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三位一体説 成立の歴史
最初期のクリスチャンは、唯一の神はみ父ヤハウェであり、メシアつまりキリスト(「任命された者」という意味)はある意味で神性を備えているがみ父より下位の方であり、その方が人間イエスとなって地に来られた、と信じていました。イエスはみ父のことを「唯一まことの神」「わたしの神」とはっきり呼んでおられ、「キリストの頭は神」と聖書にあるからです。これが原始クリスチャンの信条でした。ここを押さえておくことはとても大切です。
ローマのクレメンス、アンティオキアのイグナティオス、ポリュカルポスなど、使徒たちの時代である1世紀の使徒教父たちや、護教家たちである殉教者ユスティノス、アレクサンドリアのクレメンスなど、最初期クリスチャンは、キリストが神によって生み出され、神の下位にいて神に従う者だったという、神とキリストの従属関係という聖書の教えを信じ、教えていました。
でもその後、ギリシャ哲学の影響を受けたエジプト神学が入り込んできます。位格、同質という概念を持つギリシャ哲学を学んでいたアタナシウスは、ヤハウェとイエスキリストは全く「同質」の神であると唱えました。「唯一神ヤハウェ」という教えと、聖書の中で数回「神」と表現されたイエス、この矛盾を解決しようとした結果、彼はこの極端な説を唱えました。
その結果、アタナシウスと、原始クリスチャンの教えつまり唯一神ヤハウェとその下位にいるイエスという教えを受け継ぐアリウスとの間で論争が起きました。
325年、ローマ皇帝コンスタンティヌスは、2ヶ月に及ぶニカイア公会議において、アタナシウスの側を支持する「決定」を下しました。反対論をねじ伏せ、皇帝としての政治的権力を使って、この教えを「正しい」としたのです。アリウス派は追放されました。そしてコンスタンティヌスは圧力をかけて各地の司教たちにこれを受け入れさせました。
でもその後、コンスタンティヌスが首都をコンスタンティノープルに移した時、そこはアリウス派の地盤であり、司教エウセビオスはアリウス派でした。それでコンスタンティヌスは今度はアリウス派を「正統派」としてアタナシオスを追放します。ローマ皇帝の政治的思惑によって「正統派」が決められたわけです。これでは、誰か何のためにキリスト教「正統」を決めているのか… 「聖書がそう述べているから」でないことは明らかです。ニカイア会議での決定もそうでした。
コンスタンティヌスの息子である皇帝コンスタンティウス2世もアリウス派を支持しましたが、彼の死後、帝国内で過半数だったアタナシオス派がアリウス派をねじ伏せました。そして、アタナシオス派のテオドシウス皇帝により開かれた381年のコンスタンティノープル会議にて、「ニカイアでの決定は絶対的に正しい」とされ「三位一体」説が「正統」とされたのです。これを「ニカイア-コンスタンティノープル信条」と言います。これは使徒たちや原始クリスチャンの信じていなかった教えでした。
このように、「唯一神ヤハウェが神性を付与された神の子を人間イエスとして地上に遣わされ、亡くなったイエスを復活させ、天に上られたイエスは父から受けた聖霊(原語的には「聖なる息」)を人間に送り、人を救ってくださる」という聖書の明快な教えが、哲学やローマ皇帝たちにより「神が別の「位格」の神を神の子として遣わしたように見せ、さらに別の「位格」の神である聖霊を神の子である神が遣わしたように見せているが、その三者はどれも全能の神の一位格であり、同質であり、この三位一体の神こそ唯一神である」というものになり、それがローマ帝国の支配者たちの指導の下に開かれた公会議により「正統」とされたのです。これが「ローマ-カトリック」と呼ばれるようになりました。
しかし、三位一体を取り入れ、イエスを、全能の神であられるヤハウェと「同質」の神としたため、人間イエスの「神性」と「人性」についての議論が起こるようになり、「キリスト教」は幾つもの派に分かれることになったのです。
https://www.try-it.jp/chapters-11156/lessons-11174/point-3/
宗教改革者の中には、三位一体説が聖書や使徒たちの教えではないことを証明してきた人たちがいますし、世界にはそのような教会もあります。ただしほとんど全てのプロテスタント教会は三位一体を正統と決めた「ニカイア-コンスタンティノープル信条」が間違っているとはせず、それを受け入れているのが現状です。むしろ三位一体を信じていない教会を異端としています。
このように、キリスト教の歴史を知ると、今キリスト教「正統」や「異端」と呼ばれているものが、本当に正統なのか、異端なのかが分かります。
いずれにしても、その基準となるのは、それぞれの教えが公会議により定められたかどうか、伝統的かどうかではなく、唯一 神の言葉「聖書」であることは間違いないでしょう
小野垣雅也著「キリスト教の歴史」には、三位一体の「位格、本質」というような概念がギリシャ哲学の概念であり、キリスト教本来のものではないとあります。ウィリアム・ダラント著「The Story of Civilization」にも「キリスト教は異教を破壊したのではなく,逆にそれを採用した。三位一体の考えはエジプトから来たものである」とあるとおりです。
では、この結果は何をもたらしたでしょうか。
み言葉が勧めている信仰の一致をもたらし、人々を一層神に近づたでしょうか。答えは明らかです。神を知りたいと願う人々は混乱するようになってしまいました。
例えば…
み父とみ子は同じ者なのに、なんでみ子がみ父に祈ってるの?
ヨハネ17:3でイエスははっきりとみ父に「唯一の神であるあなたと、あなたが遣わしたわたし」と、ご自分とみ父が別存在であると祈ってるのに、一緒の存在なの?
み子が死んだ=神が死んだ?
イエスに祈るの?み父に祈るの??そもそもひとつの神だっけ?
そもそも位格とか本質って何?
など、この教義のせいで、聖書は数多くの矛盾や疑問が出てきて、それをこじつけるために多くの仮説が立てられていきました。でも、相変わらず三位一体説にはいろんなものがあり、統一されていません。残っているのは混乱です。
牧師はよく「三位一体について理解する必要はない、信じるのだ」と言いますが、そもそも聖書の教えではなく異教や哲学を源とした考えなのですから、理解できなくてあまり前なのです。しかし、「公会議により決められたのであれば、三位一体の教義は間違いなく正しい」という信仰がある限り、この混乱は続いてゆくでしょう。一方、「たとえ公会議で決められたことであっても、それが聖書によるはっきりとした裏付けがないのなら、それは間違いでありうる」という見方を持つ人は、常に聖書そのものに立ち返り、聖書の中に真理を探します。
キリストが「わたしの神」と呼ばれた、唯一まことの神、み父だけが全能の神であり、イエスは神の子また神の代理者として極めて重要な立場に任命されているお方であることを理解し、その明快な聖書の教えを土台にして聖書を読むと、すべての内容がはっきりと理解できるようになります。そして、神とキリストについてはっきりと理解できると、神やキリストと深い絆を持つことができます。混乱はなくなります。そして神への信仰の一致がもたらされるのです。
また、極めて大切なこととして、このことが理解できると、み子イエスが「み父とわたしは一つ」「あなた方も一つになる」と言われた言葉にある神の素晴らしいご計画が見えてきます。つまり、『み父とみ子が堅い堅い【愛の絆】で結ばれている』ということ、そして『この堅い愛の絆の中に私達も加わり、すべてのものが結ばれて、全宇宙で愛と一致が実現する』という神の壮大な目標があるということです。
この極めて大切なことを、三位一体の教えがあやふやにしているのです
まとめますと
○三位一体論は、ギリシャ哲学やエジプト宗教の影響を受けた人により、公会議により確立された教えである。それは人々を神のもとに一つにするのではなく、分裂をもたらしだ。み父とみ子にある堅い愛の絆や、それに人間が加わるという神の素晴らしいご計画について理解できなくした
○聖書の教える、唯一まことの神と、神が任命されたイエスキリストについての理解は明快であり、聖書だけを根拠とするこの教えは、人が神を理解し神に近づくのを助け、人類が神のもとに一つになることができる。神のみ子に対する深い愛の絆を理解できる。その上で人間を救い集めるためにみ子を贖いとして犠牲にされたことから、私達への愛がいかに深いかを理解できる。
「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」ヨハネによる福音書 17:3
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