モルの手記⑩ 星の魔法について

幼い頃は、紙に絵を描くとそこに魔法が宿る程度のものだった。例えば、私が描いた金木犀の絵からはほのかに金木犀の香りがしたり、大きな太陽の絵からは少し暖かみを感じたりだとか、気のせいと言われればそこまでのごく僅かなものだった。
けれど、私がものを喋りだし、読み書きができるようになって具体的に想像しながら絵を描くようになると、その魔法ははっきりと具現するようになった。 仕掛け絵本のように、描いたものが立体的に絵から飛び出してきたのだ。お城の絵からは、描いていない城の裏側や内装に至るまで精巧な模型が具現し、クッキーの絵は手に取って味を楽しむことができた。
当時6歳前後だった私はこの魔法的現象に興味津々になり、「絵の魔法」と名付けた。
ボイジャーの系譜は一人ひとりが“固有魔法”を持っており、絵の魔法はどうやら私の固有魔法であるようだった。(得意なのは熱の魔法だけれど、熱の魔法は王族なら誰でも扱える魔法なのに対して固有魔法はその名の通り自分以外にその魔法の使い手が存在しないことを意味している)
絵の魔法は絵の上手い下手よりも、思い描いているイメージ=想像力の方が発動には重要なようで、掛け時計の絵から具現した魔法は正確な時刻を指さずに私の体内時計を示すし、試しに分解してみたら内部構造は本物のそれではなく、私が勝手に想像した非現実的なからくりが搭載されていた。
丁寧にイメージすれば精巧に具現するのだが、イメージが不鮮明なら魔法は発動しない。また、一度具現した魔法であっても、そのイメージを忘れてしまったり、別のことを考えていたりすると消滅する。具現はできても維持するのには集中力が不可欠だった。それに、そもそも絵を描くために時間を要するので、ユニークな魔法ではあるものの使う機会は少なく、得意な熱の魔法を究めていった。

それから時が経ち、地球にて宇宙の文献を調べている時、最初に目にしたのが「星座」の概念だった。昔の人たちは空に浮かぶ星々を線で結んで人や動物たちの姿を想像し、さらにはそこから物語までを紡いだという。
私も夜空を見上げ、“それ”に挑戦してみることにした。星を点と見立て、それを線で繋ぐ。ものすごく抽象的なその図形から、パッと思い浮かんだ物の象形を当てはめる。私も星空からいくつかの動物の形を見い出すことができたが、昔の人たちは80以上の星座を見出し、物語をつけたというのだから尊敬する。
気付くと私は、この星座を生み出す連想ゲームに嵌っていた。オリジナルの星座を次から次へと生み出し、そこに象ったものたちが自然と物語になっていくのだ。楽しかった。季節の移り変わりと共に星空の配置も変化し、新しい物語をもたらした。

そこからさらに時は流れ、エクリプスとの戦いに明け暮れていたある夜のこと。星座を見上げていた私ははあることに気付く。もし絵の魔法が「想像力で描けない部分を保管する魔法」であるなら…。私はスケッチブックを取り出し、大きな白鳥をイメージしながら、はくちょう座を書き写す。星だけを描き、星と星とを結ぶ線は引かずに…。知らない人がみたら、まばらに9つの点が打ってあるだけのイラストが完成した。しかし、私の想像力が勝手に星々を線で結ぶ。白鳥の姿が浮かび上がる。そして、大きな白鳥が点だけの紙から飛び出すように出現した。イメージさえあれば、元となる絵はどんなに簡略化しても大丈夫なことに気付かされた。9つの点から白鳥を具現できるのだから。

「光の魔法」は、光の粒が集まって武器を形成する魔法。数万ある光の粒でその武器は自在に形を変えられるが、操れる粒子の量には限界があり、同時にいくつもの武器を生成することは不可能だった。
しかし、光の粒ひとつひとつを虚空に配置して点を作り、そこから想像力で線を引くと、星座のように絵が浮かび上がり絵の魔法が具現する。これが星の魔法の原型であり、たった数個の粒子から剣を作り、大鷲を呼び出し、オリジナルの星座を即興で作ればなんだって具現できた。もちろん具現を維持するには集中力が必要なので、複数呼び出して同時に制御するのは至難の業だったが、コンディションが極まっている時にはエクリプスの戦闘艦とも張り合うぐらいの大いなる魔法だった。

END

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