モルの手記⑰ 悪夢

目が覚めると心羽はこの宇宙で最も見慣れた部屋にいた。星空模様の天蓋付きベッドから身体を起こすと、後ろから懐かしい声がした。
「リュミエ?」
その声に心羽は息を飲む。もう二度と聞けないと思っていた、全てを包み込んでくれる優しい声。
「お母様…!」
リュミエはその姿を捉えるや否や、わき目も振らずにその胸へ飛び込み、子供のように泣きじゃくる。とても長い間、知らない星で孤独に、何かと戦っていた気がする…。
「お父様とジェイミーは無事…?王国のみんなは…?」
「無事よ?みんな元気いっぱい」
「本当に……?」
「あらあら、きっと悪い夢でもみていたのね…」
「よかった……!よかったぁ……っ!」
母の手がリュミエの後頭部を優しく撫でる。お母様の手だ…
とても怖い夢からようやく覚めたという安堵と、悲しみのない幸せな日々に戻ってこれたという幸福はリュミエの緊張の糸をほどき、孤独なヒーローからただの健気なプリンセスに戻した。
そう、きっとこわい夢をみていたんだ…

お城の居間でお父様とお母様、弟のジェイムスと4人で囲む食卓。いつもの日常のはずだが、リュミエにはとても久々な気がした。
「お母様聞いて〜、今日の試合は俺の親友たちが凄かったんだ!」
「良かったじゃない!どんなふうに凄かったの?」
「あいつら、連携が完璧でさ!ラリーとビルの二人なんか、示し合わせたみたいに相手を誘導させながら裏をかくんだ。あの2人だけで10ポイントはとってたな。」
「さすがね!向こうとは何点差で勝ったの?」
「結局20点差をつけられて負けたんだよね…。でも、俺たちのチームは最高なんだっ!」
嬉しそうに話すジェイムスの微笑ましい姿に、リュミエは胸がギュッとなる。こんなに暖かい日々をどうして忘れていたんだろう。なぜか零れそうになる涙を必死に誤魔化しながら、あの夢にいつまでも引っ張られる自分が情けなくなった。
「リュミエは今日どんな一日だったかい」
お父様に聞かれ焦るリュミエ。でも自然と自身の口が言葉を紡いだ。
「今日は古代天文史の資料書に載ってた風鳥座星団について調べてたの。量子望遠鏡でその残骸を観察してたら、魔力の残滓が見つかって…お父様、これってどういうこと?」
お父様は穏やかにフッと笑い、リュミエの好奇心に応える。
「それは面白い発見をしたなぁ、リュミエ。この世界にはまだわかっていない事の方が多いんだ。もしかすると、そこには私たちと同じ魔法使いの仲間がいたかもしれないぞ」
いつものお父様だ…この優しくも朗らかな話し方…低くも貫禄のある温かい声…そして私を見るその笑顔は誰よりも幸せそうで…
「風鳥座星団が崩壊したのは8000年以上前だから……そんなに昔の魔力がまだ残ってるって、一体どんな魔法を…」
「ハハッ。リュミエ、宇宙は広いぞ!宇宙にはあらゆる可能性が存在する。いつだって私たちの想像を超えてくるだろう。でもそのことはリュミエが1番よくわかってるんじゃないか?」
「うん…」
「もしそれが本当に8000年前の魔力の残滓なら、そこに居たのはきっと魔法使いのカリスマだろうさ。」
この笑顔も、この団欒も、私のいつもの日常のはず…どうしてこんなにも切なくて、愛おしいのだろう…
「リュミエお姉、ぼーっとしてるけど大丈夫?」
ジェイムスに呼びかけられ、リュミエはハッとする。ジェイムスはお父様によく似て人の感情を鋭く捉え、些細な変化にも気付いてくれる。姉なのに、ジェイムスに助けられたこともたくさんあった。
「う、うん……大丈夫よジェイミー。ありがとう」
リュミエは誤魔化しながら暖かいシチューをスプーンですくい上げ、口元へ運ぶ。
それにしても、なんだろうこの感じ。頭がぼーっとして、記憶にもやがかかったような、ふわふわした感じ…
でも、これからなんだかすごく嫌なことが起こりそうな気がする…
その時、リュミエの胸のざわめきに呼応するように、城の廊下を駆ける靴音が聞こえた。
「エドウィン国王!エクリプスが…!エクリプスの戦艦が5隻、ルクスカーデンに接近中です!」
その音の主は居間の扉をドンと開き、必死の形相で告げた。
「なんだって…!? 3人ともすまない、対応にあたってくる」
お父様の表情に先程まであった柔らかな笑みはなくなり、立ち上がって通達にきた臣下のもとへ向かう。
そうだった…初めてエクリプスが攻めてきたのは、4人でシチューを食べていたこの日だった。
エクリプスは悪い夢なんかじゃない。たしかに私の人生をめちゃくちゃにしたんだ。この王国を蹂躙して、私から大切な家族や友達を1人残らず奪っていくんだ…

あれ…?なんで私は未来を知っているの…?

「お父様待って!」

廊下へ消えようとするお父様を呼び止め、椅子を飛び出したリュミエ。こちらを振り向いたお父様に全速力で向かい、抱きつく。
「おやおや…どうしたんだリュミエ。」
お父様の温もりを肌で感じる。
「今日はなんだか悪い夢を見ていたみたいで…」
お母様が説明する。そういうことでいい。
「そうかそうか。ハハ、よしよし…愛おしい子だ」
未来がどうとか関係ない。私はただ、大好きな家族を、大切な今を失いたくない…たった独りでこの世界に残されたくない…そのためなら、私は…
「お父様、私も連れて行って。私も一緒に戦うよ」

エクリプスの戦艦が5隻。今にも王国を蹂躙せんとばかりにその巨体で上空を埋める。その威圧感は凄まじいものだった。
「イグニス・プロミネンスシュート・四重!」
4枚の魔法陣をくぐり抜けて強化された炎の矢が戦艦を目指し、空高く打ち上がる。しかしその炎は戦艦の外壁に触れた途端、吸われるように消えていった。
「そんな、全然効かない…」
次の瞬間。戦艦が無数の砲身を展開し、弾幕が雨のように放たれる。その雨は王国を覆うように張られた結界をたやすく破壊し、その内にある人々の街を狙う。
「リュミエ下がっていろ。ここは私が」
お父様———エドウィン王はそう言うと一歩前に出て、右手を天に掲げる。降ってきた弾幕の雨は全て時が止まったかのように空中で停止する。その右手を握りしめると、弾幕の雨がその場で全て爆散し、消滅した。
エドウィン王は杖のひと振りで雷撃を飛ばし、5隻の戦艦を次々に粉砕する。戦艦から弾け飛んだ残骸や乗組員のエクリプスたちが空から降り注ぐ。リュミエはそれらが地上に被害を出す前に撃ち落とそうと弓を構えるが、その弦を引く間にエドウィン王が全てを一瞬で焼き尽くし、灰塵とした。リュミエは自身の力のなさに呆然とする。
「リュミエ。戦いは私に一任してくれ」
「で、でも…」
このままお父様を独りで戦わせたら、エクリプスに負けて破滅する未来が待ってる…でも、私なんかが一緒に戦っても足を引っ張るだけ…
「リュミエ、お前は考える力もあるし、才能もある。もちろん優しさもな。お前にしかできないことがあるはずだ。頼んだぞ、自慢の愛娘よ」
「私にしかできないこと…?」
エドウィン王は空の彼方に次の艦隊を視認すると、迎撃するべく飛び立っていった。

お父様を見送り、城の階段を駆け下りるリュミエ。私にしかできないことは、考えてみればたくさんある。城中のみんなに呼びかけて、一刻も早く住民たちを避難させなきゃ…!城の中はより一層強固な防衛魔法が施されてるし、守る範囲が狭ければ私の力でもなんとかなるかもしれない。とにかく、お父様の負担を減らすことが鍵だ。
「出てきて、エウィグ!」
リュミエのかけ声とともに従者のエウィグがその姿を現す…はずだった。あれ…?リュミエは右手首を見る。エウィグが居ない…!いつでも右手首にいて一緒だったはずなのに…!
いや、今はそんなことを気にしちゃいれらない。私ひとりでも、みんなに呼びかけないと…!
「皆さん聞いてください!王女リュミエールから命令です!一刻も早く、住民たちを城内に避難させてください!エクリプスが侵攻してくるのは時間の問題なんです!なるべくエントランスホール、大広間、コンサートホール、大食堂に誘導して下さい!お願いします!」
リュミエは城内伝達室に飛び込んで一斉に呼びかける。それから兵士詰所や調理室、執務室など全ての部屋を回り、全員に避難誘導を頼み込む。
私も住民たちを誘導させなきゃ…エクリプスが攻めてくる前に…!
リュミエはエントランスを駆け抜け、城門をくぐって街へ出る。
「そんな……!」
しかしリュミエが目の当たりにしたのは、既に侵略が始まりパニックに陥った街だった。どうして…早すぎる…!お父様は…!?
リュミエが上を向くと、遥か上空で戦艦を次々と破壊して回るエドウィン王の姿が見えた。
お父様も手一杯で、地上の防衛まで手が回らなかったんだ…私も戦わなきゃ…!
「チェンジ・フレイミングドレス!」
リュミエは紅の衣装を纏うと、人々に迫る魔の手に紅蓮の焔をぶつけた。しかしエクリプスの数は圧倒的で、リュミエ独りでは捌ききれない。城門に侵入させまいと頑張るリュミエのすぐ目の前で、魔の手にかかり倒れていく人を何度も見届けた。城門へと続く道が次第に血の色に染まる。私じゃ守りきれない…もう嫌…お父様助けて……
「その悔し涙素敵よ、お嬢ちゃん」
突然エクリプスに話しかけられ、声の方へ振り向くリュミエ。大鎌を携えた豹のようなエクリプスがそこにはいた。
「うるさい!早くこの国から出てってよ!」
リュミエは間髪入れず、紅蓮を身に纏い豹へ突撃する。
「アタシはね、大きな希望の根を刈り取るのが大好きなの」
そう言うと豹は目にも留まらぬ速さで鎌を振るう。リュミエは瞬時に回避をしたため全身に無数の切り傷を負っただけで致命傷にはならなかったが、避難しにきた人々が豹の背後で斬撃にさらされ、みんな一様に崩れていくのが見えた。
「ああぁぁぁぁ!!」
許さない…絶対に許さない……
相討ちになってでも倒してやる……!
「インフェルシア・ハイエストマイセルフ!」
全身に刻まれた切り傷が高温の炎に晒される痛みを覚悟で、リュミエは自身を燃え盛る弾丸として撃ち出す。豹の腹部を見据え、全速力で飛び出したその時。
「リュミエー!」
その声とともに城門へと向かってくるのは…
「お母様!?」
「小学校の子たち130人、避難させにきたわよー!」
「今こっち来ちゃだめ!!」
「へえ、あれがアンタの母親?」
「やだ!やめて!!」
全てがスローに見えた。伸縮自在の大鎌が、お母様の胸元に伸び、縦に太い斬撃が銀色に煌めく……
「きゃあああああ!!」
嫌だ、お母様…いや…嫌ぁ……
地に倒れ伏せるお母様に必死に手を伸ばし、ギュッと抱きとめる。
「お母様死なないで…息をして…!お願い…」
もう動くことも喋ることもなくなったお母様を抱きかかえ、子供のように泣き縋る。
「嫌だ…いや…こんなのもう嫌なの……」
「誰か…誰か助けて……」
もはや戦意も失い、絶望しきったリュミエの背後に豹が迫る。
「フフッ、イイじゃん。今最高にイイ顔してるよ、アンタ」
豹がエクリプスの因子をリュミエに植え付けようとした、その時。
「失せろ!」
天から雷撃が落ち、豹の肉体が一瞬で蒸発した。
「お父様…」
戦艦を全て迎撃し、弱り果てたお父様が地上へと降り立った。その身体は既に片目と片腕を失い、ボロボロになった髪と肌がお父様の死期を謳っているようだった。
「すまない、来るのが遅れたな。ここまでよく頑張った」
お父様は残っている方の片腕でリュミエの頭を撫でる。悔しさと安堵と、たくさんの感情が綯い交ぜになった大粒の涙が零れる。
「嫌だ…お父様まで死なないで……」
「悪いが時間がないんだ、リュミエ。お前だけでも逃げてくれ」
そう言うとお父様はリュミエの後ろに空間転移魔法を展開する。
「逃げるって…どういうこと…」
「私はここに残って最期までこの国を守らねばならない。だが、お前には生きていて欲しいんだ」
「嫌だ!そんなのやだ、私だってお父様と共に戦う!」
「そう言うと思ったよ。だから行くか行かないかはお前に任せる。ゲートは後ろだ、行こうと思うならすぐに飛び込め。」
「ぜったいに嫌…」
「それと、これを受け取ってくれ」
お父様が取り出したのは、星空の意匠が施されたキーホルダー。
「これは…?」
「私とグレイスからお前に、究極の魔法が込められたキーホルダーだ。きっとエクリプス除けの力もあるだろう」
「お父様とお母様から…究極の魔法…?」
「ああ。いつかの将来、きっとお前の役に立つはずだ。本当はジェイムスのためにもうひとつ創ったんだが…」
「私が預かる…必ずジェイミーに届けるね…」
「助かるよ。じゃあ頼んだぞ」
なんだか死に際の贈り物のようでリュミエはやるせない気持ちになった。
「さて、もうエクリプスが迫ってきている。最期の戦いだ、いくぞ、リュミエ!」
「ええ、お父様!」

お父様と肩を並べて戦うリュミエ。共に戦えるのも、共に話せるのも、これが最後なんだと思うと胸がギュッとなって苦しい…。でも私は、この後お父様が戦いに負けることも、私が逃げるしかないこともわかっている。お父様は私を含め、守りたいもののために命を張っている。私も今はその気持ちがわかるから、共に戦うしかできない。どんなに失っても、世界は止まってはくれない。いつか失うなら、私は今を大切に生きるしかないんだ。

わかってる。頭ではわかってる…それでも…

「ぐっ…ぁ……っ!」
「お父様…!」
お父様の鎧ごと、身体の中心を貫く閃光。
「まだだ…こんな程度で倒せたと思うなよ侵略者ども…!」
胸に大穴を開けられて尚、姿勢を崩しながら魔法を放ち続ける。その威力は既に弱っており、エクリプスたちの侵攻を止められない。
「この国を好きにはさせん…!“次元隔離結界(ディメンション・サンクチュアリ)!”」
お父様の呪文で巨大な結界が城を覆う。この次元との繋がりを断ち、時間軸のない次元に王城を送り出した。
しかし、その呪文を最後に魔法使いとしての限界を迎えたお父様の身体が消失し始める。
「お父様…嫌だ…死なないで…」
「すまないリュミエ…お前をしばらく独りにさせてしまうな…」
リュミエは崩壊するお父様の身体に泣きすがる。
「だが、お前は本当の意味で独りになるわけではない…地球という星できっといい人が見つかるだろう…」
「嫌なの…!もう失いたくない…お父様行かないで…!」

“いいかリュミエ。
信じる心がお前に向けられた時、それが魔法となってお前を助けてくれる。
共に生き、支え合い、相手を信じるのだ。
そして人々の希望となれ。”

灰色の空に舞う金色の煌めきと共に、冷たい風に煽られ今にも消えそうな小さなかがり火がそこにあった。
小さなかがり火は、託された想いと大きな孤独を抱えながらも、かつて母だった者の骸を抱きしめ、微かに残る最期の温もりに触れていた。

こうなる未来は知っていた。私の知っている未来といくつか違うところはあったけど、結局こうなる事に変わりはなかった。

国王が遺したアストレガリアを回収し、エクリプスは撤退を始める。そんな中、豹のエクリプスがリュミエの前に再び現れる。
「あーらら、独りで残されちゃって可哀想な子。」
「あなた、生きてたの…」
今にも消え入りそうな掠れた声でリュミエは呟く。全部ぜんぶ、エクリプスが奪っていった。お父様もお母様も、この国も、私の人生の、全てを。
「ノクスケイデンに持ち帰って、奴隷として可愛がってあげようかしらぁ」
豹が大鎌を振りかぶる。お母様の命を刈り取った返り血のついた刃がリュミエに向く。
大切なものを全て奪われたこの世界で、奴隷になって生き続けることになんの意味がある?
できることならいくらでもやり返してやりたいけど、独りになった私は弱い。仇を打つどころか、傷ひとつつけることだってかなわないだろう。
それならいっそ、私もお父様たちの元へ…

“リュミエ。お前だけでも逃げてくれ”

お父様…?

“お前は生きて…そのキーホルダーをジェイムスに…”

はっ…!ジェイムスはまだ生きている……?
だとしたら、私が知っている未来と違う…ジェイムスはまだ死んでない…!
このキーホルダーを…お父様とお母様から託された想いを、究極の魔法を、あの子に届けなきゃ……
独りでも、課せられた使命がある…私は想いを背負ってるんだ…!

リュミエは立ち上がり、俯いたまま豹に背を向け、駆け出す。まだ死ぬわけにはいかない。
「おや、逃げる気かい?どこへ逃げても無駄よ」
豹にはこのゲートは見えてない…今なら!
人生の全てだったものたちに別れを告げ、脇目も振らずゲートに駆け込む。このゲートの先は地球…地球にエクリプスが来るのは2年後だから、少なくとも今ここで死ぬことは避けられる…

……でも、今度はエウィグも居ない。今度こそ、私は独りだ。

“独りでも、生きていかなきゃいけないの”

リュミエは光の門を潜り、空間座標を魔法で縮めた多重次元へ足を踏み入れる。瞬間、リュミエの視界は闇に満ちた。

目が覚めると心羽は教室の自分の席に座っていた。
「こっちゃん、おはよ」
「わっ!ビックリしたぁ…」
隣にいた香穂に気付かず、その声に驚く心羽。さらにその横で日菜が笑っている。
「大丈夫?だいぶうなされてたみたいだけど…」
「うん…」
あれは夢だったの…?にしてはやけに鮮明で、苦しい夢だったような……
「もうとっくに下校時間すぎてるよ。行こ!」
「今日はアクセサリーショップ行く約束だったよね?」
「母の日に贈るやつ選ぶんだ〜」
「いいじゃん!こっちゃんは母の日もう決めた?」
「え、えーっと…」
「海外だから簡単には送れないかー」
母は海外で勤務していることになっているけど、本当はもう居ない。贈り物どころか、会うことだって二度と叶わない。私の目の前で、エクリプスはその命を奪う瞬間をまざまざと見せつけてきたのだから。さっきまで家族を失った時の夢を見ていたこともあり、心羽は感傷に浸っていた。
「そうだね…。とりあえず香穂ちゃんのアクセサリー見に行こ!」
心羽は自分のことから話題を逸らしつつ、その寂しく惨めな感情に蓋をするよう心がけた。

私の過去も、背負ってきたものも、本当の名前すらも、日菜ちゃんや香穂ちゃんは知る由もない。私が話したところで、そんな現実味のない話をわかってはもらえないだろう。あくまで、同じ時間を共にしているだけの、仮初の……間に合わせの友達だ。それでも親しく接してくれる2人には感謝しているけど、2人との間には大きな隔たりがある。私はちゃんとした友達じゃない…

心羽はいつの間にか二人と別れ、ベンチに腰を下ろして星空を見上げていた。
家族は殺されて、故郷は奪われて、私はこんな遠い星までひとりで逃げてきた。でも、そのことを知っているのは私だけ。日菜ちゃんや香穂ちゃんだけじゃない、この果てしなく広い宇宙で、誰もルクスカーデンの惨劇を知らない。誰もお父様やお母様を知らない。私の人生だってそうだ。日夜エクリプスに独りで挑み、何度も死にかけながらなんとか生きてることだって、誰も知らない。私の生きた証のひとつさえ残せないまま、ひとりぼっちのまま幕を閉じるんだ。そんな人生………

………………寂しい……な………

次の瞬間。どこからともなく聞こえた、私の名を呼ぶ声。最初は空耳かと思ったが、耳を澄ませて音の出処を探っていると、はるか遠くから確かに私の名を叫ぶ声が聞こえる。誰かが私を探している…。でも、ひとりぼっちのこの星で、誰が…?

「リュミエー!助けに来たぞ!」
「どこにいるんだ!返事をしてくれ!」

その時、はっきりと聞こえたその声に思わず息を呑む。この声は知ってる。あの時、展望台で…そう、この場所で独りじゃないことを教えてくれた“あの人”の声だ……
……あれ…?なんで私の名前を知ってるの…?それにこの声、あの人じゃなくて、健人く…ん……!?
「私はここよ!健人くん!」
心羽も大声で答える。しかし、声は聞こえるが姿は見えないし、呼びかけても聞こえていない様子。心羽はその声の出処を必死に探す。
「リュミエ…!頼む…姿を見せてくれ…!」
「ごめんな…あの時一緒に居てやれなくて…」
聞こえてくる声はだんだん悲痛なものへと変化していく。健人くんのところで一体何が…?
というか、健人って誰?なんで私はその声や名前を知っているの?私は彼に会ったことなんて一度もないはずなのに…
それに、一緒に居てやれないってどういうこと…?私は独りだったはずなのに、どうして…?
「嫌だ…こんなところで君を失いたくない…!」
「一緒に帰ろう…!帰って、一緒に生きよう…!」
でも、その呼びかける声でだんだんと記憶が戻ってくる。彼と一緒に戦った記憶も、ご飯に誘ったら来てくれた記憶も、たしかに全部私のものだ。なんで忘れてたんだろう。私は独りじゃない…健人くんという存在がいたんだ…!
そもそも、おかしいのはこの世界の方だ。私は知らない記憶を持ってるんじゃない。今見ているこれが夢で、その記憶たちは実際に起こったことだ。現実ではたしか、カイルスに挑んで、全然歯が立たなくて、ボコボコにされて……だとしたら、今いるこの空間はさしずめ生死の狭間だろう。そうすれば健人くんのあの呼びかけにも辻褄があう。きっと現実から私を呼んでいる…!
「会いに行かなきゃ!」
「生きて帰るから、待ってて…!」
そう叫った次の瞬間。視界が歪みはじめ、見えるもの全てにノイズがかかる。音がくぐもり、急な頭痛が伴う。輪郭の崩れ始めた景色の中に、“あの人”の影が浮かび上がる。ぼやける視界の中でおぼろげに捉えたその姿は、健人くんそっくりで……

白く崩れゆく世界の中で、心羽は思考をゆっくりと整理していた。今のが生死の狭間で見た夢なんだとしたら、とんだ悪夢を見せられたものだ。危うく夢の中で絶望しかけるところだったし、あの時健人くんの声が聞こえなかったら、私はあの夢から抜け出せなかっただろう。そして、気付けたこともある。あの時、展望台で出会った“あの人”は……花森健人で間違いない。
あの時からずっと、健人くんは私を支えてくれてたんだ…

伝えなきゃ。健人くんはもう覚えてないかもしれないけど、私はあの時、たしかに救われたんだ。そして今も。ちゃんと生きて帰って、伝えなきゃ。

「健人くん、今会いに行くよ………」

END

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