0 うさEPISODE0
「…暑い」
某コンビニのビニール袋を提げ、学内で一番涼しいカフェテリアに向かう道の途中で言っても仕方のないぼやきを漏らす。
校門から出て往復10分も歩いていないのに鎖骨には珠のような汗が伝っている。
劣等生にとって夏休み期間というのはただただ補習という罰ゲームを受ける日々でしかない。
あまりの暑さに目に見えるもの全てが揺らめき、更にカフェテリアは遠く遠くに感じる。もしかしたらたどり着いたかと思ったら蜃気楼のように消えてし無くなってまうんじゃないだろうか。そんな不安な気持ちにすらさせられてしまうくらいに。
「ん…っ」
そういえば地球温暖化にとってはCO2が悪くて、それはわたしの吐く息にも含まれているらしい。ならば息を止めていればその間だけでもわたしの周りの温度上昇は抑えられるだろうか。そう思いきゅっと瞳を閉じて息を止める。
「けほっ…けほ!…ふぁ…はぁ…」
が、30秒も持たずに咳き込み、肩を上下させつつ大きく呼吸した結果体感温度としてはもっと暑くなってしまった。
なるほど、地球温暖化というのはとても難しい問題らしい。
ぶんぶん、と気を取り直すように大きく頭を振ると、刹那激しい蝉時雨が止み、校内のあらゆる営みが音の奔流となって耳に飛び込んできた。
「…つまんない」
グラウンドの運動部の男女のコーロ・ミストのバックに流れる種々のソナタがやけに耳に障る。本来ならばわたしもその音色の一部だったはずなのに補習のせいで…
「…ってわけでもないんだよね」
もう少しでカフェテリア、というところでごそごそと袋の中に手を入れ、コーラ味のタフグミを取り出して1つ口に入れる。
くにくにという食感が脳に刺激を与え頭が多少スッキリしてくるこの感覚は嫌いじゃない。
…そうだ。どのみち「つまんない」のだ。部活禁止期間を伴う補習がなかったとしてあそこでオーボエを吹いていて、それで本当に楽しいのか。
取り立ててうまくもない。上達の兆しもそれにかける情熱もない。
ただなんとなくで続けているだけの、惰性と友情の混合液のような青春の一部。
他校にいる彼氏に頻繁に呼び出されないための口実の一端。
…みんなそういうものなのだろうか。
キラキラはごく限られた努力できる才能のある者にのみ与えられるクラウンやティアラの残光でしかないのだろうか。
だったらその他大勢の高校生活って…人生って何なんだろう。
「…ん?」
それはともかくとして、いざ行かん適温の楽園へ。と思いドアを開けた直後、それまで気が付かなかった異質な音が聞こえて足を止める。
それは聞こえてきた方角からして屋外からのはずで。
「…暑い」
現状を確認するためにあえてもう一度口に出す。入れ。早く中へ。
わたしは早く涼しい所に入ってまずはガルボを摘みながら(ジュースを)一杯やりたいのだ。
「…はぁ、全く何やってるんだか」
しかし、ソーダ味のタフグミを新たに1粒放り込んで噛んで、思考が明瞭になっても足は止まらない。まっすぐ、その“異音”の聞こえる方へ。
「このへん…だよね?」
文化部室棟の裏手。吹奏楽部以外の殆どの文化部はこんな時期に屋外に出て活動したりはしない。その吹奏楽部は文化部室ではなく音楽室を根城にしている。
つまり部室棟の裏なんかに人っ子一人いるはずもないのだ。
実際にたどり着いてみればそこは見渡す限り無人なのにも関わらず、“異音”には近づいている感覚があった。
「…あ」
そうしてやっと“異音”の正体に行き当たる。
エアコンを外に逃さないためか、しっかり閉め切れられた窓が並ぶ中、1つだけ全開放された窓。
“異音”からはっきり“ギターのメロディ”であると認識を改めたそれはそこから聞こえていた。
わたしはふらふらとその旋律に引き寄せられるように歩を進め、窓を覗き込む。
真正面から視線が合う。
“ぱちり” なんて直接音素の形としてあるはずのない擬音が聞こえた気がした。
「こ、こんにちはは!」
挨拶はいつも先手必勝を旨としているわたしは反射的に声を上げる。少し声が震えてしまっているのは気のせいだろう。
『…?』
相手は突然闖入してきたちんちくりんを相手にきょとんとした顔をしたままギターを弾き続ける。
盛大に挨拶を空振ったままそれを見つめ続けるわたしと、その子との間抜けなファーストコンタクトは20秒ほど続いて、突然はっとしたように彼女は演奏をやめた。
『こんにちは…』
警戒度は考えるまでもなくMAXスタートである。
だが幸いにしてわたしはぱっと見誰の目からみても「弱っちそうないきもの」であるせいか、すぐにその警戒の色が薄れていくのが見てとれた。
…すごい美人だ。
どうやら校章の色的に同じ学年であることはわかるのだが、全然覚えがない。
『ああ…』
相手はそんな反応に慣れているのか、微苦笑混じりに
『私一年のときあんまりガッコ来てなかったからさ』
と、わたしの疑問を先回りするように教えてくれた。
「…ええと、うさだよっ」
あまりそこには触れることなく、空気を変えようと自分を指差しながらわたしはもう自己紹介のつもりで明るく言った。
『うん…?』
彼女は怪訝な表情をしたあと、少しだけ可愛そうなものを見る視線を向けた…ような気がした。弱きいきものはそういう視線に敏感なのだ。
「名前。羽咲だよ。あなたはっ?」
わたしは伝わらないもどかしさを声音に乗せ、再度自己紹介をする。
『うさださん』
珍しい名前だね、と付け加えて彼女は傍らにギターを置く。
違う。そうじゃない。脳内で水色のツインテールが「ファファファ」と独特の笑い声を立てる。いやツインテなのは共通している…のだが。
『桜島奈々。はじめまして。うさださん』
クールガールだ。とても同じ学年とは思えないくらい落ち着いている。そしてギターをおろした事で気がついたけどでかい。何がとは言わないが、う~ん、でかい。
「…ごめん。わたしが悪かった。雪平、名字が雪平で名前が羽咲。はじめましてっ」
自分の胸部に手のひらをぽんぽんと当てて、世界の女性のサイズが一斉に大きくなったのではないのだということを確かめて軽く絶望してからそう訂正を入れる。
『あ、なるほど。ごめんてっきり。あのさ…その』
「なになにっ?」
『…そこ、暑くない?』
「……うん。…あぢいね」
わたしは彼女の招きに応じて、昇降口から校舎に入り、校内を抜けて部室棟に向かった。
袋の中に入れてたガルボはもうすっかりダメになっていそうだが、ほら、溢れた乳を嘆いても無駄っていうもんね。今のうちに立派なおっぱいを味わっておくがいいといつも思う。
とはいえ今から対面する相手もその平たくないおっぱい族に当たるため、あんまり負の感情を表に出すものではない。相対的貧乳は純正理性批判の精神を持ち合わせているのだ。言葉の意味はよく知らないけど多分関東に住んでる哲学の偉い人が言ってるっぽいのでかっこいいなと思ってたまに使う。…あとわたしも平たいわけではない。一応揉める。吸える。挟めない。
コンコン、とノックをすればすぐに
『どうぞ』
との返事。カラリと軽やかにスライドするドアを開けて中に入ると、もう窓は閉められていてすっかり室内は冷えていた。机と椅子だけのがらんとして殺風景なインテリアとは裏腹にあるべきものはしっかりあるらしい。助かる。
「邪魔すんでー」
『…?どうぞ』
ふむ。この子はボケ殺しの才能があるらしい。
邪魔していいらしいのでお言葉に素直に甘えてとりあえず部屋の中頃に配置されたパイプ椅子に腰をおろし、途中自販機で買ってきたミルクティーを2本並べる。
「お近づきの印。ミルクティーとミルクティー。どっちがお好み?」
『それは…ミルクティだね』
「不正解。…羽咲は…その2本のミルクティをどこで買ったのか聞いてほしいの…そして残りの2本のミルクティを一緒に買いに行ってほしいの…」
『そんなにのどが渇いてるんだ。どこで買ったの?』
「ブラボー!あなたには負けたよ!ほら飲め!」
『…?ありがとう。いただきます』
ずずいとミルクティーを手渡すと蓋を開けて飲み始める彼女。
全く美人は何をやってもサマになるものだ。
「ところで、それギターだよね。奈々…ちゃんは軽音部?」
『一応ね。どのバンドにも入ってないはぐれものだけどさ』
「倒したらいっぱい経験値貰えそうだね!」
『…できればもうちょっと生きていたいんだけどね』
はじめてのツッコミはちょっと困ったような笑顔と共に入った。
さらりと流れる黒髪をかきあげて奈々は続ける。
『ギターも始めたばっかりでさ。…もう少しで何かが掴めそう。っていうか…』
羨ましいな。と正直に思った。
幼少期からこっち、いろんなものに手を出してきた。ピアノ、水泳、バレエ、そして今はオーボエ。
しかし生来の飽きっぽさのせいかそのどれとして物にならないどころか、そもそも情熱を持って打ち込むことができていない。
何かをやっている。というそのことだけに満足をして先を見るということはついぞなかったように思う。
そんなわたしだからこそ、「キラキラ」の波動には敏感なのだ。
奈々はこの年になって始めたというギターに文字通り夢中なんだとその瞳を見てすぐにわかった。
『うさちゃん?』
「ひゃい!」
語る彼女の瞳に見入っていて、相槌を打つのを忘れていたわたしに奈々が気遣わしげな声を掛けていた。
『大丈夫?熱中症とか…』
「そ、そーいうんじゃないから大丈夫だよっ」
『そっか、良かった』
そっけない言葉に見えてその表情はとても優しい。
でもその反面酷く緊張していて、不安がっているようにも見えた。
わたしが奈々の何かを推し量ろうとするのを無意識に怖がっているような、そんな貌をしていた。
「ななりー」
そんなフレーズが思わずわたしの口をついて飛び出す。
『なな…り?』
「んっ!」
わたしは力強い頷きで返す。
『てけり、り…?』
「理解できないからってカウンターパンチでSAN値削ってこないで!?あだ名だよ、あだ名!」
『アーダーエラー?』
「まぁある意味エラーだよ。受け入れなきゃ、現実を」
お得意の無根拠などや顔でわたしはくるくると後れ毛を弄ぶ。
『うさうさ』
「んぇ?」
『あだ名。だめ?』
なるほどこれは正統派カウンター。
わたしの力を倍返しにしようてか。やられたらやり返す。パイ返しだ。ちなみにわたしは返せない。これが胸囲の格差社会だ。
「もちろんいいよっ!」
ちなみに呼び名自体にはなんの異存もない。
あだ名で呼んでいい奴は呼ばれる覚悟がある奴だけなのだとイレギュラーに弱めの童貞坊やに教わっている。
ところでC.C.って文字列はおっぱいの形を表してるのかな。それともお尻かな。
『良かった』
嬉しそうに笑う奈々。やっぱり距離を詰めるのにあだ名は、うん、悪くない。悪くないぞ。
「ななりーはさ、これからでも軽音部の人とバンド組むつもりないの?」
だから聞いてみた。気になることを。
…あれ、でもどうしてわたしはそんなことが気になっているのだろう。
自分でもわからなかった。
『んー…大抵の人はもうすでにバンド組んじゃってるし。誘われてならともかく、自分からギター2人体制にしてくれって頼みに行くのもさ。それに』
「それに」
『誰かが組んだバンドに入りたいんじゃない。わたしは自分の作ったバンドで天下を取りたいんだ』
「そりゃまた大きく出たねぇ〜」
バンドの天下…最高到達点はどこなんだろう。野球なら甲子園、サッカーなら国立。
えーと…なんかライブを大きな箱でやるはずで、ドームじゃないほうの…
「両国国技館だね!」
『あはは。うさうさは面白いね』
「そ、そう?」
何故か褒められてしまってわたしは「えへへ」とちょっと照れてしまう。
『うんうん。うさうさは何か部活…ってやってるの?』
聞かれて言い淀み、わたしはペットボトルの蓋を開けて一口、二口飲んでからスーパーのビニール袋を1枚被ったような薄ぼんやりとした曖昧な微苦笑で、
「吹部。オーボエやってる」
『へぇ、すごいじゃない』
「全然そんなことないって」
『そうなの?』
奈々の言葉は綺麗な無色透明で。なんの棘もなくて。だからこそ彼女の言葉は酷く胸を抉った。
そこ。ついにマイナス乳になったかとか言わない。
そのやりとりをきっかけにわたしと奈々はお互いの身の上についてあれこれ語った。
どうやら奈々はこの超然とした雰囲気を纏うまでに色々とやりたくもないことをしてきたらしく、そんな彼女の話を聞いているとわたしはますます適当に日々を生きてきた自分を恥ずかしく思った。
でも。そんなわたしの想いを聞いて彼女は思いがけもしない返しをしてきた。
『…それってさ、うさうさには“探し続ける才能”があるってことじゃないのかな』
「そーれどぅゅーぃみーん?」
『日本語なのか英語なのかどっちかにしてほしい』
しまった。わけがわからなくてつい巫山戯てしまった。
「それは、どういう意味なのだ?」
『うさだもん…。いや、あのね。世の中やりたくないけど言われるからやってる。とか何となく自分の気持ちがわからないまま“でもこれがやりたいこと、やるべきことなんだ”って自分を納得させてやってる人ってたくさんいると思うんだ。でも、うさうさは違う。違和感をしっかり抱えて、それを表に出して、また次の挑戦をしてる』
「それって、つまりは飽きっぽくてわがままってことじゃん?」
『悪く言えばそうだね。でも、“これだ”と思うものが見つかったときのうさうさはものすごいかもしれないよ』
それは詭弁だ、と切り捨てることは簡単で。
でも奈々が本気でそう言ってくれてるのはよくわかるから、わたしは真面目な顔をして
「うん…」
と頷く。しかし。
「でももう2年の夏休みだよ。運動部の人たちなんてキャプテンになる人も出てくる。吹部だってもうすぐ世代交代だし今更…」
『スタートラインは常に自分の足元にある』
奈々がぴしゃりとわたしの言葉を遮る。シン、と全ての音がその言葉の迫力に飲み込まれる。
『65歳になってから映画を撮る側になりたいってがんばるおばあちゃんを描いた漫画なんだけど、その帯で見た言葉なんだ。うさうさもそのおばあちゃんになれるんじゃないかなって話聞いてて思った』
「え、おばあちゃんになるまで自分のやりたいことが見つからないってこと…!?」
がーん、という擬態語が頭の上に浮かんでいるような錯覚を覚える。
きっと奈々にもそんな表情を見せているに違いない。
正直言ってわたしは羨ましいのだ。キラキラのクラウンを被る彼や、ティアラを着ける彼女が。
いつかは手に入る女王の王冠が欲しいわけじゃない。できればすぐにプリンセスになりたいのだ。それがどれほど身の程知らずな願いであろうとも。
『まぁ…もしかしたらそうかもね?』
くすり。と意地悪そうに奈々は笑った。
『でも』
と、言いおいて彼女は大きく深呼吸した。
まるでこの部屋の酸素を全部吸い尽くしてしまうのではないかというくらいに、深く、何度も。
『良かったら、私とそれ、一緒に見つけない?』
「…え?」
『やろ。バンド、組も。それでうさうさが“これじゃない”ってなってもわたしが責任持ってうさうさのやりたいこと一生かけて一緒に探してあげるよ』
息が苦しい。もしや本当に酸素がなくなってしまったのではないだろうか。
頭がぼうっとする。はたまた熱中症が遅れてやってきたのだろうか。
でも、胸が熱い。
身体が軽い。ぐっと踏み込んで翔べば空へ届きそうなほど。
この子はついさっき出会ったばかりの女に何をそんなにマジになっているんだろう。
でも、嬉しくて。
初めて感じる“予感じみた”期待があって。
「うんっ!わたし、やる!バンドやるよ!」
深く考えず、わたしは元気よくそう返事をしたのだった。
「…とまぁそんなことがあってこうなってるわけだよ。感動的でしょ?泣いていいよかにゃにゃん」
『ふぅん。ところでセンパイ、いい加減キーボードは買えそうなんですか?iPhoneのGarageBandだけでやるのはそろそろ限界ですよ。そのiPhone売れば買えますから売ってきましょ?ね?』
「う、うわぁん!こはるんかにゃにゃんが酷いんだけど!」
『はは。二人ともすっかり仲良しだね。羨ましいよ』
そんなわたしたちのやり取りを横目で見ながらギターを弾く奈々の横顔は、あのときよりずっと幸せそうで。
わたしはこの場所を守るためならなんだってしよう。という初めての情熱に胸を焦がす日々を送っている。
「大丈夫!来月のお小遣いまでもらったら多分目標額に届くよ!目指せ両国国技館!」
『センパイ、11月場所は九州でやるんですよ?』
⸺〆