0 あの日、屋上で

へー!VR?すごいね!
(土曜日の喧騒。とはいえ個室居酒屋ともなればそれなりに話のしやすい雰囲気ができあがっていて)
『そうそう、今私達の会社で進めてるプロジェクトで”アオハルシミュレータ”っていうんだけどさ』
(私の眼の前の、眼鏡をかけたボブカットの色白女…は興奮気味に手に持ったVRゴーグルを両手できゅっと握った。この子のこういうところは学生時代から本当に変わらない。好きなことだけ早口…っていうの?根が陰キャなんだよね。でもちょっと面白そう)
アオハル!うける!バーチャルな学園生活を楽しめますとか?あの…なんだっけメタメタ…
(仮想空間で生活する、みたいなノリのアプリについては、一応知識としてはあった)
『メタバース。ね。ううんそういうものじゃなくって、その人自身の記憶情報から学生時代の環境を仮想空間内に再構築して、過去の記憶を追体験できる…みたいな』
(彼女は、両手をブンブンと振ってみたり、中空で人差し指をくるくるさせたりしながら饒舌に説明する。が)
え、難しくてよくわかんない!
(ちんぷんかんぷん。とはこのことか。もっとわかりやすく話せよ!と何となく目の前の陰キャ女に苛々した感情をぶつけてしまう。いけないいけない。もう高校生じゃないんだから。お互いに『あの頃』とは違うんだから…)
『あ…ご、ごめんね!つまり、写真ならアルバムで思い出を振り返るでしょ?それをVRで振り返るっていうかな…』
(そこまで言って、彼女は烏龍茶を口にして唇を湿した)
ああ、そゆことか!面白そうー!ねね、それ今使えんの?
(社会人生活は楽しいことばかりじゃない。それは学生時代だってそうかもしれなかったけど、青春時代って大人になると急激に輝いて見えるじゃない?だから、そんな風にリアルに過去を振り返ることができるなんて、すごく楽しそうじゃん?私は、半分ほど残っていたレモンサワーをタコからと一緒に飲み干すと、彼女にそう水を向けた)
『うん、使えるよ。やってみる?』
(彼女はそれはそれは嬉しそうに私に向かってVRゴーグルを手渡した)
――あ。
(VRゴーグルを装着し、初期設定を終えると一瞬暗転。仮想空間内とは思えないほど鮮明な景色。そして目の前にいる一人の男の子。これは…これは…)
…あの日の、屋上だ。
(それは青春時代の中でも最も甘い。そして苦い記憶。私はこの日…)
『あのさ…私、あなたのこと…』
(一人称視点のまま、私の耳に『私』の声が届く。そっか、再現映像…ってことか。私からの告白に戸惑う彼。手放しに喜んでいる感じはしない。だってそれは…)
『あ。いや。ごめん。知ってると思うけど俺…』
(そう。彼にはすでに恋人がいた。地味で、色白で眼鏡でド陰キャで…クラスでも浮いた存在なのに勉強はできて。なにより彼の気持ちを独り占めにしている。そんな憎たらしい恋人が)
『わかってるよ。でも、あんな女やめときなって!絶対私のほうが可愛いし、それに…』
(映像の中で伸びる私の手。彼の手を掴んで自らの胸に運ぶその手。わかり易すぎる手段だが、最も効果的な手段であることは『それまで』の経験上ですら良く分かっていた)
『今日、放課後デートの約束してたのに、連絡取れないんでしょ?私知ってる。あの子、◯◯先輩と旧校舎の教室でヤッてるんだよ』
(それは事実だった。彼はもちろん)
『そんな、彼女に限ってそんなわけ…』
(ない、と言いかけるが、私がスマホを取り出して『とある映像』を見せると黙り込む。持つべきものは友達だ。なんてね)
『ね。あの子はあの子で楽しくやってるんだからさ。私たちも楽しんじゃお?あの子とまだしたことないことだってできるんだから♡』
(私の右胸に添えられた彼の指に、少しの力が篭る。あの女よりも随分大きく、盛りのついた男の子なら垂涎もののその胸。そこからの先の人生でも、数多の男たちに触れられたこの胸。彼は少し涙ぐみながらも、両手を伸ばしてふにふにと私の双丘を弄び始め―)
え…?
(ザザ……とノイズが疾走って、映像が見覚えのないものに変わる。それは半裸の女。色白で、眼鏡で陰キャオーラを漂わせ…手に大ぶりのナイフを構えた女。破れた制服、引きちぎられた下着。口元から流れる一筋の血。そして、生気を失った瞳)
…っっ…
(その声にならない悲鳴は、映像の中の『私』が発したものだったか。現実の私の音声器官が成したものであったのか。それは分からない。が、次の瞬間)
…え
(映像の私の胸にナイフが突き立つ。それは明らかにただの映像で、現実の私には何の影響もないはず。ないはずなのに胸が熱い。呼吸ができない。何…何何これ、やだ。やだやだ…)
……
(あ。ドラマやアニメみたいに色々考えたり喋ったりする時間…ないんだ。―どこか他人事のようにそう考えながら、私の意識は永遠に暗転した)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

『失礼しまーす!そろそろラストオーダーのお時間となります。…あれ、お連れ様は』
(引き戸がノックされ、開く音。わたしはそちらをちらりと見遣って、烏龍茶のグラスを置く)
あ、ちょっと用事があるって先に帰っちゃって。あ、ラストオーダーは大丈夫です。私ももうすぐお暇しますから
(言って、その場でぺこりと上半身のみの会釈。同じく会釈して店員が立ち去る)
さて、と…
(わたしは、彼女の座布団の上にぽつんと残されたVRゴーグルを拾い上げる。まだ少し残った排気熱は、まるで『彼女の余熱』のようでもあった)
いけないいけない、わたしのも
(先ほどの店員からは見えない、わたしの体によって隠されていた”もう1つの”VRゴーグルを拾い、電源をオフにする。さ、後は忘れ物のないようにしなくっちゃね。わたしはVRゴーグルが2つはいったケースと、自分のバッグを抱え、残っていた烏龍茶をくいっと飲み干して、テーブルの上に置いた。『タン!』という小気味のいい音がわたしの耳朶を優しく打つ)
…ね。
(わたしは主のいない座布団に向かって呼びかける)
他のみんなにも会えるかな…
(振り返り、個室を出るための引き戸を開ける)
…あの日の、屋上で
(その木製の扉が『ピシャン』と閉まる音が喧騒の土曜の居酒屋に響いた)

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