第一章 1話 シーン1 「光降る街」 version 6

2020/03/04 17:12 by someone
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第一章 1話 シーン1 「光降る街」
 その夜は星空が一面に広がっていた。暗闇の中、ルクスカーデン十三番街、北西の住宅地を照らすのは、上空に浮かぶ星々の煌めきと、〝灯りの揮石〟と呼ばれる立体のひし形をした魔法の石がポツリポツリと光る灯り———その街路灯のみである。時間は皆寝静まった深夜、しかしとある石造りの家の二階、その一室の木戸が静かに開く。その奥から赤毛のショートボブを揺らした少女が暗がりを抜けてきた。白いネグリジェ姿、一歩一歩忍び足で向かった先は、彼女———心羽の部屋と、心羽の父である明(あきら)の書斎の中間。そこからは天井に向けて梯子が伸び、設けられた大きな天窓から、丁度月が雲の合間に見え隠れしていた。心羽が右手に持ったランプの中の灯りの揮石を振ると、その周囲が淡く光るも、少々灯りが大きすぎる。灯りをなるべく小さくするようイメージしながら、ランプ内の揮石を再度振ると、やがて灯りが小さくなった。心羽はランプの取っ手を手首に通し、天窓を目指して梯子を上り始める。少女の軽い身体とはいえ、彼女の体重を乗せた木製の梯子は、小さい音ながらもギシギシと軋む。母の寝ている一階にまでその音が響こうものなら、この秘密の行為は咎められてしまうかもしれない。心羽は息をひそめ、一段ずつ静かに梯子を上る。やがて六段目に脚がかかると、左手を伸ばして天窓の鍵を開け、押し上げるように天窓を開けた。
瞬間、静かな夜風を肌に感じながら上空を見上げると、心羽の眼に星々の光が映る。心羽はその光に引き付けられるように、天窓から身を乗り出して屋上に出た。今この時期、この場所は、夜空に瞬く星がよく見える。この深い静寂の空気と、はるか遠くの何千、何万光年からの光の偉大さ。心羽はその意味を知るより昔、幼いころからその世界に魅せられていた。夜の風の心地よさがその身を包む中で、彼女は屋上に座ると、夜空に向けてポツリとつぶやく。
「こんばんは、お空さん」
語りかけるように紡がれたその言葉は虚空に吸い込まれて消えるが、それでも心羽は尚、言葉を紡ぐ。
「…今日はアレグロの練習に行ったんだけど、なかなか上達しないところがあって…こんな調子で上手くなるのかな、ちゃんと一人前の大人になれるのかな…」
そう告げると、心羽はそのい瞳を少し伏せる。夜空の星々はそんな彼女に向け、返答する術を持たない。
子供の頃は、空が、星が、語りかけているような気がして、よく空とおしゃべりしていた。これで何度目の沈黙だろうか…当たり前のことではあるのはわかっている。十四歳ともなれば、空と会話なんて出来るわけないことは、流石に理解していた。
そう告げると、心羽はそのい瞳を少し伏せる。夜空の星々はそんな彼女に返答することはない。それでも子供の頃は、空が、星が、語りかけているような気がして、よく空とおしゃべりしていた。
「何だか、眠れないんだ」
これで何度目の沈黙だろうか…当たり前のことではあるのはわかっている。十四歳ともなれば、空と会話なんて出来るわけないことは、流石に理解していた。
「…どうせ聴いてないよね」
それでも、この夜風に吹かれ、ぽつりぽつりと空と対話する時間は、彼女の心の寄る辺であり、あるがままの自分を思い出すために必要な内観でもあった。
「まあ、また明日も来るから」
やがて、何度目であろうかという空との対話を諦め、若干の寂しさを含んだ微笑みで、天窓の梯子を降りて寝所に戻ろうかと動き出した彼女の目に、星々の瞬きが飛び込んできた。それに不意を突かれて、弾かれたように星空を見返す心羽。星々の明滅はそんな心羽の意識に直接「語り掛けてきた」。
〝近く、この空は消滅する〟
「…えっ」
見開かれた心羽の目は、その衝撃に震えた。
      

その夜は星空が一面に広がっていた。暗闇の中、ルクスカーデン十三番街、北西の住宅地を照らすのは、上空に浮かぶ星々の煌めきと、〝灯りの揮石〟と呼ばれる立体のひし形をした魔法の石がポツリポツリと光る灯り———その街路灯のみである。時間は皆寝静まった深夜、しかしとある石造りの家の二階、その一室の木戸が静かに開く。その奥から赤毛のショートボブを揺らした少女が暗がりを抜けてきた。白いネグリジェ姿、一歩一歩忍び足で向かった先は、彼女———心羽の部屋と、心羽の父である明(あきら)の書斎の中間。そこからは天井に向けて梯子が伸び、設けられた大きな天窓から、丁度月が雲の合間に見え隠れしていた。心羽が右手に持ったランプの中の灯りの揮石を振ると、その周囲が淡く光るも、少々灯りが大きすぎる。灯りをなるべく小さくするようイメージしながら、ランプ内の揮石を再度振ると、やがて灯りが小さくなった。心羽はランプの取っ手を手首に通し、天窓を目指して梯子を上り始める。少女の軽い身体とはいえ、彼女の体重を乗せた木製の梯子は、小さい音ながらもギシギシと軋む。母の寝ている一階にまでその音が響こうものなら、この秘密の行為は咎められてしまうかもしれない。心羽は息をひそめ、一段ずつ静かに梯子を上る。やがて六段目に脚がかかると、左手を伸ばして天窓の鍵を開け、押し上げるように天窓を開けた。
瞬間、静かな夜風を肌に感じながら上空を見上げると、心羽の眼に星々の光が映る。心羽はその光に引き付けられるように、天窓から身を乗り出して屋上に出た。今この時期、この場所は、夜空に瞬く星がよく見える。この深い静寂の空気と、はるか遠くの何千、何万光年からの光の偉大さ。心羽はその意味を知るより昔、幼いころからその世界に魅せられていた。夜の風の心地よさがその身を包む中で、彼女は屋上に座ると、夜空に向けてポツリとつぶやく。
「こんばんは、お空さん」
語りかけるように紡がれたその言葉は虚空に吸い込まれて消えるが、それでも心羽は尚、言葉を紡ぐ。
「…今日はアレグロの練習に行ったんだけど、なかなか上達しないところがあって…こんな調子で上手くなるのかな、ちゃんと一人前の大人になれるのかな…」
そう告げると、心羽はその紅い瞳を少し伏せる。夜空の星々はそんな彼女に返答することはない。それでも子供の頃は、空が、星が、語りかけているような気がして、よく空とおしゃべりしていた。
「何だか、眠れないんだ」
これで何度目の沈黙だろうか…当たり前のことではあるのはわかっている。十四歳ともなれば、空と会話なんて出来るわけないことは、流石に理解していた。
「…どうせ聴いてないよね」
それでも、この夜風に吹かれ、ぽつりぽつりと空と対話する時間は、彼女の心の寄る辺であり、あるがままの自分を思い出すために必要な内観でもあった。
「まあ、また明日も来るから」
やがて、何度目であろうかという空との対話を諦め、若干の寂しさを含んだ微笑みで、天窓の梯子を降りて寝所に戻ろうかと動き出した彼女の目に、星々の瞬きが飛び込んできた。それに不意を突かれて、弾かれたように星空を見返す心羽。星々の明滅はそんな心羽の意識に直接「語り掛けてきた」。
〝近く、この空は消滅する〟
「…えっ」
見開かれた心羽の目は、その衝撃に震えた。