朝憬への詩 第一章 1話 シーン1 version 2

2019/08/06 16:42 by someone
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朝憬への詩 第一章 1話 シーン1
その夜は星空が一面に広がっていた。その夜は星空が一面に広がっていた。暗闇の中、ルクスカーデン十三番街、北西の住宅地を照らすのは、上空に浮かぶ星々の煌めきと、〝灯りの揮石〟と呼ばれる立体のひし形をした魔法の石がポツリポツリと光る灯り———その街路灯のみである。時間は皆寝静まった深夜、しかしとある石造りの家の二階、その一室の木戸が静かに開く。その奥から赤毛のショートボブを揺らした少女が暗がりを抜けてきた。白いネグリジェ姿、一歩一歩忍び足で向かった先は、彼女———心羽の部屋と、心羽の父である明(あきら)の書斎の中間。そこからは天井に向けて梯子が伸び、設けられた大きな天窓から、丁度月が雲の合間に見え隠れしていた。心羽が右手に持ったランプの中の灯りの揮石を振ると、その周囲が淡く光るも、少々灯りが大きすぎる。灯りをなるべく小さくするようイメージしながら、ランプ内の揮石を再度振ると、やがて灯りが小さくなった。心羽はランプの取っ手を手首に通し、天窓を目指して梯子を上り始める。少女の軽い身体とはいえ、彼女の体重を乗せた木製の梯子は、小さい音乍らもギシギシと軋む。母の寝ている一階にまでその音が響こうものなら、この秘密の行為は咎められてしまうかもしれない。心羽は息をひそめ、一段ずつ静かに梯子を上る。やがて六段目に脚がかかると、左手を伸ばして天窓の鍵を開け、押し上げるように天窓を開けた。
 瞬間、静かな夜風を肌に感じながら上空を見上げると、心羽の眼に星々の光が映る。心羽はその光に引き付けられるように、天窓から身を乗り出して屋上に出た。今この時期、この場所は、夜空に瞬く星がよく見える。この深い静寂の空気と、はるか遠くの何千、何万光年からの光の偉大さ。心羽はその意味を知るより昔、幼いころからその世界に魅せられていた。夜の風の心地よさがその身を包む中で、彼女は屋上に座ると、ふと自分の思いを小声で呟く。
「ねえ、なんだか眠れないの」
少し細めたその赤い瞳は、星を映しつつも陰りも内包していた。誰にというわけでもないが、安心を求めるように、彼女は言葉を紡ぐ。
「これからのことを考えてると、何もしないままでいいのか不安になって…私は何になれる?どんなことができる?」
自身の可能性と、無謀さに不安定になるその思いに、夜空は何も告げることはない。
「…空に聞いたって駄目だよね」
これまで何度か問いかけてみて、これで何度目の沈黙だろうか…当たり前のことではあるのはわかっている。ただそれは、心羽が自分の自然な思いに気づき、その心で現実と向き合っていくために、必要なことだった。

それから少し経ったときのことである。東の空に赤みが射しはじめた。今日が終わり、明日を始まろうとしている。眠気に目を伏せかけていた心羽が、朝焼けに染まりゆく天を仰ぎ見る。夜明けに陽と闇が交錯するこの時間。明日に向け天が青空を準備するこの時間。心羽はこの時間が好きだった。まだ冷たい夜の風に吹かれながら、空のグラデーションに見つめていたその時、上空が突然光り始める。やがてその閃光の中から、流星を思わせる幾つもの小さな光の奔流が、このルクスカーデンの地に降り注いだ。綺麗…こんなの見たことない。この世界にこんな光があるなんて…心羽の感想の第一はそんな思いだった。不可思議な光景ではあったが恐怖はなく、その虹を思わせる七色の光は、心羽の心に温みを与えた。その時、彼女の赤い瞳には陰りはなく、その紅は力を宿して煌めく。どこか懐かしく、心の中の何かが満たされ、包まれているような優しさ…彼女は思う。〝この光をすべての人に見せたい〟と———その無垢な願いに呼応するかのように、北の空に小さく映っていたはずの七色の星の一つが徐々にその大きさを増していく。近づいて…こっちに来てる…!流星が自身の下に迫りくる危機感に、心羽は一瞬後ずさるが、やがてこちらに近づくにつれて、その星は徐々に減速し、手に収まるほど小さくなっていくのが分かった。単なる流れ星、即ち隕石の類ではない。何より…嬉しいと思った。遠目に見ることしかなかった星の光が、温みある七色を携えて、眼前にその美しさを宝石のように輝かせている。そのことに無邪気に興奮している自分がいた。その思いのままに右手を伸ばす。それまで何度も伸ばしては虚空を掴むのみに留まっていたその手は、確かに七色の星を掴んだ。そうして輝きを手にした右手を、左手とともに自らの胸に祈るように抱き寄せる。すると指の間から星と同じ輝きがあふれ出し、心羽を優しく包みこむ。
祈るように閉じていた目を開けると、掴んだ星をもう一度見ると、星は宝石を宿したペンダントに姿を変えていた。揮石よりも大きく丸い形状のそれは、磨かれた青い宝石の中に、星と同じ七色の輝きを有し、その周囲を結ぶ銀の装飾はシンプルなものながら、艶のあるものだ。そこまで確認した瞬間、心羽の脳裏に覚えのない映像が過った。しかしそれは靄がかかったようにはっきりとは見えない。これは…なに?…走馬灯?
「その力は…」「きっとまた逢えるから…」「…じゃあどうすればいいの?」
映像と共に様々な人の声が聞こえる。湖畔に浮かぶ都、男の声、祈り、苦悶の響き…どうなってるの!?
「んなもん知るかよ!」「もっとよく考えて」「ずっと信じてたのに」
朝焼けの雲と赤い光、激情の叫びと諭すような冷静、そして失望の嘆き
「好きにしろ」「ここは俺に任せて!」「…何もかも失った」
積雷雲と雨の降る荒野、厳しさを孕んだ思い、強い意志、悲哀の心
頭の中がぐちゃぐちゃになって、心羽は思わず目をぎゅっとつぶる。
脳裏に未だ浮かぶのは一面の焼け野原。
「それでも行こう」
それは誰かの願い…その炎の向こう。目を開けた心羽の先に見えたものは…
「私たちは———」

      

その夜は星空が一面に広がっていた。暗闇の中、ルクスカーデン十三番街、北西の住宅地を照らすのは、上空に浮かぶ星々の煌めきと、〝灯りの揮石〟と呼ばれる立体のひし形をした魔法の石がポツリポツリと光る灯り———その街路灯のみである。時間は皆寝静まった深夜、しかしとある石造りの家の二階、その一室の木戸が静かに開く。その奥から赤毛のショートボブを揺らした少女が暗がりを抜けてきた。白いネグリジェ姿、一歩一歩忍び足で向かった先は、彼女———心羽の部屋と、心羽の父である明(あきら)の書斎の中間。そこからは天井に向けて梯子が伸び、設けられた大きな天窓から、丁度月が雲の合間に見え隠れしていた。心羽が右手に持ったランプの中の灯りの揮石を振ると、その周囲が淡く光るも、少々灯りが大きすぎる。灯りをなるべく小さくするようイメージしながら、ランプ内の揮石を再度振ると、やがて灯りが小さくなった。心羽はランプの取っ手を手首に通し、天窓を目指して梯子を上り始める。少女の軽い身体とはいえ、彼女の体重を乗せた木製の梯子は、小さい音乍らもギシギシと軋む。母の寝ている一階にまでその音が響こうものなら、この秘密の行為は咎められてしまうかもしれない。心羽は息をひそめ、一段ずつ静かに梯子を上る。やがて六段目に脚がかかると、左手を伸ばして天窓の鍵を開け、押し上げるように天窓を開けた。
 瞬間、静かな夜風を肌に感じながら上空を見上げると、心羽の眼に星々の光が映る。心羽はその光に引き付けられるように、天窓から身を乗り出して屋上に出た。今この時期、この場所は、夜空に瞬く星がよく見える。この深い静寂の空気と、はるか遠くの何千、何万光年からの光の偉大さ。心羽はその意味を知るより昔、幼いころからその世界に魅せられていた。夜の風の心地よさがその身を包む中で、彼女は屋上に座ると、ふと自分の思いを小声で呟く。
「ねえ、なんだか眠れないの」
少し細めたその赤い瞳は、星を映しつつも陰りも内包していた。誰にというわけでもないが、安心を求めるように、彼女は言葉を紡ぐ。
「これからのことを考えてると、何もしないままでいいのか不安になって…私は何になれる?どんなことができる?」
自身の可能性と、無謀さに不安定になるその思いに、夜空は何も告げることはない。
「…空に聞いたって駄目だよね」
これまで何度か問いかけてみて、これで何度目の沈黙だろうか…当たり前のことではあるのはわかっている。ただそれは、心羽が自分の自然な思いに気づき、その心で現実と向き合っていくために、必要なことだった。

それから少し経ったときのことである。東の空に赤みが射しはじめた。今日が終わり、明日を始まろうとしている。眠気に目を伏せかけていた心羽が、朝焼けに染まりゆく天を仰ぎ見る。夜明けに陽と闇が交錯するこの時間。明日に向け天が青空を準備するこの時間。心羽はこの時間が好きだった。まだ冷たい夜の風に吹かれながら、空のグラデーションに見つめていたその時、上空が突然光り始める。やがてその閃光の中から、流星を思わせる幾つもの小さな光の奔流が、このルクスカーデンの地に降り注いだ。綺麗…こんなの見たことない。この世界にこんな光があるなんて…心羽の感想の第一はそんな思いだった。不可思議な光景ではあったが恐怖はなく、その虹を思わせる七色の光は、心羽の心に温みを与えた。その時、彼女の赤い瞳には陰りはなく、その紅は力を宿して煌めく。どこか懐かしく、心の中の何かが満たされ、包まれているような優しさ…彼女は思う。〝この光をすべての人に見せたい〟と———その無垢な願いに呼応するかのように、北の空に小さく映っていたはずの七色の星の一つが徐々にその大きさを増していく。近づいて…こっちに来てる…!流星が自身の下に迫りくる危機感に、心羽は一瞬後ずさるが、やがてこちらに近づくにつれて、その星は徐々に減速し、手に収まるほど小さくなっていくのが分かった。単なる流れ星、即ち隕石の類ではない。何より…嬉しいと思った。遠目に見ることしかなかった星の光が、温みある七色を携えて、眼前にその美しさを宝石のように輝かせている。そのことに無邪気に興奮している自分がいた。その思いのままに右手を伸ばす。それまで何度も伸ばしては虚空を掴むのみに留まっていたその手は、確かに七色の星を掴んだ。そうして輝きを手にした右手を、左手とともに自らの胸に祈るように抱き寄せる。すると指の間から星と同じ輝きがあふれ出し、心羽を優しく包みこむ。
祈るように閉じていた目を開けると、掴んだ星をもう一度見ると、星は宝石を宿したペンダントに姿を変えていた。揮石よりも大きく丸い形状のそれは、磨かれた青い宝石の中に、星と同じ七色の輝きを有し、その周囲を結ぶ銀の装飾はシンプルなものながら、艶のあるものだ。そこまで確認した瞬間、心羽の脳裏に覚えのない映像が過った。しかしそれは靄がかかったようにはっきりとは見えない。これは…なに?…走馬灯?
「その力は…」「きっとまた逢えるから…」「…じゃあどうすればいいの?」
映像と共に様々な人の声が聞こえる。湖畔に浮かぶ都、男の声、祈り、苦悶の響き…どうなってるの!?
「んなもん知るかよ!」「もっとよく考えて」「ずっと信じてたのに」
朝焼けの雲と赤い光、激情の叫びと諭すような冷静、そして失望の嘆き
「好きにしろ」「ここは俺に任せて!」「…何もかも失った」
積雷雲と雨の降る荒野、厳しさを孕んだ思い、強い意志、悲哀の心
頭の中がぐちゃぐちゃになって、心羽は思わず目をぎゅっとつぶる。
脳裏に未だ浮かぶのは一面の焼け野原。
「それでも行こう」
それは誰かの願い…その炎の向こう。目を開けた心羽の先に見えたものは…
「私たちは———」