「それでっ?その後彼らはどうなったのー?」
「もう、せっかちね。順に話してあげるから待ちなさい」
白い部屋に女が二人。
ひとつは130にも満たない幼児体型。ひとつはすらりと背の高い少女。
「じゃあわたし、続きを話す前に問題ね。このお話はどちら側が勝ったでしょう?」
「え?そんなの簡単だよわたし。だって_____」
白い部屋に女が二人。
赤毛を揺らす女が二人。
「パドラが勝ったから”わたしたち”がいるんでしょう?」
╾───────╼
物語の始まりはひとつの出会いだった。
その少年は生まれながらに卓越した頭脳を持ち合わせていた。大人をも凌駕するその頭脳は、しかし日の目を見ることはない。
なぜなら彼が紛争地域に生まれ落ちたただの孤児であったからだ。
死にゆくだけの世界で、それでも彼はその頭脳を持って抗った。
その少年は記号を見るだけでその文字と意味を理解した。
その少年は捨てられた本を読み、物の在り方を理解した
その少年は数字を解いて世界を理解した。
しかし彼はただの孤児であった。
20xx年12月25日。
度重なる戦に巻き込まれ深手を負った彼は、息も絶え絶えに路地裏へ逃げ込んだ。
いくら頭脳があれど所詮はただの貧弱な子供。爆風に巻き込まれてしまえばその命を紡ぐことだって難しくなる。
おぼつかない呼吸。急速に冷えてゆく身体。暗くなる視界。
”死”という明確な恐怖に晒された少年に残された道はない。
あぁ、神よ。本当にいるのならこの手をとってくれ。
そうして祈るように伸ばした手を、
誰かがとった。
「君、大丈夫?」
驚いて固まる彼に目の前の少女はもう一度声をかける。
「大丈夫?声、出せる?」
「……は、はい…」
「そう、よかった!あなた怪我してるのよね?うちに来る?」
「お、お姉さま……そんな勝手に決めちゃ……」
「大丈夫よピュラー、今までだって大丈夫だったでしょう?」
「でも、だってきっとこの子も……」
「大丈夫。この子はきっと他の子とは違う、今度は生き残る!そうわたしの勘が言ってるわ!」
彼の困惑をよそに二人の少女は話を進める。
少年はますます困惑した。言っていることは理解できる。そして恐らく彼女たちについて行くということは何かしらの試練があるのだろう。
だが他に選択肢はない。ここで死に絶えるなら、それなら_____。
「俺を連れて行って」
ラハム家。
それは後に世界を征する名。
古くから数々の天才を生み出し、その名を轟かせていた彼らの実態は暗く、複雑だ。
人体実験。
それは禁忌の域。
数多からひと握りの天才を見つけるための”濾過”を行い、濾過した先で血が狂わせないために外から集めた原石を混ぜ合わせる。それを更に濾過し、混ぜ合わせる。
そうして得られた天才が、ラハムの名を継ぎ世界を征する鍵となっていた。
子供たちの中でラハムの名を引き継いだのは二人。
パドラ・ラハム・アプシオ
現ラハム家統括の嫡女にして生まれもっての天才。その才能は多岐にわたり、次期統括の最有力候補でもある。
ピュラー・ラハム・エティサク
現ラハム家統括の次女。主に生物学全般においてその才能を発揮。
そしてここに新たにラハムの名を授かる者が現れた。
へスト・ラハム
元孤児。身体的障害はあるものの、その才能はパドラに勝るとも劣らない高純度の天才。
彼らは常に共に居た。彼らは数多の子供たちの中で常にトップだった。
一年、二年、……十年が経った。
統括の指示により正式にパドラとへストは番うことが決まった。
元より愛し合っていた二人だ。誰も反対する者などいなかった。
……誰も。
しかし物事はそう簡単に上手くはいかないのだ。
それは妬み。恨み。僻み。
当然、歴代の統括も悪意に晒され続けていた。
けれど生き抜いてこそラハム家の統括。
もちろんパドラにもその覚悟はあった。
それでも悲劇は起きた。
20xx年12月24日
パドラ・ラハム・アプシオ行方不明事件。
先に真相を言うのであればこれは行方不明ではなく、刺殺事件である、といったところか。
当然犯行は身内の者。犯人は直ぐにその場で処刑されたが明らかに心臓を刺された彼女がもう助からないことは明白だった。
どよめきの中、彼__へストは冷静だった。
「ワタシが彼女を生き返らせます。それまでの間は行方不明ということにしてください。」
反対の声すら黙らせる強かな意思。
しかしこの時から、確実に世界は、彼は、狂い始めたのだ。
╾───────╼
「あくまで彼女……ピュラーが話してくれた過去だ。実際ラハム家で行われていた人体実験などまでは必要ないと教えてくれなかったが……」
作戦前夜、初老の男__スティーブンはそう語る。
「そしてここからが、君たちに関わる話だ。MILで何が起きていたのか、その全貌を話そう」
Mythology Institution Laboratory
神話機構研究所。通称MIL
ユーラシア大陸の最北端に構えられたその研究所では全てが偽りで全てが狂っていた。
まず初めに行われたのは洗脳実験。
正確に言えば身体の乗っ取りだ。
難航した実験だが、ある日急に取り憑かれたように新しい方法を提案したヘストは勢いそのままに実験を成功させたという。
「それが、君たちが着けていたヘッドセットだ。最も、君たちの場合は主に戦闘データの採取が目的だったらしいがね」
ヘッドセットと着用しているインナーを連動させデータを取り、そのデータをAIでパターンを作成し、傀儡化した死刑囚の脳へ流す。
結果、訓練なしでも民間人を殺すには十分な戦力を即座に、いくつも用意出来るわけだ。
次いで行われたのはクローン実験。
既に動植物では成功をあげているこの実験だが、人間に行うのは禁忌とされ、長らく研究は進んでいなかった。
初段階の実験では、パドラに身体的特徴が近い人間を攫い、遺伝子的に最も近いピュラーの細胞を埋め込む。そうして作り替えられた数多の『パドラもどき』は身体を操るヘッドセットを装着し任務にあたらせ、その動作性を測ったという。
「つまり君たちが接していたのは全て偽物というわけだ。
ピュラーにパドラを演じさせ、身近に置く。人の心はこうも狂えるのかと話を聞いた時思ったよ」
「……」
スティーブンの言葉に皆一同に黙り込んでしまう。
「とはいえ彼女は優しい子だ。君たちに施した優しさは嘘や偽りではないと、私は思うがね」
さて、続きを話そうか。
実験は順調だった。けれど、ではなぜ君たちを使って市民を殺戮していったのか。
それはへストの一言から始まった。
『……世界を変える必要がある』
『今、パドラを生き返らせたところで悲劇はまた繰り返される。ならば世界の在り方から変えなくてはならない。ワタシにはそれが出来る。ならばやらない理由はない』
狂っている。
けれどピュラーは従ってしまった。何故なら彼女もまた彼を愛していたから。
どうせ失敗する。ならば彼が満足するまでこの狂言に付き合ってあげよう。そしたら、もしかしたら、彼がこっちを見て、振り返ってくれると、
「……そう思ってしまったそうだ」
そうしてこの壮大で愚かで凄惨な計画は始まってしまった。
ラハム家は各国にツテがある。そのツテを使い、偽りの計画_トップが権力を持ち、市民は皆従順な下僕となる独裁国家の夢_を持ちかける。賛同した国はそのまま、反対した国の貿易を断ち、ゲリラ的に襲うことで拒否権をなくす。
「現状、八割の国を賛同させているらしい。このままでは世界が彼の手の内に治まるのも時間の問題だ」
「……最初にアンタ言ったよな。俺たちしか止めれる奴はいないって。今聞いてる限りだと無理ゲーに感じるけど?」
グリーントルマリンの瞳を持った男_マリアが声をあげる。
「あぁ、それは簡単だ。今へストをつき動かしているのはパドラという存在ただ一つ。ならば施設を襲い、冬眠保存されているパドラの身体を跡形もなく燃やし尽くせば、彼は止まるはずだ」
「簡単……って言うけどよぉ」
苦言を呈すマリアを遮るように手を挙げたのは眠眠。
「質問。なんで眠眠たちは記憶をリセットされたの」
「簡単に説明すると第三の実験、脳の活性化の為だな。現状パドラの脳は脳死に近い状態にある。それを蘇らせるためには脳を一部リセットし、死亡した事実を消す必要があった。」
「ただ現状、記憶を保持する海馬の仕組みは謎に包まれている。記憶のリセットはその消す部分が小さければ小さいほど複雑で難しい。そのため徐々にその範囲を狭める実験の過程で君たちの記憶もリセットされたと聞いた」
「元々ハイリスクな実験だ。半端に行うと良くて何かしらの後遺症、最悪の場合脳死状態になるという。他の死刑囚の多くはこの実験で傀儡化されている」
そう言って小猫を見やる。彼女の声は依然戻らぬままだ。
「……けれど、どうやって燃やすんです?」
ふと、疑問をうかべるユハニに今度はマドレーヌが元気よく手を上げる。
「はいはい!爆弾でドッカーン!とかは?」
「誰が仕掛けるんだよ、外からじゃどうせ頑丈だから意味ねぇぞバカ女」
「ちょっと!?誰がバカ女よ!」
しかしマリアのその正論に、さすがのマドレーヌもむぅ、と口を噤んでしまう。
そんな中また手を挙げる者が一人。
『あてがある』
スケッチブックを持ちながら小猫は全員を見渡す。
「……まさか、いやいや、さすがに無茶だよ小猫」
「本気?」
先に察しがついたユハニと眠眠が思わず声を上げる。
ついで書かれた文字に今度は残りのメンバーが声を上げることになる。
『デウィットに仕掛けてもらう』
「は、え?はぁ!?」
「えぇ!無理無理!小猫ちゃん絶対すぐ切り殺されちゃうよ!」
『わかってる、だから』
スケッチブックのページをめくる。それはまるで、初めから準備していたかのようで……。
『マリア、説得して』
「俺!?」
『私の声は、もう届かない でも あなたなら』
「……」
『お願い』
「……わかった、やるよ」
がりがりと頭をかきながら観念したように言葉を吐いた。
「そういうことなら爆弾はこちらで準備しよう。武器も、君たちが使っていたものと同じとまではいかないが、同じ性能のものは用意出来るはずだ」
2xxx年12月25日
人類の未来をかけた最後の戦いが、静かに幕を開けた。
╾───────╼
走る。走る。走る。
真っ白なこの場所は右へ行っても左へ行っても白ばかりで実は同じところをずっと回っているだけなのではないかと錯覚すらしてしまう。
走って。走って。走って。
いつかの彼女を思い出す。口下手で学のない自分を笑わないでいてくれた。いつでも元気いっぱいで、明るく、優しい彼女。こんな自分を愛してくれた彼女。
それなのに自分は裏切ってしまった。
いつだってそうだ。自分で物事を決めることが出来ない。だから失敗する。だから間違える。だから失う。
けれど、それも今日まで。
ここを出て、彼女を探して、謝って、それで、それで___
「そんなに急いでどこへ行く、No.A-2」
「……っ!」
見つかった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
思考がぐるぐると回る。考えろ考えろ考えろ!
「外、に……出たく、て」
「外に出てどうする。そもそも許可を出した覚えはないぞ」
「え、あ……っと、」
「……ふ、フハハ!言わずとも分かっているさ。逃げたいんだろう?貴様」
「……っ!」
バレている!どうして?
疑問が浮かんでは消える。言葉にしたいのに口からは戸惑いの声しかこぼれない。
「詰めが甘いな、No.A-2。貴様程度の思考なんぞお見通しという訳だ。そして生憎だがそれを見逃してやるほど甘いワタシではない」
へストがぱちんと指を鳴らす。
気が付けば周りを囲まれていた。自分と同じ死刑囚が、皆、一様に冷たい目をしていた。
あの日の記憶が、蘇る。
「そうだ!ちょうどいい、実験に付き合え」
「じ、実験…?」
「あぁ、題するなら『人格の矯正と凶暴化の互換性及び関係値』だ。人間誰しもが抱える破壊衝動。もちろん個体によりその割合は様々だが、それを閾値にまで引き出した時、その個体の人格はどう変化するのか。興味深いだろう?」
人格、凶暴化、破壊
それは、それは
「それ、は……!」
「あぁそうだ。貴様の別人格というやつを使わせていただく」
瞬間。身体から全ての力が抜けた。
受身をとることもできずそのまま床に倒れ伏す。痛いのに指先ひとつだって動かない。
「やめ、やめ”、ろ……!」
周りの死刑囚が近付いてくる。ヘストが、近付いてくる。
「や”、め”………」
「さようならだ、ヴァン・アルシエル」
╾───────╼
ユーラシア大陸北部。
とある山の麓で金属がぶつかり合う音がする。
「っもう!いくらなんでも多すぎ!」
そこでは一人孤立してしまったマドレーヌが必死に斧を振るっていた。
いくら敵がワンパターンの動きしかしない傀儡だからとはいえ、さすがに数が多すぎる。
「っでも、みんなの邪魔はさせない!」
次々と身体にナイフが突き刺さった。
それでも止まることはない。
「全員ころす!ころすころすころす!」
敵の脳天を叩き切り、次の獲物に向かおうとした、その時だった。
荒野に響くエンジン音。
「___!」
咄嗟に振り返った先に見えた人物に、マドレーヌは思わず目を見開いた。
この豪雪地帯では紛れてしまうような白い制服に、相反する黒い髪。
手に持っていたのは本来の少し錆びれたノコギリではなく、より殺傷力の高まったチェーンソー。
瞳孔は開かれ、噛み締めた歯の隙間からは涎が絶えず垂れていた。
「フーッ、フーッ、」
「ヴァン、ちゃん…?あたしだよ、マドレーヌ、ねぇ、ヴァ__」
言い切るよりも先に刃が振り下ろされた。
勢いよく雪が跳ね上がり、地面が砕ける。
普段よりも単調な動き故か避けることは出来たが声をかけようとする度にチェーンソーはマドレーヌを狙った。
「ヴァンちゃ、!まって!話をきい…」
「うるせぇ!ころす!ころすころすころす!」
味方がチェーンソーのサビになってもお構いなしに振りかぶる。
その姿はまさに獣。明らかに正気を失っている様子にマドレーヌはただ逃げ惑うことしか出来なかった。
再びチェーンソーが振り上げられる。その時
きらり。
雲間から射す光が、マドレーヌの右目に反射してヴァンに届いた。
「____あ、」
ヴァンの目に光が戻る。
それと同時に手から力が抜けた。
重くエンジンをふかしたままのチェンソーが、重力に従って
_____落ちる。
「マド、っあ”あ”あ”ああああああああぁぁぁ!」
ヴァンの肩口から体の中心へ向かって切り裂いていく。
どさりと音を立ててヴァンの身体が地に伏した。
「ヴァンちゃん…!」
咄嗟に駆け寄ろうとしたマドレーヌの背中にナイフが突き刺さる。
そのまま雪に足を取られ、マドレーヌは倒れた。
血を流しすぎたのだろう。一度倒れてしまった身体は言うことを聞かない。
あと数センチ、必死に手を伸ばす。
「まど、れーぬ……!」
「ヴァン、ちゃん……!」
あと3センチ、2センチ、1………
手が、合わさる。
「マドレーヌちゃんっ、ごめん、ごめんなさい!ごめんなさい……!」
「いいよ、ヴァンちゃん。もういいんだよ……!」
手袋越しに互いの体温を感じ合う。
「ずっと、迷ってた…っ。本当にこっちでよかったのか、って、お、オレ…ちがう、思って…!それで、へストのとこ、行って……でも…」
「そっか、うん、うん……!勇気を出して……ここまで来てくれたんだね。ありがとう…ヴァンちゃん」
全身から血が抜けていく。冷えていく身体に対して熱い瞳は涙を絶え間なく流していた。それでも見つめ合い、互いに手を強く握りあった。
どのくらい、そうしていただろうか。
やがてヴァンの目から光が失われていく。
「……ま、ど……れ…」
「いるよ、ここに…いるよ」
合わない視線を引き止めるように見つめ続ける。
握られた手が緩んでいく。
そしてついに、その灯火は消える。
「……っ、大好きだよ、ヴァンちゃん」
いつだったか兄が言っていた。
人間は死ぬ時、聴覚が最後に残るらしい。
「だい、すき……あいしてる、……あい……して……あ、い……」
視界が霞むのは、涙のせいか、迫る死故か。
もう瞼を開けるのも億劫だ。
それでも彼を、見続けた。
ねぇ、おにい。わたし、ヒーローになれたかな
ふわりと、誰かが頭を撫でた気がした。
少女は最後に笑みを浮かべ、その瞳を閉じた。
╾───────╼
「あはは、アハ、アハハハハハ!」
かつての仲間に、共に戦う傀儡にマチェットを振りかぶる。
もう彼女にとっては敵も味方も関係なかった。
ただ目の前に映る”人間”を切り殺していくだけ。
突き刺さった矢の痛みなど彼女を止めるに足らない。
とめどなく溢れる血とアドレナリンは彼女をより一層興奮させた。
「だめだ!下がれ眠眠!い”っ……」
刃がユハニの足を切り裂く。
「ユハニさん……!」
突き飛ばされた眠眠が声を上げた。急いで体制を整え矢を放つも、この豪雪では中々当たらない。
「……っ!」
小猫もまた、周りの死刑囚たちを捌くのに精一杯でユハニの加勢には行けない。
「アハハハハ!たのしい!楽しいねぇユハニくん!」
「っぐ……、シキハさん、こんなことはもうやめ……!」
全身に切り傷を負い、地に伏せたユハニに色葉が迫る。まさに絶体絶命。
その刹那。
「やめろ色葉!」
制止の拳が色葉の頬を叩く。
「い”っ……たぁ!何すんの!桜子ちゃん!」
そこには桜子がいた。相当走ってきたのだろう。汗を流し、肩で息をする彼女はそれでも構わないと叫んだ。
「もう!もうやめだ!終わりにしよう、こんなこと、したって意味が無いんだ!」
かつて正義だった拳を抱える。
「これが本当に正義を名乗るものの行いか?これが本当に世界を救うと思っているのか?なあ色葉、世界では関係の無い人々が、正しい人間が抗うすべなく一方的に、残虐的に殺されている!私は見てしまったんだ。魂を失ってなお弄ばれる様を!こんなこと正しくない、私は、私たちは」
「私たちは、間違ってしまったんだよ……!」
沈黙。
「桜子ちゃん何言ってんのー?楽しいから殺るんだよ!殺るから楽しいの!」
にっこりと笑みを浮かべる。開ききった瞳孔に映った桜子の訴えは届かない。
「桜子ちゃんだって楽しかったからコッチについたんでしょー?」
「ちがっ……、私は……」
「何が違うのー?一緒に任務もしたじゃん!」
「違う…っ、私は、それを正義だと信じて……」
「ふーん……なんか桜子ちゃんつまんなーい」
スっと表情をなくした色葉は得物を構える。
「つまんないからもういらない」
瞬間的に詰められる距離。構えられたマチェットが煌めく。
「ばいばい、桜子ちゃん」
降りかかる返り血に笑みを深めた、直後
「……お前も、な!」
桜子の拳が色葉の顎に直撃する。
「…っぐ、ぁ」
脳が揺れる。視界が点滅しふらりと身体から力が抜けて、瞳がぐるりとまぶたの裏へ隠れる。
「まだ!まだ、あそび、た……」
そしてどちらからともなく地に伏せた。
静寂が、訪れる。
かつてウィリアム・シェイクスピアは言った。
曰く「恋は盲目」と。
╾───────╼
そこにはもう、眠眠と小猫、それからへストしか立っていなかった。
正確には眠眠とへストの二人。
意識はあるものの、もう立ち上がることすら出来ない小猫を庇うように眠眠は立っていた。
「残ったのは貴様だけか、安定眠眠」
「………」
───────ピッ
「へストさん。科学も信仰、宗教も信仰。人は何かに依存しなくちゃ生きていけない。じゃあ眠眠たちはなんのために争っているの?」
───────ピッ
「なんの為、か。それがわかっていたらそもそも争いなんぞ生まれないのではないか?」
───────ピピッ
ーーデータヲ採取シマスーー
▎安定眠眠
性別 - 女
身長 - 157
体重 - 49
血液型
…
..
.
▎パドラ・ラハム・アプシオ
性別 - 女
身長 - 157
体重 - 48
血液型
…
..
.
▎身体的特徴合致率 - 99.8%
▎適正率 - 99.9%
--準備ガ整イマシタ。Project No.A 始動シマスーー
途端、眠眠の全身を強い電流が襲った。
「っぐ……!」
ぐらりと身体が傾いて、そして倒れる。
「い”、いたい”…っ!いたいいたいいたい!」
叫ぶ。けれど応える声はない。
「ははっ、ふはは、フハハハハ!」
踊る。
吹き荒れた雪の中、まるで舞踏会のように、あるいは壊れたバレエ人形のように、踊る。
「完成した!完成したぞパドラ!あぁ、愛おしのジュリエット。この世界のパンドラよ!」
狂っている。
その一言で片付けるにはもう事が進みすぎていた。
頭上ではプロペラの音が、この豪雪に負けじとばかりに鳴り響いていた。
スポットライトがへストを照らす。
「舞台の準備は整った!さあ始めよう!新世界の始ま_____」
───────パンッ。
「……、…な……?」
「全く、詰めが甘いのは相変わらずね」
その人間を知っている。
「もう、おかげでこんなに時間がかかっちゃった」
その女を知っている。
「まあでも、そこが愛らしいのだけれどね」
その赤毛を知っている。
「ね、そう思うでしょう?眠眠さん、小猫さん」
————知らない!
その人間は、女は、赤毛を揺らして歩みを進める。
それは機械のように一律で、モデルのように美しく、水のように滑らかだった。
「初めまして。パドラ・ラハム・アプシオです」
地に伏せたへストを抱える。
それはかつての景色。
それは母の慈悲。
それは_____
……敵わない。
一度その”答え”を見てしまったらもう二度と目をそらすことなんて出来なかった。
途方もない数式の中で唯一見つけた答えはなんとも未熟で情けなく、ただただ己の矮小さを見せつけられているようだった。
目を瞑り、悴んだ手をそっと合わせる。
脳を過ぎるのは___。
あれは定期的に行われるバイタルチェックと面談の時。特に何事もなく終えた私は去ろうとするへストに声をかけた。
「へストさん、今度また聞きたいことがあるんだけど…いい?」
明らかに面倒くさそうな雰囲気を漂わせるも僅かに頷く。研究者としての性故か、彼は自ら学ぼうとする者には本当に僅かだが親切だ。
ふと、へストが口を開く。
「なぜそこまで科学に拘る。」
今思えばその日の彼はどこか雰囲気が違っていた。
「? 科学はそこに在るから、かな」
「…そうか、科学がそこに"あるから"…か。」
「…?」
どこか遠くを見ながらヘストは口を開く。
「私が思うに、科学など”存在しない”」
「"存在する"とは、覆されることのない確たる事実として万人が認識出来る状態のことだ。だが科学はどうだ。……形式科学、自然科学、社会科学…どれでも構わんが科学に絶対などということはありえない。」
「ヤン・ファン・ヘルモントの『ヤナギの実験』を知っているか?紀元前より長く、広く信じられてきたアリストテレスの四元素説を否定したものだ。……アリストテレスの4元素くらいは聞いたことあるだろう?」
アリストテレスの四元素説。及び四性質とは、万物が火・水・土・空気の四元素から成り立っているという説だ。アラビアやヨーロッパにおいて広く支持された概念である。
「十七世紀以前、世界では植物が土を食べることで成長すると思われていた。しかしヘルモントはこれを否定。万物は水と空気出できていると唱えた。その証明がこの『ヤナギの実験』だ。」
「しかし正確に言えばこれもまた間違っていた。後にジョセフ・プリーストリーを始め多くの科学者によって『光合成』という概念が確立され、今日まで続いている。」
「…私の言いたいことがわかるか?安定眠眠」
わかる。けれどそれは、
「貴様はありとあらゆる"科学"において新たな説が広まり、そして今までの科学が覆された時、何も疑問に思わずそれを素直に受け入れるのだろう?結局貴様のしていることは罪人になる前の信仰と変わらないということだ。貴様は"科学"という名の神を崇めているだけに過ぎない。」
違う、私は、
「しかし神は存在しない。何故ならば存在を証明するものがないからだ。だがそれと同時に"神は存在しないという事実"を証明するものもまた、ない。認識はできない。しかし、なら何故、神という存在は広く我々の生活に浸透している?」
「科学は物事を進める上に置いて使われる簡易的な代名詞にしか過ぎない。それは神や妖怪といった存在も等しい。我々は生まれ持った高い思考力故に現象を証明しなければならなくなった。自然において証明とは広く信仰される予測と解釈だ。」
「この世は常に多数優勢だ。当たり前であろう?証明とは言語だ。言語とは物事を伝える手段である。言語がある程度統一されてるのは、言語を使うことに意味があるからだ。」
「科学において神は存在しない。しかし、神は人の心に存在する。それは歴史が証明している。科学とは、神とは万物であり己であり電気信号であり広く認識された解釈だ。事実というものは存在せず、ただあるのは解釈のみ。故に科学も神も存在し、同時に存在しない。」
「……私は、もう分からなくなってしまった。」
あの時私は、なんて返したんだっけ。
それでも結果として私は、科学を信用した。
そう、信じ、用いようと___。
目の前の惨状を認識する。
手足に切り傷を負い、雪の白に赤を散らす愛しの彼。
地に伏す、かつての仲間たち。
あの日の惨状がフラッシュバックする。
なんでこんなことになったんだっけ。私は、私は___
結局私は、変われなかった。
頭上のプロペラ音が、近づいてくる。
╾───────╼
俺が触れた機械は小刻みに音を立て、並んだ数字は着々と数を減らし続ける。
運命はしかして定まった。逃れることはできない。逃れる気もない。あと数分もすればこのカウントダウンは終わりを迎え、ようやく、俺の悲願は成されるだろう。
それをこの身で贖罪だと語るにはあまりに醜い。けれどその全てを悪と定義するにはまだお綺麗過ぎる。
だからその悲願のことを、俺は今まで通り、『正義』と呼ぶことにした。
「……ヴィラルはそれを、正しいと思うか」
瞼の裏に浮かんだ男の姿はゆらりと揺らめいて、まるで蜃気楼のようにおぼろげだった。
手に掛けたはずのヴィラルはいつからか——彼と同化したその時から、俺にまとわりついて離れない。
それが彼の本物の意思なのか、俺が作り上げてしまった幻影なのか、果たして彼に対する後悔の念か、自分自身へ向ける憎悪の象徴なのか、俺には未だ理解できていない。いや、この際どれでもいい。大切なのは彼が今そこに存在している事実だ。
細く形作った目でにんまりと微笑んでいるように見えるが、しかし固く結んだ口元は簡単に綻ばせちゃくれない。チグハグだ。あまりにも。
まるでクルスヴァイスのようで、まるでヴィラルのようで、まるでそうじゃない。
お前は一体誰なのだろう。俺はお前に何を望んでいるのだろう。決まっている、幸福だ。幸福に決まっている。善は正しく幸福であるべきだ。この男は悪に染められてしまったと言うのに?うるさい。お前の信じた男はとうに夢幻と消えてしまったのに。
うるさい。ああ、うるさい。だから、だからなんだ、それでも、おれ、俺は————。
「おい、何一人でぶつぶつ言ってんだ。ボサっとしてないで早く離れようぜ」
「……、……ミア」
声を認識した瞬間、途端に声は途絶えた。徐に首を傾けて目を合わせる。ミアはそんな俺の様子を気にすることなく俺の腕をバシバシと何度か叩き、この場からの逃走を促す。
「俺は……」
「いいから!行くぞ!」
抵抗する間もなくミアが俺の腕を引けば、力の抜けた体は自然と彼の方に傾いた。意図と反して、足は踵からつま先にかけて地面を踏み付け、よたよたと覚束ないながらに歩を進めている。
その瞬間、不思議と先程まで混濁していた意識が晴れていたことに気が付いた。スッと靄が晴れたような爽やかさまで感じている。
まるで救われたようだった。これを救いと呼ばずして何と呼べばいいのだろう。
「……眩しいな、ミアは」
俺が何年も追い求めた理想の輝き。今も尚、俺の道を照らし続ける一縷の光。悪に染まりきれない、どうしても善性を失うことのできない彼に、ずっと、好意を抱いていた。
しかしそれが眩し過ぎるのだ。俺には、もう。直視できない程に。
ミアのように、正直者が馬鹿を見る世の中はいつだって変わらない。善人こそ淘汰され、逸れ者だからと人々から迫害される。純粋な正しさを世界は愚かや無知だと蔑む。
それが生きるために必要な正義だと押し付けるならば、そんなもの、俺には一切の必要もないと思っていた。認められないなら、正しい人々が幸福に満ち足りた世界を創造すればいいとさえ考えた。
否、考えただけじゃない。
俺は確かにその想像を現実のものにしようと動いていた。討伐だってその一環だ。正義を背負う俺に楯突く『オネイロス』は絶対悪で、俺は正しく生きる人々への被害を未然に防ぐ、楽園の創造主のような存在だった。
誓って神の真似事をしたがったことはない。しかし真実、神に見定められず救われたいと願った人々が俺を『神様』と定義するのならば、俺はそれを否定することはなかった。
信じるものは救われる。
その言葉は神に限らず、その人が信じたいものに使われるべきだと信じていたのだ。そして今も、そうあるべきだと信じてやまない。
「おわっ!」
真後ろだった。耳奥を貫通するような轟音が響く。抜け出してきた先から何かが吹き飛んで、荒れた熱風が俺たちを焼こうと追いついてくる。
炎はもうすぐ側に迫っている。ヂリヂリと、轟々と耳障りな音を立てて、周囲を取り囲もうと真っ直ぐにこちらを目掛けて燃え盛っている。あまり猶予は残されていないようだった。
「……ミア。手を離してくれないか」
「ハァ?お前本当に状況分かってんのか!?そんな状態でちゃんと逃げれんのかよ」
「ああ、大丈夫だ。自分の行く道くらい自分で歩く」
何が正解で何が不正解か選び取れない俺にはもう、『善人こそが正義である』と訴えることは出来ない。
正しさと人間としての情が別物であると知った時には、もう何もかもが手遅れだった。俺はすでに、俺自身が忌むべき悪に成り果てていたのだ。
自分というものを見失いかけて、けれど唯一。たった一つだけ、デウィット・アモロスと言う男の人生を無意味なものにしない選択を、決して揺らがない価値観を、ガラクタだらけの記憶の中から掬い出した。
俺の掲げた正義の対象は、もちろん俺でさえも例外ではない。当然だ、当たり前だ、俺だけが例外だなんてそんなこと、あっちゃならない。あっていい訳がない。
『悪は滅び、正義は必ず勝つ!』
とっくに使い古されたヒーローアニメの決まり文句が頭に浮かぶ。そうだ、ああ、それでいい。今まで何を悩んでいたのだろう。悪は一人残らず朽ちるべきだと俺は信じている。俺が悪に染まろうともそれだけは絶対に揺るがない。
これは俺の悲願であり、そして悪であり、確信的な正義だ。
俺が俺である限り、最後まで盲信すべき道がこれだった!
「なに、……してんだ」
俺の願いに渋々力を緩めたミアから抜け出そうと一歩ずつ後退りすれば、彼は訝しむように俺に視線を向けた。彼の目にはきっと、理解できないものが映り込んでいるのだろう。
「悪いが、俺はその先には行けない」
「オイ、こんな時にふざけたこと言ってんじゃねぇよ」
「ふざけてなんかいない」
「……まさか、本気か?」
「ああ、本気だ。今まで悪は淘汰されるべきだと、そう主張していたのは他ならない俺だ。己の正義から外れた俺を、俺そのものが処分することだって間違った行為じゃないだろ?」
信じられないものを見た、と目をまるまると見開くミアに、どう反応すればいいか困ってしまう。なあ、どう思う?ヴィラル。……そうか、わからないか。
それなら少しでも落ち着いてもらえるように微笑んでおくことにする。気味の悪いものに見えていないといいが。
「そんな、……そんなこと、オレは望んでない」
「ああ、知っている。だが日頃の行いはその人の本質を映し出す。俺の罪は俺が寛容するに値しないものだった。それを野放しにしておくことが、どうしても俺には許せそうにない」
「オマエが許せることがオレには許せないんだよ!」
「……そうか、困ったな。……悪いが、俺にはどうにも出来ない。俺の正義と共にミアを連れて行く訳にはいかないんだ」
「〜〜ッ!この分からず屋!」
俺を連れ戻そうと駆け寄ったミアに、危ないからと静止したところで聞いてくれるような男ではない。仲間を失うことが相当に怖いのだろう。
強く腕を引っ張られるが、俺が抵抗すれば先程のように上手くはいかなかった。
背が今にも焼けてしまいそうな熱に顔を歪めながら、震える緑の瞳を捉える。そこには今にも消えてしまいそうな灯火が一つ、揺れていた。
「……ミア。一つだけ、願ってもいいか。聞いてくれるか分からないが」
「うるせぇ、嫌に決まってんだろ!」
「……幸せになって欲しい。今度こそ。ミアが幸せを受け入れられるような世界は、楽園は必ず存在するはずだ。幸せになることを頭から諦めないでくれ」
「嫌だっつってんのに続けてんじゃねぇよ」
「これは俺の勝手な願いだ。必ず聞き届けて欲しい訳じゃない。どうしても聞きたくないなら耳を塞いでいてくれ」
「デウィット、」
塞がせる前に、自らの手でミアの耳を覆った。しかし力は込められない。たったいま促した優しさを、己の強欲さがどうしても上回ってしまうのだ。
届いて欲しいと願っている。母を誰よりも大切に想う彼が、少しでも幸せを享受できるように。未来を信じられるように。
「マリア。俺の救いで、俺の信じる道。俺を忘れていても、ずっと愛していた。なによりも、いとおしかった」
今の自分が表せるだけの慈愛を声に乗せて、ふわりと、そっと触れるだけのハグをした。壊れ物でも扱うように繊細な手つきだった。
暫くして、離れて、それから。
「……すきだったんだ。すきだ、マリア」
————生きてくれ、どうか。
「デウィット!」
宙ぶらりんになった祈りが目の前の男に伝わる前に、この身は炎に飲み込まれる。
力任せに突き飛ばしたミアの体が地面に叩き付けられる様が横目に見えて、もう少し加減すればよかった、と最期の最期にまた後悔した。
「何考えてんだこの大バカ野郎!」
「言いたいことだけ好き勝手言いやがって!やりたいことだけ好き勝手やりやがって!」
「幸せなんてそんなの、オレに受け取る資格なんかないってオマエなら分かってんだろ!だってのにそんな、……」
「……全部手遅れだって理解してたんだ。それでもまだ出来ることがある。救えるものがあるって、信じてたんだよ、なあ」
「……オレは……デウィット、オレだって————」
遠くから響く彼の神聖で、それでいて悲痛な叫びも、時間が経てば次第に掻き消えてしまう。とうとう俺の世界に映るものは業火だけだ。
焼けていく。俺の罪も、幸福も、何もかもが。想像を絶するほどの痛みと共に、全てを無かったことにしようと焼き尽くされていく。
それはどこか心地の良いものだった。と、この状況で表現するにはぬる過ぎるかもしれない。けれど確かにそう感情を抱いたのだ。
先に行かせて悪かった。置いて行って悪かった。けどこれでもうお前は一人じゃない。俺も共にいこう。だって、そうだ、おれはおまえのかぞくなんだから。
呼吸が覚束ない。吸って、吐いて、苦しくて、何度も繰り返していくうちに、意識が遠のいていく。
気が付けば祈りを捧げていた。神になどではない。俺の正義に。何度伝えても伝えきらない願いを、何度だって込める。
——俺が最後まで信じた、俺の正義よ!彼の人の進む道に幸多からんことを!
——俺の愛したマリア。どうか地獄には来てくれるなよ。
╾───────╼
「NO.7…バイタル正常。…意識レベルⅡ。…狂花レベル……0」
「やはり、感染寄生では弱かったかしら」
機械の音だけがその部屋を支配していた。
「ねぇ、わたし。どうしてNo.7は生きてるの?あのお話はもう100年も前のことでしょう?」
「それはね、もう彼が人間ではないからよ。わたし達とは違うの」
赤毛の女だけがその施設を支配していた。
「クローンでもないんだね。どうして生かしてるの?」
「あの物語で生き残った子たちは皆優秀だからよ。さ、もう行きなさい。お勉強の時間よ」
「はーい」
ととと、と可愛らしく部屋から出ていく赤毛の少女を見送る。
「さて、と。残念だけどこの子はもう用済みね」
「処理はどうします?」
人間だけがその世界を支配していた。
「No.8に合わせましょう。今までの彼らと同じように、旧知の中なら式では辿り着かない化学反応が起るかも」
「了解」
否。
「さ、No.8。ご飯の時間よ」
………
20xx年11月25日
南極大陸 オスニック川
そこに隕石が落ちた。
それだけならまだ良かったのかもしれない。
しかし。
隕石に触れた生命体が急速に進化を遂げたと報告を受けたのは事件が起る1週間前だった。
それはまさに未知の技術。未知の世界。
世界でもごく一部の人間にしか共有されなかったその事実は、なんの運命かパドラの耳にも入った。
それはとある映画にちなんで”モノリス”と名付けられた。
世界ではどの国が所有するかで火花を散らし始める。
そんな中、彼女が声を上げた。
「私にお任せ下さい。必ずや私が、人類の役に立てましょう」
誰も、反対できなかった。
なぜなら彼女の脳だけが、すでにモノリスを理解し始めていたからだ。
そうして秘密裏にこの実験は始まった。
彼女は初めに自分の存在を社会から抹消した。
世界が気付かぬようにとヘストに入れ知恵をしてから。
しかし計画は失敗した。
小さく砕かれたモノリスが世界各地に墜落したのだ。
それが2xxx年12月24日。ちょうど作戦が実行される前夜の事だった。
世界は混沌に包まれた。
モノリスによって進化した生命体たちは圧倒的な力と知性を持った。
知性とはどうにも他を支配したがるらしい。
世界秩序、否、人間社会が崩壊するのは早かった。
こうして人類史に新たなページが刻まれたのであった。
イリアスの聖譚曲
“川”は文明を築き、”戦士”は歴史を築く。
神話とは案外泥沼で意地汚く、惨めな内容だ。
そんな彼等をなぞった君たちもまた、神話のひとつなのかもしれない。