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2.事件と稀有
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その時、街灯の灯りと夜空、そして散りばめられた星々の下、——は健人にブレスレットを渡した。ブレスレットには星明かりの中にありながら、より光を放つ、翼を思わせる装飾が施されていた。 ああ、あの時——とどんな話をしたんだっけーー。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。アパートの自分のーー花森健人の部屋の汚なさとは異なる、綺麗に整頓された部屋。しかし陽を浴びる観葉植物や、幾つか観賞用に備えられた棚に置かれた鉄道模型など、どこか生活感は感じさせる。 自身の身体を見ると、怪我の手当てだろう、ガーゼと包帯が宛がわれていた。しかし包帯緩く巻かれて、ガーゼがズレている。その時、身体に受けた傷の治りが、斬りつけられた度合いに対して異常に早いことに気付いた。その事実に戦慄し、自身に起きたことへの恐怖が、より思考を支配する。だが程なく、自分が身を起こしたことに気づいたのだろう。駆け寄ってくると共に、桧山初樹の声が聞こえた。 「花っち、起きたか…!大丈夫か?身体」 「ああ、何とか…おはよう、ハッサン」 一先ず挨拶を交わすも、健人の心身は重かった。日常から逸脱した状況に放り出され、そして自身でも理解の出来ない変身を、唯一の友人に見られた。何よりこんな途方もないことで誤解されたり、恐れられたりでもされたら…こんな状況に独りなんて。 「…あのさーー」 「花っち」 だが何よりも沈黙に耐えきれず言葉を切り出せば、初樹の呼び掛けと重なった。その声音から、初樹の方からも気まずさがあることを感じられた。また眠れていないのだろう。彼の目には隈が出来ている。 「ハッサンから、言って」 「えっと…昨日はごめん。それと、ありがとう」 思いがけない言葉。今しがたまで沈鬱としていた意識は、初樹の紡ぐ言葉に釘付けになった。なんで、ハッサンが謝ってお礼を言うんだ。どうして。 「花っちが居ないと、俺死んでたよ」 混乱した。胸が熱くなりながら。あのアリジゴクや影の怪物が何者かは知る由もないが、どちらも自分を狙っていた。なら初樹は巻き込まれたのだ。何か問い質されたっておかしくはない。だけど彼は今、助けられたとして謝意を述べた。なら自分は、それにどう向き合えばいいのか。 「ハッサン、俺は…俺どうしたらいい?」 そして、これからこの特異な状況に如何に対処すべきなのか。 「俺もわからないんだ。あの力や自分が何で襲われたのかとか…ハッサンも巻き込んで」 言いながら、空恐ろしさと心細さに涙目になっている自分を自覚した。しかしそれが精一杯の言葉。しかし初樹の返答が、健人の思わぬ方向に話を運ぶ。 「いや…俺自身、自分から行ったところあった」 「えっ、ああ…」 その言葉を受けて想起されたのは、初樹がアリジゴクを前に"やることがある"として逃げようとしなかった事実。ようやく初樹にも何かあるのだと、健人は彼の事情に思いを馳せる。 「ちょっと話さないか?とりあえず、着替えて飯食ってさーー」 そう続けながら、初樹が少しだけ目を伏せたのを健人は見逃さなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 着替えを借り、初樹の部屋のテーブルで、朝食としてご飯とウインナー、卵焼きと温野菜を食す。こんな時でも腹は減り、食欲のある自身に呆れながらも、箸は止まらなかった。その後、時計は4月25日の午前9時32分を指していたが、大学へ行く余裕は到底持てない。引き続き初樹の対面に座すと、彼は自身の事情を話し始めた。 「妹さんが…」 「ああ、1年前に」 それは桧山初樹にとって突然の出来事だった。 その日、初樹は"妹の由希が救急搬送された"と実家の家族から連絡を受けた。病室に入ると、そこには昏睡状態となった妹と、目に涙を浮かべた両親の姿があったという。 警察からは外傷等の状況から、何者かに襲われたと見られると説明された。 しかし由希が発見された現場は、朝憬市(あかりし)の中心街にある大型交差点の中央部。時間は午後18時36分。通行人が行き交う中で発見された。通っていた朝憬東高校を下校した18時20分からその時間まで、彼女を見た人間は誰もいなかった。また東高校から中心街には、通常なら徒歩と電車で40分。そして東高校の最寄り駅の防犯カメラにも由希の姿は写っていなかった。即ち由希は不意に何処かへ消え、その後外傷を受け、倒れた状態で件の交差点に現れたことになる。物理的にはあり得ないはずなのに。 「…何で、言ってくれなかったんだよ」 「まだ、花っちとの友人関係が今ほど出来てなかったろ」 「でも…すまん」 健人にはそれ以上の言葉を紡ぐことはできなかった。言われたところで何も出来ることはなかっただろう。それは健人自身が最もよく知っていた。 「それから、血眼になって由希に何が起きたのか調べたよ。警察の調べじゃ、殆ど何も出てこなかったからな」 通常の事件ではない。しかしこの奇怪な事件は確かに事件性を有していた。にも拘らず手掛かりはほぼ皆無。だが初樹は諦めることも納得も出来なかった。その執念を以て、あらゆるアプローチで"ある糸口"を見出だしたという。 「ていうのもさ、"ここ数年、朝憬市で起きた失踪事件の現場では、ある粒子が観測されてるーー"そう流布した人がいたんだ」 「粒子?」 「…あくまで都市伝説の一つとして、だけどな。ただ良ければ、粒子の前に花っちの事情も聞いてもいいか?」 そう問われ、何をどう説明しようか思案する。しかしどこから話せばいいのかすぐには出てこない。 「えっと…」 「ゆっくりでいいよ、取り調べじゃないしさ」 「…俺、影みたいな怪物に襲われたんだ」 「影の怪物」 「うん、包帯みたいなのもしてた」 怪物の特徴についてのワードに、初樹の眉が寄せられるのが見えた。 「ハッサン、心当たりがある?」 「結論から言えば、俺の持つ情報と同じだ」 「マジか…」 「花っちは、失踪事件の犯人と同じか、関連した奴に襲われたことになる。それとさっき言いかけた粒子は、怪物の類いが持つものだって話だ」 やはりそうかーー。口にこそ出さなかったが、事の輪郭が見えるとそれはそれで気が滅入る。被害を受けた人も、事を起こした奴らも、自分達だけではなく、多数いる。そしてこんなこと、一般市民にはどうしようもない話だ。 「この事って、一緒に対応してくれる人とか役所ってないのか?警察でも他に、公安の人とか」 「公安は俺も知りようないけど、警察の殆どは機能してない。職域として追い付かない感じだ」 「そんな…でも、こんな…」 だとしたら人間社会は彼ら怪物の存在を、このまま放逐するのか。否、流石にそれはあり得ないだろう。おかしいと思う者もいる筈だ。しかしーー。 「事が突飛過ぎて、社会は認知することが出来てない状態なんだろうさ」 「じゃあ何も出来ないのかよ…!」 冗談じゃない。そんな馬鹿げた話なんかない。それは一年前当時、初樹も感じた憤りだっただろう。しかし健人は、今こう言わないわけにはいかなかった。 「だから尚更、稀有な例なんだよ。花っちのは」 「稀有な例…?」 「俺は奴らに襲われて助かった人に初めて会った」 故に感情の混濁の中にあった健人は、一瞬初樹が何を言ってるか分からなかったが、彼は遂に核心を突く問いを投げ掛けてきた。 「だから切り出すけど、花っち…どうやって助かったんだ?やっぱり昨日みたいなことが起きたのか?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーー "餌"を食わせに放った使い魔ーー影魔(えいま)の生体反応が一つ消えた。自らにある"器官の一部"を、印として与えていた個体だった。 黒コートの男がそれを察知し、自らが行動を起こしたのは、同日正午のことだった。 「とんだイレギュラーだな」 黒コートに声をかける人影。町外れの廃墟ビル。陽当たり悪いその一室で対する両者の目は、互いを認めることはない。 「早速嗅ぎ付けたか」 「孤高を気取る貴殿と私とでは違うよ。"悪魔"殿」 「…なら情けでもくれるか?クソ"神父"」 黒コートーー悪魔と呼ばれた男は、その精悍な顔をあくまで虚空に向けつつ、現れた壮年の神父の尊大さを皮肉った。だが神父は構わず言葉を続ける。 「少し会わぬ間に思考まで弛んだと見える。使い魔が死ぬわけだ」 「御託はいい、要件を言え」 「貴殿、当てはあるのか?」 解答の判りきった問いだ。黒コートは窓際から鼻を鳴らす。対して神父は部屋中央のソファに音を立てて座った。袖から一枚の羊皮紙を取り出すと、デスクの埃の上に置く。 「たれ込みだ。"閣下様"の差し金だよ」 「回りくどい真似を」 「全くだ。だが"これ"は無視できん」 瞬間、黒コートは僅かながら羊皮紙に意識を向けた。神父は目の端でその仕草を捉えつつソファから立ち上がる。 「そして事は貴殿の管轄で起きた。ならばエヴルアーー」 「俺の領分だ。管轄だ咎だと、ハナから知ったことか」 交錯する視線と沈黙。神父に向き直ったエヴルアの黒コートがたなびいた。憮然としながら、その目は神父を射殺さんとしている。 「厚顔無恥とは良く言ったものよ」 捨て台詞にそれだけ告げると神父は姿を消し、部屋にはエヴルアと、デスクの上にある羊皮紙だけが残った。 その折り目を解き、"差し金"の内容を改めると、エヴルアはその目を見開いた。 "此度の影魔殺しは、彼の秘宝携えし者による" "早急に確保されたし。だが秘宝の破壊は禁ず。猶予はない" 確かにこれは無視しようがない。種全体としては廃すべき障害。だが、どういう星の巡りか知りはしないが、あれほどのものを放逐など出来るはずもない。羊皮紙に結び付いた"対象"の匂いを、エヴルアは確かに記憶する。 羊皮紙に触れた右手から香る無力と絶望、そして諦観。どこにでもある話。どこにでもいる人間のそれ。それらを冷ややかな面持ちで嗅がせながら、彼は思案した。 踊らされている。神父らに事を周知させ、かつこちらの対処を急かしておきながら、"破壊ではなく、確保"。エヴルアは不遜に眉根を寄せ、静かに独り言ちる。 「踊りはしよう。だが好きに踊らせてもらう」 連中の思惑で動いてやる。ある意味これは僥倖だ。他の奴にくれてやるより前に。彼は、その眼光を更に鋭くし、そのまま廃墟ビルを後にした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「別に、俺が何かやろうとした訳じゃないんだ」 話し出しはそんな言葉だった。 「あの時は確か、なんていうか…疲れて帰ってた。襲われた理由に心当たりも何もないんだよ」 徐々に出てくる健人の言葉を、初樹は静かに傾聴している。その様に健人は少し間を置くも、変身についてこう言った。 「ただ、気が付いたらあの姿になってた。そしたらすごく、強くなってて…でも訳のわからないまま影の怪物を蹴飛ばして、そのまま逃げた」 「…そうか。変身はその時が最初で、あのアリジゴクの時は二度目だったんだな」 初樹の要約と確認に頷き、差し出されたコーヒーを一口啜る。その苦味と渋みを嚥下しつつ、ようやく一つ出来事を整理できている実感を抱いた。 「ただ、変身の時はいつもコイツが光ってた」 そして言いながらようやく気付く。それは、それまで無我夢中で意識に昇っていなかった事実。ブレスレットの光。 「花っち、それ俺と会った時から着けてたよな。どういうものなんだ…?」 「昔、友達にもらったんだ」 言いながら、目を伏せる。その顔は初樹から、どう見えていたのだろうか。 「その友達についても、聞いてもいい?」 「…一口じゃ、言えないかな」 少なくともそれだけ言った自身の顔は、コーヒーの黒い水面に反射して、少々歪んで見えた。
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