11.謝罪と相談

深夜の展望台のデッキ、そのベンチに少女が一人。さめざめと泣いていた。そこを通りがかったある青年は、その姿に胸を傷めていた。
「…どうしたの?…大丈夫?」
不審者と疑われても仕方ない。だが、少女のあまりに悲痛な様相にとうとう声をかけてしまう。警戒させないように、なるべく遠くから。
「いや、その…すみません。何か、大変なことがあったのかなって」
「……私ね、」
そう切り出した彼女の姿は、距離と夜の暗さの中でよく見えない。その顔も、涙も、自分には見えることはない。
「私ね、世界で独りぼっちなんだ」
他に掛ける言葉を探す間に、彼女は空を見上げて言った。
「全然知らない街に来て、家族も友達も誰もいなくて」
その内に宿した幼さと純粋さが、涙声に震えていた。
「こんなに宇宙は広いのに、その何処にも私の声は届かない」
だが青年には掛ける言葉が見つからない。彼女の抱える心の痛みは、言葉では届かない。青年もまた抱える痛みが、それを彼自身に伝えていた。だがーー。

「それじゃあ私は、なんのために生まれてきたの?」

その心の声は、彼を諦観から突き動かした。
「なんでかな…一生懸命やってるのにね」
そもそもその言葉は、誰に向けられた言葉だったのだろうか。彼女に?それとも自分に?
「ただ、ひどい話かもだけどさ。俺、ここで…君に会えて良かったな」
「…えっ」
少女は伏せていた顔を少しだけこちらに向ける。その瞳は未だ涙に濡れていたような気がした。
「うん、ホントにひどい…多分今、君みたいな人と、話したかったんだ」
そう言うと同時に青年が抱いていたのは恐怖。今にも壊れてしまうかもしれない繊細な少女の心に触れ、力になりたい前のめりな思いと、加えようとした力で彼女の心が砕けてしまうのではないかという思いとが、彼の口元を震わせる。
「もし、なんだけど…よかったら、なんだけど」
”応えたい、何かできないか”
いつだって出てきてしまうのは、そんな自他の領域を考えない愚かしい考え。可能な限り封じようとした、醜い狂乱の元凶。少女に感じた、その侵しがたい領域への畏れと、熱に浮かされる感覚を自覚しながら、張り詰めた神経に肩で息をする。
「独り言、言っていかない?」
混ざりあい、せめぎ合う感情の渦の中にありながら、ようやく出てきた無意味な言葉は、そんな一言だった。
「…独り言?」
「うん、独り言」
それが、精一杯だった。それも自分の救いと、他者のそれと重ね、強請ることしかできなかった我がまま。その延長でしかない。
「君の声は、俺に届くかもしれない。俺の声は、君に届くかもしれない」
そんなわけないのに。それでもどうか、今だけはーー。
「だから、何ていうかな…自分と、お互いを助けるつもりで、さ…」
その言葉は、誰に向けられたものだったのだろうか。

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目を覚ましたとき、病院のベッドに横たわった花森健人の傍に居たのは、母の純子(すみこ)だった。その時感じたのは、母が自分の左手を握っていた温み。その温みは健人の意識を現実の世界へと引き戻した。
「健…!」
「…母さん」
「良かった…」
純子の頬が安堵の涙に濡れる。何を言えばいいのかわからない。ただ、また母を泣かせてしまった。
「ごめん」
口を突いて出たのは、謝罪の言葉。幾度となく繰り返してきた言葉だが、自分のために泣いてくれる母に、言わずにいられなかった。
「大丈夫、大丈夫よ」
そう言うと純子は健人を抱き締め、頭を撫でる。瞬間、健人は泣き出していた。幾度となく出くわした命の危機。その実、狂乱するしか出来なかった恐ろしさ。自分のイメージを象る、自分には知りようもない力。超常に打ちひしがれた虚勢まみれの心が、母からの熱に解かれていくのを、健人は感じていた。
「怖かった…」
続けて父の徹也が、病室に入ってくる。それまでの不安や心配故にか、肩で息をした徹也の姿からは狼狽と安堵が窺えた。
「健…!」
「親父…あの」
「お父さん」
健人は父に伝えるべき言葉を探していたが、ついぞ何も出てこない。それ故に一瞬視線を落とすも、構わず徹也は息子の肩をそっと叩いた。
「無事で良かった」
「…ありがとう」
その後、医師の診断では医学的に身体に大きな異常はなく、一部の打ち身と過労があったのだろう。ほぼ完治しつつあるという結果だった。しかし初樹たちは無事なのか。健人の胸中には、それが重くのしかかっていた。家族に事の次第を話すにしても、一連の事象はあまりにも常軌を逸している。
「俺、どこで見つかったの?」
「朝憬の中央搭…あるでしょう?そこに倒れてたって、警察の方が」
「健人、今聞くべきじゃないかもしれないが…何があった?あの時は報道されてた有害鳥獣も出て、襲われた人もいたって」
「お父さん、今はーー」
徹也が振った疑問の言葉を、純子が制止する。未だ戸惑う両親二人に、健人は一瞬言葉に詰まるが、程なく出てきた言葉はある意味捻りのないものだと自分で思った。
「うん。何て言うか、変な奴に襲われたんだ。それで…友達も巻き込まれて心配だから、連絡したい」
それは5月17日の夕方、朝憬市立病院でのことだった。

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翌、5月18日の8時27分。奇しくも同じく病院に運ばれていた桧山初樹のスマートフォンに、健人からの連絡が入り、彼は慌てて電話を取った。同時に傷を負った脇腹が少し痛む。
「もしもし、花っちか!?ーーっ痛!」
「ハッサン!大丈夫か?」
「ああ、ちょっとな…こっちは大丈夫。花っちは無事か?」
「良かった…!こっちも何とか。朝憬市中央病院にいる」
自身を思う健人の、必死の様子の返事を受けながら、初樹は言い様のない罪の意識に一瞬眉を寄せる。だが何よりも友を案じる思いに、小声だが口が勝手に動いた。
「何か変なことされてないか?…人体実験とか」
「ああ、大丈夫。敢えてそういう話は、病院に伝わってはないみたい」
その言葉に一先ずの安堵し、胸を撫で下ろす。そんな初樹の状況を、健人もまた問う。
「あの後だと、ハッサンも病院か?」
「ああ、俺も中央病院に入院だ」
「…悪いな」
その反応は、簡単に想像できていた。だから、ここで自分が折れるわけには尚更いかない。何より、健人にはちゃんと伝えておくとそう決めた。
「何で、花っちが謝るんだよ」
「でもーー」
「俺は、謝らない。守りたい人のためにも、友達をこれ以上危険に晒さないためにも、俺は中途半端はしない」
沈黙が、一瞬流れた。健人の息が上がる音が、スマートフォンに響く。無理もない。故に伝えるだけに留めつつ、こう結んだ。
「花っちの思いは、花っち自身が決めてくれ」
「…ハッサン、一回俺と会ってくれ。俺も明日の昼過ぎには、なるだけ思いを整理しとく」
「うん、わかった」
今の健人の精一杯を受け取り通話を切る。初樹の表情は険しかった。そして今朝のーー18日の朝刊を睨み付ける。17日の号外には"有害鳥獣事件"と称された16日の事件について大見出しで記されていた。ここに来て、それまでの情報統制からの急展開。そして状況を見極めるには、少しでも情報が要る。
「応えるためにも、少しでも。だよな」
そう独り言ちつつ、18日の朝刊を手にとって開くと、そこには大きな見出しでこう書かれていた。

"政府「特殊部隊による有害鳥獣の全駆除を完了」"

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「一応ではあるが、友人達が諸々上手く収めてはくれているようだ。我々は死んだと発表された」
同日10時13分、朝憬市某所。書斎を思わせるその一室の机に座し、バベルが言った。
「それで協定についてだが、エヴルアが消えた以上は君たちと各担当区域について、相談せねばならない」
各担当区域について相談。その文句が発された瞬間、書斎の書物を読んでいたアゼリアが顔を上げる。部屋の隅にあったゾルドーは机のバベルに向けて切り出した。
「奴の北西部に一番近かったのは、私が担当している南西部だ。土地の事情については私が尤も精通している」
「随分思いきったね、ゾルドー。君から切り込むなんて」
その発言に、ゼンが書斎の天井から逆立ちに現れる。彼が淡々と述べた所感を、ゾルドーは静かに鼻で嗤った。
「外連味だらけの閣下殿に、理を示しただけのことだ。貴殿こそ、たまにはその意を示してはどうかね?調律者」
「うーん、今はこの星のビデオゲームの方が楽しいしな。早く作りたい武器があるんだよね」
ゼンのその如何にもな子供という態度は、ゾルドーに天を仰がせた。だが仰いだところであるのは少年のしたり顔。ゾルドーはすぐにアゼリアの方へ議題について振り、その出方を伺う。
「アゼリア、貴殿はどうだ?」
「私ねえ…その前に一つ気にかかることがある」
アゼリアの発したその一言に、三者がその意識を寄せた。アゼリアはバベルに視線を向けると、ある疑問を口にする。
「バベル。エヴルアの身体はどうしたの?」
「揮石を砕かれて消えたよ。必然だ。どうしてそんなことが気にかかるのかね?」
「あなた、割合エヴに執着していたように思えてね」
「それは君こそ、そうではないか?」
張り詰めた静寂が、書斎に満ちていく。互いを射抜かんと交錯する視線は、やがてゾルドーに大きく溜め息を吐かせた。
「それで、君はこの"相談"に意見するのかね?アゼリア」
「…ええ、彼の動きにも気にかかるところは多くあった。彼の土地だった北西部に興味はあるわ。それはゾルドー、あなたも同じでしょう?」
アゼリアからの飛んできた火を、あしらうでもなくゾルドーは首肯する。その様にバベルはこの二者にこう提案した。
「よし。ならばこうしよう。次にイレギュラーの青年を攻略したなら、北西部は君たちか、そのどちらかが優先的に管理すればよい。これでいいかね?」
「…承知した」
「それが妥協点か」
一瞬の沈黙の後、ゾルドーとアゼリアはこれを承諾した。

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「店長、ホントすみません!」
続く健人の謝罪は、安場佐田の店長である佐田に向けてのものだった。
「花森、お前な。店放り出して入院って、何かあるだろう。何に首突っ込んだ?何に巻き込まれた?」
両親とも縁のある佐田には、既に健人の入院について二人から連絡はされていた。しかしそれでも尚、健人は佐田から雷が落ちることを覚悟はしていた。
「そりゃ、お前の人生だ。勤務時間外はお前の自由だし、その主体をどうこうは言わん。それにお前は、事情なく店を投げるような奴じゃない」
予測通り、確かに掛けられた言葉は叱責ではあるが、どこか暖かささえ健人に抱かせる。それだけに、説明のしようもない事情を恨めしく思いながらも謝るしかない。
「店長…もう、何て言ったらいいか、ホントーー」
「それだよ。謝るのはいい。だが謝るクセに逃げるのは、お前自身を貧しくする。それこそお前があそこで破綻した理由の一つだぞ」
その言葉に健人は息を呑んだ。言い様の無い気持ちの悪さ、嫌悪感が胸にせり上がってくる。それは過去の記憶に関してか、或いは当時と今の自分自身に対してか。いずれにしても今の健人は、佐田からの言葉に黙することしかできない。
「…さっき、店に若い女の子が来た。お前に届けて欲しいって、俺に言づけて何か置いていったよ」
「えっ」
自分を訪ねた若い女の子。一瞬、誰のことか分からなかった。最近知り合った上坂蓉子だろうか。だがそうなら佐田は”上坂さんが来たぞ”などという言葉で伝えるはずだ。状況としても違和感を覚える。
「どんな子でした?俺に若い女の子の友達って、まさか…!」
言いながらハッとする。一つだけ、一人だけ、思い当たる節が、縁があった。
「お前より若い、姿から所作から可愛らしい娘さんだ。赤い髪をしていた」
「店長!その子、もう店から出たんすか!?」
「ああ、もう行ってしまったよ。「また来るかもしれない」とは言ってたが」
状況がすぐには飲み込めない。自分に関わる出来事が、自分を置いて目まぐるしく展開していくその事象に、健人はただ愕然としていた。

END

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