0 村八分 試し読み 岩間好一

村八分 試し読み 岩間好一
昔は村八分があった。役人がお互いを監視させて連帯責任を負わせていた。村八分になると役人が回覧板を回さなかったり食い物を売らせなかった。
辞書で村八分を調べると火事と葬式の時は例外とされたので村八分となずけられたと言われていると想像見たいな事が書いてあるし
単に仲間外れの意味もあるので本当に村八分に二分があるかどうかわからないけどあるにしても火事と葬式じゃない。
僕は父が入院したら病室に来て死んだら墓も荒らされたし僕の家は両親も親類もみんなキリスト教で親類は死んだらみんな葬式をして耶蘇坊主がお経をあげにきたけど
僕の両親は火葬だけだった。火事も村八分に限らず弾圧や迫害には必ず警察が加わって村人の家を燃やしていた。
消防も全焼してから来たり来ても消そうとしないから早く消してくれと言ったら嫌だ消したくないと言われたと言う証言とか記録があるので村八分の二分は絶対火事と葬式じゃない。
僕は村八分の被害が長いから分かるけど僕の家は父が死んで翌年母が死んだら回覧板が回ってこなくなり郵便も書留とか小包 とか手渡しの物は届かないけど
税金の納付書は必ず届くのでもし村八分に二分があるとしたら納税と逮捕投獄だと思う。
現在は村八分は人権侵害で禁止されているが守られてない。 今は裁判所と検察庁と警察署が分かれていてバラバラの役所みたいだけど
昔は今の裁判官みたいな奉行が今の検事みたいな与力に指図して与力が今の警察みたいな同心に指図して同心が受け持ちの町を見回りしたり目明しに指図していた。
時代劇でヤクザの親分が居間に十手を飾ってお上の御用を勤めていると言ってるけどあれが目明しだ。目明しの子分を下っ引きと言っていた。
目明しは最初は放免と言っていた。そのあと目明しと言うようになってそのあと岡っ引きと言うようになった。キリスト教の弾圧は江戸時代が有名だけど明治にもあった。
明治時代の時は拷問はなかった事になっているけど村人の迫害拷問をされた記録が残っている。同心が指図をして目明しと下っ引きが村人を一列に並べて縄で縛って
奉行所につれて行って改宗しないと村人の家にロープをかけて引き倒したり引き倒せないと火をつけて燃やしたり牢番が金を要求して出さないと虐待した。

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