霹天の弓 ー1章ー【第1話】 修正 version 4

2019/04/22 17:17 by someone
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霹天の弓 ー1章ー【第1話】 修正
その明け方は雲一つなかった。まだ人々が眠りの中にあるその時間、少女は自身の部屋からそっと抜け出した。同じ屋根の下で寝ている両親を起こさぬように…目指す先は、この少女たちの家の屋上で、少女———心羽(ここは)は眠れぬ夜、いつも屋上から夜空の星を眺めて過ごす。彼女は二階にある自分の部屋の傍に位置する、その梯子から屋根裏部屋へ上がる。木製の梯子がギシギシと響く音や、屋根裏部屋の戸の開く音が、家族に聞こえるだろうかと心羽の心中をざわつかせたが、彼女は屋根裏部屋のさらに上にある、屋上のを開けた。
その明け方は雲一つなかった。まだ人々が眠りの中にあるその時間、少女は自身の部屋からそっと抜け出した。同じ屋根の下で寝ている両親を起こさぬように…目指す先は、この少女たちの家の屋上で、少女———心羽(ここは)は眠れぬ夜、いつも屋上から夜空の星を眺めて過ごす。そうして風に吹かれながら、一人で静かに味わうその秘密の時間は、他の誰も知らない自分だけの一時なのだ。彼女は二階にある自分の部屋の傍に位置する、その梯子から屋根裏部屋へ上がる。木製の梯子がギシギシと響く音や、屋根裏部屋の戸の開く音が、家族に聞こえるだろうかと心羽の心中をざわつかせたが、何事もない様子を確認し、彼女は屋根裏部屋のさらに上にある、屋上の天窓を開けた。

そこには星々がその輝きを放ち、数万光年と離れているであろう、この「ルクスカーデン」と呼ばれる地に、その光を届けていた。星々の輝きを見つめる中、心羽はひときわ美しく光を放つ七色の星を一つ見つける。その星は虹のようにグラデーションを描き、かつ水が揺蕩うようにその色彩を発しながらそこにあった。綺麗…こんなの見たことない。この世界にこんな光があるなんて…心羽の感想の第一はそんな思いだった。なぜこの光がここにあるのか…不思議さはあっても恐怖はなかった。何より、その温みある光に魅せられた心羽は、七色の星に手を伸ばす。届くはずのない手は虚空を掴むが、それでも瞬間、その輝きを手にしたように感じた彼女は思う。“この光をすべての人に見せたい“と。そうして輝きを手にした右手を、左手とともに自らの胸に祈るように抱き寄せる。すると指の間から星と同じ輝きがあふれ出し、心羽を優しく包みこむ。

次の瞬間、そこから大きな鳥が羽ばたいた。紅の羽毛は、その身体全体を覆い、星と同じ七色がその翼に宿ったかのように光沢を放つ。胸の部位にも星を思わせる宝石の首飾りがかかり、頭の部位には、まだ何物にも染まっていない少女の清らかさを思わせる、純白の羽飾りが付いていた。鳥は七色の翼をたなびかせて、ルクスカーデン中を飛び回る。その胸の光を世界に示すように、その温みが、人々の心に安らぎと慈しみを与えますようにと———
七色の光を翼と胸に宿した鳥は、飛んでいる間、無意識ながら感じ取った。今の自分は、心はそのままに、先ほどまでその身にあった人としての有限性を超越して、時間とこの世の果て———その真実を見つけることさえできる。そんな思いと、力に満ち満ちていた。その力の限り飛びたい。その果てまでこの心の羽を届かせてみたい。鳥は全力で飛んだ。

———————————————————————————

やがて訪れる朝日の上る時間。心羽は自分の部屋のベッドに身を横たえていた。意識はだ少し微睡んでいるが、朝日の光が、窓際のカーテンから木漏れ日のように射し、心羽の顔を照らす。その赤い髪が揺れ、丸みを帯びた目が開く。ああ、目が覚めちゃった。素敵な夢だったのにな…心羽は眉根を寄せて朝日を少しだけ睨んだ。そうして横たえていた身体を起こそうとすると、右手に何かを持っていることに気が付いた。見るとその手の中に七色のペンダントがあった。虹のようにグラデーションを描き、かつ水が揺蕩うような色彩のそれは、心羽を驚愕させ、その意識を完全に覚醒させる。どういうこと!?あれは夢だったんじゃ…自分のその行為が月並みなものと思いながらも、心羽は自分の頬を空いている左手でつねった。どうやら今、心羽のいるそこは夢ではないらしい。じゃあなんでこれが…その時下の階から誰かが階段で上がってくる足音が聞こえた。母の詩乃(しの)だ。心羽はふいにペンダントを自身の懐に隠し、部屋にやってくる詩乃を迎えた。
 「心羽、朝ご飯出来たよ」
やがて訪れる朝日の上る時間。心羽は自分の部屋のベッドに身を横たえていた。意識はだ少し微睡んでいるが、朝日の光が、窓際のカーテンから木漏れ日のように射し、心羽の顔を照らす。その赤い髪が揺れ、丸みを帯びた目が開く。ああ、目が覚めちゃった。素敵な夢だったのにな…心羽は眉根を寄せて朝日を少しだけ睨んだ。そうして横たえていた身体を起こそうとすると、右手に何かを持っていることに気が付いた。見るとその手の中に七色のペンダントがあった。虹のようにグラデーションを描き、かつ水が揺蕩うような色彩のそれは、心羽を驚愕させ、その意識を完全に覚醒させる。どういうこと!?あれは夢だったんじゃ…自分のその行為が月並みなものと思いながらも、心羽は自分の頬を空いている左手でつねった。どうやら今、心羽のいるそこは夢ではないらしい。じゃあなんでこれが…昨夜の夢の高揚を想起し、心羽の胸が高鳴る。れと同時に、こルクスカーデンの各市街に建てられた計塔が、その鐘の音を響かせた。察するに一日の始まりを告げる「一の鐘」だろう。一日のうち九回鳴るこの鐘は、住民の生活に時を知らせ、その活動の基点となっている。その音が響いてすぐに、下の階から誰かが階段で上がってくる足音が聞こえた。母の詩乃(しの)だ。心羽は不意にペンダントを自身の懐に隠し、部屋にやってくる詩乃を迎えた。
「心羽、朝ご飯出来たよ」
愛娘を呼ぶ優しい声が部屋に届く。
「うん、着替えてすぐ行くね」
心羽の口からは咄嗟にそんな言葉が出た。

夜着を着替えて一階にあるリビングに向かった心羽を待っていたのは、テーブルに置かれた朝食と、それを作った母。心羽と詩乃は互いに「おはよう」のあいさつを交わしながら、それぞれ椅子に腰かける。朝食は食パン一枚にウインナー二本、千切りのキャベツにスクランブルエッグである。詩乃が千切りキャベツをフォークで口に運びながら言った。
 「心羽は今日、アレグロ?」
「うん」
「うん」心羽が千切った咀嚼した食パンを飲み込んで言う。
「それで今日楽しそうなんだ」
そう言ってにやついてみせる母に「それだけじゃないけどね」と笑んで返す心羽。
 「なに?何かいいことあったの?」
嬉しさを共有したいと詩乃は心羽に聞く。「内緒」とだけ心羽は答えた。夢とペンダントのことは自分でもまだ驚いていて、落ち着いて話ができる自信がない。しかし、この不思議で素敵な夢は、落ち着いたら誰かと共有したい思いもあった。
 「心羽は秘密が多いよね、お母さん寂しい」詩乃は愛娘の少し高揚した様子に、少しすねた演出と冗談を交えて言っ嬉しさを共有したいと詩乃は心羽に聞く。「内緒」とだけ心羽は答えた。夢とペンダントのことは自分でもまだ驚いていて、落ち着いて話ができる自信がない。しかし、この不思議で心躍る夢は、落ち着いたら誰かと共有したい思いもあった。
「心羽は秘密が多いよね、お母さん寂しい」詩乃は愛娘の少し高揚した様子に、少しすねた演出と冗談を滲ませそう言って、続ける 「でもいいことなんだったら大丈夫。あなたにはもう少し素敵なことがあっていいんだから」
続ける詩乃との他愛のない会話の中に、娘への心配りを心羽は見て取った。この〝大丈夫〟という言葉は、心羽と苦難も喜びも共有してきた詩乃が、その時々の娘の思いを汲みながらも、娘を信じる母としての覚悟と矜持を以て繰り出す、必殺の台詞であった。実際、心羽の中にスッと入ってくるこの無敵のまじないは、彼女が自身の困難を乗り越える糧として響いている。
 「ありがと、お母さんの方はどう?今日手伝いとかいる?」
 「う~んこっちは今日は…そんなに忙しくはないから。心羽は自分の今日をしっかりやってきなさい」
した詩乃との他愛のない会話の中に、娘への心配りを心羽は見て取った。この〝大丈夫〟という言葉は、心羽と苦難も喜びも共有してきた詩乃が、その時々の娘の思いを汲みながらも、娘を信じる母としての覚悟と矜持を以て繰り出す、必殺の台詞であった。実際、心羽の中にスッと入ってくるこの無敵のまじないは、彼女が自身の困難を乗り越える糧として響いている。
「ありがと、お母さんの方はどう?今日手伝いとかいる?」
 「う~んこっちは今日そんなに忙しくはないから。心羽は自分の今日をしっかりやってきなさい」
 「うん…ごめんね、気を遣わせて。お父さんにも…」
 進路も決めないまま学校を卒業してしまった心羽が、現在所属しているのは、7歳から在籍している地域の音楽団———アレグロ楽団のみという現状を、父の明(あきら)は心配していた。ルクスカーデンの行政を担う公人達のリーダーである明は、仕事に忙殺されて家族との時間こそ取れなかったが、心羽を愛している意味でも、自分の娘であるという意味でも「自慢の娘」として信頼を置いているのだ。心羽もそれはわかる一方、父から過剰に期待されている気がして、後ろめたさや不安めいた感情が内在している。詩乃はそんな娘の思いを理解してか、敢えて心羽の言葉を否定した。
 「何言ってるの、お父さんはお父さん、心羽は心羽。一歩ずつでも頑張ってるのは、あなたでしょ?」
「何言ってるの、お父さんはお父さん、心羽は心羽。一歩ずつでも頑張ってるのは、あなたでしょ?」
 「…うん、ありがと」
 心羽は俯いていた顔をあげ、詩乃と目を合わせた。そうして互いに笑顔で応える。その母の言葉を素直に捉えたい。そして父や母、何より自分のために、自分の今日を良くしたいと心羽は思った。
朝食の後、それぞれ身支度を終えて、詩乃は朝食の後片づけを始める。街には時計塔の鐘の音が響く。ルクスカーデンの街並みに、一日九回鳴るその鐘のうち、人々が一日の活動開始の目安としている「二の鐘」がその音色を届けているのだ。心羽は白いブラウスとベージュのミニスカートに、黒いタイツとショートブーツの姿。トランペットをケースに入れ、アレグロ楽団の次の講演に向けた練習を行うため、自宅のあるルクスカーデン二番街から、楽団の集会所のある三番街へ向かった。その胸には、先のペンダントを着けて。

朝食の後、それぞれ身支度を終えて、詩乃は朝食の後片づけを始める。心羽は白いブラウスとベージュのミニスカートに、黒いタイツとショートブーツの姿。トランペットをケースに入れ、アレグロ楽団の次の講演に向けた練習を行うため、自宅のあるルクスカーデン二番街から、楽団の集会所のある三番街へ向かった。その胸には、先のペンダントを着けて。
春を迎えた街は、道端の木々は生い茂り、その葉は日に照らされ深緑に色づいている。人々はのんびりと毎日の暮らしを営みながらも、それぞれが日々の仕事に精を出す。古代都市の神秘性をそのままに、森と川と、古い城と街が調和したこの風景を作りだしている土木・建設。生活必需品から日用品、嗜好品や娯楽の品まで生み出している職人。治安維持・法体系から生活福祉といった、人々のニーズに応答した民主的な社会体系は、明のような役所の役人や、公から委託された民間団体が担う。他にも流通や金融、教育や医療など、あらゆる人が自身の職に対する誇りや矜持、葛藤や不安を抱きながら、この石畳の敷かれた道路の上を行き交う。
そんな光景を、心羽は目を細めながら見つめる。特に自分と同じ年くらいの若者たちに自然と視線がいく。自分が彼らから取り残されているような思いが彼女の中にはあった。
そんな光景———街並みの中を、心羽は歩きながら目を細め見つめる。特に自分と同じ年くらいの若者たちに自然と視線がいく。自分が彼らから取り残されているような思いが彼女の中にはあった。自分はこの景色の中に、真に属してはいない———そんな言いようのない感情から気持ちを切り替えたころには、彼女の歩みは二番街と三番街の境に差し掛かっていた。

———————————————————————————

ルクスカーデン三番街のとある一角、大通りから、東に二百メートルほど進んだところにアレグロ楽団の集会所はあった。石造りで出来たその大きな建物は、その土台を地面から少し高くして建造されており、その構造は気品ある佇まいを演出している。そこから演奏の練習をする種々の楽器の旋律が響く。心羽はその響きあう音の中でトランペットを吹いていた。
 「うん、それぞれのパートも良くなってる。それと、中盤にもう少し、荘厳さを表現したいんだ。」
 一しきり演奏を終えた後、黒く丈の長いニットコートを着流した指揮者が言った。楽団の長である広夢(ひろむ)である。その言葉に「はい」と楽団員たちが返事をする。
 「だから、中盤からは音を大きく盛り上げて演出できればと思います。みんなの音は凄くいいから、僕の指揮の課題でもある」
「だから、中盤からは音を大きく盛り上げて演出できればと思います。みんなの音は凄くいいから、僕の指揮の課題でもある」
広夢も自らの課題を認め、言葉を発する。この口下手な楽団長は、話し方こそつぶやくようなそれであったが、その言葉の端々から、そこはかとなく誠実さが垣間見える。そんな団長の姿勢を、楽団員たちは慕っていた。心羽もその一人である。
 「焦らないで行きましょうよ、ヒロさん」
楽団員の一人が言った。「そうだよ」数人がそれに続く。それに少し笑んで広夢も応える。
 「そうだね、僕らの音は一つずつ練習してできるものだし」
 心羽はこうした一人ひとりの姿勢が、音楽を楽しみつつもより良いものを目指すアレグロを形成している大きな魅力と感じていた。
 心羽はこうした一人ひとりの姿勢が、音楽を楽しみつつもより良いものを目指すアレグロを形成している大きな魅力と感じていた。そしてもう一人、そんな心羽と同様に広夢に憧憬の眼差しを向ける同年代の少女の方を、心羽は目で追う。やがてその少女———遥香(はるか)と目が合い、二人は互いに、はにかんだ柔和な笑みを浮かべた。
「じゃあ、もう一回いこうか」
広夢のその声を受けて、楽団員全員が各々の楽器を構え直す。この楽団には、一人ひとりの懸命さと柔軟さがある。それが他の団員と相互作用し、メリハリとなって機能している。心羽と遥香の二人は、そんなアレグロの雰囲気が好きだった。

演奏の練習が一段落ついたところで、楽団員はそれぞれ休憩をとっている——心羽はそのタイミングに集会所近くの喫茶店、「カフェ・すてら」の隅の席で、自身と同年代で同じくアレグロの楽団員の少女———遥香(はるか)と共にコーヒーを飲んでいた。天井の丸いペンダントライトが、屋内の少し陰った雰囲気に映え、木造の机や椅子の与える印象はレトロでありながらどこか味わいを演出している。二人はシロップで甘くし、その上にクリームを乗せたコーヒーを啜る。甘さと暖かさと香しさが鼻腔と口を潤す中、自分たちの演奏を振り返ったり、「広夢さん、素敵だよね。頑張ってる」だとか「最近どうしてる?」などと他愛のない話をする。それが彼女たちの日常における楽しみの一つだった。
 「こっちゃん、そのペンダント、綺麗」遥香は心羽が胸にかけたペンダントの煌めきに、その薄紫の瞳を輝かせ、微笑みながら言った。「ありがとう」心羽も笑みとお礼を返す。と同時にハッとした。今朝の夢の話を、共有したいと思える人がここにいる———
「今朝ね…」
胸の高揚感が思い出したようにまたやってくる。「素敵な夢を見たの。その中で私、鳥になってた」
 心羽がそれだけ言って、これからする話を整理する。その一瞬、間が空くも、彼女の思いを理解した遥香が、長いパステルブルーの髪を揺らして応える。
「そいえば、前にも言ってたもんね。〝鳥になって飛びたい“って」
その言葉に心羽は、夢の内容について続ける。
 「うん、虹みたいに綺麗な星が光ってて、それを掴んだら、鳥になってたんだ。このペンダント、その星のみたいな色してて…」
そこまで話して心羽は一瞬口ごもる。
 「こっちゃん?」
 「気に入って、今朝買っちゃった…あんまり夢も見てる余裕ないけどね」
この夢のような話を、目の前の親友はどう思うだろうと考えると、今朝の不可思議な話をすべて話すことはなぜか躊躇われた。浮足立った話だ。不意に、そう思った。
「…こっちゃん、私は素敵だと思ったよ。その夢の話」
「…ありがとう。できることが中々見つからなくて、だからそんな夢見ちゃうのかな?」
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その明け方は雲一つなかった。まだ人々が眠りの中にあるその時間、少女は自身の部屋からそっと抜け出した。同じ屋根の下で寝ている両親を起こさぬように…目指す先は、この少女たちの家の屋上で、少女———心羽(ここは)は眠れぬ夜、いつも屋上から夜空の星を眺めて過ごす。そうして風に吹かれながら、一人で静かに味わうその秘密の時間は、他の誰も知らない自分だけの一時なのだ。彼女は二階にある自分の部屋の傍に位置する、その梯子から屋根裏部屋へ上がる。木製の梯子がギシギシと響く音や、屋根裏部屋の戸の開く音が、家族に聞こえるだろうかと心羽の心中をざわつかせたが、何事もない様子を確認し、彼女は屋根裏部屋のさらに上にある、屋上の天窓を開けた。

そこには星々がその輝きを放ち、数万光年と離れているであろう、この「ルクスカーデン」と呼ばれる地に、その光を届けていた。星々の輝きを見つめる中、心羽はひときわ美しく光を放つ七色の星を一つ見つける。その星は虹のようにグラデーションを描き、かつ水が揺蕩うようにその色彩を発しながらそこにあった。綺麗…こんなの見たことない。この世界にこんな光があるなんて…心羽の感想の第一はそんな思いだった。なぜこの光がここにあるのか…不思議さはあっても恐怖はなかった。何より、その温みある光に魅せられた心羽は、七色の星に手を伸ばす。届くはずのない手は虚空を掴むが、それでも瞬間、その輝きを手にしたように感じた彼女は思う。“この光をすべての人に見せたい“と。そうして輝きを手にした右手を、左手とともに自らの胸に祈るように抱き寄せる。すると指の間から星と同じ輝きがあふれ出し、心羽を優しく包みこむ。

次の瞬間、そこから大きな鳥が羽ばたいた。紅の羽毛は、その身体全体を覆い、星と同じ七色がその翼に宿ったかのように光沢を放つ。胸の部位にも星を思わせる宝石の首飾りがかかり、頭の部位には、まだ何物にも染まっていない少女の清らかさを思わせる、純白の羽飾りが付いていた。鳥は七色の翼をたなびかせて、ルクスカーデン中を飛び回る。その胸の光を世界に示すように、その温みが、人々の心に安らぎと慈しみを与えますようにと———
七色の光を翼と胸に宿した鳥は、飛んでいる間、無意識ながら感じ取った。今の自分は、心はそのままに、先ほどまでその身にあった人としての有限性を超越して、時間とこの世の果て———その真実を見つけることさえできる。そんな思いと、力に満ち満ちていた。その力の限り飛びたい。その果てまでこの心の羽を届かせてみたい。鳥は全力で飛んだ。

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やがて訪れる朝日の上る時間。心羽は自分の部屋のベッドに身を横たえていた。意識はまだ少し微睡んでいるが、朝日の光が、窓際のカーテンから木漏れ日のように射し、心羽の顔を照らす。その赤い髪が揺れ、丸みを帯びた目が開く。ああ、目が覚めちゃった。素敵な夢だったのにな…心羽は眉根を寄せて朝日を少しだけ睨んだ。そうして横たえていた身体を起こそうとすると、右手に何かを持っていることに気が付いた。見るとその手の中に七色のペンダントがあった。虹のようにグラデーションを描き、かつ水が揺蕩うような色彩のそれは、心羽を驚愕させ、その意識を完全に覚醒させる。どういうこと!?あれは夢だったんじゃ…自分のその行為が月並みなものと思いながらも、心羽は自分の頬を空いている左手でつねった。どうやら今、心羽のいるそこは夢ではないらしい。じゃあなんでこれが…昨夜の夢の高揚を想起し、心羽の胸が高鳴る。それと同時に、このルクスカーデンの各市街に建てられた時計塔が、その鐘の音を響かせた。察するに一日の始まりを告げる「一の鐘」だろう。一日のうち九回鳴るこの鐘は、住民の生活に時を知らせ、その活動の基点となっている。その音が響いてすぐに、下の階から誰かが階段で上がってくる足音が聞こえた。母親の詩乃(しの)だ。心羽は不意にペンダントを自身の懐に隠し、部屋にやってくる詩乃を迎えた。
「心羽、朝ご飯出来たよ」
愛娘を呼ぶ優しい声が部屋に届く。
「うん、着替えてすぐ行くね」
心羽の口からは咄嗟にそんな言葉が出た。

夜着を着替えて一階にあるリビングに向かった心羽を待っていたのは、テーブルに置かれた朝食と、それを作った母。心羽と詩乃は互いに「おはよう」のあいさつを交わしながら、それぞれ椅子に腰かける。朝食は食パン一枚にウインナー二本、千切りのキャベツにスクランブルエッグである。詩乃が千切りキャベツをフォークで口に運びながら言った。
「心羽は今日、アレグロ?」
「うん」心羽が千切った咀嚼した食パンを飲み込んで言う。
「それで今日楽しそうなんだ」
そう言ってにやついてみせる母に「それだけじゃないけどね」と笑んで返す心羽。
「なに?何かいいことあったの?」
嬉しさを共有したいと詩乃は心羽に聞く。「内緒」とだけ心羽は答えた。夢とペンダントのことは自分でもまだ驚いていて、落ち着いて話ができる自信がない。しかし、この不思議で心躍る夢は、落ち着いたら誰かと共有したい思いもあった。
「心羽は秘密が多いよね、お母さん寂しい」詩乃は愛娘の少し高揚した様子に、少しすねた演出と冗談を滲ませてそう言って、続ける。
「でもいいことなんだったら大丈夫。あなたにはもう少し素敵なことがあっていいんだから」
こうした詩乃との他愛のない会話の中に、娘への心配りを心羽は見て取った。この〝大丈夫〟という言葉は、心羽と苦難も喜びも共有してきた詩乃が、その時々の娘の思いを汲みながらも、娘を信じる母としての覚悟と矜持を以て繰り出す、必殺の台詞であった。実際、心羽の中にスッと入ってくるこの無敵のまじないは、彼女が自身の困難を乗り越える糧として響いている。
「ありがと、お母さんの方はどう?今日手伝いとかいる?」
「う~ん…こっちは今日、そんなに忙しくはないから。心羽は自分の今日をしっかりやってきなさい」
「うん…ごめんね、気を遣わせて。お父さんにも…」
進路も決めないまま学校を卒業してしまった心羽が、現在所属しているのは、7歳から在籍している地域の音楽団———アレグロ楽団のみという現状を、父の明(あきら)は心配していた。ルクスカーデンの行政を担う公人達のリーダーである明は、仕事に忙殺されて家族との時間こそ取れなかったが、心羽を愛している意味でも、自分の娘であるという意味でも「自慢の娘」として信頼を置いているのだ。心羽もそれはわかる一方、父から過剰に期待されている気がして、後ろめたさや不安めいた感情が内在している。詩乃はそんな娘の思いを理解してか、敢えて心羽の言葉を否定した。
「何言ってるの、お父さんはお父さん、心羽は心羽。一歩ずつでも頑張ってるのは、あなたでしょ?」
「…うん、ありがと」
心羽は俯いていた顔をあげ、詩乃と目を合わせた。そうして互いに笑顔で応える。その母の言葉を素直に捉えたい。そして父や母、何より自分のために、自分の今日を良くしたいと心羽は思った。

朝食の後、それぞれ身支度を終えて、詩乃は朝食の後片づけを始める。心羽は白いブラウスとベージュのミニスカートに、黒いタイツとショートブーツの姿。トランペットをケースに入れ、アレグロ楽団の次の講演に向けた練習を行うため、自宅のあるルクスカーデン二番街から、楽団の集会所のある三番街へ向かった。その胸には、先のペンダントを着けて。
春を迎えた街は、道端の木々は生い茂り、その葉は日に照らされ深緑に色づいている。人々はのんびりと毎日の暮らしを営みながらも、それぞれが日々の仕事に精を出す。古代都市の神秘性をそのままに、森と川と、古い城と街が調和したこの風景を作りだしている土木・建設。生活必需品から日用品、嗜好品や娯楽の品まで生み出している職人。治安維持・法体系から生活福祉といった、人々のニーズに応答した民主的な社会体系は、明のような役所の役人や、公から委託された民間団体が担う。他にも流通や金融、教育や医療など、あらゆる人が自身の職に対する誇りや矜持、葛藤や不安を抱きながら、この石畳の敷かれた道路の上を行き交う。
そんな光景———街並みの中を、心羽は歩きながら目を細め、見つめる。特に自分と同じ年くらいの若者たちに自然と視線がいく。自分が彼らから取り残されているような思いが彼女の中にはあった。自分はこの景色の中に、真に属してはいない———そんな言いようのない感情から気持ちを切り替えたころには、彼女の歩みは二番街と三番街の境に差し掛かっていた。

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ルクスカーデン三番街のとある一角、大通りから、東に二百メートルほど進んだところにアレグロ楽団の集会所はあった。石造りで出来たその大きな建物は、その土台を地面から少し高くして建造されており、その構造は気品ある佇まいを演出している。そこから演奏の練習をする種々の楽器の旋律が響く。心羽はその響きあう音の中でトランペットを吹いていた。
「うん、それぞれのパートも良くなってる。それと、中盤にもう少し、荘厳さを表現したいんだ。」
一しきり演奏を終えた後、黒く丈の長いニットコートを着流した指揮者が言った。楽団の長である広夢(ひろむ)である。その言葉に「はい」と楽団員たちが返事をする。
「だから、中盤からは音を大きく盛り上げて演出できればと思います。みんなの音は凄くいいから、僕の指揮の課題でもある」
広夢も自らの課題を認め、言葉を発する。この口下手な楽団長は、話し方こそつぶやくようなそれであったが、その言葉の端々から、そこはかとなく誠実さが垣間見える。そんな団長の姿勢を、楽団員たちは慕っていた。心羽もその一人である。
「焦らないで行きましょうよ、ヒロさん」
楽団員の一人が言った。「そうだよ」数人がそれに続く。それに少し笑んで広夢も応える。
「そうだね、僕らの音は一つずつ練習してできるものだし」
心羽はこうした一人ひとりの姿勢が、音楽を楽しみつつもより良いものを目指すアレグロを形成している大きな魅力と感じていた。そしてもう一人、そんな心羽と同様に広夢に憧憬の眼差しを向ける同年代の少女の方を、心羽は目で追う。やがてその少女———遥香(はるか)と目が合い、二人は互いに、はにかんだ柔和な笑みを浮かべた。
「じゃあ、もう一回いこうか」
広夢のその声を受けて、楽団員全員が各々の楽器を構え直す。この楽団には、一人ひとりの懸命さと柔軟さがある。それが他の団員と相互作用し、メリハリとなって機能している。心羽と遥香の二人は、そんなアレグロの雰囲気が好きだった。

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