モルの手記⑨

20XX年X月X日
事務所で設計図を描いていた新田宗一のところに1本の電話が入る。それを受けた宗一は大慌てで事務所を飛び出し、妻とともに病院へ向かう。しかし、通されたのは霊安室だった。本人かどうかの確認を求められた。そこにあったのは、左半身がぐちゃぐちゃになり、顔は原型がわからず、痣と開いた傷口で埋め尽くされた娘の姿だった。妻はその場に泣き崩れ、宗一は頭が真っ白になった。
死因は交通事故。自転車に乗って下校中だった娘に飲酒運転の車が突っ込んだ。車は娘をボンネットに乗せたまま200mも引きずって走り、電柱に娘をぶつけてようやく停止。ドライバーはエアバッグにまもられて無傷、娘は即死だったという。今朝は元気だった娘が、今はぐちゃぐちゃになって眼前に横たわる。挨拶のひとつも言えないまま、突然に永遠の別れがやってくるのはあまりにも惨く、やるせなかった。

絶望に暮れる新田宗一の心に、エクリプスがつけ込んだ。
「娘を生き返らせる儀式をしてやろう。生贄にするガキを連れてこい」
宗一は血眼になって探した。娘とまた会えるなら、当たり前に続いていた幸せを取り戻すためなら、娘の代わりに死ぬ生贄は誰でもよかった。宗一に埋め込まれたエクリプス因子は宗一の絶望を食らって急成長し、瞬時に孵化した。このエクリプスは宗一に告げる。
「誰が悪い?誰がお前の娘を奪った?憎くは無いのか?報復するなら今だぞ」
宗一の絶望を食らって育ったエクリプスは、宗一の憎悪で構築されていた。

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20XX年X月Y日
木原瑠花の夫、木原龍司は危険運転致死傷罪で現行犯逮捕された。まだ1歳と4歳の子供2人を残したまま、夫は刑務所に入ってしまった。亡くなったのは高校生だったらしく、遺族から多額の賠償金が請求された。夫は任意保険には加入しておらず、ほぼ全額を支払わなければならない。共働きでやっと日々の生活を繋いでいた木原家には、借金でもしなければ到底払える金額ではなかった。
まずは明日の生活をどうしよう。せめて子どもたちだけでも満足に食べさせてあげたい。そんなことを考えながら、銀行や友人に頼み込んで必死にお金を調達する瑠花の携帯に1本の着信が入った。相手は被害者遺族の新田さん。恐る恐る出てみるも新田さんの声はなく、代わりに聞こえてきたのは何か衝撃的な破壊音と子供たちの悲鳴だった。瑠花は急いで家に戻るが、家は壁が抉られて大穴があき、我が子を襲うエクリプスの姿があった。悲鳴をあげる瑠花。エクリプスを止めに入るが全く歯が立たず、子供たちが痛めつけられていくのをどうにもできなかった。夫も家も財産も失って、これ以上何を失わなければならないのか。
間もなくリーンとリュミエが駆けつけた。リュミエは魔法を駆使して瑠花と子供2人の救助と応急手当にあたり、リーンはエウィグと共にエクリプスと対峙した。
「やめろ!邪魔をするな…!」
そう言って戦闘に割り込んできたのは被害者の父、新田宗一だった。
「ある日突然霊安室に呼び出された俺の気持ちが、お前らに分かるか?」
その場にいた全員の手が止まる。
「ふざけたクズが飲酒運転なんかしなければ…本当なら今だってあの子は、何気なく生きてたはずなんだ…」
そこへ別のエクリプスが現れる。
「なぁ?可哀想だと思ったろう?ふざけたクズってのはそのチビ共のオヤジのことさ。だからそいつらを生贄にして、あの事故をなかったことにする儀式を始めようってわけだ。さあ、チビ共を返してもらおうか」
「嫌…やめて…子供たちだけは失いたくない…!亡くなった娘さんが生き返るなら、私の命を使ってもいいから…」
罪悪感に耐えきれないが故の瑠花の決断だった。
「ほう…面白い。だが、生贄は1人じゃ足りない。」
リーンが変身を解き、エクリプスの前に出る。
「はあ…なら、俺もその辛気臭い儀式とやらに参加するわ。正直、心配だし」
「白銀の鎧が名乗り出るか。いいだろう。ガキ共の代わりにコイツらで儀式を始める。ついてこいお前ら、場所を変えるぞ。赤髪のお前はそこでガキ共と大人しくしてな」

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エクリプスたちが撤退したのを確認すると、心羽は速やかに119番に通報し、子供たちの応急手当を行い、エウィグに告げる。「私はここで救急車の到着を待つから、エウィグは気付かれないようにみんなを追って。」

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連れ去られた健人と瑠花は工場跡地で磔にされ、感情を殺して儀式の開始を待っていた。宗一と彼のエクリプスは見張りとして工場の入り口で待機していた。
「ではこれよりエクリプス誕生の儀式を始める。」
「エクリプス誕生の儀式…? どういうつもりだ。話が違うぞ」
「まさか、人を生き返らせると本気で信じてたのか?誰のために?笑わせんなよ。嘘に決まってんだろ」
「あのチビ共も散々痛めつけておいてやったから、もう長くは持たないだろうなぁ」
「お前たち人間は俺らエクリプスの餌に過ぎない。ただ取って食ってもいいが、騙したり絶望させて食えばもっと美味い。それだけのことだ」
「あ、その鎖は解こうとしても無駄だ。あんまりガチャガチャやりすぎると、お前らの頭上に吊るした鉄塊が落ちてくるぞ」
「さあ、儀式の時間だ。絶望を受け入れろ」
瑠花に因子が埋め込まれる。悲鳴をあげる瑠花。感情が絶望に支配され、憎悪が何倍にも増幅される。

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心羽は子供たちを救急隊員に引き渡し、エウィグの誘導のもと工場跡地に辿り着くが、そこで新田宗一とそのエクリプスに鉢合わせる。
「君はさっきの…。もう邪魔をしないでくれないか」
エクリプスと戦闘になり、心羽は変身して応戦。
「どうして邪魔をするんだ!君には関係ないだろう!」
「これ以上罪人を増やさないためです。あなたがやろうとしていることは、あなたの娘を轢いた犯人と同じだから」
リュミエはエウィグと連携をとった上で苦戦するも、エクリプスを撃破。
「来てください。見せたいものがあります」
心羽は宗一の手を引き、工場跡地に踏み込む。

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跡地に入るや否や、宗一の姿を捉えた瑠花が苦しそうな目で訴えかける。
「騙されていたのよ!私もあなたも…!儀式だって全部嘘!もともとこの怪物は、私たちを食べることしか考えてない…!」
「どういうことだ?娘を生き返らせるって約束だっただろう?」
宗一はエクリプスに問いただす。
「これだから人間ってのは面白い。仮に生き返らせてやったとして、誰にメリットがある?人間は追い込まれると、すぐおいしい話に釣られるんだよな。最っ高に笑える」
次の瞬間、轟音と共に天井を凄まじい稲光が駆け抜ける。磔にされている2人の拘束具の仕組みを見抜いた心羽が、鉄塊を8,000℃で熱して一気に蒸発させ、高温に耐えきれずプラズマ化した一部の気化鉄がスパークを起こしたのだ。その衝撃と共に拘束が解かれた健人は、スパークが起こっている一瞬の間にリーンに変身して加速をかけ、瑠花を介抱してエクリプスから距離をとる。瑠花の呼吸は激しく乱れ、リーンはもう間もなく瑠花からエクリプスが生まれることを予期した。
「チッ、赤髪の魔女も来ていたか…新田の憎悪から生まれたエクリプスは並外れた強さのはずだが、あれを打ち破ったのか…?」
「人の弱い心につけ込んで…騙して…弄んで…!あなたのしてきたこと、私は絶対に許さない…!」
心羽はリーンが瑠花を避難させたのを確認するや否や、炎の魔法を全身に纏って弾丸のように飛び出した。エクリプスは自慢の跳躍力で躱して上空へ逃げるが、炎の魔法を暴走させたリュミエは上空へ追撃し、一撃一撃にその怒りを込め、勢いのままに炎の弾丸となってエクリプスを貫いた。

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瑠花から生まれたエクリプスは、すぐさま瑠花を手にかけようとした。リーンに見切られて阻止され、取り返しのつかないことになる前に、一人の被害も出す前にリーンの手で倒された。戦闘を終えて戻ってきたリュミエも変身を解いて宗一と瑠花のもとに合流する。
「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
「はい…でも、娘はもう……」
エクリプスの嘘に夢を見ていた宗一は、残酷な現実に引き戻されていた。
「失ったものは、もう元には戻りません。過ぎた時間が戻らないのと同じです。そんな奇跡みたいな魔法は存在しないんです」
「俺も君たちみたいに不思議な力があれば…」
「エクリプスや私たちが使う魔法は、夢や幻のように曖昧なものです。現実を少しだけ変える力があるけれど、ただそれだけ。過去や失ったものは変えられない」
「それでも、いつ失ってしまうかわからないからこそ、今あるかけがえのないものを大切にして、生きていくしかないんです。あなたにはまだ残された家族がいるでしょう?奥さんや、これからできるかもしれない新しい家族が。悲しみに暮れる奥さんを励ましてあげられるのはあなただけです。つよく生きて、今ある幸せを守り抜いてください」
「そんなこと言われたって…君みたいな娘よりも小さい子供に俺の気持ちがわかるはずないだろう」
「私は子供じゃありません。この年齢でも立派な大人たちはたくさんいます。地球でも紛争で親を失い、過酷な中で生きてる子供たちがいるでしょう? 私も同じ。目の前のことに必死になって生きていくしかないのは、私もあなたも、みんな同じです」
「………君も家族を失ったのか?」
心羽は静かに瞼を閉じる。
「瑠花さんは大丈夫ですか?怪我は…」
「ありません。あの、子供たちは無事でしょうか…」
「救急隊員に来てもらいました。今は朝憬赤十字病院にいるはずです。すぐ様子を見に行ってあげてください」

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木原瑠花の子供たちふたりは表面的な怪我こそ酷かったものの、命に別状はなく3週間ほどで退院するそうだ。
「…心羽ちゃんの言い分もわかるけど、あんな無茶な戦い方…俺の胃炎が止まらない。それにさ…みんなのことは心羽ちゃんが守っても、心羽ちゃんのことはだれが守ってくれるんだよ。俺そういうのムカつく」
「うん…ありがとう健人くん。でも私は大丈夫だから安心し…t……」
緊張の糸が切れた心羽の体に、蓄積された疲労が重くのしかかる。健人は倒れそうになる心羽をとっさに受け止め、そのままゆっくり膝をついて座らせる。
「ゲホ、ゴホ…ごめん…大丈夫じゃなかったみたい…」
心羽の咳は血が混じり朱くなっていた。
「いいよ。寧ろ俺、そんな時の"大丈夫"は好きじゃない…」
大切な人から聞かされるそんな言葉は、胸が締め付けられるようだ…その思いに、健人は思わず表情を歪ませながらも、心羽の口から滴る血をハンカチで拭き取る。その顔が彼女に見られていないのが救いか…
「病院とか、行ってくれよ…」
「……私に何かあった時、守ってくれるのは健人くんだよ…」
健人は思わず返す言葉を失った。が、当の心羽も今の言葉を最後に気を失っており、健人の腕にもたれかかって寝ている。
「当たり前だ、守るに決まってる。でも何も起こらないでくれよ…そんな殺し文句言われたら弱いんだぞ…俺」
少しホッとしながらも、大切な人を思う痛みにその心は呻いたが、健人は心羽を背負って家に送り届けることにした。「あ~、腰痛い…」とは言うが、決して途中で下ろすことはしない。その時、彼女の荷も少し背負えたような気がしたから。この小さな身体に、どれだけの喜びや悲しみや多くの心が詰まっているのだろう。その一つ一つに祈る。どうか、この子が押し潰されることがないよう、守ってください。守らせてください…どうか…
夕暮れの朱く染まる帰り道に、雪が降り始めていた。

END

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