0 音楽のきっかけは…
(音楽のきっかけは何だっけ。父の持つレコードではなかったはずだ。何せ私の実家にはレコードを再生する機器がなく、祖父母の家にもない。つまり当然レコードもない。そも、音楽のきっかけなんて考えるもなく決まっている。それは母の歌声だったはずだ。子守唄だったか、ただ母が戯れに歌っているだけの鼻歌だったか。それは分かりはしないが、私の幼い頃の記憶はいつも母の歌と共にあった)
…あったあった…っと
(ラックの中からケースを取り出し、ツメ部分を押してCDを取り出すと、CDラジカセの前に立つ。今時?と思うかもしれないし、私も普段はスマホを利用して音楽を聞く事が多い。が、ふとしたタイミングでこの前時代的なデバイスを利用し、部屋を好きな音楽で充満させたくなるのだ。それはきっと母の影響。小さい頃はよく、母の聞くCDの穴に指を突っ込んでおもちゃにしていたらしい。『CDが好きなのね』母のそんな言葉にその時は答える詞を持たなかった私は、ただキャッキャと笑ってそれに応えていたのだと思う。でも実際には違う。私はきっとその頃から『歌』が好きだった。CDは、誰も歌っていないのに私に歌を聞かせてくれる魔法の円盤だったのだ。 私はじっと、CDの穴から飛び出す自分の指を見つめる。あの頃に比して、あまりにも多くの感触と味を知ってしまったこの指先を。綺麗に整えられたその爪先を。私の人生は、常にこの穴から飛び出す指の成長と共にあったように思う。そしてこれからも)
さてさて
(言って、CDラジカセの電源をオンにすると、魔法の円盤をセットする。そして再生ボタンを押せば、部屋を満たすイントロ。軽快なリズムと共に私はソファに歩を進め、そのままぽすん、とソファに身を預けた。さて)
音楽のきっかけはなんだっけ 父の持つレコードだったかな
((ぽん、と頭に違和感。))
音を聞くのは気持ちがいい 聞くだけなら努力もいらない
(私は、ソファに背中を付けることなく、直角に座って姿勢を整え、右手を広げて胸に当てる。ほら、こうしてると私だってちょっと雰囲気出るでしょ?『歌手になりたいの?』と何度か聞かれたことがある。なりたいかと言われればそれはいつ聞かれたとしても、答えは間違いなく”ノー”だった。)
〜〜〜♪
(歌声は続く。((さわさわ、と頭に違和感。))音楽のきっかけはどうあれこれは私の好きな歌。私のカラオケの十八番の一つ。『音楽』は『音楽』で在り続けてほしい。それは私のささやかすぎる信条、願い。異論反論は受け付けられない私だけの気持ちなのだ。だから、私は歌姫の『ポーズ』を取ることを好んだ。((するり、と首元に違和感。))父母の、兄弟の、そして祖父母にとっての『アイドル』であることを好んだ。そして今は―)
もっと知りたい 愛を知りたい この心を満たすくらい…ッひゃ!?
(違和感どころじゃない、耳元への暖かな吐息の感覚に私は全身を震わせて歌を途切れさせた。視線を下に移せば自分の胸元あたりで組まれる太くて逞しい腕。勿論私のものではない腕)
『愛を知りたい。って傷つくなぁ。こんなに毎日愛してるのに』
(なんて、そのまま耳元で囁く声。押し黙る私の耳はきっと彼の望んだ”花の色”)
…歌は邪魔しないでって言ってるよね
(態と、突っ慳貪な声。普段はそんなに饒舌じゃない癖にこんな時だけやたら良く回る彼の舌が恨めしい)
『ごめんごめん…いてて』
(全く申し訳なくなさそうなその謝罪を聞き、私は『かぷ』と彼の腕に歯を立てる。擽ったくなるような甘噛みではなく、それよりは大分強い力で。そう、私は自分が歌っている所を邪魔されるのが大嫌いで。だから、いくら愛情表現であったとしても、今こうして私を妨害してくる彼には若干の苛立ちを覚えないと言ったら嘘になってしまう。しかし)
…どうしたの?おなかすいた?
(日曜日の昼下がり、『何となくお腹すかないね』なんて各々好きな事をしていた私達だが、先に彼の方の胃が音を上げてしまったのだろうか。私は自分でも驚くくらい酷く甘く優しい声色で彼に聞いた)
『んー…まぁ?』
(さっきまでぺらぺらとまぁ、調子のいいことを並べ立てていた癖に今頃言葉を濁す。この言い方は分かってる。『食べに行く』や『買いに行く』ではなくて私に『作って欲しいものがある』のだ。やれやれ。と思いながら私は彼の腕に手を添えてぽんぽん、と叩く)
わかったわかった。…何?
(質問は短く。素っ気ない。でも、私を後ろから抱きしめる彼の腕には先ほどまでよりもその。美しいものを知ってしまった私の心は、こんなにも満たされていて。今日も『音楽』は『音楽』のまま、この部屋と私を優しく柔しく包んでいる)
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