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6年生に進級してから、このクラスはどこかざわつきがあった。 クラスの中心にいる生徒たちの声が大きく、強くない私たちはみんな周囲に流され、口調を合わせる。 誰かが陰口を言ったり、流れを乱すようなことをすれば次の日にはその子がいじめの標的にされる。 標的になった子は友達からも離れられ、次第に孤立していく。 みんな同じ目に遭うのが怖くて、見て見ぬふり。 私もそう。 クラス全体が重くてピリピリした雰囲気に包まれていた。 私の家庭は両親不在で、おばあちゃんとたった2人で暮らしていた。 もう80に迫る歳で、私のことを育てるのもそろそろ限界を迎えていた。 だからなるべく心配をかけないよう、なるべく元気に振る舞い、中学になったら自立して離れるつもりだった。 そんな私の心の拠り所は、4年生の時に買ってもらった望遠鏡。 なにか辛いことがあった時、単に寂しくなった時、その望遠鏡を持って街の展望台に向かう。 星空を見上げ、どこか遠い星のことを考える。そうするとだんだん自分の悩みが小さいことに思えてきて、また明日も頑張ろうと思えた。 それでもここ最近は望遠鏡を持ち出す頻度が増えている。 あの重々しい雰囲気のクラスで常に怯えながら生活するのは、まだ大人には程遠い、弱い心の私たちにとってはとても耐え難いものだった。 そんな中である日、私はこんな言葉を目にする。 「自分が正しいと思うことをするんだ」 たしか、たまたまついていたテレビに映っていた、アニメのキャラクターのセリフだったように思う。 私はその言葉でハッとした。 自分が正しいと思うことをする… 周囲に流されてばかりの今の私は、クラスの悪い雰囲気を助長している。 そのことから私は目を背け続けていた。 流されてるだけのつもりでも、やってることはいじめる側となにも変わらない。 流されているままでは現状を変えられない。 だから、これからは正しいと思えることをしようと決めた。勇気のいることだけど、この流れはどこかで絶たなきゃいけない。私はその最初のひとりになるだけだ、と自分に言い聞かせた。 —————————————————————————————— 次の日の朝。 私はホームルームの時間を使って、クラス中の全員に訴えかけた。 「みんな、もう誰かに流されるのはやめよう!」 「目を背けるのはやめよう!」 みんなの冷たい視線が教壇上の私に集まる。 夢中になって叫んだ。みんなにも気付いてほしかった。 「自分が正しいと思ったことをしようよ!」 自分でもなんて言ったか思い出せないほど、必死に伝えようとした。 実際私も昨日まで流されていたんだし、人のこと言える立場ではない。 それでも後悔はしてない。今の私は正しいことをしていると思えたから。 これが私の革命宣言。 今日から私は誰にも流されず、正しいと思ったことをする。 クラス全体に向かって宣言したからには、もう引き返せない。 それからの私は、いじめの雰囲気を感じたら積極的に仲裁に入った。標的にされて孤立した子にも話しかけ、その子に孤独感を与えないようなるべく同じ時間を共にした。 いつの間にか「演説おばさん」なるあだ名が付けられていたけど、それはみんながあのホームルームの時のことを覚えてくれている証拠だから、と割り切ることにした。 ものすごく勇気のいることだけど、もう怯えることはなくなったし、自分に自信が持てるようになっていた。 —————————————————————————————— それから2週間が過ぎたある夜のこと。 私はまた望遠鏡を背負い、展望台に来てしまった。 ……もう、限界だった。 クラスの中には当然、私のことを快く思わない人もいた。もちろん最初は反発があると思っていたし、そう簡単にみんなの気持ちを変えられるとは思っていなかった。 でもその結果、次のいじめの標的になったのは私だった。 次の日には机の上が荒らされていた。雑巾を使っても取れない落書きもあった。 上履きがなくなっていた日もあった。次の日に中庭の花壇から土まみれになって出てきた。 体操服にハサミで切り込みを入れられていた。これは結構ショックだったけど、おばあちゃんに気付かれる前に頑張って縫い合わせた。 どれも犯人がわからないタイプのいじめだった。でもそれは、きっとみんなの心が弱いからだと思う。 周りに合わせ、自分が標的になるのを恐れているだけ。みんな本当にいじめたいわけじゃない。 この前までは私だってそうだったんだ。気持ちはわかる。 だからこそ私は誰よりも強い心を持ち、まるでいじめなんか受けてないかのように振る舞い、クラス全体の空気がいじめに飽きてくるまで屈さず耐え続けよう、と強く決意した。 そこまではよかったけれど、結局私も弱かった。 いじめを受けていた子の力になれればと思い積極的に声をかけていたけれど、私がいじめの標的にされてからはその子たちも無視を決め込むようになった。 それだけじゃなく、仲良くしていた友達にまでシカトされるようになった。 私はいじめをないもののように振る舞おうと決めたけど、まるで私自身がクラスに居ないかのように扱われてしまう。 さすがに耐えられなかった。 ずっと堪え続けていた涙が溢れ出てくる。そこだけ雨が降ったみたいに展望デッキが濡れていく。 心が悲鳴をあげているのがわかる。私は強くなんてなかった。 元気をもらおうと望遠鏡を覗くけれど、この広い宇宙で私は独りぼっちなんだとすら思えてきてまた視界が滲む。 もう無理だ… —————————————————————————————— 「…どうしたの?」 突然、誰かの声が聞こえた。 「大丈夫?」 男の人の声だ。 「ねえ、どうしたの」 ここで私に話しかけられていることに気付き、ハッとして顔を上げる。 優しそうな顔立ちの、若い男性だった。 「こんな夜中に独りでいたら危険だよ」 ふと時計をみると、その針は深夜1時を指していた。展望台にきたのが9時頃だったから、私は4時間も展望デッキのベンチで泣き続けていたらしい。 「親御さんもきっと心配してるよ?」 私に親はいない。おばあちゃんは私を育ててくれるけど、ただの良い人ってだけで血の繋がりはない。 それに、おばあちゃんには心配かけないよう、あの人が眠りについてから出かけるようにしている。 「大丈夫、誰も心配してないから」 私は目を落とし、そう答えた。 「誰も…?」 そう、誰も。私は誰からも心配されてない。 心配してくれるひとは、もう誰もいない… そう思うとまた涙が溢れてくる。人前なのに堪えられない私はその場にいるのがいたたまれなくなり、立ち去ろうとするけど足が痺れていて、立ち上がるとよろめいてしまう。 「……俺は?」 ふと男の人が呟いた。 「えっ…?」 私はその言葉の意味がわからず、混乱する。 「とりあえず落ち着いて。ここ座って」 男の人はよろめく私をベンチに座らせ、その隣に腰かける。そして、私の眼をみてこう言った。 「なにがあったのか聞かせてよ」 ———その言葉は、私の中に優しく響いた。 この人なら、私を心配してくれる…? 私のことを認めてくれる…? 「……私ね、」 涙が見えないように、照れ隠しで空を見上げる。 「私ね、世界で独りぼっちなんだ」 男の人は黙って聞いていた。 「全然知らない街に来て、家族も友達も誰もいなくて」 「それでも正しいことをしようと頑張ったけど、誰からも相手にされなくて」 「こんなに宇宙は広いのに、その何処にも私の声は届かない」 「それじゃあ私は、なんのために生まれてきたの?」 ———その言葉を最後に、辺りは静まり返った。 果てしない宇宙の片隅に独りぼっち取り残されたような、そんな感覚に囚われる。 —————————————————————————————— 「なんでかな…一生懸命やってるのにね」 思わず自分も涙ぐみながら言ったその言葉は、誰に向けられた言葉だったのだろうか。彼女に?それとも自分に? 「ただ、ひどい話かもだけど…俺、ここで…君に会えて良かったな」 「…えっ」 少女は伏せていた顔を少しだけこちらに向ける。その瞳は未だ涙に濡れていたように見えた。その悲哀に少年の眼は細められ、眉が寄せられる。 「うん…ホントにひどい…多分今、君みたいな人と、話したかったんだ」 涙を拭いながら、一瞬の瞬きと共にそう伝える。同時に少年が抱いていたのは恐怖。この優しく、ともすれば今にも壊れてしまうかもしれない繊細な少女の心に触れ、力になりたい前のめりな思いと、加えようとした力で彼女の心が砕けてしまうのではないかという思いとが、彼の口元を震わせる。 「…もし、なんだけど…よかったら、なんだけど…」 口から出てきた言葉は躊躇いがちで、やはり少しだけ震えていた。怖い。自分が彼女をそれこそ余計に辛くしないか…本当に怖い。 「…どうしたの?」 涙交じりの瞳が、怯えた少年に向けられる。彼女はこの状況下にあって尚、彼の様子を案じていた。ふと、それが美しいとさえ少年は思う。 ”応えたい、何かできないか” いつだって出てきてしまうのは、そんな自他の領域を考えない愚かしい考え。可能な限り封じようとした、醜い狂乱の元凶。少女に感じた冒しがたい美しさへの畏れと、熱に浮かされる感覚を自覚しながら、張り詰めた神経に肩で息をする。 「…独り言…言っていかない?」 混ざりあい、せめぎ合う感情の渦の中にありながら、出てきた言葉はそんな一言だった。 「…独り言?」 「うん、独り言」 それが、精一杯だった。それでも、最後に一度だけ腹をくくろうと思った。自分は誰かに、何かしていい人間ではなかったから。だけど願わくば、この子の涙は…この子の涙だけは何としてでも拭いたかった。それはエゴだ。我欲でしかない。自分の救いを、他者のそれと重ね、強請ることしかできなかった我がままの延長でしかない。そんな我がままを”正義”などと呼んで、自他に振りかざしてきたが、そんなものは保護室の便所にでも棄てた。だから、この一回が最後だ。神に祈る趣味などない。 「君の声は、俺に届くかもしれない。俺の声は、君に届くかもしれない」 それでもどうか…今だけは… 「だから、何ていうかな…自分と、お互いを助けるつもりで、さ…」 その言葉は、誰に向けられた言葉だったのだろうか。 ——————————————————————————————
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