お前たちは食事が如何なるもの理解しているか?
食事とは、命を食らうことだ。
そこに生きる命を理不尽に殺し、加工して食っているのだ。
感謝して命を頂いている?当然のことだ。
そもそも、彼らから許可を得ているのか?
「食べるために私を殺しても良いですよ」と、そう言われたのか?
お前たち人間は食事のために他の命を奪うことを正当化しているが、それはお前たちが食物連鎖の頂点にいることに甘んじているだけだ。
もし人間たちをエサとする上位種が現れて、お前たちの許可もなしにお前たちの命をエサにし始めたら許せるのか?
大切な家族や友達がなんの脈略もない上位種に殺されてただのエサとして食われることに納得できるのか?
「ご馳走様でした」と感謝されれば許すのか?
お前たちがしているのはそういうことだ。
それに留まらず、お前たちは命を加工して金儲けをしているだろう。食べるならまだしも、金儲けのためにたくさんの食事を作っては捨てている。
我欲のために数え切れないほどの命を無駄にしているのだ。
そうまでしておきながら、お前たちは食事を正当化しようとする。食事が非道な悪事だという事実から目を逸らし続ける。
卑怯で、醜い。穢らわしい。
お前たち人間はよく笑う。どんな時に笑う?
大抵は嬉しかった時か、面白いことがあった時に笑うだろう。
だが人は、誰かが可哀想な目に遭っていても笑う。他者をからかって笑う。馬鹿にしたり、嘲って酷い目に遭わせ、その反応を面白がって笑う。
笑いのために、誰かの尊厳が踏みにじられ、侮辱され、傷つけられているのだ。
そしてこの誰かの可哀想な映像を娯楽として楽しむために、金を払う奴がいる。金儲けのために、誰かを酷い目に遭わせて驚く様子を映像に残す奴がいる。
人の心というものがないのか?
お前たち人間の多くは子供を欲しがる。
子供というのは新しい命であり、尊厳のある人間だ。
しかし子供は、ひとりでは何もできない弱き存在だ。大人が、親が、守ってやらねばならない。そして、ひとりで立派に生きていけるよう正しく育てなければならない。
これは親が担うべき当然の責務だ。
しかし、この当然の責務を果たせないのに子供を欲しがる人間がいる。
子供にとって親は唯一の依存先であり、自尊心を育むための拠点となる存在だ。親がその責任を果たさなければ、子はまともに育たない。まともに育たなかった子供には不幸な未来が待っている。さんざん苦しんだ挙げ句、自ら命を絶つ者もいる。
お前たちはよく「子育て失敗した〜」などと言っているのを見かけるが、そもそも「子育てに成功」することがあるのか?
はじめから成功しない、失敗しかないものを何故始めてしまう?
はっきり言おう、命への冒涜だ。
人間には清廉なる者も穢れた者もいると思っていた。だが実際には穢れた者しか居なかったのだ。
穢れた者からの被害を訴え、そのような穢れの根絶を目指して活動する者がいた。
最初は彼のその志を清らかだと思ったのだが、彼は自分を加害していた穢れがなくなると、途端にその活動をやめてしまった。そして、いつの間にか別の穢れで加害する側に回っていた。
人間はみな我が身可愛さ故に自分が受けた被害だけは声高に叫ぶが、自分が当事者じゃないことには無頓着なのだ。
所詮は自分さえよければいいという醜い我欲。清廉なる者など本当は居ないのだ。
私は人類で唯一の、清廉なる者である。
私は世界中を清らかに洗浄し、清らかな生命で溢れる世界を作るという大義を掲げている。これは我欲の中でも最も清らかなものだ。
またこの大義に則って穢れた命を排除するのは、穢れた行いではない。
基本的に、命はみな生まれながらにして清らかなものだ。本来なら私が洗浄などしてやる必要はないのだが、愚かなことに人間はみな穢れた欲を抱いてしまう。
エクリプスは私の願いから生まれた、清廉なる種族。
彼らは絶望という手段で穢れを洗浄している。彼らにも我欲はあるのだろうが、大義に則った我欲である限り穢れてはいない。
花森健人は穢れている。
身の丈に合わない高望みの末、理想と現実との落差に打ちのめされた非力な愚か者だ。
彼は正義の味方に憧れていたが、その感情の実態は他者の救済に自分が救われることを求めてしまう惨めな我欲に過ぎない。
私のように崇高な志を持ち合わせてなどいなかったのだ。
リュミエは私に次いで二例目の、清廉なる人間だ。
善良な人々を守ろうとする清らかな志があり、他者を加害するような穢れた我欲を持たない。
もし彼女が、善良だと思い込んだ人々の穢れを知り、我々エクリプスの掲げる洗浄こそが真の正義だと気付きさえすれば、心強い協力者になってくれただろう。
惜しい人物をなくした。
燎星心羽は穢れている。
リュミエの抜け殻だというから期待していたのだが、彼女にはがっかりした。
優しいことをしたいなどと口では言うが、その本心は必要とされたい、認められたいという穢れた我欲を満たすために他人を巻き込んでいるだけだ。人を助けることに喜びを感じず、感謝され評価されることに喜びを感じてしまっている。
承認欲求のためなら大勢を穢すことさえ彼女は厭わないだろう。
モルです。
このページは絶望の賜主が何を清廉とし、何を穢れとしたのか、その独特な価値基準を少しでも理解してもらうために作成しました。
一般的な正義を逸脱していて理解しづらそうな価値観ですが、実はモル自身の厭世観をほぼそのまま賜主に託しているだけなのでモルからするとすごく動かしやすいキャラクターに仕上がっております。