今のWebには、「なう」が多すぎる。
そんなことをここ数年、ずっと感じています。
twitterにfacebook、Blogやまとめサイト、さらにはQ&Aサイトにしても何にしても、僕らが最近目にするWebの情報の多くは、「今」にフォーカスがあたっています。
みんな「今日起きたこと」「今日学んだこと」「今感じたこと」「今思いついたこと」「今一番新しい情報」「今日まとめられた情報」、そんな形をしています。
ストックとフローで言えばフロー。膨大な量の「なう」の情報が公開され、共有され、あっという間に消化されていく。まあ、これはこれで意味も価値もあるとは思うのですが、どうも「よくない」感じがする。
いったい何が「よくない」のか。
それは、「なう」の情報がWebに爆発的に多くなった一方で、情報を「編集・整理して蓄積する」ということが本当に疎かになっているのではないか?ということです。
今、この瞬間も、色々なSNSやBlogサービスなどで、たくさんの「最新情報」がWebに公開され続けています。
じゃあ、そうして公開されるたくさんの情報に横串を通し、整理してまとめるようなことをする人はいるでしょうか?
必要な情報、よい情報、価値ある情報を取捨選択して、正しくないもの消したり訂正したりして、情報を「磨き上げる」ということをしている人というのはどれくらいいるでしょう?
たとえば、今Webを賑わしている「水素水」。
ひと昔前のWebだったら、こういう話題が出てきたら、きっと即座に誰か(多分2chあたりの有志?)が「水素水まとめWiki」などを立ち上げて、検証のための情報や問題点なんかをあれこれまとめ始めていたでしょう。そしてそのWikiのURLが広められ、Googleで「水素水」で検索した時に上の方に出てきていたりもしたでしょう。
どうも今のWebでは、そういうことはあまり起こらないようです。
色々な情報がTwitterなどで拡散され、SNS上で人と人とのコミュニケーションの中では色々な検証・訂正は行われます。ですが、よくてTogetterあたりにそれがまとめられ拡散されるくらいで、「後から興味を持った人」が見やすい形で情報としてまとまることは少ないようです。
当然、その検証情報は検索エンジンの検索上位にはなりませんし(※まとまったページではないので)、検索で出てくるのは、SEOに長けた人の作ったアフィリエイト目的の記事や、あってせいぜいWikipedia、という事になりがちです。
SNSでリアルタイムにその情報に触れられた人は、比較的正しい情報を得られるかもしれない。でも、SNSのネットワーク外には、その「検証」「訂正」などの情報は届きにくいでしょう。また、自分が属するSNSのネットワークによって、だいぶ情報の質が左右される事にもなりそうです。
たくさんの「なう」が公開されるようになり、情報共有がSNS中心になり。
それによって、僕らをとりまく情報環境はどんどん悪化していってるのかもしれない。そんなことを思います。
実際にそれを実感する事もありました。
ここ数年、個人的に素粒子とか宇宙とかの先端物理学/天文学方面の話がマイブームで、ヒマがあるとそれに関する情報をあれこれ漁って読んだりしていたのですが、その分野でWeb検索して出てきた、インターネット上にある「整理されてしっかりまとまった情報」は、国の研究機関のサイトやWikipediaを除くと、そのほとんどが2000年代前半以前くらいに作られたと思しき古きよき「ホームページ」的な雰囲気のサイトばかりでした。
それより後の年代に書かれた情報は、Blogという形で「個人が学んだ順」で書かれていたり、Q&Aサイトで質問のやりとりしてるようなもの、あるいは2chまとめサイトのようなものに「◯◯について」みたいに単一トピックについてまとまっているものなど、兎にも角にも情報が断片化されていて、後追いで学ぶためには活用しにくい情報が多くなっていきます。
さらに時代が下って、今2016年の情報はFacebookで書かれたものは仲間内で消化され表には出てこないし、Twitterで書かれたものはtoggetterにでもまとめられなければあっという間にネットの波間に消えていくしで、「後から見た時に役に立つ」形をした情報は、どんどん減っていってる(あるいは埋もれていっている)ように感じます。
結果として、今、この2016年に僕が何かを学ぼうとして、「まとまった知識」が欲しいと思った時に参照するのは、主に書籍です。
完全に時代に逆行した選択肢な気がするのだけど、どうもこれしか選択肢が残っていないのです。
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色々なサービスが世に出てきて、たしかに情報を書いて公開するのは圧倒的に便利に楽になりました。情報量も増えたし、情報の流通する速度も上がりました。
でも、上のとおり、それを整理したり、まとめたり、磨き上げたりする人が少なくなり、Webは何かを学んだり深く知るには向かない場になりつつあるように感じています。
ネットにアクセスできさえすれば誰もが等しく優れた情報に触れることができ、好奇心と少しの手間暇をかければ、優れた知識が手に入る世界。そんなあの頃夢見ていたWebは一体どこへいってしまったのだろうと、いちWeb屋として忸怩たる思いです。
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僕は、あなたが今日やったことの断片よりも、あなたがこれまで学んできたこと、得てきたものをまとめて整理した、あなたの持っている情報の総体が見たいです。
僕は、「新しい情報が、常に新しいURLで公開され続ける」世界より、「あるURLに書かれた情報が、常に最新の状態にアップデートされ続ける」世界が欲しいです。
全標準フォント一覧とかcaniuseとかMDNのような、正確で有用な知識が同じURLでずっとメンテナンスされ続けるページがもっと多くなってほしいです。githubで公開されるたくさんのコードと同じように、Web上に公開されるドキュメントはもっと長期的にメンテナンスされてほしいです。
僕は、1日で100万PV稼ぐページではなくて、10年くらいの間ずっと変わらぬ価値があって、ものすごく長い時間をかけてトータルで100万PVくらいになるような、そんな長い間価値がありつづける情報をWebに増やしたいです。
僕は、「カツ丼 レシピ」で検索した時に、多種多様なイマドキの最先端のカツ丼のレシピが山ほど出てくる前に、本当にスタンダードで最も基本になるカツ丼のレシピが一つまず見つかるところから始まってほしいです。
僕は、先の熊本の震災のような事が起こった時、Twitterで「ああするといい」「これに気をつけろ」みたいな情報がTLに怒涛のように流れてくるWebじゃなく、まずは「ここに正確丁寧にまとめられた信頼できる情報がある」っていくつかの優れたページのURLが流れてくるWebが見たいです。
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僕はおそらくもうBlog的なものは書きません。「今日何やった」とか「お知らせ」みたいな話はTwitterなどで十分だし、広く公開するドキュメント類は、ちゃんと継続してメンテナンスしていくつもりでmimemoなどに書いていったほうがよいと思うからです。
この文章も時々見なおして手を入れるつもりで書いています。
たぶん、古きよき「ホームページ」とか、かつてPukiWikiなどで作っていたWikiのような形のもののほうが、あとから参照する人にとってはよいと思いますし、そんなことを意識してモノを書いていきたいと考えています。