの特徴は4つ。

・シシー(The sissy)
作家のHarry M. BenshoffとSean Griffinによると、シシーな男性とは「きらびやかで小うるさく、女らしい心がなよなよとしたしぐさや気取ったステップに表れている」。シシーな男性は現在、フィクションの中でゲイとして登場する。典型的な「ゲイの親友」タイプのキャラクターがそう。

・芸術家(The artiste)
芸術家は、芸術、または社会の辺縁にある自由奔放で堕落したクィアコミュニティに誘惑される危険性を表している。

・ごますり信奉者(The sycophantic servant)
ごますり信奉者とは、たとえば、『美女と野獣』に登場するガストンの手下、ル・フウ。2017年に公開された実写版では、ル・フウはガストンに片想いしている。

・サディスト(The sadist)
サディストとは、残酷さの中にゲイ的なものや性心理的感情があるキャラクター。暴力は昇華された性欲をコード化するために使われることがある。

ストーンウォールの反乱ののち、セクシュアル・マイノリティの権利向上運動は盛り上がったが、ドラマや映画からステレオタイプが消えたわけではなかった。それどころか、ハリウッドは90年代に入ってステレオタイプなキャラクターをさらに増やした。視聴者がサインに気づきやすくなったためである。

1960年制作の『サイコ』以来、映画監督たちは少々のフロイト的スパイスを加えるために、殺人鬼を異性装者やトランスジェンダーにしてきた。


◇ディズニーとクィアコーディング◇

動画『Queer Coding Disney's Male Animated Villains || Chilling Challenge Day 2』によるクィアコーディングの定義は以下の通り。

A character that is given certain characteristics that are likely to reference "queerness" in the audience's subconscious. Queer coding doesn't mean a character necessarily is gay--or that their evilness is based in being queer--it means that the character is evil and queer because society associates queer with bad.

観客の潜在意識で「クィア的」と関連づけられる可能性の高い、特定の特徴が与えられたキャラクターのこと。クィアコーディングはキャラクターが必ずしも同性愛者であることを意味しない――登場人物の邪悪さがクィアであることに基づいているわけでもない――社会がクィアを悪いものだと思っているため、悪人はクィアでもある。(筆者による訳)

ディズニーのヒーローとヴィランが典型的。動画で例示されるように、ヒーローはがっしりとした顎の筋骨隆々な男性。一方、ヴィランは細い顔に細い手足の男性。また、シンプルな服を着て肌を見せるヒーローと違い、ヴィランはやたらと長い布で全身を覆う。

『ポカホンタス』のヴィラン、ラトクリフ総督はごてごてとしたピンクの服を着て、髪にピンクのリボンをつけている。反対に、ヒーローのジョン・スミスはとても簡素な青い服を着ている。

ヴィランは滑らかで優雅な動き。どこか芝居がかっている。また、ディズニーの女性キャラクターとヴィランにはまつ毛があるが、ヒーローにはない。ヴィランは女性キャラクターと共通点が多い。

Male villains are usually given feminine traits because being a woman is bad, but being a man who acts like a woman is worse.

男性ヴィランは大抵、女性の特徴を与えられている。女であることは悪だが、男が女のように振る舞うことは最悪だから。(筆者による訳)


◇『ゴールデンカムイ』とクィアコーディング◇

上記のようなクィアコーディングは『ゴールデンカムイ』でも確認できる。登場人物の言動を具体的に検証しながら見ていく。

江渡貝はファッショナブルなドレスを着用し、〈女役〉になって鶴見と踊る。鶴見がいないと「キーッ」(第77話)と〈ヒステリー〉を起こす。〈シシー〉と〈芸術家〉に当てはまる。江渡貝のモデルはエド・ゲイン。母親の死体と会話する描写の元ネタは『サイコ』。映画監督たちが少々のフロイト的スパイスを加えるために行ってきたクィアコーディングを、2014年連載開始の漫画でそのまま再現している。

江渡貝が月島に伝言を託す場面。「鶴見さんなら!! あのひとならそれだけで分かるはずです!!」(第80話)は職人という立場から発せられたセリフ。職人は一般的に〈男らしい〉、あるいは〈男の職業〉だと考えられている。

江渡貝の私的な立場から発せられたセリフはとても〈女らしい〉。「鶴見さんは? どうしていないの? 鶴見さんに会いたいッ」「僕は鶴見さんのいうことしか聞きませんからッ」「鶴見さんを…よんできてッ」「うわあああん」(第74話)、「作業のジャマです!! キーッ」「鶴見さんに!! あやまってッ!!」「わああんッ」(第77話)。

家永は母親のようになりたいがために女装し、宿泊客を大勢殺している。江渡貝よりもエド・ゲインなキャラ。映画監督たちが少々のフロイト的スパイスを加えるために行ってきたクィアコーディングを、2014年連載開始の漫画でそのまま再現している。

辺見は股間を光らせて「あの目を思い出すと……」「誰でもいいからぶっ殺したくなるんです」(第38話)と語るなど、〈サディスト〉に当てはまる。「怖かった」(第40話)と言って杉元にしがみついたり、手を引かれながら砂浜を走ったり、〈女らしさ〉もある。杉元との戦闘はセックスのメタファー。銃剣で刺された際の「入ってくるウッ」(第41話)というセリフからもわかる通り、辺見が〈女役〉。シャチが現れた見開きのページでは、辺見が足を開いて正常位のような格好をしている。

若山と仲沢は作中に登場する唯一の同性カップルだが、〈男らしい〉のは若山だけ。男女の役割が再生産されている。例えば、仲沢は「姫」という愛称からもわかる通り〈女役〉。若山は自身の浮気を「男娼と寝るなんて便所に行くようなもんじゃねえか」(第67話)と言い訳する。仲沢はそれを「不潔だ!! 親分は不潔だ!! 触らないで!!」(第67話)と非難する。

仲沢がいまわの際に言う「これで私は親分の最後のひとだからね」(第69話)の元ネタはおそらく、オスカー・ワイルド(ゲイの作家)の名言「男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる」。

仲沢や江渡貝の〈女らしさ〉は笑いを取るための道具として使われている。「女であることは悪だが、男が女のように振る舞うことは最悪だから」。

対して、主要登場人物の中に〈女らしい〉キャラは一人もいない。ヒロインのアシリパでさえ、〈女らしさ〉はあまり見られない。青年漫画としては珍しい、子供らしい体形のローティーンの少女。男のようなしゃべり方をし、祖母から「山に入ってばかりで女の仕事ができない」(第12話)と愚痴をこぼされる。

ゲストキャラのお銀は化粧が濃く、胸が大きい。名前のある女性キャラの中で唯一、濡れ場を披露している。お銀は明らかに〈娼婦〉(注1)の立ち位置。ヒロインのアシリパ、梅子は〈聖女〉(注2)であるため、肌を見せず、胸も強調されない。準レギュラーのインカラマッは民族衣装が変形するほど胸が大きい。インカラマッは最初、男を誘惑する〈娼婦〉として登場し、〈聖女〉のアシリパから嫌われていた。

ちなみに、『ゴールデンカムイ』ではほとんどの女性キャラが女言葉をしゃべらない。インカラマッは常に敬語。フチも梅子もいご草ちゃんもお銀もエノノカもハマ子も女言葉ではない。ソフィアとスヴェトラーナはセリフの一部が女言葉。だが、ソフィアは『天空の城ラピュタ』のドーラのような〈太母〉(注3)。〈女〉ではない。スヴェトラーナはモブ顔。大きな目や長いまつ毛、豊かな胸などの〈女らしさ〉はない。常に女言葉でしゃべるのは登場したとたんに死亡するフィーナ。

お嬢様言葉を使う花枝子は化粧が濃い。また、結婚したいがために『シャイニング』のジャック・ニコルソンのようなことをしたり、杉元の服を盗んだりする。『ゴールデンカムイ』で描かれる〈女らしさ〉は〈娼婦〉や笑いに繋がっている。

鯉登と宇佐美は上官の鶴見に心酔している(た)キャラ。〈ごますり信奉者〉に当てはまる。宇佐美は興奮しながら門倉の尻を叩くなど、〈サディスト〉の要素もある。二人とも軍人であり、戦闘力が高く、二階堂のように頬がこけているわけでもなく、二枚目として描かれている。だが、主要男性キャラの中ではかなり細い体格。異性に興味を示す描写もない。

鯉登は初登場時に鈴川が偽物であることを見抜き、示現流で主人公と戦い、キロランケに向かって「おぉおのれよくも…私の部下たちをッ」(第189話)と叫んでいる。これらのかっこいい言動は将校という立場からのもの。将校は一般的に〈男らしい〉、あるいは〈男の職業〉だと考えられている。心酔している鶴見が絡んだとたん、奇行に走る。

鯉登や江渡貝は奇行が目立つが、しかし、股間を光らせたり思い出の場所で自慰行為をするような真似はしない。男に性的に興奮する辺見や宇佐美は狂気を帯びたキャラとして描かれている。

主人公の杉元は少女雑誌を愛読していたり恋の話が好きだったり、一見〈女らしさ〉がある。だが、ディズニーヒーローのような外見。同性に心酔しているわけでもない。幼馴染みの梅子と両想いだったなど、異性愛規範から逸脱していない。また、土方が夏太郎に「男子の向こう傷だ」(第251話)と言ったように、『ゴールデンカムイ』において顔の前面にある傷は〈男らしさ〉の象徴。杉元の顔の前面には派手な傷がある。全身にも隈なくある。

登場人物中、一二を争うほどの女好きである牛山は、登場人物中、一二を争うほどの体格のよさ。『ゴールデンカムイ公式ファンブック』の「ゴールデンカムイ喧嘩番付」ではただ一人、すべてのアビリティがMAX。性欲が旺盛で、柔道の達人であり、デカチン四天王。さらに、〈聖女〉のアシリパから懐かれている。作者のお気に入りではないが、明らかに扱いがいい。

尾形は得体の知れない敵対者。色白でまつ毛が長い等、外見に〈女らしい〉要素がある。遊女に興味を示すこともない。杉元と違って顔の傷は前面になく、あまり目立たない。

ラスボス的存在である鶴見の顔の前面には、杉元同様、派手な傷がある。鶴見は過去に妻子がいた。作者のお気に入りである二瓶、谷垣にも妻/恋人と子供がいる。

白石はコメディリリーフ。筋肉質ではないが、遊郭通いがやめられないほどの女好き。遊女を「ブス」(第33話)と評し、授乳する女性の胸を凝視するなど、とても〈男らしい〉。

以上のように、『ゴールデンカムイ』には、"男に性的な興味を持つ男は〈女らしい〉、〈男らしい〉男はそんなことをしない"というホモフォビアが通奏低音として存在している。


◇結論◇

クィアコーディングの土台はホモフォビアであり、さらにその下には〈女らしさ〉への嫌悪がある。

ちなみに、作者は羽目を外しているように見えて、洒落にならないことは決してしていない。薩摩藩は男色が盛んだったことで有名だが、作中では一切言及されていない。また、白石が牛山に乳首を舐められる場面は、被害者が女性なら洒落にならない。にもかかわらず、コミカルに描かれている。男性が被害者なら洒落になるという作者の判断。




(1)、(2)、(3)
BuzzFeed Japan News『性暴力を「ささいなこと」にする レイプ・カルチャーとは何か』

男性作家が描く女性像を考察したところ、女性のイメージは3パターンしかありませんでした。性的な欲望を満たす「娼婦」、崇めたてるべき「聖女」、甘えの対象である「太母」です。

END

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