3.空洞と黒コート version 6

2023/05/16 15:51 by someone
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3.空洞と黒コート
4月26日の夕方、彼女は辟易していた。他人に愛想を振り撒き続ける自分に。誰に気付かれるでもなく、彼女自身もまたそれに気付けてもいなかった。家族も、友人も、電話に出ない恋人も、私の本当なんて知らない。しかし彼女自身その内のどこかで、ある一点を察知していた。

私自身、がらんどう。"本当の私"なんて空洞だ。

それが彼女による、虚ろな自身への言いようのない絶望。自分がどうしたいかなんて、半端に選択肢を与えられても、自由にそれを発することはできず、またそんな個性は社会通念に、属してきた世界に埋没していく。そしてそんな経験で形成した仮面で自分さえも偽ってきた。
就職活動、論文作成にインターン。人並みの生命活動を続けるための生命活動に忙殺される。そんなゲシュタルト崩壊を心身に感じ、その行き場のない疲労感と共に床に着いたーーはずだった。
次に目が覚めたとき、埋没していた心は、虚ろなまま掘り起こされていた。影に根差した怪物によって。身を起こした目の前に、"それ"は居た。
「あなたが私に今の夢を見せたの?」
普通なら叫びの一つも上げるところだったのだろうが、そうはしなかった。夢の中の彼女は満たされていた。そこでは誰も彼女を抑圧せず、また他人の圧力から好きに一人になることができた。同時に、ただ愛され、尊重されていた。そんな夢心地から半覚醒した延長に、影の怪物は部屋の角で彼女の絶望を食んでいた。夢による救済は、その行為と彼女自身の厭世による親和か。なんでもいい。"ここでない"なら、あの認められ、"愛される何処か"へ行けるなら。
「いいよ…食べな」
彼女が最期に見たのは、影の怪物に記された印の暗い光。そして影は埋没していた心と彼女自身を静かに食み、新たな生命として深化する。その姿は、美しいサクラの木を思わせるそれだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

5月2日の10時26分、朝憬市中央区西に位置するアンティークショップ、安場佐田。そのアルバイト店員である花森健人は、ふと溜め息を吐いた。
「どうするかな」
考えていたのは初樹と話したある選択肢について。先の4月25日の話し合いで、彼は"自身らで怪物と街の失踪事件について調べよう"と言ってきた。その提案は少なからず健人を動揺させた。

「無理には、言えないんだけどさ…この事、一緒に調べないか?まだ、分からないことは多くてさ…由希の真相にも近づけてない」
「でも調べるって、具体的にどうやって…」
「ちょっと、待ってな」
健人の問いに、初樹はノートパソコンを持ってきてインターネットを開く。そしてブックマークしてあった、地元の情報が記してある場末の掲示板を開いた。そこには直近に起きた失踪事件についての警察の発表もニュースとして掲載されていた。
「これを使うってこと?」
「部分的にはな。多角的な情報が欲しいだけに、こういうところに偏ってもアレだけど…で、見て欲しいのは行方不明者が最後にいた場所だ」
掲示板のリンクから、幾つか失踪事件の情報ーー主に被害状況がそれぞれピックアップされていく。この時初樹が上げたポイントは、
"直近の事件の行方不明者が最後に目撃されていたのが、朝憬市中央区北西の大通りである"こと、そして"他の行方不明者の内、十数名の最後の目撃情報も、中央区北西である"ことだった。
「これって…」
「奴らに関係してるんじゃないかと思う。こうやって、最後の目撃情報に関しては幾つかの地域に集中してる」
「ハッサン、マジなんだな」
「やっぱ引くか?」
「ていうか、ビビってる。またあんなことにならないか…とか」
「…だよな」
健人の懸念に初樹は理解を示した。戦うシーンはテレビで幾度も見てきたが、実際に自分が殺し合いの現場に立つと、ただおぞましさと恐怖が喉元まで迫ってきた。今も思い出すだけで吐きそうになる。故に、初樹の執念の一端を垣間見るも、健人には迷いがあった。
「ハッサンの本気に…うん、それに対して俺が半端なんだ。少し、置かせてくれないか?」
「ああ、大丈夫。寧ろ俺は無茶を言ってる。ただ…花っちの力も、無関係じゃないかもしれない。じっくり考えてくれ」

初樹の言葉選びに、彼の必死さとある種の狡猾さを感じながらも、時間をくれた優しさを思いつつ、その日は話を切り上げた。それ以来ずっと考えているが、この件への自身の向き合い方は未だ定まらない。
その時、ジーンズのポケットにあるスマートフォンのバイブが鳴動した。今は店に客はいない。店長の目を盗んでスマホを開くと、その通知にはあの不可解なメールがあった。
"教えて欲しい。まだ影魔やエクリプスは、朝憬市に居るの?"
「影魔に、エクリプス?…何だよそれ」
"かげま"なのか"えいま"なのか、読み方が判然としない。相変わらず送受信のアドレスは自身のものだったが、店番をしていてメールなど打っていないのだ。であるなら、何かのバグか。メールの主はなぜ朝憬市を知っている。奇妙なメールを再度削除しながら、健人は心労に溜め息を吐いた。
「どうしろってんだよ、色々」
そんな上の空の健人に直後、店長の佐田から注意の言葉が飛び込んできた。
「まずスマホを置いて、その顔をどうにかすること。客が来んだろう」

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

その男性客が安場佐田に来たのは、その直後のことだった。
「いらっしゃいませ」
彼は店に入ってくると、店員である健人の挨拶に会釈しつつ、貴金属のコーナーに真っ先に向かう。そして程なく彼の溜め息が聞こえ、小声でこう言った。
「何処に行ったんだ」
その様を怪訝に見る健人と佐田。男性客は二人のいる店の奥の方に再度会釈しつつ、歩み寄ってきた。
「すみません、少しお伺いするんですが」
歳は20代半ば、品のある理知的な顔立ち。スーツに身を包んだ背の高い男であり、健人は若干気後れするも、すぐに店員としての接客に応じる。
「はい、いかがされましたか?」
「この女性を、最近見かけませんでしたか?」
そう言うと彼はスマートフォンで、ある女性の画像を表示した。薄く微笑むその顔はどこか儚い印象を受ける。一先ず軽率な回答は憚られると判断し、「少々お待ち下さい」と置くと、健人は佐田を呼んだ。
程なく佐田と貴金属コーナーに戻ると、彼はその銀のロケットの前で佇んでいた。
「店長の佐田です、この度は何か…?」
「すみません申し遅れました。私、こういう者です」
二人にそう言うと、彼は自身の名刺を差し出す。佐田が受け取ったそれには、"朝憬証券 第二営業部 沢村智輝"と記されていた。
「証券会社の方が、人探し…ですか」
「非常識かと思いますが…そちらの方にお見せしたのは、私の交際相手なのです」
佐田に探られた自身の意図を、沢村はおずおずと答えた。
「以前彼女とこちらに来た際に、いずれこちらのロケットを買おうと、話しておりまして…」
「それがどうして、探すようなことに?」
「申し上げにくいのですが、彼女が失踪したのです。連絡がつかない状態で…」
その瞬間、佐田は眉を寄せた。だが程なく話を続ける。
「連絡がつかない…ご家族にもですか?」
「はい」
「そういうことは、私どもは何とも…警察に行かれた方がいい」
その言葉に、健人は思わず「店長、写真を見るだけでも…」と言いかけたが、佐田は左手で健人を制した。だが沢村は狼狽えながらも、再度スマートフォンの画像を見せつつ説明してくる。
「…ええ、警察には届けているのですが、もう一週間近く立っておりまして、私も心当たりをーー」
「ですが、言いにくい思いもあったのでしょう?」
佐田のその一言に、少なからず沢村は動揺を見せた。眉が下がり、視線が泳いでいる。
「それに結論から申しますと、私も見ておりませんな。残念ですが」
最後に佐田はそれだけ返した。その言い方はどこか憮然としているように、健人には見えた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

その後の12時24分、健人は英道大学にて、今一度件の女性を見た。先のレポートの最終調整をせねばならず、資料や参照先としての教授の存在がある大学のゼミ室で作業しよう。桧山初樹とそう話し、待ち合わせた大学の掲示板前に、その掲示はあった。
"真壁咲良を探しています"と銘打たれたそれは、家族によるものであろう文体で、彼女が朝憬市中央区北西の大通りで見られたのを最後に失踪したと書かれていた。そして添付されていた彼女の写真は、先の沢村に見せられたあの女性と同じ人物だった。
「花っち、どした?」
「これ…この人の彼氏が、バイト先にきたんだ。それに、北西部にこの人いたって…」
待ち合わせた桧山初樹が、健人の言葉を受けて掲示を見た。すぐに初樹の顔が見る見る真剣なものになり、記載されていた連絡先をメモし始める。
「その彼氏さん、近く当たれるか?」
「名刺は店長が持ってると思うけど…」
「そうか、出来れば一緒に当たりたいけど…一先ず俺は北西部行ってみる。花っちは、どうする?」
「…悪い」
初樹への引け目と、万一の可能性に足がすくむ思いの葛藤は、後者が勝った。その選択に健人は項垂れるも、初樹は敢えて大仰にこう言った。
「なに言ってるよ。あくまで俺が馬鹿やってるんだからさ…レポートもあるし。ただ、悪い。参考資料に俺のノートも渡しとくから、これで一つ…」
手を合わせてそう結ぶ初樹の言葉は、健人を苦笑させながらも、その心を少し軽くする。
「それこそどうにでもするさ。ハッサン、くれぐれも気を付けてな」
そうして、健人は手を振って北西部に向かう初樹を見送った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

事はその二時間半後の15時06分、英道大学A棟三階で起きた。レポートを辛くも提出し、一息着きつつトイレに離席した健人は、手を洗って学内トイレからゼミ室に戻ろうと顔を上げた。その時だったーー。
「私の影魔を殺したのはお前か」
鏡に映るは自身と後ろに立つ黒コートの男。健人は息を呑み、その場から跳び退って逃れようとする。が、背後にから黒コートの手が伸びて健人を羽交い締めにした。
「答えてもらおう、私の影魔を殺したのはお前か」
凄まじい力で捕えられた身体が軋む。踠くことも叶わず呼吸も怪しくなる中、必死に言葉を絞り出す。
「えいま、なんて…知らない…!」
「秘宝をこれ見よがしに身につけておいて、よくも抜かしてくれる」
黒コートは洗面台に健人の上半身を押し付けると、そのまま左手を掴む格好で組伏せた。その狙いは、健人のブレスレットーー。
「では、頂こうか」
しかしその暴虐に、健人は目を見開いて黒コートを睨み付ける。同時にブレスレットが強く発光した。拘束は払われ、健人の身体は三度その神秘を纏う。そして両者は掴み合いながらトイレを出ると、最寄りの窓からガラスを割って三階から外へ飛び出した。ガラスの破片が地上のアスファルトに舞う。幸か不幸か周囲にいる人間は少なく、また距離が開いていた。
「ふざけんなよ…お前ら!」
健人が大声で言った。それを受けて黒コートは一瞬周囲を見やるも、即座に間合いを詰める。
「こちらの台詞だ、俗物が」
同時に打たれた拳は健人のみぞおちを抉った。その一撃の重さに思わず昏倒しそうになる。
「貴様がそうした態度を取るなら、連れ合いにでも尋ねてみようか。秘宝を頂く術を」
「彼は関係ない!」
直後に追い付いた黒コートの揺さぶりに激昂しながら返すも、繰り出される拳と蹴りは健人の剣と難なく打ち合い、尚且つ圧してさえいた。
「首を突っ込もうとしていてもか?」
「なら、あの事件もお前らか!」
「どの事件かな、いちいち知ったことではないわ!」
はぐらかしながらも一連の事件との関わりを仄めかす黒コートの言葉は、少なからず健人に衝撃を与える。だがその時、ガラスが割れた衝撃や、争いに叫ばれた大声に異変を察知した者達がこちらに近づいてきていた。瞬間、健人が大きく剣を薙ぐと黒コートの姿は消えていた。
「この場は一度預けよう。秘宝は必ず頂きに上がる」
「ふざけやがって…」
健人は打たれた身に手を当てるも、怒気と共にそう吐き捨てた。

      

4月26日の夕方、彼女は辟易していた。他人に愛想を振り撒き続ける自分に。誰に気付かれるでもなく、彼女自身もまたそれに気付けてもいなかった。家族も、友人も、電話に出ない恋人も、私の本当なんて知らない。しかし彼女自身その内のどこかで、ある一点を察知していた。

私自身、がらんどう。"本当の私"なんて空洞だ。

それが彼女による、虚ろな自身への言いようのない絶望。自分がどうしたいかなんて、半端に選択肢を与えられても、自由にそれを発することはできず、またそんな個性は社会通念に、属してきた世界に埋没していく。そしてそんな経験で形成した仮面で自分さえも偽ってきた。
就職活動、論文作成にインターン。人並みの生命活動を続けるための生命活動に忙殺される。そんなゲシュタルト崩壊を心身に感じ、その行き場のない疲労感と共に床に着いたーーはずだった。
次に目が覚めたとき、埋没していた心は、虚ろなまま掘り起こされていた。影に根差した怪物によって。身を起こした目の前に、"それ"は居た。
「あなたが私に今の夢を見せたの?」
普通なら叫びの一つも上げるところだったのだろうが、そうはしなかった。夢の中の彼女は満たされていた。そこでは誰も彼女を抑圧せず、また他人の圧力から好きに一人になることができた。同時に、ただ愛され、尊重されていた。そんな夢心地から半覚醒した延長に、影の怪物は部屋の角で彼女の絶望を食んでいた。夢による救済は、その行為と彼女自身の厭世による親和か。なんでもいい。"ここでない"なら、あの認められ、"愛される何処か"へ行けるなら。
「いいよ…食べな」
彼女が最期に見たのは、影の怪物に記された印の暗い光。そして影は埋没していた心と彼女自身を静かに食み、新たな生命として深化する。その姿は、美しいサクラの木を思わせるそれだった。

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5月2日の10時26分、朝憬市中央区西に位置するアンティークショップ、安場佐田。そのアルバイト店員である花森健人は、ふと溜め息を吐いた。
「どうするかな」
考えていたのは初樹と話したある選択肢について。先の4月25日の話し合いで、彼は"自身らで怪物と街の失踪事件について調べよう"と言ってきた。その提案は少なからず健人を動揺させた。

「無理には、言えないんだけどさ…この事、一緒に調べないか?まだ、分からないことは多くてさ…由希の真相にも近づけてない」
「でも調べるって、具体的にどうやって…」
「ちょっと、待ってな」
健人の問いに、初樹はノートパソコンを持ってきてインターネットを開く。そしてブックマークしてあった、地元の情報が記してある場末の掲示板を開いた。そこには直近に起きた失踪事件についての警察の発表もニュースとして掲載されていた。
「これを使うってこと?」
「部分的にはな。多角的な情報が欲しいだけに、こういうところに偏ってもアレだけど…で、見て欲しいのは行方不明者が最後にいた場所だ」
掲示板のリンクから、幾つか失踪事件の情報ーー主に被害状況がそれぞれピックアップされていく。この時初樹が上げたポイントは、
"直近の事件の行方不明者が最後に目撃されていたのが、朝憬市中央区北西の大通りである"こと、そして"他の行方不明者の内、十数名の最後の目撃情報も、中央区北西である"ことだった。
「これって…」
「奴らに関係してるんじゃないかと思う。こうやって、最後の目撃情報に関しては幾つかの地域に集中してる」
「ハッサン、マジなんだな」
「やっぱ引くか?」
「ていうか、ビビってる。またあんなことにならないか…とか」
「…だよな」
健人の懸念に初樹は理解を示した。戦うシーンはテレビで幾度も見てきたが、実際に自分が殺し合いの現場に立つと、ただおぞましさと恐怖が喉元まで迫ってきた。今も思い出すだけで吐きそうになる。故に、初樹の執念の一端を垣間見るも、健人には迷いがあった。
「ハッサンの本気に…うん、それに対して俺が半端なんだ。少し、置かせてくれないか?」
「ああ、大丈夫。寧ろ俺は無茶を言ってる。ただ…花っちの力も、無関係じゃないかもしれない。じっくり考えてくれ」

初樹の言葉選びに、彼の必死さとある種の狡猾さを感じながらも、時間をくれた優しさを思いつつ、その日は話を切り上げた。それ以来ずっと考えているが、この件への自身の向き合い方は未だ定まらない。
その時、ジーンズのポケットにあるスマートフォンのバイブが鳴動した。今は店に客はいない。店長の目を盗んでスマホを開くと、その通知にはあの不可解なメールがあった。
"教えて欲しい。まだ影魔やエクリプスは、朝憬市に居るの?"
「影魔に、エクリプス?…何だよそれ」
"かげま"なのか"えいま"なのか、読み方が判然としない。相変わらず送受信のアドレスは自身のものだったが、店番をしていてメールなど打っていないのだ。であるなら、何かのバグか。メールの主はなぜ朝憬市を知っている。奇妙なメールを再度削除しながら、健人は心労に溜め息を吐いた。
「どうしろってんだよ、色々」
そんな上の空の健人に直後、店長の佐田から注意の言葉が飛び込んできた。
「まずスマホを置いて、その顔をどうにかすること。客が来んだろう」

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

その男性客が安場佐田に来たのは、その直後のことだった。
「いらっしゃいませ」
彼は店に入ってくると、店員である健人の挨拶に会釈しつつ、貴金属のコーナーに真っ先に向かう。そして程なく彼の溜め息が聞こえ、小声でこう言った。
「何処に行ったんだ」
その様を怪訝に見る健人と佐田。男性客は二人のいる店の奥の方に再度会釈しつつ、歩み寄ってきた。
「すみません、少しお伺いするんですが」
歳は20代半ば、品のある理知的な顔立ち。スーツに身を包んだ背の高い男であり、健人は若干気後れするも、すぐに店員としての接客に応じる。
「はい、いかがされましたか?」
「この女性を、最近見かけませんでしたか?」
そう言うと彼はスマートフォンで、ある女性の画像を表示した。薄く微笑むその顔はどこか儚い印象を受ける。一先ず軽率な回答は憚られると判断し、「少々お待ち下さい」と置くと、健人は佐田を呼んだ。
程なく佐田と貴金属コーナーに戻ると、彼はその銀のロケットの前で佇んでいた。
「店長の佐田です、この度は何か…?」
「すみません申し遅れました。私、こういう者です」
二人にそう言うと、彼は自身の名刺を差し出す。佐田が受け取ったそれには、"朝憬証券 第二営業部 沢村智輝"と記されていた。
「証券会社の方が、人探し…ですか」
「非常識かと思いますが…そちらの方にお見せしたのは、私の交際相手なのです」
佐田に探られた自身の意図を、沢村はおずおずと答えた。
「以前彼女とこちらに来た際に、いずれこちらのロケットを買おうと、話しておりまして…」
「それがどうして、探すようなことに?」
「申し上げにくいのですが、彼女が失踪したのです。連絡がつかない状態で…」
その瞬間、佐田は眉を寄せた。だが程なく話を続ける。
「連絡がつかない…ご家族にもですか?」
「はい」
「そういうことは、私どもは何とも…警察に行かれた方がいい」
その言葉に、健人は思わず「店長、写真を見るだけでも…」と言いかけたが、佐田は左手で健人を制した。だが沢村は狼狽えながらも、再度スマートフォンの画像を見せつつ説明してくる。
「…ええ、警察には届けているのですが、もう一週間近く立っておりまして、私も心当たりをーー」
「ですが、言いにくい思いもあったのでしょう?」
佐田のその一言に、少なからず沢村は動揺を見せた。眉が下がり、視線が泳いでいる。
「それに結論から申しますと、私も見ておりませんな。残念ですが」
最後に佐田はそれだけ返した。その言い方はどこか憮然としているように、健人には見えた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

その後の12時24分、健人は英道大学にて、今一度件の女性を見た。先のレポートの最終調整をせねばならず、資料や参照先としての教授の存在がある大学のゼミ室で作業しよう。桧山初樹とそう話し、待ち合わせた大学の掲示板前に、その掲示はあった。
"真壁咲良を探しています"と銘打たれたそれは、家族によるものであろう文体で、彼女が朝憬市中央区北西の大通りで見られたのを最後に失踪したと書かれていた。そして添付されていた彼女の写真は、先の沢村に見せられたあの女性と同じ人物だった。
「花っち、どした?」
「これ…この人の彼氏が、バイト先にきたんだ。それに、北西部にこの人いたって…」
待ち合わせた桧山初樹が、健人の言葉を受けて掲示を見た。すぐに初樹の顔が見る見る真剣なものになり、記載されていた連絡先をメモし始める。
「その彼氏さん、近く当たれるか?」
「名刺は店長が持ってると思うけど…」
「そうか、出来れば一緒に当たりたいけど…一先ず俺は北西部行ってみる。花っちは、どうする?」
「…悪い」
初樹への引け目と、万一の可能性に足がすくむ思いの葛藤は、後者が勝った。その選択に健人は項垂れるも、初樹は敢えて大仰にこう言った。
「なに言ってるよ。あくまで俺が馬鹿やってるんだからさ…レポートもあるし。ただ、悪い。参考資料に俺のノートも渡しとくから、これで一つ…」
手を合わせてそう結ぶ初樹の言葉は、健人を苦笑させながらも、その心を少し軽くする。
「それこそどうにでもするさ。ハッサン、くれぐれも気を付けてな」
そうして、健人は手を振って北西部に向かう初樹を見送った。

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事はその二時間半後の15時06分、英道大学A棟三階で起きた。レポートを辛くも提出し、一息着きつつトイレに離席した健人は、手を洗って学内トイレからゼミ室に戻ろうと顔を上げた。その時だったーー。
「私の影魔を殺したのはお前か」
鏡に映るは自身と後ろに立つ黒コートの男。健人は息を呑み、その場から跳び退って逃れようとする。が、背後にから黒コートの手が伸びて健人を羽交い締めにした。
「答えてもらおう、私の影魔を殺したのはお前か」
凄まじい力で捕えられた身体が軋む。踠くことも叶わず呼吸も怪しくなる中、必死に言葉を絞り出す。
「えいま、なんて…知らない…!」
「秘宝をこれ見よがしに身につけておいて、よくも抜かしてくれる」
黒コートは洗面台に健人の上半身を押し付けると、そのまま左手を掴む格好で組伏せた。その狙いは、健人のブレスレットーー。
「では、頂こうか」
しかしその暴虐に、健人は目を見開いて黒コートを睨み付ける。同時にブレスレットが強く発光した。拘束は払われ、健人の身体は三度その神秘を纏う。そして両者は掴み合いながらトイレを出ると、最寄りの窓からガラスを割って三階から外へ飛び出した。ガラスの破片が地上のアスファルトに舞う。幸か不幸か周囲にいる人間は少なく、また距離が開いていた。
「ふざけんなよ…お前ら!」
健人が大声で言った。それを受けて黒コートは一瞬周囲を見やるも、即座に間合いを詰める。
「こちらの台詞だ、俗物が」
同時に打たれた拳は健人のみぞおちを抉った。その一撃の重さに思わず昏倒しそうになる。
「貴様がそうした態度を取るなら、連れ合いにでも尋ねてみようか。秘宝を頂く術を」
「彼は関係ない!」
直後に追い付いた黒コートの揺さぶりに激昂しながら返すも、繰り出される拳と蹴りは健人の剣と難なく打ち合い、尚且つ圧してさえいた。
「首を突っ込もうとしていてもか?」
「なら、あの事件もお前らか!」
「どの事件かな、いちいち知ったことではないわ!」
はぐらかしながらも一連の事件との関わりを仄めかす黒コートの言葉は、少なからず健人に衝撃を与える。だがその時、ガラスが割れた衝撃や、争いに叫ばれた大声に異変を察知した者達がこちらに近づいてきていた。瞬間、健人が大きく剣を薙ぐと黒コートの姿は消えていた。
「この場は一度預けよう。秘宝は必ず頂きに上がる」
「ふざけやがって…」
健人は打たれた身に手を当てるも、怒気と共にそう吐き捨てた。