1.影と星灯り version 11
影と星灯り
その日、青年――花森健人は死にかけていた。
恐れに震える視線の先には、自身に襲い掛かった魔の存在。影のように暗い体色を夜の闇に溶けこませながら、健人を追ってきたその様は、さながら狩りを思わせた。
影の爪が健人の身を切りつけ、その腕の膂力が街路樹に彼の身体を押し付ける。そしてそのまま首を絞めた。
健人は影の腕を自身から引きはがそうと抵抗するも、程なく意識が薄れ、身体から力が抜けていく。
”何で、こうなったんだっけ…どうして俺なんだ”
その日、花森健人は死にかけていた。
―――――――――――――――――――――――――
例のごとく気怠い一日を過ごしていた。掛ける情熱も意思も希薄なまま、ただ机に座すだけの大学の講義の時間。安いバイトの賃金と、つまらないことで指導を受ける、場末の骨董品店での接客。辛うじて繋ぐ、平穏を維持するだけの生活。友人である桧山初樹と学食で飯をつまみながら、冗談として笑いを交え、くだを巻くようにして彼に話を聞いてもらうのが、健人の数少ない楽しみだった。
「ていうか、マジで言ってること怠いんだよな、あの店長。こないだだって商品の配置がなってないって――」
「そういう人っているよな、重箱の隅つつくみたいな」
「そうそう、重箱なんてああいうとこじゃ売り物だろ?つついてんじゃねえよ、みたいな」
楽しみ、或いは希望というものは、もう一つあった。それは、自身の追ってきた”美しいもの”、その姿を表現すべく、あるデジタル画を描くことだった。
つまらない子供の憬れの延長ではある。幼いころから掲げながら腐敗した”正義の味方”、”優しい人”などという夢の残滓をくべながらも、それを描き上げる。それが花森健人という命を続ける、ささやかな目的の一つであった。
しかしこの日、彼の心にある倦怠的な絶望を、ある存在が嗅ぎつける。
人の心の暗き絶望、その苦悶に塗られた魂を喰らって血肉とする”蝕む者”。それに目を付けられたのだ。
夜道を行く健人の自転車の前に、その影は現れた。自転車のライトはその瞬間まで影の存在を照らさなかった。虚空から現れたと言っていい。驚愕の声と共に自転車から転げ落ちた健人に、影は襲いかかる。
―――――――――――――――――――――――――
強烈な圧迫感と共に首が締まる。薄れゆく意識の中、抵抗も虚しく健人の目は天を仰いだ。夜空の暗闇に自身のそれまでを見る。生きていくことへの面倒さ、唾棄したくなるような人間関係に喘いだ日々。その時々に寄り掛かってきた誰かの優しさ、辛くも繋いできた息苦しい命。脳裏に走馬灯が浮かぶに従い、健人の胸に暗い渦が発し、やがて穴と開かれた。怪物が右腕を掲げる。夜空に一つ、強く煌く星があった。その灯りに想起されるは赤髪と儚い眼差し。異形の腕が穴へと伸びる、その刹那――。光を放つブレスレットを携えた健人の左手が、伸ばされた腕を掴んで遮った。
光は怪物の腕を焼く。即座に響いた叫びは驚愕か、或いは悲鳴か。その様を睨みつける健人の顔、その右半分は、骸骨を思わせる姿となっていた。
怪物を払いのけながら、変わっていく自身の姿。気づけば身にまとう服が代わっていた。烏か天狗を思わせる意匠をあしらったその姿、それは――
「なんで、これが…!」
自身の描いていたデジタル画に酷似していた。しかしその動揺を逃すことなく、怪物は健人に今一度迫りくる。その攻撃を辛うじて躱しながら、反撃の手段をイメージすれば、ブレスレットの光から続いて剣が現れた。尚も戸惑いながらも健人は右手にそれを取り、怪物に対峙する。迫りくる異形の影、叫びと共にその暗い身体に刃を突き立てると、影はたちまち虚空に溶けて消えた。程なく変化した姿が、元の姿に戻って尚、見開かれた目を震わせる。そしてその視線はブレスレットに注がれた。
自身の描いていたデジタル画に酷似していた。しかしその動揺を逃すことなく、怪物は健人に今一度迫りくる。その攻撃を辛うじて躱しながら、反撃の手段をイメージすれば、ブレスレットの光から続いて剣が現れた。更に戸惑いながらも健人は右手にそれを取り、怪物に対峙する。迫りくる異形の影、叫びと共にその暗い身体に刃を突き立てると、影はたちまち虚空に溶けて消えた。程なく変化した姿が、元の姿に戻って尚、見開かれた目を震わせる。そしてその視線はブレスレットに注がれた。
その日、青年――花森健人は死にかけていた。
恐れに震える視線の先には、自身に襲い掛かった魔の存在。影のように暗い体色を夜の闇に溶けこませながら、健人を追ってきたその様は、さながら狩りを思わせた。
影の爪が健人の身を切りつけ、その腕の膂力が街路樹に彼の身体を押し付ける。そしてそのまま首を絞めた。
健人は影の腕を自身から引きはがそうと抵抗するも、程なく意識が薄れ、身体から力が抜けていく。
”何で、こうなったんだっけ…どうして俺なんだ”
その日、花森健人は死にかけていた。
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例のごとく気怠い一日を過ごしていた。掛ける情熱も意思も希薄なまま、ただ机に座すだけの大学の講義の時間。安いバイトの賃金と、つまらないことで指導を受ける、場末の骨董品店での接客。辛うじて繋ぐ、平穏を維持するだけの生活。友人である桧山初樹と学食で飯をつまみながら、冗談として笑いを交え、くだを巻くようにして彼に話を聞いてもらうのが、健人の数少ない楽しみだった。
「ていうか、マジで言ってること怠いんだよな、あの店長。こないだだって商品の配置がなってないって――」
「そういう人っているよな、重箱の隅つつくみたいな」
「そうそう、重箱なんてああいうとこじゃ売り物だろ?つついてんじゃねえよ、みたいな」
楽しみ、或いは希望というものは、もう一つあった。それは、自身の追ってきた”美しいもの”、その姿を表現すべく、あるデジタル画を描くことだった。
つまらない子供の憬れの延長ではある。幼いころから掲げながら腐敗した”正義の味方”、”優しい人”などという夢の残滓をくべながらも、それを描き上げる。それが花森健人という命を続ける、ささやかな目的の一つであった。
しかしこの日、彼の心にある倦怠的な絶望を、ある存在が嗅ぎつける。
人の心の暗き絶望、その苦悶に塗られた魂を喰らって血肉とする”蝕む者”。それに目を付けられたのだ。
夜道を行く健人の自転車の前に、その影は現れた。自転車のライトはその瞬間まで影の存在を照らさなかった。虚空から現れたと言っていい。驚愕の声と共に自転車から転げ落ちた健人に、影は襲いかかる。
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強烈な圧迫感と共に首が締まる。薄れゆく意識の中、抵抗も虚しく健人の目は天を仰いだ。夜空の暗闇に自身のそれまでを見る。生きていくことへの面倒さ、唾棄したくなるような人間関係に喘いだ日々。その時々に寄り掛かってきた誰かの優しさ、辛くも繋いできた息苦しい命。脳裏に走馬灯が浮かぶに従い、健人の胸に暗い渦が発し、やがて穴と開かれた。怪物が右腕を掲げる。夜空に一つ、強く煌く星があった。その灯りに想起されるは赤髪と儚い眼差し。異形の腕が穴へと伸びる、その刹那――。光を放つブレスレットを携えた健人の左手が、伸ばされた腕を掴んで遮った。
光は怪物の腕を焼く。即座に響いた叫びは驚愕か、或いは悲鳴か。その様を睨みつける健人の顔、その右半分は、骸骨を思わせる姿となっていた。
怪物を払いのけながら、変わっていく自身の姿。気づけば身にまとう服が代わっていた。烏か天狗を思わせる意匠をあしらったその姿、それは――
「なんで、これが…!」
自身の描いていたデジタル画に酷似していた。しかしその動揺を逃すことなく、怪物は健人に今一度迫りくる。その攻撃を辛うじて躱しながら、反撃の手段をイメージすれば、ブレスレットの光から続いて剣が現れた。更に戸惑いながらも健人は右手にそれを取り、怪物に対峙する。迫りくる異形の影、叫びと共にその暗い身体に刃を突き立てると、影はたちまち虚空に溶けて消えた。程なく変化した姿が、元の姿に戻って尚、見開かれた目を震わせる。そしてその視線はブレスレットに注がれた。