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No.3 1/4
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「横尾…横尾…!」 その後、健人はふらつきながらもすぐに和明を横たえた階段の踊り場へと向かい、その意識に呼び掛けた。横たえたその身体を抱え、右腕で支える和明の頭——力の投げ出されたその重さが健人の焦燥を煽る。 「……ぅ…あ、ゆみ…」 その時、女性の名を思わせる言葉と共に、和明は薄目を開けた。 「大丈夫か?」 「…あぁ、花森…無事か?」 意識は戻りつつあるものの、呆けたような声音で発された言葉に、健人の張りつめていた気も抜ける。呆気にとられたのか、思わずため息交じりに返答した自分がいた。 「…どうなのかな…まあ、怪我はないよ」 健人の口から出てきたそんな言葉を受けてか、一瞬和明は怪訝に健人を見るものの、「…すまなかった」と謝罪しつつその身を起こす。 「忠告、してくれたのにな」 少々ふらつきながらも立ち上がると、和明は目を伏せながら謝罪の言葉を続ける。先の行動からは不可解な程の素直な謝罪。それに未だ拍子抜けする健人だったが、先の出来事を思えばまだその表情を緩めることは出来なかった。夜の静寂が取り戻された西棟に、しばし沈黙が流れるも、やがてそれに耐え切れず健人の口が再度開く。 「二人とも死んでたかもしれない。あんなこと冗談じゃないぞ」 その強い口調の言葉に、今度は和明が口を噤んだ。その沈黙はどこか強い意志を感じさせる。なんだってこいつ、こんなにこの怪事件に執着してるんだ…そう思う健人が眉根を寄せたその時、パトカーと救急車のサイレンが耳に届いた。ハッと顔を上げた和明が焦燥と共に健人を見遣る。 「さっきの誰かが通報したか…花森、言いにくいが頼みがある」 「…これ以上、なんだ?」 状況と和明に向けて、健人は悪態をつかずにはいられない。だがそんな健人の思いを認識しながらも、和明は矢継ぎ早に告げた。 「俺と逃げてくれ」 その表情も言葉も最早呆けたものではなく、また初めに話した朗らかさは消え失せている。 「どういうことだよ?さっきは逃げないで、今度は——」 「警察やその類にマークされるわけにはいかない」 健人のそれを一蹴する和明の言葉には、それまでとは異なり緊迫した響きがあった。 「なんだよそれ…だとして俺は——」 言いかけて想起する。俺は… 「君から強い光が出るのが見えた。助かったのには何かあるんだろ?」 「えっ…!?」 …俺はどうなるっていうんだ?奴らと同じ身体になった俺は—— 「それが彼らにわかったら、君も面倒なことになる」 怪物として、死ぬ? 「俺も足がついちゃ困るんだ、早く!」 「…っ!」 和明が強く発した言葉を最後に、二人は駆けだした。見つかるわけにはいかない…怪物を追いながら、人間の社会からは隠れねばならない状況。その奇怪さに、健人はある物語を想起した。人間が毒虫になってしまうその話を最初に知ったのはいつのことだったか。自分が人間モドキと思ってからは「元からだったじゃないか」と自嘲こそしたが、ここまで孤独だったとは…足元がガラガラと崩れ落ちていく感覚、その恐怖に追いたてられるようにして健人はその場を後にした。 その後、健人はアパートの自室から出ることも出来ず呆然と過ごしていた。胸中は混乱の渦中にあり、先の孤独と恐怖は未だ心中にこびりついている。なんだって俺がこんなことになったんだよ…あんな化け物たちに襲われて、二度も戦って…自分自身も化け物になった。精密検査を頼んだのも、今思えば間違っていたかもしれない…最悪、モルモットになる可能性だってある。そこまで想起するもすぐさま頭を振り、遂に縋りつくようにスマートフォンの電話帳を開いた。表示したのは母、純子の電話番号。電話しても母を同じ思いにさせるだけで、状況が好転するとは思えない。それでも尚、母の声を聞かずにはいられなかった。指が発信のアイコンを押し、右耳にスマートフォンを当てる。呼び出し音のコールが数回鳴ると、程なくして純子が電話に応じた。 「もしもし、けん、どうしたの?こっちに帰る準備、進んでる?」 「…母さん」 耳に響く母の優しい声、いつも自分を案じながらも支えてくれた人の声を前に、健人は泣いて縋る。 「俺、もう…どうしたらいいかな…」 「…どうしたの?」 純子の声がすぐに心配に身構えた真剣な音に変わった。そのことに健人は胸を痛めると共に、抑えていた苦悶が堰を切って溢れだしそうになる。 「…どう言えばいいかも、わからなくって…一切言えないんだけどさ…俺、本当に人間じゃなくなったみたいだ…」 泣きながら伝えられる息子の言葉。何があったかを聞きたいが、具体的に話が出来ない状況。そしてコントロールしようとしながらも溢れる感情。多分ギリギリだろうーー何年も息子を見守ってきた経験から、純子は今の健人をそう判断した。だからかねてから母として、してやりたいと思ってきたことを、今一度姿勢として示す。 「そう思うことが、あったんだね…思いだけでも言ってくれるの、待ってたよ」 それは、可能な限り健人の今を共に受け止めてやること。純子は何をするでもなく、伝えるでもなく、ただありのままの息子を受容することだった。 「ごめんなさい…!…ごめ…」 健人は、そんな母の優しさに対し、幼子のように泣き出して謝罪した。自分が無理して独りでやっていこうなんて考えなければ、こんなことにはならなかった。心配しながらも見守ってくれていた家族に、ただ泣きながら謝ることしかできない。 「…いいよ」 その許しの言葉は、純子の矜持だった。思うように自分の生活ができない苦難にもがき苦しみ、自身と他人の苦しみに共感し、混同さえしながらそれに挑んで壊れてしまった息子。この子はそれでもまた立って歩こうとする。そんなこの子と、この子の道行きを、誰が何といっても私だけは信じ、肯定しよう。そんな思いで健人と共に歩んできた、母としての覚悟。そこから出てきた言葉。その意味が分かるからこそ、健人は泣くことを止められなかった。部屋のカーテンの切れ間から夕焼けの光が射し、健人の背を照らす。そんな4月22日の夕方のことだった。
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