0 第一章第一節「回帰」
雲一つない快晴の青空。
そこには混じり気のない空気がどこまでも広がっていた。真下に広がる海は陽光を浴びて揺らめいている。その中に、自らの潔白を証明せんとする白い施設が鎮座していた。美しい自然の中に置かれたそれは異質で、生き物を寄せつけない。
施設内には同じ制服を着た十二人の男女が並んでいた。
黒い布地に複数の白いベルトが巻かれたそのデザインはどこか囚人服を想起させる。横一列に整列したその姿もやはり同じことを思わせた。
彼らの背後には、ゴーグルをつけた数十人の男女。それぞれの表情は読みとれず、ただそこに立っている姿はさながら軍隊のようだった。
スライド式のドアが開いて、長身細身の男性とやや小柄な女性が入ってくる。自然とそこに注目が集まった。
「うんうん、こうも悪人が並んでると悪の組織の頭首にでもなった気分だね」
「……ヘスト、今日は時間に余裕がないと仰ってませんでした?」
赤を基調とした女性の声には、少しばかりの呆れが滲んでいる。
「そうだね。でも今のワタシは機嫌がいいからね、もう少しこの貴重な体験を味わうとするよ」
「……はぁ、もう私説明しますからね。」
その様子に制服を着た彼らが何か言うことはなく、ただじっと様子を伺っている。
女性はため息をついて手に持ったタブレットを仕舞うと、並んだ彼らの顔を一人一人確認するように見まわして、笑みを浮かべる。
そして口を開いた。
「改めまして皆さん、この度は我がMILへの協力感謝致します。私は皆さんの所属であるNo.Aの監督補佐官、パドラ・A・エティサクです。こっちの青いのは監督官のヘスト・A・ラハムです。これからよろしくお願いしますね!」
明るく自己紹介する彼女はどこにでもいる女性のように見える。
しかしその顔の半分以上を覆うゴーグルは普通とは言えず、隣にいる男も片目を機械のようなもので覆っており、不審な容貌をしていた。
「さて、では皆さんに改めて計画を説明しますね。」
その言葉にパドラへの注目が集まる。
姿勢を正す者や空気を張り詰めさせる者、楽しそうにしている者に獲物を狩るような目をした者。そんな視線に晒されながら、彼女は何事もないように話しはじめた。
「当機関の第一目標は事前説明の通りオネイロスの討伐です。初期の段階では数も少なく人型を保てるものもまた少なかったため狙撃によって討伐をしていました。」
「ですが我々の予想を遥かに上回るスピードでオネイロスは増加し、またそれに伴い社会への浸透率も上昇。現在では確認できるほぼ全ての個体が世界各地で一般市民に紛れながら生息し、個体を増やしていることが判明しています。」
「ですので我々MILはオネイロスの早急な討伐を目的とし_____」
誰かが手をあげたのを見てパドラの説明が止まる。
雪のように白い髪と、緑の瞳を持った男性だった。片腕には、瞳と同じ色の腕章と07の数字。人に好かれそうな穏やかな雰囲気は、凡そ死刑囚とは思えない。
「質問よろしいでしょうか」
優しさを滲ませながらも凛とした芯のある声だった。教室の後ろまで声を届かせるような、そんな声の出し方をしている彼は、やはり死刑囚というより教師と言われた方が納得がいく。
パドラがユハニの発言に許可をして、彼がありがとうございますと言って感謝をすると、疑問を口にした。
「それほどの状況であるのにも関わらず何故各政府は秘匿にしているのでしょうか?市民の安全を考えるなら公表し協力を得る方が得策に思えるのですが…」
「それは、」
「アハハ、いい質問だねNo.7。その問いにはワタシが答えよう」
黙って愉しそうに様子を見てた男_ヘストが口を開く。
「現在オネイロスは先程も述べた通り、かなり侵食しており街中でも普通に確認されている状況だ。そしてオネイロスは見た目も言動も寄生した人間のままを貫いてる。…どうしてなのかはワタシ達もまだ調べている途中なのだが」
「兎も角、理由はどうであれオネイロスに寄生された人間は基本的にはなんの変化もないのだ。そして、そのオネイロスは特殊な装置を通してでないと確認できない。また寄生済みのオネイロスを取り出す術もない、つまりオネイロスの存在を証明することが出来ない。」
「そんな"一般市民達"を警察や軍が…つまりは国が、根拠ある理由も話さず捕らえたら、殺害したら社会はどうなると思う?」
ユハニの目が驚きで見開かれる。
「フフ、お察しの通りだ。ボイコット、クーデター、謀反、テイクオーバー……名称は色々あるだろうがつまり国に反乱する者が少なからず現れるのは想像に容易い。今だって政府に不満を抱えてる人間が多い世の中だ。こんな決定的な理由を見逃すわけないだろう」
「そこで各国政府のお偉いさんは考えたわけだ。」
彼はどこか意味ありげに言葉をきった。
「オネイロスに寄生された人間を事故やテロを装って確保、もしくは討伐する作戦を行うことを、ね」
一瞬にしてその場にざわめきが広がる。しかしそれを気にもとめずにへストは話を続ける。
「ただ1つ、この作戦にも問題があった」
「……その汚れ仕事を誰がやるか。それで俺らってことか?」
目元に黒子のあるライトグリーンの目を持った男が、へストが話す前に声をあげた。じっと見つめるその目にへストは答える。
「その通りだNo.12。誰だってこんなことしたくないだろう。国だってもしもの事を考えたら自国の軍人や警官を使いたいなんて思わないだろう。そこでキミたちの出番、ってわけだ!」
「さてここでキミ達に質問だ。ヒーローに必要な資格はなんだと思う?」
「はいはい!目からビーム出たりつよーいパワー!」
我先にと、赤い髪と毛先の補色が鮮やかな女性が元気よく答える。
「…ほう、他には?」
「……ヒーロー……そら、飛んでた。本で、みた」
拙い言葉で話す彼は青いインナーカラーに赤の瞳、縦に二つ並ぶ黒子が印象に残る。
「知識と信念…?」
そう言ったのはシアンの髪をツーサイドアップにした女性だった。変わらない表情で軽く首を傾げている。
「うーん、敵を倒す力…とかかしら?」
顔に火傷痕のある女性が少し悩んで発言する。
それぞれが思い描くヒーローの資格を言いあい、軽く討論するようにもなっているのをヘストは黙って見ている。
「……そうだな、超人的なパワーや空を飛ぶ力、…目からビームがでることも必要かもしれない。……だが全て違う。これらは科学技術でどうとでもなる。それこそそんじょそこらの一般市民でもなれる。なら何がヒーローたらしめるのか、何故キミ達が選ばれたのか」
「それはキミたちにヒーローに必要な力があるからだ。」
「……悪を倒す力が、ね」
「たとえパワーがあっても、目からビームが出ても、それを人に向けて使える力がないといけないだろう?これが"ヒーローに必要な力"。躊躇わず敵を倒せる力。...そう、つまりキミたちのことだ。」
目だけでその場の全員をみまわして、へストは笑みを深めた。
「キミ達は超人パワーを身につける必要も赤いグローブを手にはめ、マスクで顔を隠し、マントを羽織る必要も無い。だってもう既にキミ達の手は赤いだろう?ヒーローとしての素質も持っているだろう?キミ達にとってマガイモノを、不純物を淘汰することはいとも容易いだろう。…なぁNo.01?」
No.01、そう呼ばれたのは水色の長髪を三つ編みにした青年だ。突然話しかけられたにもかかわらずその表情は一切変わらない。しかし、どこか戸惑った雰囲気を纏っていた。
「……だが使い方を間違えた。社会の求める正義を異なった。だから死んだんだ。ヒーローものの敵役と同じように社会的にな。」
左側頭部を刈り上げた赤い髪の女性は静かにへストの話を聞いている。
「そんな哀れなキミたちへの輪廻転生ビッグチャンスがこの計画だ。どうせ死ぬなら少しくらい足掻きたいだろう?」
へストは腕を拘束された男に意味ありげな視線を向けた。それを受けて彼の冷たい若草が僅かに鋭くなる。
「そろそろ分かってきたかな?つまりこの計画は利害の一致だ。政府は手を汚さず済む。キミ達は社会的"生"を獲得し、新たな人生を歩める…かもしれない。実に利己的で自己中心的な利害の一致だ!アハハ、素晴らしいね」
「さて、今日は以上だ。精々この先に夢見て今日は寝るといい」
その言葉を最後にへストは部屋を立ち去り、パドラもそれに続いた。
二人がいなくなったことで、残された死刑囚の彼らは思い思いに動き出す。近くにいる人に話しかける者もいれば、一人静かに佇んでいる者もいる。
割り当てられた独房で見る夢は、いったい彼らに何を与えるのだろうか。
╾───────╼
翌日、死刑囚達は施設内に設立されたガレージの中にいた。空は見えず、視線の先には十二人全員がそのまま収まりそうな程の大型輸送ヘリコプターがあるのみ。何も聞かされないまま招集された彼らは思わず困惑の色を纏う。中には顔を見合わせている者もいたくらいだった。
そんな中、先端が奇抜な色をした特徴的な杖を突いて、ヘストが彼らの目の前へと立ちはだかる。そうして瞳を右から左へ一度移動させると口を開いた。
「ふむ。全員揃っているようで何より。さて、早速だが今からキミ達にはオネイロスの討伐に向かってもらう」
そう言ってへストが何かを合図するように手を上げると、ヘリコプターの搭乗口が開かれた。
「ここで長話もなんですし、詳しいことは移動中に説明するのでひとまず乗り込んじゃってください!」
パドラの促しに、三者三様の反応を見せつつ彼らが搭乗すると、ヘリコプターはプロペラの音を辺りに響かせ上空へと飛び立った。機内には窓と呼べるものがないため、鉄が隔てたその先を伺うことはできない。なかなか乗る機会のない乗り物だ。空からの光景が見れないことに不満そうにする者もいたが、ほとんどの者の視線は自然と赤と青で色付いた一点を見つめていた。
「それじゃあ今から、必要事項を説明していきますね。まず、今から皆さんにはこれを着けてもらいます」
そう言ってパドラがヘッドセットを全員に行き渡るように配ると、彼らは戸惑いながらも受け取ったそれを眺める。
パドラがつけているものと非常に酷似したデザインのそれは、こちらの方が厚みが少なくシンプルな物となっていた。指示に従い装着すれば、個々にサイズ調整されてるのか特に不自由なくしっかりと固定される。皆が辺りを見渡すと、そこかしこから驚きの声が上がった。
「みんなの顔が見える…!」
思わずそう呟いたのは、水色の可愛らしい髪を外ハネさせた女性、マドレーヌだ。すぐ側にいた同郷のヴァンと顔を見合わせ、その不思議な現象に興奮した様子でいる。
そうして少し賑やかになった機内を眺め、視線を集めるためにごほん、とわざとらしく咳払いをしたパドラは説明を再開した。
「すごい技術でしょう?それでですね、先日もヘストが言った通り、基本的にオネイロスに寄生されたところで人体に変化は何ひとつないんです。なのでオネイロスであるかどうかを識別するために、専用の特殊なカメラを通さないといけないんですけど……」
「その役割をこのヘッドセットが担っている、ということだね」
慣れない重みが気になるのか、ヘッドセットに手を添えながら刈り上げが特徴的な女性が確信を持って声を発する。
「ええ、その通りです篝火さん。なのでヘストの指示があるまでは絶対にはずしちゃだめですよ。外したら皆さん命令違反として処分されてしまうかもしれませんからね」
その言葉の重さに、緊張感が機内いっぱいに張り詰めた。そんな淀んだ空気を気にもせず、黒と金の特徴的な髪色をした1人の青年が手を挙げながらパドラに問いかける。
「なぁなぁ、そのオネイロスに寄生された人間って死んでも見た目変わんねーんすか?」
「それは…」
その青年、クルスヴァイスの問いにパドラが答えあぐねていると、今まで横で静観していたへストが口を開いた。
「まだ確定要素ではないがオネイロスに寄生された人間が死んだ際、どんな殺し方をしようが目が充血し口や鼻から血を流す、ということがわかっている」
「確定ではない、というのはその条件に当てはまらないオネイロスもいるからだ。……もっとも、仮にこれが確定要素であったとしても死後である以上オネイロスの存在証明には弱いがな」
へストはそう告げると何かを考えるように再び黙り込んだ。
╾───────╼
「あ、そろそろ着くみたいですね!」
突然機体が揺れ、パドラが声をあげる。着陸のため降下しているのだろうか、始めは酷く大きかった揺れも暫くすると次第に治って行き、騒音もスッと消えてなくなった。どうやら、完全に停止したらしい。
ヘストとパドラは止まった機内からいち早く降り、未だ乗り込んだままの死刑囚達を迎えるようにそちらを見つめた。
「さて、キミたちも早く降りるといい。今から戦場へと案内しよう。何、少し歩くがそう時間はかからないだろう」
彼らは言われるがまま、順にヘリコプターを後にする。二人はその光景を見つめ踵を返すと、まるで死刑囚たちを然るべき場所へと導くようにその先へと向かった。
ヘストの言う通り、確かに目的の戦場はそう遠くない場所に存在した。ヘストが指したのは、広く薄暗い洞穴。入口にはレーザーが格子状に張り巡らされており、触れたらただで済まなさそうなことは一目で理解できた。警備員なのだろうか、外と内には銃を持った男が二人ずつ配置されている。
ヘストはその側に立ち、後ろを着いてきた死刑囚たちに向けて目を細めた。
「この洞穴の奥に、百体程のオネイロスを詰めてある。キミたちにはこれを一匹残らず討伐して欲しい」
一同は百体、という言葉に驚愕を目に表す。中には動揺から声を漏らす者もいれば、しかしまるで慣れたように動じない者もおり、ヘストはその反応がさぞ楽しいと言わんばかりに口角を上げた。
「アハハ!最終選別には相応しい舞台だろう?ここで使えないようじゃ先が思いやられるからね。ふるいにかけられるつもりで、気を張って挑むといい」
ヘストの高い笑い声が、不気味な声となって洞穴から微かに返る。
「でも、どうやって戦ったら?」
首を軽く傾げ、シアンの髪を僅かに揺らした少女__眠眠が呟く。
言うが早いか、背後から見知らぬ男達が人数分の武器を手に彼らの元へとやってきた。そうして差し出された自身の武器を一人一人が受け取れば、不思議と「これであれば自分達は上手く戦っていけるだろう」と確信を持つ。それを持ったことも、あるいは見たことすらない武器を手にした者でさえ、何処か手に馴染むような感覚を身に覚えていた。
「キミたちの希望通りだろう?それを使って、存分に討伐に励むといい」
張り巡らされたレーザーが、へストの合図によって切断される。中にいた男達がへストに頭を下げこちら側へ来ると、側で装置を弄っていたのであろう別の補佐官がゴーサインを出した。それに従いパドラを先頭に死刑囚たちは洞穴の中へと進む。全員が中に入ると、ふと思い出したかのようにへストが言葉を紡いだ。
「……あぁそうだ。ポイントは早い者勝ちだが互いを故意的に傷付け、阻害することは禁止とする。戦力の低減は我々への反逆とみなされる、肝に銘じておくように」
その言葉を聞くと、死刑囚たちはパドラの案内により再び洞穴へと歩を進めた。進行のために一度切られたレーザーは、彼らが奥に進むと再び機能したのか、後ろから彼らを青白く照らす。それはさながら光から遠ざかるような、闇に染まって行くような姿を思わせた。
洞穴の中では時々、ざり、と小石を蹴る音が響くが、ヘッドセットを身につけた彼らの耳にはただのノイズにしかならない。
転々と設置された足元の灯の僅かな光だけとなっても、彼らの視界はほんのり薄暗い程度で、黒く闇に溶けやすい制服の輪郭をもはっきりと認識できた。
「そういえば皆さんお気づきになりましたか?ふふ、視界明るいでしょう!実はこのヘッドセット、暗視ゴーグルも兼ねてるんですよ〜!」
皆が疑問を口に出す前に答えるかのように、タイミングよくパドラが口を開く。そうしているうちにも足を止めることなく、やがてそれらは目の前に現れた。
それは完全な人型や不規則に蠢くオネイロスが入り交じり、互いの身を守るかのように壁際に固まっていた。手前には手に簡素な武器を持っている者もちらほらと見受けられる。
敵意のある視線が、怯えた瞳が彼らを見つめた。その異様な光景に彼らが動けずにいると、いつの間にか後ろに立っていたパドラが肩にかけていた銃を構え、告げる。
「只今より最終選別を開始します。制限時間、追加ポイント共になし。合格条件はポイント獲得にならずとも戦闘に参加しオネイロスを討伐すること、そして討伐完了時に生存状態であること。以上。それでははじめてください」
そう言い切るや否やパドラが手前にいたオネイロスの頭を撃ち抜いた。狙撃銃の特徴的な発砲音が辺りに響く。その光景に、時が止まったかのように誰もが動けず、ただ倒れていく人間を___オネイロスを見つめることしかできなかった。
しかし一人だけ、どさりと倒れたその音を合図にするかのように、混乱状態に陥ったオネイロスたちの元へ、真っ先に飛び込む人物がいた。ずば抜けた長駆に自身の半分はあるであろう長さの鋏を模した武器を構え、最前にいたオネイロスの首を勢いに任せ撥ね飛ばす。No.Aの中で唯一、オネイロス討伐経験のあるポイント達成者のデウィットだった。彼は殺したそれには目もくれず、次の標的へ向かう。その様子に、惚けて見ていた者達も次々に動きだした。
そんな中、困ったように己の武器を構えたままその場から動けずにいた三つ編みの青年がいた。後ろで銃を構えたまま静観しているパドラと目の前のオネイロス達を見比べ動きあぐねていると、黒髪の男が声をかけた。
「ねぇキミ。よかったら俺と協力しない?」
「……協力?」
ナイフを持ち、何か企みを持った笑みを浮かべる黒髪の男は青年に協力を申し出る。その問いに、僅かに間を置いて青年が返した。
暫くして涙黒子が特徴的な男性が後ろから姿を表すと、手にした鎖鎌を弄りながら、やや不服そうな顔をして二人を見つめていた。
「そ、協力。こんな限られたポイントしかなくて周りの勢力を蹴落とすことも出来ないなら少ない人数で協力してポイント稼いだ方が効率的でしょ。オレが指示するからキミは従うだけでいい。あぁもちろん、ポイントは平等に渡るようにするよ?」
「そうか…。それなら協力しよう」
「ありがとう。オレはルカって言うんだ。それで、こっちはマリア。よろしくね」
「ああ。……ベアルだ。よろしく」
ルカと名乗った青年の持ちかけに頷き、ベアルは後ろにいるマリアに視線を向けた。その視線に気づくとマリアはどこかイラついたような、ぴりぴりとした雰囲気を纏う。
「いや俺は違うからな。……おいエリオットさん、そんなことしてる内に全部取られちまうぞ」
「あぁそうだね。じゃあオレとベアルは右側、マリアは左側から回り込もうか」
ルカの言葉を合図に三者は息を合わせ、彼らもまた、一斉に動きだしたのだった。
╾───────╼
長い黒髪と赤いリボンを勢いに靡かせ、小さな体躯で身を守るため三節棍を巧みに振り回す女性が一人。その側では、白髪の男性が弓を構えていた。彼女は接近戦を苦手とする彼を守るように、彼は彼女の負担を少しでも減らそうと不慣れながらに健闘する。
「……っ!全く、ずいぶん頑丈なのね!」
しかし奇怪に蠢き、何度核を壊そうとも湧き上がるオネイロスに彼女達はどうやら苦戦させられているようで、彼女は思わずと言わんばかりに悪態をついた。
「ハニーせんせ、そっちは大丈夫!?」
「ええ、なんとか!ですがこのままでは押し切られてしまうのも時間の問題です。早くなんとかしないと……」
ハニーせんせと呼ばれた彼、ユハニは思いきり音を立てて後ずさると矢を構えた。その音はヘッドセット越しにノイズとなり、ユハニと彼女の耳を軽く刺激する。
するとそのノイズに紛れ、ふと聞こえてくる微かな声にユハニは弓を引く手を止める。
「子供……」
存在を認識してしまえば、腕から力が抜けた。泣き声だろうか、幼く甲高い声がユハニの教師としての過去を呼び起こさせ、遠い夢に思考をめぐらせ始める。
ぼんやりと空虚を見つめていると、瞬間、まるで聞いたことのない、悲鳴にも近い叫び声がノイズを押し除け耳をつん裂く。そのあまりのけたたましさにユハニがハッと我にかえると、声のする方へ振り返り__そして一瞬の物思いが仇となる。
ガッ、とヘッドセットを巻き込む程強大な力に圧倒され、ユハニは思わずよろめき、壁に叩きつけられた。手にした矢は折れ、ジンと熱く痛む傷に表情を歪める。
ユハニを守ろうとオネイロスの相手をしていた彼女が慌ててユハニに駆け寄ると、体を支え顔を覗き込む。暗視スコープの効果か、足元の灯に照らされているからか、その傷跡ははっきりと確認することができた。
「あ、あはは……ごめんね、エリスちゃん」
眉を下げ無理矢理笑みを作る彼の頬は、ヘッドセットがなければ確実に目を傷付けていただろう。被害は本人が想像する以上に甚大だ。
そんな彼を傷つけたオネイロスは今もまだ、血が滴る武器を手にこちらに害をなそうと荒い息を吐き、ジリジリと近寄ってくる。エリスと呼ばれた彼女、小猫は、ユハニを気にかけたままキッとそちらを睨みつけると、同じように血が付着した武器を構えた。
しかし壁際に追い込まれた彼女達は格好の餌だ。オネイロスはこの一体だけではない。後ろから湧く大量のそれらから、どう二人分の身を守るか小猫が思案していたその時だった。
二人の目の前に広がる飛沫。何体ものオネイロスの首が、みるみる内に跳ねられていく。
「エリス、ユハニ。大丈夫か?」
「大丈夫すか!二人とも!」
No.Aの中でもとりわけ大きな武器を携えた2人、デウィットとクルスヴァイスが声をかける。小さな傷こそあるものの特にこれといって大きな負傷もなく、先程浴びた返り血を拭う彼らに小猫とユハニは思わず安堵する。
それもつかの間、鋭い何かが岩に突き刺さる音、それと同時にぱらりと上から砂利が降ってくる。次の瞬間ガラガラと音を立てて天井から岩が四人を目掛けて降り注いだ。
「……ぃってー!何だ急に?!」
砂埃があけ、視界がクリアになるとほぼ同時にクルスヴァイスの声が辺りに響き渡る。砂利が降り注いできた上を見上げるとそこにはナイフが突き刺さっており、それが楔となって崩れ落ちてきたらしい。ナイフの鋭さとこの洞穴の脆さを実感する。
凶器が飛んできたであろう方向を四人が見ると、長身の男がこちらに寄ってきているのが確認できた。それは決してオネイロスではなく、MIL内にいた時に腕を拘束されていた男だと判断できた。その彼が纏う雰囲気を見れば、わざと妨害をしたわけではないことが窺える。
「大丈夫?ごめんね、手が滑っちゃって」
「ルカ!あんた......もう!気をつけなさいよ!」
その気安い小猫の様子から、彼女はナイフを飛ばした男___ルカと知り合いなのだと推測された。
「ナイフが私達の誰かに刺さってたらどうする気よ。それとも私が知らない間に耄碌したのかしら?」
「はは、手厳しいね。安心してよ、そんなことにはならないから」
ルカは気軽な口調でそう言うと、ひらりと手をふって彼の戦場に戻っていく。
そのタイミングで、先程まで群れるように固まっていたオネイロスが点在していることに四人は気づく。どうやら先程の衝撃にはオネイロスも驚いたようで、やはり人間じみた行動に気味の悪さを覚える。
しかしこれはチャンスでもあるだろう。壁際に追い込まれた状況からの脱却。特に負傷が激しいユハニを気にかけながら、それぞれ武器を構えた。
╾───────╼
洞窟のやや奥の方では、周りを囲まれながらも楽しそうにオネイロスを葬って行く人物がいた。
「ねぇねぇ!どっちが多く殺せるか勝負しよー!」
薄暗い洞穴の中でもやけに目立つピンクと黄緑の髪をまるで尻尾を振るように揺らすと、二本のマチェットを器用に扱う彼女、色葉はこの場にそぐわぬテンションで側にいた女性へ声をかけた。
「オネイロスに寄生されてるとはいえ人間なのだからね、遊びのようにしてはいけないよ」
声をかけられた女性、桜子は僅かに眉を困らせ色葉を窘める。その言葉に色葉は「えー」と不満げな声を溢し、子供のように頬をむくれさせた。
「楽しそうだと思ったんだけどなぁ」
口を動かしながらも、色葉の手は止まることを知らない。一体、二体、と積み重なったオネイロスの屍は、桜子が討伐した分と合わせて山となっていた。
続けて右手に装着したダガーで桜子がオネイロスの首をかき切ろうとすると、横からふらりと影が落ちた。そして視界に散らばる鮮やかな色。それは決して血液などではなく、もっと細い糸のように滑らかな物。はらりと風圧に舞い散らばる、ピンク色のその正体に桜子は目を丸くし、息を呑んだ。
「あ、あれー?」
見れば、長かった色葉の髪は肩甲骨辺りまで切り裂かれている。しかし当の色葉はそう気にすることもなく、右足を軸に体を支え、体制を立て直しつつ桜子が仕留めるはずだったオネイロスにマチェットを突き立てた。
その光景を眺めていた桜子は、オネイロスが倒れた音でハッと我に返ると慌てて色葉へ駆け寄る。
「すまない色葉、怪我はないかい!?」
「ん?大丈夫大丈夫!それより早く続きしちゃおー!」
申し訳なさそうな顔の桜子とは対照的に、変わらず楽しそうな色葉はそんな言葉も早々に次の標的へと駆けて行く。目先の状況を顧みて思考を切り替えると、その様子を見た桜子もまた彼女の後を追うのだった。
╾───────╼
「…あっ!」
そんな声と同時にマドレーヌが足を取られよろける。そんな機を見逃すほど敵も甘くはなくすぐに真上からその胴をめがけ刃物を振り下ろす。
身体を捻り、間一髪で避けたものの右腕を切りつけられる。その痛みに思わず硬直した彼女をめがけ、オネイロスは再び刃物を振り下ろすがその刃が当たることはなかった。
「平気かァ?」
乱雑に包帯が巻かれた鋸を構え、オネイロスを胴ごと切り落としたヴァンが声をかける。だがその様子は先程ヘリで見た時とは違い、僅かに口角を上げ、獰猛な目付きをした、例えるなら獣のような、そんな野性的な雰囲気を纏わせていた。
「あの、ありが…」
「おいブス!動けんならさっさと立て!」
戸惑いつつもお礼を言おうとした彼女を遮り、近くで二体のオネイロスと均衡状態にあるマリアが声を荒らげる。
「ちょっと何よ!この私をブス呼ばわりするとはいい度胸ね!」
負けじと叫び返し立ち上がるとマリアの元へ駆けつける。たちまちその二体を倒した二人はヴァンとも合流し付近のオネイロスを殺していく。
「…ふぅ、ほとんど倒し終わったようね。」
「そうだな、周りにもほとんどいないしもう終わりか?」
「倒す……終わり?」
付近のオネイロスを倒し終え三人は息をつく。遠くに見える仲間達もほとんどが倒し終えているようで辺りに白い影は見えない。武器を下ろし軽く言葉を交わす三人の横を白く、大きく、素早い何かが通り抜ける。
咄嗟の出来事に声もなく、その何かが通り過ぎた方向に顔を向ける。何か…いや、よく知っている。なぜならそれは先程まで対峙していたオネイロスと何ら変わらないからだ。
マリアが咄嗟に投げた鎌が背中に突き刺さるがオネイロスは気にもとめず洞穴の入口に向かって走り続ける。
異変に気づいたパドラが瞬時に構え発砲するも、至近距離のそれは射線がわかりやすく避けられてしまった。パドラが次を撃つよりも早く、オネイロスは彼女へ接近し手に持った大ぶりの斧を構えると、銃ごと両腕を切り落とす。その勢いのまま空いた手で彼女の首を掴み、周りへ知らしめるように持ち上げる。
誰もが動けずにいた。辺りはしんと静まり返りオネイロスの荒い息とパドラの両腕から滴る血の跳ねる音、そして足音だけが響いていた。
_______足音?
誰もがそう思った次の瞬間
響き渡る銃声。その弾丸はパドラの胸を貫通し、そしてオネイロスの額のど真ん中にも穴を開ける。
どさりとオネイロスが崩れ落ち、続いてパドラも手から離れ地に伏せる。その傍らに足音の正体がくる。
「随分と、派手にやったものだね」
足音の正体__レーザーでできた壁の外側にいたはずのへストはその場にしゃがみこむと血で服が汚れるのも厭わずパドラを抱き寄せる
「上々の出来だ。これにて最終選別は終了。全員合格とする。」
「___改めてようこそ、MILへ。これからよろしく頼むよNo.Aの諸君」
誰もが絶句していた。血生臭い戦闘の音も、その音に負けじと叫ぶも同然な会話も、全てが途絶えて二人に視線が集中する。
今すぐに治療を施さねば彼女は死んでしまうだろう。否、もう死んでいるかもしれない。それだけの出血量をしているし、何より銃弾が貫通しているのだから。
けれど誰もが動けない。
ああ、この光景のなんと美しいことか。凄惨だと言うに値するのに、どうしてだか吐き気を催す背徳的な美すら感じてしまう。
誰も彼もが二人の間に入ることができず傍観することしかできない中で、やって来た補佐官に促されてヒーロー志願の死刑囚達はようやく動き出す。
これから治療をしても、彼女が助かるかどうかは五分五分と言ったところだろう。少なくとも失われた両腕は戻らない。そうなれば再びMILの監督補佐官として仕事ができるかも怪しい。
オネイロスを倒すべく集まった彼らは、オネイロス、そしてパドラごとオネイロスを撃ったへストに、血塗れのパドラの姿に何を思うのだろうか。
同じ状況になったとして、彼らはへストのように大切な人ごと殺せるのだろうか。
また鳥籠のようなヘリに乗り込んだ彼らは、後味の悪い最後に明るい顔はできなかった。目に焼き付くような赤が、発砲の音が、彼らの心臓を笑顔でゆるりと撫で続けている。
╾───────╼
時間の流れは早いもので、あの戦闘から一月もの時間が経った。
No.Aの自分たちに割り振られた部屋ではいつもと変わらない日常が流れている。否、これはきっと日常とは程遠い状況なのだろうが、実際にオネイロスと相対した自分たちにとってはかけがえのない、何気ない日常であった。
「皆さん、変わりはありませんか?何かあったら遠慮なく教えてくださいね!」
明るい声が部屋に響いたのでそちらを見ると、そこにいたのは以前と何も変わらないパドラの姿だった。『以前と何も変わらない』というのはその元気な様子だけでなく、欠損したはずの両腕さえも以前と変わらない___五体満足の元通りの姿、ということである。
というものの、パドラは初戦闘の日から二週間程経過してすぐにこの元気な姿を見せていた。今となっては違和感なく過ごせるものの、2週間前はまるで何事もなかったかのように現れた彼女にほとんどの者が面食らい、その両腕に視線を向けていた。
それに気づいた彼女が口元に笑みを作って拳を握り、そして開いてみせる。ぐっぱっと何度か繰り返して、その細い腕が確かに存在すること、自身の無事を元死刑囚達に知らせた。
医学は進歩するものだ。両腕を失いあわや死亡と思われた彼女は、今もこうして元気でMILに貢献している。血に濡れた服もヘッドセットも、全てが遠い過去のこととなっていた。
そんなパドラは一人の男を見つけると側に寄り、声をかける。
「ヤニスさん、傷の方は大丈夫ですか?」
「はい、ご心配をおかけしました」
「傷痕残っちゃいましたね………」
僅かに声のトーンを下げる彼女にユハニは苦笑する。
ライトグリーンの下には、日常生活ではなかなか負うことのない様な傷痕が綺麗に残っていた。一瞬の隙を見せれば自分の命に手がかかる。教師であった彼ならば、これを教訓として生かすことができるだろう。
しかし見方を変えれば、かつては普通の人生を歩むはずだった彼が、もうとっくに引き返せないところまできているのだという死神の烙印が押されたようにも思われた。
「気にしすぎないでよ、ハニーせんせ。ずっとあんたが暗い顔なんてしてたら私も嫌だもの」
そう言ったのは、同じく顔に傷を持つ小猫だった。彼女の傷はユハニと違い、どこか年月を感じさせる。
「そうですよね!」とパドラが同調すると、彼はまた眉尻を下げてたどたどしく笑った。
「ありがとうございます。心配させてしまいましたね」
「いいのよ。手っ取り早くオネイロスなんか片付けて、さっさと願いを叶えなさい」
彼は傷をなぞるように頬に触れた。浮かべた笑みは決して良い感情を表すものではなく、やはり隠しきれない苦しみの様な何かが見て取れる。だが本人に隠そうする様子がある以上、指摘することも憚られた。
「えっと、乙宮ちゃんも綺麗に整えてもらったんですね!短いのも似合ってますよ!」
パドラの発言に鮮やかな髪を持つ乙宮が反応する。しかしその美しさは肩よりも上で切りそろえられていてた。近くにはマドレーヌの姿もあり、何故だか彼女は自慢げな様子で胸を張っている。
「パドラちゃんありがとう!似合ってるなら嬉しいな!」
「シキちゃんは長いのも似合ってたけど、今はマドレーヌとおそろいだもん!似合うに決まってるよね!」
ユハニとは対照的に、明るい表情で短くなった髪に触れる様子は無邪気な少女のようだった。
「ふふ、とっても可愛らしいです!」
一ヶ月がたってもオネイロスとの戦闘の余韻を漂わせる三人は、それぞれの感情を胸に抱いていた。
斯くして束の間の平穏は過ぎ去っていく。窓から見える海は変わらない穏やかさを彼らの目に焼き付け、燦々と照る太陽を遮るものは無い。まるで彼らの進む道を遮るものはないのだと言うようで、きっと光に満ちた未来が待っているのだろうと確信できる空模様だった。
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