No.2 1/2 version 68

2021/07/21 11:21 by someone
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No.2 1/2
2020年4月13日、月曜日。その日の朝憬英道大学文学部一回生、花森剣人(ハナモリケント)のスケジュールは、言語学と哲学概論の講義が午前中に1コマずつ。午後は自宅アパートの最寄りの古本屋兼ゲームショップ“ぶりっじ”でのアルバイト勤務が3時間だった。
…面倒くさい。起きるの怠い…一応タスクは軽めにしているが、月曜日特有の現実感を突き付けられた朝には、尚のこと身体も意識も重苦しく、布団の外には出たくない。スマートフォンのアラームが鳴る。二週間前、大学入学と同時に買い換えたばかりで、その音色は初期設定のままだ。そのエレクトロな音色が、未だカーテンを閉めきった薄暗い部屋の中に響く。
「あぁ…」
訪れる一日の始まりの音が鬱陶しい。身体が起こせない。その間もアラームは規則的なリズムで鳴動を続ける。そう急かすなよ、頼むから…次第に失望的な現実へと覚醒しゆく意識。剣人はスマートフォンを半開きの眼で睨みつけ、その電源ボタンを押すと、光るディスプレイに表示されたロック画面を操作する。“AM6:30”と表示するアラームアプリを憎々し気に停止した後、最近始めたスマホゲームからの余計な通知を読み流した。通知画面にはシンプルな一言が表示されている。
“スタミナが回復しました”
生憎俺の精神的スタミナはずっとゼロだ…最高レアでも寄越して、俺のそれも回復してくれ、頼むから。だがいつまでも画面を虚ろな表情で見つめているわけにいかず、剣人はベッドからその身を起こす。布団の温かさから離れてすぐは、まだ4月中旬の気温は少し肌寒い。カーテンを開けて朝日を部屋に取り込むも、その眩しさに目を細めてしまう。“気持ちがしんどくならないように、日当たりだけはいい場所を”と両親に言われて借りた1Kだが、特段感情に変化はない。一日の最初の一呼吸には、冷たさと虚無が含まれていた。

——————————————————————————————

 9:00開始の言語学の講義では、人の意思疎通の媒体である言葉、その本質というものについて教授が論じ、続いて10:40の哲学概論では、世界の成り立ちや人間とは何かを教授が学生に問いただす。だが剣人はそれに真面目に取り組もうとは思えなかった。そんなことが何だというのか。分かったようなことを言いたいだけだろう?心中でそんな台詞を吐き捨て、講義を聞き流しながら、座した長机の下でスマホゲームの周回に勤しむ。やがてゲーム内のスタミナが無くなれば、ノートを取るフリをしながら、剣人は自分の空想するキャラクターの落書きをしていた。
面倒事に背を向け、怠惰に身を任せている。与えられた時間を有意義に過ごしたい気持ちも無くはない。ただ、“自分は何をしたいのか”と問われれば、“とりあえずそれを考えたくないです”と冷笑したい。“ただ平穏にいること”…それが、くたびれた残りの人生をやり過ごすために、剣人が唯一心掛けることだった。

 12:00を回り午後に入ると、キャンパス内にある学生食堂の隅で、剣人は一人唐揚げ定食を食し、大学を出て“ぶりっじ朝憬店”に向かうべく自転車を漕ぐ。到着して仕事仲間に一応の挨拶を交わし、仕事着であるネイビーブルーのエプロンを肩にかけたころには時間は12:53だった。基本的にシフトは平日の昼間に入れることにしている。勤め始めたばかりということがあり、この時間から慣れようという店側の配慮もあってのことだが、正直忙しい時間にシフトを入れられるなど冗談ではない。オタク趣味で特撮を始め、漫画やゲームをそこそこ嗜んでいたから、これらを扱っているぶりっじでのバイトを始めてみたが、面倒な接客・電話対応、一向に慣れないレジ打ち、商品の配置やバックヤードの管理は法則がわからない…要はこれら全てが向いていない。今日も同僚であるパートの主婦、松山にゲームソフトの包装の仕方がなってないと指導を受ける。それは仕方ないとしても、すぐに「違うでしょう」とこちらの余裕を奪う言い方をしてくる、険しいおばさんの顔のしわを見ながらふと思う。気楽なもんだ…この人生やってみろよ。

——————————————————————————————

 バイトを終え、アパートに帰ろうと16:30にぶりっじから発った。どこか遠くに行きたいと思うが、そうしたところでこの息苦しさは付いて回る。“花森剣人の自我”とこの“息苦しさ”は切り離すことは難く、どこかに置いていくこともできない。最初からそういう構造の人間だからだ。
近所のスーパーで一応の自炊のための食材を買いに行かねばならない。しかし自身の構造を呪う思考や、ここまでの人生に係わってきた全てを嘲りたい醜悪な感情に、剣人の心は乗っ取られる。今はせめて、そこから離れたい。自転車は遂に目的地のスーパーとは別方向へ走り出した。
 どれほどの時間を走っていたのか…ペダルを漕ぐ足が止まったら、自分の呼吸まで止まってしまうような気がして、剣人は脚を動かし続けていた。しかしやがて自転車の速度は緩み、ペダルやタイヤと連動していたライトは消える。周囲の景色は夜空の闇に包まれ、木々や林の影が目立っていた。辺りに人は誰もいない。だが街の北東、郊外からおおよそ5キロほど離れた場所に位置する展望台から、淡い光が発せられている。最後にあの光を目指したのはいつだったろうか…灯台としての機能が併設されているというその展望台を見据えてそう考えたのを最後に、剣人は思考を制止させる。制止させることが一瞬出来た。肩で息をしたままではあるが、再度ペダルを漕ぐ足に力を籠め顔を上げた、その時…

目の前に、悪魔がいた。
「ソの虚ろ、旨そウだな―――」

——————————————————————————————

不意に眼前に迫る異形の人型。闇夜の中、薄ぼんやりとした街灯の明かりが烏を想起させるその黒い相貌を浮かばせる。人間のそれではない赤い眼が、剣人を捉えて離さない。
「―――えっ」
息を飲みながら不意に口から転げ出たのは、そんな呆気ない言葉だった。脳が恐怖を理解するよりも前に、身が竦み上がる。次の瞬間には悪魔に握られた太刀が剣人の胸に突き刺さっていた―――否、沈み込んでいた。
剣人がその異質な感覚に視線を胸元に下す。胸は血が噴き出ることはなく、また皮膚を貫かれたわけでもない。代わりに胸には沈み込んだ太刀を中心として闇色の汚濁が溢れた。それは渦となり、奔流となって返り血のように噴きあがる。
叫びだす瞬間、口を塞ぐように顔から掴み上げられた。悪魔の腕を引きはがそうと藻掻くように自身の手が動くも、その凄まじい力には及ばない。つま先立ちになった足元に自転車が倒れる。
生命の恐怖。止まりそうになる呼吸。焦点を失った剣人の目からは涙がこぼれる。
”―――何で俺なんだ”
汚濁の奔流を浴びている悪魔の姿は、人のそれとは違ってこそいるが嗤っているようにさえ思えた。

——————————————————————————————

剣人は自身の心に”何か”が入り込み、それまでの自我或いは内側が塗り換わるような悍ましい感覚を抱いた。疼くように鼓動が鳴り、内側に響く。その感覚は急速に拡がり肥大していった。一方で次第と比例するように、何も感じない自分も大きくなっていく。だからだろうか…状況が違うとわかりながらも、ふと思ったことがあった。
”そういえば、何であそこを目指したんだっけ?”
そう思ったのは、内に感じる悍ましさや奇怪な感覚故か。涙と共に見開かれた瞳に、灯台兼展望台の淡い光が映る。あの光が見えるまでは、それこそ闇雲に自転車を漕いでいただけだった。あの光が見えてからは、無意識に、惹かれるようにあの光を目指したけれど…
”ああ、そうだ。そういえば、あれは―――。あの光を見ながら終わるなら、まあいいか…”
そう思ったのを最後に、思考が投げ出されようとしていたその時、剣人の脳裏にある一つの言葉が過り、その無意識に反響した。

「それじゃあ私は、なんのために生まれてきたの?」

瞬間、剣人の胸は光が宿ったように輝きだした。その輝きは汚濁を祓い、やがて彼の全身を包む。
「―――っ!コイツ…」
悪魔は剣人の顔を掴んでいた左腕を引っ込めた。だが想定外の事態に動じながらも、沈んでいた太刀を引き抜いて体勢を立て直そうとする。瞬時に光る剣人の右腕が引き抜かれようとしていた太刀を掴み、その動きを制した。
「まだダ…まだ何モできちゃイない…」
「何者ダ?お前…」
光の中から白銀の烏が
そうして光の中から、悪魔の似姿かのように白銀の烏がもう一体現れた。白銀は悪魔の問いへの回答か、一言だけこういった。
「俺が教えてしいくらいだ―――」      

2020年4月13日、月曜日。その日の朝憬英道大学文学部一回生、花森剣人(ハナモリケント)のスケジュールは、言語学と哲学概論の講義が午前中に1コマずつ。午後は自宅アパートの最寄りの古本屋兼ゲームショップ“ぶりっじ”でのアルバイト勤務が3時間だった。
…面倒くさい。起きるの怠い…一応タスクは軽めにしているが、月曜日特有の現実感を突き付けられた朝には、尚のこと身体も意識も重苦しく、布団の外には出たくない。スマートフォンのアラームが鳴る。二週間前、大学入学と同時に買い換えたばかりで、その音色は初期設定のままだ。そのエレクトロな音色が、未だカーテンを閉めきった薄暗い部屋の中に響く。
「あぁ…」
訪れる一日の始まりの音が鬱陶しい。身体が起こせない。その間もアラームは規則的なリズムで鳴動を続ける。そう急かすなよ、頼むから…次第に失望的な現実へと覚醒しゆく意識。剣人はスマートフォンを半開きの眼で睨みつけ、その電源ボタンを押すと、光るディスプレイに表示されたロック画面を操作する。“AM6:30”と表示するアラームアプリを憎々し気に停止した後、最近始めたスマホゲームからの余計な通知を読み流した。通知画面にはシンプルな一言が表示されている。
“スタミナが回復しました”
生憎俺の精神的スタミナはずっとゼロだ…最高レアでも寄越して、俺のそれも回復してくれ、頼むから。だがいつまでも画面を虚ろな表情で見つめているわけにいかず、剣人はベッドからその身を起こす。布団の温かさから離れてすぐは、まだ4月中旬の気温は少し肌寒い。カーテンを開けて朝日を部屋に取り込むも、その眩しさに目を細めてしまう。“気持ちがしんどくならないように、日当たりだけはいい場所を”と両親に言われて借りた1Kだが、特段感情に変化はない。一日の最初の一呼吸には、冷たさと虚無が含まれていた。

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9:00開始の言語学の講義では、人の意思疎通の媒体である言葉、その本質というものについて教授が論じ、続いて10:40の哲学概論では、世界の成り立ちや人間とは何かを教授が学生に問いただす。だが剣人はそれに真面目に取り組もうとは思えなかった。そんなことが何だというのか。分かったようなことを言いたいだけだろう?心中でそんな台詞を吐き捨て、講義を聞き流しながら、座した長机の下でスマホゲームの周回に勤しむ。やがてゲーム内のスタミナが無くなれば、ノートを取るフリをしながら、剣人は自分の空想するキャラクターの落書きをしていた。
面倒事に背を向け、怠惰に身を任せている。与えられた時間を有意義に過ごしたい気持ちも無くはない。ただ、“自分は何をしたいのか”と問われれば、“とりあえずそれを考えたくないです”と冷笑したい。“ただ平穏にいること”…それが、くたびれた残りの人生をやり過ごすために、剣人が唯一心掛けることだった。

12:00を回り午後に入ると、キャンパス内にある学生食堂の隅で、剣人は一人唐揚げ定食を食し、大学を出て“ぶりっじ朝憬店”に向かうべく自転車を漕ぐ。到着して仕事仲間に一応の挨拶を交わし、仕事着であるネイビーブルーのエプロンを肩にかけたころには時間は12:53だった。基本的にシフトは平日の昼間に入れることにしている。勤め始めたばかりということがあり、この時間から慣れようという店側の配慮もあってのことだが、正直忙しい時間にシフトを入れられるなど冗談ではない。オタク趣味で特撮を始め、漫画やゲームをそこそこ嗜んでいたから、これらを扱っているぶりっじでのバイトを始めてみたが、面倒な接客・電話対応、一向に慣れないレジ打ち、商品の配置やバックヤードの管理は法則がわからない…要はこれら全てが向いていない。今日も同僚であるパートの主婦、松山にゲームソフトの包装の仕方がなってないと指導を受ける。それは仕方ないとしても、すぐに「違うでしょう」とこちらの余裕を奪う言い方をしてくる、険しいおばさんの顔のしわを見ながらふと思う。気楽なもんだ…この人生やってみろよ。

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バイトを終え、アパートに帰ろうと16:30にぶりっじから発った。どこか遠くに行きたいと思うが、そうしたところでこの息苦しさは付いて回る。“花森剣人の自我”とこの“息苦しさ”は切り離すことは難く、どこかに置いていくこともできない。最初からそういう構造の人間だからだ。
近所のスーパーで一応の自炊のための食材を買いに行かねばならない。しかし自身の構造を呪う思考や、ここまでの人生に係わってきた全てを嘲りたい醜悪な感情に、剣人の心は乗っ取られる。今はせめて、そこから離れたい。自転車は遂に目的地のスーパーとは別方向へ走り出した。
 どれほどの時間を走っていたのか…ペダルを漕ぐ足が止まったら、自分の呼吸まで止まってしまうような気がして、剣人は脚を動かし続けていた。しかしやがて自転車の速度は緩み、ペダルやタイヤと連動していたライトは消える。周囲の景色は夜空の闇に包まれ、木々や林の影が目立っていた。辺りに人は誰もいない。だが街の北東、郊外からおおよそ5キロほど離れた場所に位置する展望台から、淡い光が発せられている。最後にあの光を目指したのはいつだったろうか…灯台としての機能が併設されているというその展望台を見据えてそう考えたのを最後に、剣人は思考を制止させる。制止させることが一瞬出来た。肩で息をしたままではあるが、再度ペダルを漕ぐ足に力を籠め顔を上げた、その時…

目の前に、悪魔がいた。
「ソの虚ろ、旨そウだな―――」

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不意に眼前に迫る異形の人型。闇夜の中、薄ぼんやりとした街灯の明かりが烏を想起させるその黒い相貌を浮かばせる。人間のそれではない赤い眼が、剣人を捉えて離さない。
「―――えっ」
息を飲みながら不意に口から転げ出たのは、そんな呆気ない言葉だった。脳が恐怖を理解するよりも前に、身が竦み上がる。次の瞬間には悪魔に握られた太刀が剣人の胸に突き刺さっていた―――否、沈み込んでいた。
剣人がその異質な感覚に視線を胸元に下す。胸は血が噴き出ることはなく、また皮膚を貫かれたわけでもない。代わりに胸には沈み込んだ太刀を中心として闇色の汚濁が溢れた。それは渦となり、奔流となって返り血のように噴きあがる。
叫びだす瞬間、口を塞ぐように顔から掴み上げられた。悪魔の腕を引きはがそうと藻掻くように自身の手が動くも、その凄まじい力には及ばない。つま先立ちになった足元に自転車が倒れる。
生命の恐怖。止まりそうになる呼吸。焦点を失った剣人の目からは涙がこぼれる。
”―――何で俺なんだ”
汚濁の奔流を浴びている悪魔の姿は、人のそれとは違ってこそいるが嗤っているようにさえ思えた。

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剣人は自身の心に”何か”が入り込み、それまでの自我或いは内側が塗り換わるような悍ましい感覚を抱いた。疼くように鼓動が鳴り、内側に響く。その感覚は急速に拡がり肥大していった。一方で次第と比例するように、何も感じない自分も大きくなっていく。だからだろうか…状況が違うとわかりながらも、ふと思ったことがあった。
”そういえば、何であそこを目指したんだっけ?”
そう思ったのは、内に感じる悍ましさや奇怪な感覚故か。涙と共に見開かれた瞳に、灯台兼展望台の淡い光が映る。あの光が見えるまでは、それこそ闇雲に自転車を漕いでいただけだった。あの光が見えてからは、無意識に、惹かれるようにあの光を目指したけれど…
”ああ、そうだ。そういえば、あれは―――。あの光を見ながら終わるなら、まあいいか…”
そう思ったのを最後に、思考が投げ出されようとしていたその時、剣人の脳裏にある一つの言葉が過り、その無意識に反響した。

「それじゃあ私は、なんのために生まれてきたの?」

瞬間、剣人の胸は光が宿ったように輝きだした。その輝きは汚濁を祓い、やがて彼の全身を包む。
「―――っ!コイツ…」
悪魔は剣人の顔を掴んでいた左腕を引っ込めた。だが想定外の事態に動じながらも、沈んでいた太刀を引き抜いて体勢を立て直そうとする。瞬時に光る剣人の右腕が引き抜かれようとしていた太刀を掴み、その動きを制した。
「まだダ…まだ何モできちゃイない…」
「何者ダ?お前…」
そうして光の中から、悪魔の似姿かのように白銀の烏がもう一体現れた。白銀は悪魔の問いへの回答か、一言だけこういった。
「俺が教えてしいくらいだ―――」