長く積読にしていた若竹七海『スクランブル』をようやく読了した。
読んでみて大いに面食らったのだが、この本は非常に読みにくい本である。
若竹七海の作品はこれまでも何作も読んでいるが、こんなに読みにくい作品を書く作家だったろうか?と驚かされてしまった。描写をバサバサと切り落としているためか人物の見分けがまったくつかず、第3エピソードまで通読した時点で、ほとんど内容を把握出来ていないことに愕然としてしまった。これはあきらかに読者に分かりやすいようには書かれていない。
さて、こうした本を読むにはコツがあるのである。
作品に登場する固有名(この作品では登場人物の名前)の設定、属性をメモしながら読むとよいのだ。
中途から冒頭に戻り、スマホのメモ帳に人物名をメモしながら読み進めた結果、作品の内容を鮮明に理解出来るようになった。以下はそのメモを分かりやすくまとめたものである。本来、これは読書メーターの感想欄に書き入れるために書かれたものだが、読書メーターはテキストの改行が出来ないうえに分量的にも多くなりすぎるため、ここに別稿として起こした。
作品は本当に素晴らしい。様々な意味で味わい深い作品である。多少苦労をしてでも読む価値は十分にある。作品を読み進めることに困難を感じた方に、読書の助けとして利用してもらえたら嬉しい。
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舞台は1980年の女子高校、新国女子学院。
幼稚園から系列校があり、多くの生徒が中学からの持ち上がりで進学する。そのため高校受験で入学した生徒は校風に馴染まない「アウター」として異端視されている。主人公グループでは夏見、マナミ、洋子、宇佐が「アウター」である。
主人公グループは6人の文芸部員。高校2年生。以下登場順に。
夏見、マナミ、サワ、飛鳥は同じクラスのB組。洋子がA組。宇佐がF組。
夏見と宇佐は比較的見分けがつく。(夏見が目立つのには、他にも理由はあるが割愛。)
飛鳥しのぶは、グループ内でも異質なキャラ付けの人物で、彼女だけアニメっぽいというか、きらら漫画に登場するキャラクターのような言動をしているのだが、それでも私は3つ目のエピソード「サニーサイドアップ」に至るまで存在を認知できなかった。(え、飛鳥って誰…と。)冒頭から登場しているのにである。
小説はそれぞれ視点人物が異なる6つのエピソードと、各エピソード間に挟まれた幕間的な部分から成っている。
6つのエピソードは1980年、主人公たちは16歳。
そして幕間は1995年、主人公たちは31歳になっている。彼女たちは、かつての仲間の結婚披露宴で顔を合わせているのだが、そこで語り手は、15年前に学院で起きた殺人事件の犯人が誰だったのかに気付くことになる。その犯人は今、自分の目の前にいる…。
このフーダニットが小説全体を牽引する興味となっている。
以下、6つのエピソードのうち第3エピソードまでの登場人物をまとめる。
第4エピソード以降も、新しい人物が登場してくるが、第3エピソードまで作品内容をしっかり把握することが出来ていれば、その後は苦労することなく読み切ることが出来ると思う。
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で把握しておきたいのは、第2エピソードでシャワールーム殺人事件の容疑者として疑われた殿村先生のその後である。退職、信川先生との婚約は解消となっていたのだが、嫌疑が晴れたとして教職に復帰、新たにB組の担任になっている。しかし、信川先生との婚約は解消されたままである。
読書メモは以上である。
これ以後はメモを取らなくても通読可能。
シャワールームにおけるホワイダニットの発想の素晴らしさ、そして何より、誰が犯人なのかという結末に至るまでのフーダニットの盛り上げ方の上手さは、この作品の推理小説としての美点の最大のものである。
ところが、そのような推理小説としてのカタルシスは、最後の最後に至って、小説的リアリズムの下に結局は否定されてしまう。こうした結末の付け方には、新本格第一世代の作家に特有の世界観、文学観、推理小説観がよく表れている。推理小説に強く魅了されながらも、推理小説など遊戯に過ぎないという相反する態度。
この作品が連載、刊行された1996~97年は、新本格ミステリのムーブメントも第2局面と呼ぶべき時期に入っており、第一世代の作家の何人かが沈黙する代わりに、京極夏彦を筆頭とした第二、第三世代の作家たちが矢継ぎ早に作品を刊行していた時期である。
そのような時期に発表されたこの作品は新本格第一世代の「遅れてきた傑作」ではなかったか?そのように思わされた。