8.取引と人質 version 9
8.
耳を疑った。一般社会で活躍しているであろう、目の前の美女ーー上坂蓉子から告げられた言葉。それは出会ってすぐの彼女に抱いた第一印象から、あまりにもかけ離れた浮世離れに過ぎる単語だった。
怪物の都市伝説、そして連続失踪事件。確かに健人も関わっているところではある。だが寝耳に水の形で、如何にも自分が関わっている前提でされたその質問は、知らず健人を揺さぶった。
「あなたは一体ーー」
「それは私も思うところだけど…さっき言った通り、私は彼の都市伝説と連続失踪事件を追っているんです」
「…そもそも、その都市伝説ってなんすか。それと俺がどうして結び付くんです?」
「簡単な話ですよ。事件を調べてるのは、あなた達だけじゃないんだから」
「だから何で俺たちが調べてるってーー」
「"俺たち"?」
上擦った声、言動に出たボロをすかさず上坂は捕えて健人を揺さぶる。健人の意識は思考が固まる自身を感じていた。
「動揺することないですよ、私はもうあなた達の存在は認知している」
「…どうしてわかった?」
「まあ、それはこちらにもツテがあるというだけの話。それにあれだけ派手に暴れていればね」
これまでの戦闘場面を想起すれば、確かに白昼堂々戦っていたこともあった。しかし何より、自分達に辿り着くに至った"ツテ"の存在が、健人の心中を重くする。
「一応、雑誌社の委託で私がこのお店の取材に来たのは本当だけど、本命はあなたとの取引に来た」
「取引?」
「私は故あって、この怪事件の真実を追ってる。私の持ってる情報では、あなたかあなたのお友達は、それに近づき得る人間なの」
「どういう意味だよ、それ」
涼しく告げた上坂を睨み、怒りを込めて言い放つ。このところ訳のわからないうちに話を勝手に進められている。腹を割って話せた人のそれならともかく、殆どがそうだ。いい加減にしてくれ。
「そんな風に言われても、少なくとも事実はそういう状況」
「…要求と対価は?」
「要求は怪事件の取材として、私をあなた達の活動に同行させて欲しい。対価は私の持ってる情報。どう?あなた達にも無益でないと思うけど」
沈黙ーー。簡単には口を開けない。本来なら俺は、平穏な日常に戻りたいだけだ。クソみたいにつまらない日々のそれではあっても、人の悲痛と異形との暴力にのめり込むつもりはこれっぽっちもない。
「…一度持って帰るのは?友達も関わる以上、俺一人で決められない」
「いいわ。じゃあこれ、私のプライベートの連絡先。信頼の証ってことで」
差し出されたメモを一先ず受け取るが、この後に初樹と一連の整理をしなければならないことを思うと、健人の心中は鬱々としていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「やってくれたものよ、エヴルア」
ゾルドーが歩きながら小さく呟く。その先は朝憬市南西部の町外れに位置する、小さな廃工場。
ゾルドーが歩きながら小さく呟く。その先は朝憬市北の町外れに位置する、小さな廃工場。
「こんなタイミングで消えるとか…いや、こんなタイミングだからかもね」
「ほう…我欲か、保身か」
「或いは両方。アイツ、何か知りすぎてた感もあるし」
その右を歩くアゼリアは、その後も変わらずセーラー服の女子高生姿。ゾルドーは彼女を見やると一つ、息を吐いた。
「しかし、この景色にその服装は…疑わしくないか?」
「しかし、この景色にその服装というのは…疑わしくないか?」
「あなたには言われたくないことよ、神父様」
返ってきた当然の指摘に、ゾルドーも当然表情を変えることはない。
「…この場から消息を絶った、あの悪魔を恨むか」
「それが賢明ね。ホント引っ掻き回してくれるわ」
「それこそ、貴殿も例外ではないだろう。知性的に過ぎるのも、身を滅ぼすか?」
「私、ねえ…それこそ上手くやりたいものだけど」
ゾルドーの眼が、僅かにアゼリアの方を見遣る。
「隠しもしないか。ならば懺悔の告白を薦めよう」
「生憎、間に合ってることよ。自分でそういうことを言ったら、いよいよだわ」
「…まあいい、私を巻き込ないならばな」
ゾルドーがそう告げると、やがて二人は歩を止めた。
「それはどうも、それじゃあーー」
そうして二人の影から現れるは、無数の使い魔。その姿は包帯を思わせるボロ切れを纏った人形の異形。
そうして二人の翳した"石"から現れるは、無数の使い魔。その姿は包帯を思わせるボロ切れを纏った人型の異形。
「お行きなさい」
告げられた命に使い魔ーー影魔達は四方に散って行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
"さっきはネーゲルに持っていかれたけど、やっぱちゃんと、話しとかないといけないことがある"
桧山初樹からそう切り出されたメールが、午後12時頃に健人のスマートフォンに届いた。健人も同じ思いであり、また上坂からの取引についても共有する必要があった。その後、一応の講義の出席を経てようやく話が出来たのは16時14分のこと。場所はネーゲルの存在も鑑み、プライバシーを担保しやすいカラオケボックスである。
「…巻き込んでごめん」
開口一番、初樹から告げられたのはその一言だった。
「ネーゲルが居なかったら、死んでた。俺も沢村さんも…花っちも」
分かりきっていた。だから今日まで、互いにどこか避けていた内容。今も返す言葉が見つからない。
「いや…確かに、そうだけど」
「降りてくれないか、この件」
「えっ」
「勝手でごめん、本当に悪い。こうして話してくれてるだけでありがたい。ネーゲルのことも教えてくれて、でも…ごめん」
死相さえ浮かぶ顔は、初樹が数日間思い詰めていることを示していた。それならーー
「二つ、教え欲しい」
聞きたいことが二つあった。他でもない、桧山初樹その人の口から、彼自身の言葉で。
「…何?」
「一つはさ、ネーゲルのことを連絡した時に、すぐに応じて色々聞きまくってたのはなんで?」
「それは…」
言葉を紡ごうと顔を動かすも、初樹の顔は引き結ばれ、何か堪えているように健人には見えた。
「もう一つはさ、事件のこととか"一緒に調べよう"って言ってくれた理由」
敢えて慎重に問いを続ける。だが初樹は泣きそうに、顔をくしゃくしゃにしながらも、何も言えない。多弁な自身を自覚しながらも、健人は今少し話を続けた。
「俺もそりゃ無茶苦茶しんどいし、こないだファミリアでクソほど逃げたいの言ったけどさ。ハッサンが悪いなんて、思ってねえよ」
鬱々ばかりの自分ではあるが、思い詰めている初樹に対して、どういうわけか紡ぎ出したのはそんな思いだった。
「そりゃ、確かに…八つ当たり気味でハッサンに責任被せそうになったりした自分もいる。何より沢村さんが致命傷負ったのは、俺たち二人ともギルティだけどさ」
「早退けしてぇ…」
安場佐田の勤務の小休止、健人は小さく呟いた。自身を維持していた緊張の糸は、連日の強いストレスの中で、もう限界に達しかねない。
「やっぱつけられとったか」
また自身の内から響く声が、鬱屈とした精神を削っていくのを感じていた。
「俺にはついにプライベートも無くなったか、え?」
「応じるなら、口を動かさんでもいい」
「俺には喋るなってか?」
「違う、念じたら俺には聞こえる。口を開けば、周りから疑われるのはお前じゃ」
既にしかめていた顔から口だけを閉じるも、到底納得できない。佐田はその後、商談で店を外した。しかし万一にも戻ってきた佐田や客に聞かれるわけにもいかない。
"お前、ブレスレット通じて俺の中にいたんだろ?上坂蓉子のこと、気づいてたのか?"
「半分ってとこじゃな。俺の勘が知らせとる。お前、色んな奴につけられとるぞ」
"なんで!?この上まだ何か他の奴がいるってのかよ…!"
血の気が一気に引いていった。息が上がり、悪心と怖気が走るまま、未だ存在も認められないような小人に問う。
「ああ、全ては分からんが人間も、人間じゃないのもおる」
「…俺、何かしたか?おい」
「お前、今朝は俺や奴らの存在に、"俺の現実"と言うとったが、現実なんてそんなもんじゃ」
「なんだよ、それ」
その言葉を受けたのを最後に、その瞬間花森健人の身体は遂に店番の椅子から崩れ落ちた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ボチボチこうなると思っとった。お嬢、ホントにこいつで良かったんですかい?」
ネーゲルはそう独り言ち、一つ溜め息を吐く。やがて健人がーー否、健人の身体が目を覚ますが、その瞳が赤い光を放った。そしてズボンのポケットにあるスマートフォンを取り出し、桧山初樹に電話をかける。
「もしもし、花っち?」
電話越しの桧山初樹の声音は、どこか強張っている。少なからずネーゲルはそう感じた。
「いや悪いな、兄ちゃん。俺じゃ、ネーゲルよ。今、前みたいに花森健人を動かして話しとる」
「ーー花っちに何かあったのか?」
「察してくれて助かる。疲労が貯まっとったみたいでな、倒れた。安場佐田っちゅう場所が分かるなら、医者呼んでくれんか?」
「わかった、すぐに呼ぶ!…ネーゲル、信じていいんだな?」
こちらに疑義を抱くも、それは健人を案じる故だろう。その上で話に応じてくれたことに、ネーゲルがどこか安堵する。
「寧ろそう聞いてくれた兄ちゃんなら、今は信じられる」
そんなネーゲルの言葉に、感嘆する初樹の声がスマートフォンの向こうから聞こえた。しかしその直後、事態が急変した。
「えっーー黒コート!うああぁ!!」
耳を疑った。一般社会で活躍しているであろう、目の前の美女ーー上坂蓉子から告げられた言葉。それは出会ってすぐの彼女に抱いた第一印象から、あまりにもかけ離れた浮世離れに過ぎる単語だった。
怪物の都市伝説、そして連続失踪事件。確かに健人も関わっているところではある。だが寝耳に水の形で、如何にも自分が関わっている前提でされたその質問は、知らず健人を揺さぶった。
「あなたは一体ーー」
「それは私も思うところだけど…さっき言った通り、私は彼の都市伝説と連続失踪事件を追っているんです」
「…そもそも、その都市伝説ってなんすか。それと俺がどうして結び付くんです?」
「簡単な話ですよ。事件を調べてるのは、あなた達だけじゃないんだから」
「だから何で俺たちが調べてるってーー」
「"俺たち"?」
上擦った声、言動に出たボロをすかさず上坂は捕えて健人を揺さぶる。健人の意識は思考が固まる自身を感じていた。
「動揺することないですよ、私はもうあなた達の存在は認知している」
「…どうしてわかった?」
「まあ、それはこちらにもツテがあるというだけの話。それにあれだけ派手に暴れていればね」
これまでの戦闘場面を想起すれば、確かに白昼堂々戦っていたこともあった。しかし何より、自分達に辿り着くに至った"ツテ"の存在が、健人の心中を重くする。
「一応、雑誌社の委託で私がこのお店の取材に来たのは本当だけど、本命はあなたとの取引に来た」
「取引?」
「私は故あって、この怪事件の真実を追ってる。私の持ってる情報では、あなたかあなたのお友達は、それに近づき得る人間なの」
「どういう意味だよ、それ」
涼しく告げた上坂を睨み、怒りを込めて言い放つ。このところ訳のわからないうちに話を勝手に進められている。腹を割って話せた人のそれならともかく、殆どがそうだ。いい加減にしてくれ。
「そんな風に言われても、少なくとも事実はそういう状況」
「…要求と対価は?」
「要求は怪事件の取材として、私をあなた達の活動に同行させて欲しい。対価は私の持ってる情報。どう?あなた達にも無益でないと思うけど」
沈黙ーー。簡単には口を開けない。本来なら俺は、平穏な日常に戻りたいだけだ。クソみたいにつまらない日々のそれではあっても、人の悲痛と異形との暴力にのめり込むつもりはこれっぽっちもない。
「…一度持って帰るのは?友達も関わる以上、俺一人で決められない」
「いいわ。じゃあこれ、私のプライベートの連絡先。信頼の証ってことで」
差し出されたメモを一先ず受け取るが、この後に初樹と一連の整理をしなければならないことを思うと、健人の心中は鬱々としていた。
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「やってくれたものよ、エヴルア」
ゾルドーが歩きながら小さく呟く。その先は朝憬市北の町外れに位置する、小さな廃工場。
「こんなタイミングで消えるとか…いや、こんなタイミングだからかもね」
「ほう…我欲か、保身か」
「或いは両方。アイツ、何か知りすぎてた感もあるし」
その右を歩くアゼリアは、その後も変わらずセーラー服の女子高生姿。ゾルドーは彼女を見やると一つ、息を吐いた。
「しかし、この景色にその服装というのは…疑わしくないか?」
「あなたには言われたくないことよ、神父様」
返ってきた当然の指摘に、ゾルドーも当然表情を変えることはない。
「…この場から消息を絶った、あの悪魔を恨むか」
「それが賢明ね。ホント引っ掻き回してくれるわ」
「それこそ、貴殿も例外ではないだろう。知性的に過ぎるのも、身を滅ぼすか?」
「私、ねえ…それこそ上手くやりたいものだけど」
ゾルドーの眼が、僅かにアゼリアの方を見遣る。
「隠しもしないか。ならば懺悔の告白を薦めよう」
「生憎、間に合ってることよ。自分でそういうことを言ったら、いよいよだわ」
「…まあいい、私を巻き込ないならばな」
ゾルドーがそう告げると、やがて二人は歩を止めた。
「それはどうも、それじゃあーー」
そうして二人の翳した"石"から現れるは、無数の使い魔。その姿は包帯を思わせるボロ切れを纏った人型の異形。
「お行きなさい」
告げられた命に使い魔ーー影魔達は四方に散って行った。
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「早退けしてぇ…」
安場佐田の勤務の小休止、健人は小さく呟いた。自身を維持していた緊張の糸は、連日の強いストレスの中で、もう限界に達しかねない。
「やっぱつけられとったか」
また自身の内から響く声が、鬱屈とした精神を削っていくのを感じていた。
「俺にはついにプライベートも無くなったか、え?」
「応じるなら、口を動かさんでもいい」
「俺には喋るなってか?」
「違う、念じたら俺には聞こえる。口を開けば、周りから疑われるのはお前じゃ」
既にしかめていた顔から口だけを閉じるも、到底納得できない。佐田はその後、商談で店を外した。しかし万一にも戻ってきた佐田や客に聞かれるわけにもいかない。
"お前、ブレスレット通じて俺の中にいたんだろ?上坂蓉子のこと、気づいてたのか?"
「半分ってとこじゃな。俺の勘が知らせとる。お前、色んな奴につけられとるぞ」
"なんで!?この上まだ何か他の奴がいるってのかよ…!"
血の気が一気に引いていった。息が上がり、悪心と怖気が走るまま、未だ存在も認められないような小人に問う。
「ああ、全ては分からんが人間も、人間じゃないのもおる」
「…俺、何かしたか?おい」
「お前、今朝は俺や奴らの存在に、"俺の現実"と言うとったが、現実なんてそんなもんじゃ」
「なんだよ、それ」
その言葉を受けたのを最後に、その瞬間花森健人の身体は遂に店番の椅子から崩れ落ちた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ボチボチこうなると思っとった。お嬢、ホントにこいつで良かったんですかい?」
ネーゲルはそう独り言ち、一つ溜め息を吐く。やがて健人がーー否、健人の身体が目を覚ますが、その瞳が赤い光を放った。そしてズボンのポケットにあるスマートフォンを取り出し、桧山初樹に電話をかける。
「もしもし、花っち?」
電話越しの桧山初樹の声音は、どこか強張っている。少なからずネーゲルはそう感じた。
「いや悪いな、兄ちゃん。俺じゃ、ネーゲルよ。今、前みたいに花森健人を動かして話しとる」
「ーー花っちに何かあったのか?」
「察してくれて助かる。疲労が貯まっとったみたいでな、倒れた。安場佐田っちゅう場所が分かるなら、医者呼んでくれんか?」
「わかった、すぐに呼ぶ!…ネーゲル、信じていいんだな?」
こちらに疑義を抱くも、それは健人を案じる故だろう。その上で話に応じてくれたことに、ネーゲルがどこか安堵する。
「寧ろそう聞いてくれた兄ちゃんなら、今は信じられる」
そんなネーゲルの言葉に、感嘆する初樹の声がスマートフォンの向こうから聞こえた。しかしその直後、事態が急変した。
「えっーー黒コート!うああぁ!!」