4 (Update)

2020年4月16日。花森健人が目を冷ますと、まず視界に入ってきたのは清潔感を感じさせる白い天井だった。ここは…どこだ?続いて感じたのは手に感じる柔らかな温み。まだ半開きの目線が、その温みを辿る。そこには疲れた顔で自分を見守る母、純子(すみこ)の姿があった。
「…母…さん?」
「…けん…?…けん…!よかった…」
母の頬が涙で濡れる。ああ…また泣かせてしまった…幼いころから不登校だったことから、苦労をかけてしまったと思う故か、母の泣き顔にはどうにも罪悪感を感じてしまう。だけど、良かった…母さんが居てくれて。酷く悪い夢でも見ていたんだ。そうだ、あんな特撮みたいなこと、あるわけないじゃないか。そう思うと、健人自身の頬にも自然と涙が伝った。
「ごめんね」
「…ううん、心配だったけど無事でよかった。大変だったね」
顔をくしゃくしゃにしながら、労りの言葉をかけてくれる母の思いやりが嬉しい。しかし、"大変だった"…確かにその通りだ。でも、あれは夢だろう?なんで母さんが"大変だった"と思うんだ?そもそも、どうして俺は今、この病室のベッドに居るんだ…?
「…母さん、俺…どこで見つかったの?」
状況から察するに、誰かが自分を見つけなければここには居らず、また母たち家族にも伝わることはない。あの出来事に対しても、今の状況の確認という意味でもそう聞いてみた。
「…朝憬の街の方から少し外れた、あの展望台…あるでしょう?あの近くの畦道だって、警察の方から…」
情景がありありと浮かんでくる。あれは…夢じゃない?俄には信じられない。いや、認められない。だが、事実として自分はあの場所にいた。その事実が、健人の顔を恐怖にひきつらせた。
「…けん?…どうしたの…?」
その様子に、純子も神妙な面持ちで息子の思いを窺う。息子を気遣い、すぐには何も聞かないつもりだっただけに、彼女は慎重にそれだけを問いかけた。
「……」
しかしすぐには答えることは出来ない。どう説明すればいい?色々息苦しくなって自転車で彷徨ってたら、どういうわけか烏みたいな格好の怪物に襲われた。気づいたら自分もその似姿になって、怒りのままに無我夢中で戦い、そのまま狂乱してそこから逃げようとしたーーーそんな荒唐無稽な話、或いは母にさえ信じてもらえるかわからないし、自分でも受け止めきれなかった。
「思い出させたりしてしんどかったら、ごめん。無理しないでいいよ…今は眠りな」
眉根を寄せ、考え込んでいる様子の健人の姿に、純子はその心中の全てを察することは出来なかったが、やはり今は深く事情を聞くことは躊躇われたのだろう。
「とにかく目が覚めて良かった」
それだけ言って話を一度切り上げようとしたが、健人が咄嗟にそれを遮る。
「えっと…それが…襲われたんだ。何か、変な奴に」
どうにか意を決して一応の説明を始めた出だしは、そんな言葉からだった。病室の窓から見える景色は、あの出来事などまるで気にも止めないかのような青空だった。

そこは朝憬市の中心街のとある一角。その裏路地にて黒コートを羽織った長身の男の前に、フォーマルなスーツ姿の人物が現れた。眉根を寄せてくたびれた様子の前者に、後者は自身の茶髪を弄び、何食わぬ顔で話し始める。
「何があった?ネーゲル。あんた程の奴が、随分弱々しくなった」
「…俺にもよくわからんよ」
黒コートーーーネーゲルが苦々しく応えた。全く面倒な手合いだ。神経を逆撫でしてくれる…ネーゲルの声音に潜んだそんな思いを見透かしながら、茶髪は関係ないと言わんばかりに問いを続ける。
「ほう…聞かせろ。与太話でも退屈しのぎにはなる」
「ふん…話すと思うか?カイルス…殊更お前に」
鬱陶しい。ただただ鬱陶しい。その不遜で見透かしたような態度…虫酸が走る。
「理解する気もないのなら放っておけ…つまらん興味本位で他者に食いつくなど、如何にも人間のようじゃないか」
「あんたこそ人間らしい…そんなクソみたいな持論を押し付けるその在り様はな」
交わされる敵意と皮肉を内包した言葉。睨み合う両者の視線。
「なら互いに滑稽な猿真似だ…ちゃぶ台でも囲むか?」
ネーゲルから自嘲と投影とがない交ぜになった言葉が飛んでくる。しかし茶髪———カイルスはそれを鼻で嗤うと、「…それ、困るのはあんただろう?」と言い返した。しかし直後にはそんな嗤いも消え、カイルスは自身の髪から手を放す。
「…あんた自分の状況判ってるのか?今の弱ったあんたからなら、その揮石を頂くこともできる」
その表情からは感情表現が失せ、据わったようにネーゲルを見る瞳が金色の光を発する。そのままネーゲルの眼前まで近づくと、静かに、しかし圧を込めて一言告げた。
「…殺スぞ」
「俺を除いて先遣隊としての任を果たせるか?」
ネーゲルもまた視線を逸らさずそれだけ返す。だがそうは言ったものの、弱っている現状は認めざるを得ない。やはりあの時戦ったあの若い男に、力の半分を持っていかれた故か…そう考えているとカイルスは、興が覚めたと言わんばかりに一つため息をつき、ネーゲルを突き飛ばして視線を離す。
「まあ、それはそうだが…腐ってはいても、あんた程の奴をそこまで追い詰めたものが何なのかには…その先遣隊は皆関心を抱いてはいる」
本心は明け透けだが、言葉の意味は間違ってはいないだろう。実際あの男との交戦後、”下の連中”の見る目がそれまでと異なっていた。奴らの考えなどどうでもいい…と言いたいが弱った力ではそういうわけにもいかない。
「"先遣隊の総意"だ。話せ」
「……」
その時、近くで人間の気配がした。二人がそちらに注意を向けると、煙草を片手にした作業着姿の若い男性が6メートル程先を通りかかっていた。男性の方も遠目に見ながらも、二者の物々しい様を感じ取ったのだろう。すぐに視線を反らして立ち去ろうと踵を返す。だが次の瞬間、男性が背にしたはずのカイルスが瞬時に目の前に移動していた。その左腕が男性の襟首を掴むと同時に、取り出されていた一本の煙草とその箱が地面に落ちたーーー

END

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