0 「正当な怒り」の火(「トランスカルト」と呼ばれる私たち)

誹謗中傷

トランス差別的な書籍が、アクティビストで株式会社arcaのCEOである辻愛沙子さんが主催したフェミニズムをテーマにしたイベントで置かれていたことに注意喚起するツイートをしたことで、私は「トランスカルト」と口汚く罵られるようになった。

辻愛沙子さんへの注意喚起とそのバックラッシュについて
https://mimemo.io/m/qERa6lBrDJlPb0v

FF外からの通知を切っていたので、ほとんどの誹謗中傷は目にすることがなかったが、一緒に抗議してくれていた人たちが通報を呼びかけていて、そんなにひどいのかと思って少し不安になった。

「トランスカルト」

随分前に、私が他の件で声を上げた時は「LGBTマフィア」と揶揄されたものだが、今は「トランスカルト」と呼ぶらしい。トランスジェンダーの基本的人権を守ろうとする人たちは「カルト」であるという言い分である。

差別的な表現や意見が載っている本を、フェミニズムという平等を求め差別を許容しない思想をテーマにした空間で置かないでください、と伝えること、トランスジェンダーへの差別を、攻撃を、やめてくださいと伝える私を「トランスカルトだ」と糾弾することは、「私はトランスジェンダーの差別も攻撃もどうだっていい、差別主義者です」と大声で自己紹介することに他ならない。

そして、言うまでもなく、それによってシス女性の権利が向上したり、女性専用のスペースの安全が保たれるはずもない。

卑怯者のやり口

抑圧者は抑圧している相手がいつ反乱を起こすのか、日々不安を感じながら生きている。一人が「この扱いは不当だ」と、正当な怒りを表明すればそれを聞いた周囲の被抑圧者たちも一緒になって動き出すかもしれないと怯えているのだ。

それを阻止するために、「不当な扱いをやめろ」と叫ぶ口はすぐに塞がれる。
被抑圧者が離せと暴れて、それでも離してもらえないから手に噛み付くことは正当な怒りの表明なのに、それが「攻撃的な加害」として表現して弱者を動かなくなるまで蹴り続けるのは卑怯者の常套手段である。

私を「トランスカルト」と呼ぶ人たちも同じ。
「トランスカルト」の言い分は怖い、と思っている人がもしここにいたら、一度立ち止まって考えてほしい。印象に巻き取られて構造を見誤ってはならない。

これはトランス差別だけの問題ではない。ジェンダー差別によって男性よりも女性やシス男性ではないジェンダーの人たちの方が弱い立場に置かれているという点においても同じことが言える。フェミニストたちが「差別をやめろ」と立ち上がった時、構造的に優位であるシス男性たちは何度も「その言い方は女性らしくない」とトーンポリシングしたり、「女性は妊娠するから管理職に向いていない」「女性は生まれつき劣っている」など身体的な特徴や似非科学を用いて黙らせようとしてきた。「フェミニストは怖い」というイメージを植え付けるのもアンチフェミニストの常套手段だ。

そのアンチフェミニストのやり方を、トランス差別主義者たちはトランスジェンダー、特にトランス女性を排除するために利用している。

そういう人たちはTERF(トランス排除主義ラディカルフェミニストではない。トランス差別主義者だ

正当な怒り

今回一緒になって抗議し、散々攻撃された人達にも、「あなたの怒りは正当な怒りです」 ということを伝え続けたい。

私は機能不全家庭出身で、父親に常に「お前の感情で俺の感情を害すな」と、怒りを抑圧するように監視されて生きてきた。そのため、自分の正当な怒りが他人の、特に抑圧者の感情よりも重要ではないという考えを手放すことにものすごく時間がかかった。

私の怒り、そしてあなたの怒りは正当な怒りであり、この加害は相手の問題だと知ってほしい。

あなたが攻撃されたのはあなたが間違っているからではない。あなたが弱いからではない。あなたが正当な怒りを表現することで、あなたをコントロールできなくなることが不安な人たちがあなたを抑圧しようと小さな部屋に閉じ込めてきているだけだ。

あなたには力がある。

抑圧者の立場を脅かすような力があるからこそ、集中的に攻撃されている。正当な怒りの火を常に大きくするには大量の燃料を食う。しかし、火を絶えさせなければ、いつでもその火を大きくすることができるはずだ。

沈黙は加担だ(二度目)

沈黙を貫く、辻さんと利害関係がある人たちへ。

あなたも正当な怒りを表明する被抑圧者の口を塞ぐ加担者だ。 二度と「差別に反対」だの「フェミニズムはみんなのもの」だの耳障りのいい言葉を口にしないでほしい。あなたの味方だよとマイノリティに擦り寄り、その財布から金を抜くようなビジネスの倫理をよく考えてほしい。反差別という建前を金儲けが食ってしまったようなビジネスパーソン、会社、インフルエンサーは多い。ここに名前をあげきれないくらい。

差別主義者に囲まれるのは精神的にダメージを食らう。それは当たり前のこと。しかし、当事者など立場の弱い人たちが矢面に立たされているのを傍観しながら、LGBTQやフェミニズムをネタにお金儲けする人たちが差別に反対するという責任を負わないというのは、一体どういうことなのか?

そして、ここまできてもいまだにこれを傍観している人たちはせめて、「自分はこんな目に遭うべきではないし他の人もそうだ」という正当な怒りを表明する人たちを、あの手この手で黙らせようとする人たちの恐ろしさに目を向けろ。

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