11.謝罪と相談 version 3
11.
翌々日の5月18日、午後17時16分。桧山初樹と上坂蓉子は朝憬市立病院を訪ねていた。当初は二人とも気が気ではなかった。蓉子からの情報では、公的機関の人間達は自分たちの活動を静観している。しかし変身する特異体質、人知を越えた情報をその身に内包した花森健人を、彼らが見す見す放っておくのか。そんな想像が頭からこびりついて離れなかった。
深夜の展望台のデッキ、そのベンチに少女が一人。さめざめと泣いていた。そこを通りがかったある青年は、その姿に胸を傷めていた。
「…どうしたの?…大丈夫?」
不審者と疑われても仕方ない。だが、少女のあまりに悲痛な様相にとうとう声をかけてしまう。警戒させないように、なるべく遠くから。
「いや、その…すみません。何か、大変なことがあったのかなって」
「……私ね、」
そう切り出した彼女の姿は、距離と夜の暗さの中でよく見えない。その顔も、涙も、自分には見えることはない。
「私ね、世界で独りぼっちなんだ」
他に掛ける言葉を探す間に、彼女は空を見上げて言った。
「全然知らない街に来て、家族も友達も誰もいなくて」
その内に宿した幼さと純粋さが、涙声に震えていた。
「こんなに宇宙は広いのに、その何処にも私の声は届かない」
だが青年には掛ける言葉が見つからない。彼女の抱える心の痛みは、言葉では届かない。青年もまた抱える痛みが、それを彼自身に伝えていた。だがーー。
「それじゃあ私は、なんのために生まれてきたの?」
その心の声は、彼を諦観から突き動かした。
「なんでかな…一生懸命やってるのにね」
そもそもその言葉は、誰に向けられた言葉だったのだろうか。彼女に?それとも自分に?
「ただ、ひどい話かもだけどさ。俺、ここで…君に会えて良かったな」
「…えっ」
少女は伏せていた顔を少しだけこちらに向ける。その瞳は未だ涙に濡れていたような気がした。
「うん、ホントにひどい…多分今、君みたいな人と、話したかったんだ」
そう言うと同時に青年が抱いていたのは恐怖。今にも壊れてしまうかもしれない繊細な少女の心に触れ、力になりたい前のめりな思いと、加えようとした力で彼女の心が砕けてしまうのではないかという思いとが、彼の口元を震わせる。
「もし、なんだけど…よかったら、なんだけど」
”応えたい、何かできないか”
いつだって出てきてしまうのは、そんな自他の領域を考えない愚かしい考え。可能な限り封じようとした、醜い狂乱の元凶。少女に感じた、その侵しがたい領域への畏れと、熱に浮かされる感覚を自覚しながら、張り詰めた神経に肩で息をする。
「独り言、言っていかない?」
混ざりあい、せめぎ合う感情の渦の中にありながら、ようやく出てきた無意味な言葉は、そんな一言だった。
「…独り言?」
「うん、独り言」
それが、精一杯だった。それも自分の救いと、他者のそれと重ね、強請ることしかできなかった我がまま。その延長でしかない。
「君の声は、俺に届くかもしれない。俺の声は、君に届くかもしれない」
そんなわけないのに。それでもどうか、今だけはーー。
「だから、何ていうかな…自分と、お互いを助けるつもりで、さ…」
その言葉は、誰に向けられたものだったのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーー
目を覚ましたとき、傍に居たのは母の純子(すみこ)だった。その時感じたのは、母が自分の左手を握っていた温み。その温みは花森健人の意識を呼び覚まし、また彼を彼自身の世界へと引き戻した。
「健…!」
「…母さん」
「良かった…」
純子の頬が安堵の涙に濡れる。何を言えばいいのかわからない。ただ、母を泣かせてしまった。
「ごめん」
口を突いて出たのは、謝罪の言葉。幾度となく繰り返してきた言葉だが、自分のために泣いてくれる母に、言わずにいられなかった。
「大丈夫、大丈夫よ」
そう言うと純子は健人を抱き締め、頭を撫でる。瞬間、健人は泣き出していた。幾度となく出くわした命の危機。その実、狂乱するしか出来なかった恐ろしさ。自分のイメージを象る、自分には知りようもない力。超常に打ちひしがれた虚勢まみれの心が、母からの熱に解かれていくのを、健人は感じていた。
「怖かった…」
続けて父の徹也が、病室に入ってくる。それまでの不安や心配故にか、肩で息をした徹也の姿からは狼狽と安堵が窺えた。
「健…!」
「親父…あの」
「お父さん」
健人は父に伝えるべき言葉を探していたが、ついぞ何も出てこない。それ故に一瞬視線を落とすも、構わず徹也は息子の肩をそっと叩いた。
「無事で良かった」
「…ありがとう」
その後、医師の診断では医学的に身体に大きな異常はなく、一部の打ち身と過労があったのだろうという結果だった。しかし初樹たちは無事なのか。健人の胸中には、それが重くのしかかっていた。家族に事の次第を話すにしても、一連の事象はあまりにも常軌を逸している。
「俺、どこで見つかったの?」
「朝憬の中央搭…あるでしょう?そこに倒れてたって、警察の方が」
「健人、今聞くべきじゃないかもしれないが…何があった?あの時は報道されてた有害鳥獣も出てた」
「お父さん、今はーー」
徹也が振った疑問の言葉を、純子が制止する。未だ戸惑う両親二人に、健人は一瞬言葉に詰まるが、程なく出てきた言葉はある意味捻りのないものだと自分で思った。
「うん。変な奴に、襲われたんだ。それで…友達も巻き込まれて心配だから、連絡したい」
ーーーーーーーーーーーーーーー
翌々日の5月18日、午後17時19分。桧山初樹と上坂蓉子は朝憬市立病院を訪ねていた。当初は二人とも気が気ではなかった。蓉子からの情報では、公的機関の人間達は自分たちの活動を静観している。しかし変身する特異体質、人知を越えた情報をその身に内包した花森健人を、彼らが見す見す放っておくのか。そんな想像が頭からこびりついて離れなかった。
そんな中、17日の夕方に初樹のスマートフォンに健人からの連絡が入り、彼は慌てて電話を取った。
「もしもし、花っちか!?」
「ああ、ハッサン…無事か?」
「ああ!花っちは、大丈夫か?」
「うん」
床の人であろう健人の返事を受けながら、初樹はどこか自分の方が狼狽していることを自覚し、またそれをおかしく思う。だがそれより、友を案じる思いに口が勝手に動いた。
床の人であろう健人の返事を受けながら、初樹はどこか自分の方が狼狽していることを自覚し、またそれをおかしく感じた。だがそれより、友を案じる思いに口が勝手に動く。
「何か変なことされてないか?人体実験とか…!」
「大丈夫。敢えてそういう話は、病院に伝わってはないみたい」
一先ずの安堵に胸を撫で下ろすと共に、気が付けば初樹はしゃくりあげて泣いていた。
「ああ、大丈夫。敢えてそういう話は、病院に伝わってはないみたい」
その言葉に一先ずの安堵し、胸を撫で下ろすと共に、気が付けば初樹は一瞬しゃくりあげて泣いていた。
「…悪いな」
「何で花っちが謝るんだよ」
「何で、花っちが謝るんだよ」
「なんでかな?ははっ」
その声音から、電話の向こうで健人もまた少し涙ぐんでいることを、初樹もまた理解する。だからこそ、次に伝える言葉はすぐに口から溢れ出た。
「花っち…ありがとう」
「…うん」
「花っち…今度ラーメンでも奢るよ」
「…うん。それとさ…話したいことがあるんだ」
返答に交えてそう発する直前、健人が静かに吸った息の音は、初樹の口元を僅かに引き結ばせた。
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深夜の展望台のデッキ、そのベンチに少女が一人。さめざめと泣いていた。そこを通りがかったある青年は、その姿に胸を傷めていた。
「…どうしたの?…大丈夫?」
不審者と疑われても仕方ない。だが、少女のあまりに悲痛な様相にとうとう声をかけてしまう。警戒させないように、なるべく遠くから。
「いや、その…すみません。何か、大変なことがあったのかなって」
「……私ね、」
そう切り出した彼女の姿は、距離と夜の暗さの中でよく見えない。その顔も、涙も、自分には見えることはない。
「私ね、世界で独りぼっちなんだ」
他に掛ける言葉を探す間に、彼女は空を見上げて言った。
「全然知らない街に来て、家族も友達も誰もいなくて」
その内に宿した幼さと純粋さが、涙声に震えていた。
「こんなに宇宙は広いのに、その何処にも私の声は届かない」
だが青年には掛ける言葉が見つからない。彼女の抱える心の痛みは、言葉では届かない。青年もまた抱える痛みが、それを彼自身に伝えていた。だがーー。
「それじゃあ私は、なんのために生まれてきたの?」
その心の声は、彼を諦観から突き動かした。
「なんでかな…一生懸命やってるのにね」
そもそもその言葉は、誰に向けられた言葉だったのだろうか。彼女に?それとも自分に?
「ただ、ひどい話かもだけどさ。俺、ここで…君に会えて良かったな」
「…えっ」
少女は伏せていた顔を少しだけこちらに向ける。その瞳は未だ涙に濡れていたような気がした。
「うん、ホントにひどい…多分今、君みたいな人と、話したかったんだ」
そう言うと同時に青年が抱いていたのは恐怖。今にも壊れてしまうかもしれない繊細な少女の心に触れ、力になりたい前のめりな思いと、加えようとした力で彼女の心が砕けてしまうのではないかという思いとが、彼の口元を震わせる。
「もし、なんだけど…よかったら、なんだけど」
”応えたい、何かできないか”
いつだって出てきてしまうのは、そんな自他の領域を考えない愚かしい考え。可能な限り封じようとした、醜い狂乱の元凶。少女に感じた、その侵しがたい領域への畏れと、熱に浮かされる感覚を自覚しながら、張り詰めた神経に肩で息をする。
「独り言、言っていかない?」
混ざりあい、せめぎ合う感情の渦の中にありながら、ようやく出てきた無意味な言葉は、そんな一言だった。
「…独り言?」
「うん、独り言」
それが、精一杯だった。それも自分の救いと、他者のそれと重ね、強請ることしかできなかった我がまま。その延長でしかない。
「君の声は、俺に届くかもしれない。俺の声は、君に届くかもしれない」
そんなわけないのに。それでもどうか、今だけはーー。
「だから、何ていうかな…自分と、お互いを助けるつもりで、さ…」
その言葉は、誰に向けられたものだったのだろうか。
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目を覚ましたとき、傍に居たのは母の純子(すみこ)だった。その時感じたのは、母が自分の左手を握っていた温み。その温みは花森健人の意識を呼び覚まし、また彼を彼自身の世界へと引き戻した。
「健…!」
「…母さん」
「良かった…」
純子の頬が安堵の涙に濡れる。何を言えばいいのかわからない。ただ、母を泣かせてしまった。
「ごめん」
口を突いて出たのは、謝罪の言葉。幾度となく繰り返してきた言葉だが、自分のために泣いてくれる母に、言わずにいられなかった。
「大丈夫、大丈夫よ」
そう言うと純子は健人を抱き締め、頭を撫でる。瞬間、健人は泣き出していた。幾度となく出くわした命の危機。その実、狂乱するしか出来なかった恐ろしさ。自分のイメージを象る、自分には知りようもない力。超常に打ちひしがれた虚勢まみれの心が、母からの熱に解かれていくのを、健人は感じていた。
「怖かった…」
続けて父の徹也が、病室に入ってくる。それまでの不安や心配故にか、肩で息をした徹也の姿からは狼狽と安堵が窺えた。
「健…!」
「親父…あの」
「お父さん」
健人は父に伝えるべき言葉を探していたが、ついぞ何も出てこない。それ故に一瞬視線を落とすも、構わず徹也は息子の肩をそっと叩いた。
「無事で良かった」
「…ありがとう」
その後、医師の診断では医学的に身体に大きな異常はなく、一部の打ち身と過労があったのだろうという結果だった。しかし初樹たちは無事なのか。健人の胸中には、それが重くのしかかっていた。家族に事の次第を話すにしても、一連の事象はあまりにも常軌を逸している。
「俺、どこで見つかったの?」
「朝憬の中央搭…あるでしょう?そこに倒れてたって、警察の方が」
「健人、今聞くべきじゃないかもしれないが…何があった?あの時は報道されてた有害鳥獣も出てた」
「お父さん、今はーー」
徹也が振った疑問の言葉を、純子が制止する。未だ戸惑う両親二人に、健人は一瞬言葉に詰まるが、程なく出てきた言葉はある意味捻りのないものだと自分で思った。
「うん。変な奴に、襲われたんだ。それで…友達も巻き込まれて心配だから、連絡したい」
ーーーーーーーーーーーーーーー
翌々日の5月18日、午後17時19分。桧山初樹と上坂蓉子は朝憬市立病院を訪ねていた。当初は二人とも気が気ではなかった。蓉子からの情報では、公的機関の人間達は自分たちの活動を静観している。しかし変身する特異体質、人知を越えた情報をその身に内包した花森健人を、彼らが見す見す放っておくのか。そんな想像が頭からこびりついて離れなかった。
そんな中、17日の夕方に初樹のスマートフォンに健人からの連絡が入り、彼は慌てて電話を取った。
「もしもし、花っちか!?」
「ああ、ハッサン…無事か?」
「ああ!花っちは、大丈夫か?」
「うん」
床の人であろう健人の返事を受けながら、初樹はどこか自分の方が狼狽していることを自覚し、またそれをおかしく感じた。だがそれより、友を案じる思いに口が勝手に動く。
「何か変なことされてないか?人体実験とか…!」
「ああ、大丈夫。敢えてそういう話は、病院に伝わってはないみたい」
その言葉に一先ずの安堵し、胸を撫で下ろすと共に、気が付けば初樹は一瞬しゃくりあげて泣いていた。
「…悪いな」
「何で、花っちが謝るんだよ」
「なんでかな?ははっ」
その声音から、電話の向こうで健人もまた少し涙ぐんでいることを、初樹もまた理解する。だからこそ、次に伝える言葉はすぐに口から溢れ出た。
「花っち…今度ラーメンでも奢るよ」
「…うん。それとさ…話したいことがあるんだ」
返答に交えてそう発する直前、健人が静かに吸った息の音は、初樹の口元を僅かに引き結ばせた。
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