0 9 / 23 ほおばる幸せ みんなに公開

ぶどうがおいしい季節になりました。
給料日から一週間経ったけど、交通費とぶどう代くらいしかお金使ってないんじゃないかという勢いでぶどうを食べまくっている。

狙うはスーパーにある、400〜600円台の小さめパック。迷わず買ってしまう。
ナガノパープル、藤稔ぶどう、ゴルビー、クイーンニーナ、シャインマスカット。だいたいこの辺りの品種を食べている。

昔は 小さい粒がたくさんあるデラウェアみたいな品種が好きだったけど、今は大粒の品種が好きだ。
歯を立てたときの皮のはじける感触、あふれ出るジューシーな果汁、皮の渋みや実のコク、爽やかな後味。あからさまな多幸感。そしてなにより口いっぱいに頬張る幸せ。ドーパミン大放出である。
せいぜい600円でこの幸せが買えるなら、高くはない。
旬ができるだけ長く続いて欲しい。満たされていたい。

そんなこんなで、身内に呆れられるほどぶどうを買い込んできては食べている毎日である。

さて、9/23(木・祝)。今日もお休みだった。
朝から、じっちゃばっちゃがさつまいもとじゃがいもを持ってきてくれた。隣の市からわざわざありがたい。
申し訳無いので、こないだ借りたタッパーに 昨日作ったポテサラを山盛り詰めて返した。

食料はあるにこしたことはない。ぱんぱんの冷蔵庫を見てにまにましてしまう。なんかちょっと、心が豊かになった気がする。

じゃがいもとさつまいも、嬉しいな。
ヴィシソワーズ、フライドポテト、ポテサラ、ポテトアンナは確実。さつまいもも、ポタージュとスイートポテトとデリサラダはもう確定でしょ。他にも何したいかな。ワクワクするなぁ。

父親の誕生日会をアパートでやることになっていたので、昼からはケーキを焼くのに忙しかった。
本人からの希望で、ベイクドチーズケーキとロールキャベツ。
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例によって全部低糖質・減塩レシピだけど喜んでくれたよ。というか、アパートに両親が来るの初めてだな。

後片付けをしながら思う。
しんどいとき、思い返せば美味しいご飯に結構助けられてきたなと。在り来りな言い方になってしまうけど。

前の学校に通っていたとき、軽いいじめにあっていた。
あるとき 当時付き合っていた彼氏とペアでお弁当を作った。そしたらその日はそれを楽しみに過ごすことが出来た。夜に思い返しても、明日も頑張ってやろうという気になれた。

あの人も今同じものを食べていると思うと元気が湧いてきた。あの弁当はたしかに私に力をくれた。

両親も当時の彼氏も(そして今の彼女も)料理上手で、いろんなものを作って食べさせてくれた。
それが今の私を形作っている。周りの人がこんなに料理上手じゃなきゃ、きっと食に興味は持たなかっただろう。

「家庭料理はどんなに偉い人でも簡単には食べられないごちそう 」という、私の尊敬する料理研究家のかたの名言がある。

(血の繋がりがなくても、一緒に暮らす人は家族といえると私は思っている。)

その通りだなと、作る側に回ってから思った。
まず、食事を用意すること自体が愛情の表れなのだ。そこからさらに、栄養バランスや味付けにこだわって出された、家族のためを思って用意したご飯……これをご馳走と言わずしてなんというのか。
しかも、いくら美味しいと言っても 1人でスーパーのお惣菜を冷えたまま、パックから直食いをするときの侘しさとは比べ物にならない。
ごく簡易なものでも器に盛り付け、テーブルセットをしてくれる作り手の愛情。テーブル越しに並ぶ家族の表情、これも加わって家庭料理はより美味しく見えるのだと思う。

だからこそいま、母親がたまに作ってくれるおかずの差し入れが 涙が出るほど嬉しい。私にとってはごちそうなのだ。

また、両親も元彼も、いろんなところに私を連れ出してくれた。いろんなところでいろんなご飯を食べた。
郷土料理やご当地グルメもあれば、ホテルのごはん、ファストフードの時もあった。
けど思い出される風景の端々に、おいしいものの記憶が息づいている。その経験や思い出は今でも生きている。

おいしいと楽しいが結びつくと、それはもうちょっとした「幸せ」じゃないか。
夕飯は好物にするとか、誰かと外食に行くとか、話題の冷食を買ってくるとか、どんなインスタントな幸せでもいい。「おいしい」は即ち 幸せなんじゃないか、と私は思う。

おいしいものを食べるとき、幸せホルモンであるドーパミンが2度分泌されると 前どこかで聞いた。
さらに調べたら、気心の知れた 仲良くしたい相手とともに食事をとることは、同じく幸せホルモンであるオキシトシンを分泌させる効果もあるという。
食事するだけで多幸感を得られるなんてお得だな。

確かに、誰かとご飯を食べている時すごくあったかい気持ちになるな。

学校の調理実習も、彼女と食べるご飯もそう。
いくら嫌なことがあってしょんぼりしながら席に着いても 会話をしながら食べ始めると途端に気持ちが持ち直す(ような気がする)。
何をという訳では無いが、漠然と「あぁ、がんばろ」と心から思えてくる。

誰かを幸せにするために学びたいとか、そんな大それたことを言うつもりは無いけど。でも、スキルがあると誰かを喜ばせることは出来るんだな。とつくづく思う。
調理師にはならないと思うけど、身近な人を喜ばせられただけでも調理師学校に通ってよかったなと思っている。

つらつら書いたけど、ともかく「食べる」という行為がくれる力は果てしない。

明日で前期終了。成績表が渡される日だ。赤点はひとつ確定しているので それ以外は全てできていることを祈りたい。

なんだかまとまりのない、こっぱずかしいことを書いたけど やっぱりそうじゃないだろうか。

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