6.真実と痛み version 6
6.
「すごく真面目で優秀な、努力家でした」
真壁咲良という人、そして沢村智輝が彼女を愛したということ。その説明は、そんな言葉から始まった。
「ただ、彼女はその生真面目で優しい笑顔の裏で、彼女自身を囲むものに心を砕きすぎていたんです。けれど私は、彼女をそんな笑顔から好きになってしまった人間だった」
沢村は悔恨に眉をひそめる。またその言葉から彼の葛藤が垣間見えた。そしてそれは、健人の内の"ある記憶"を揺さぶった。
"この夜にあなたが私に優しくしてくれたこと、覚えててねーー"
だが、想起される思い出に今は頭を振り、目の前の話に意識を向け直す。
「彼女を楽にして上げたい反面、彼女の抱える思いを充分に理解しきれていなかった。それで互いにずっと苦しんでいたんです」
「彼女を楽にして上げたい反面、彼女の抱える思いを置いて先走ったり、すれ違ったり。それで互いにずっと苦しんでいたんです」
「…事件が起きた頃合いは、どうでした?」
「二人とも、今話した思いに疲弊していました」
初樹が間合いを見て差し込んだ問いに対し、沢村は一つ間を置いて答えた。その応答には嗚咽にも似た小さな溜め息が混じっていた。
「そして事が起きて…警察の方に、私から彼女と私の抱えている苦痛を話すことは躊躇われた。疲弊していた私はふとその時…その一瞬だけ、世間体を気にしたんです」
「それで世間体って言っても…」
「うん、それは失踪届けと併せて、家族がするような話でもある」
健人と初樹の提示した疑問に、沢村は目を伏せる。そして静かにこう言った。
「いえ、あのご家族は全ては話さなかったでしょう。咲良はいつか言っていました。"家族は私のことは何もないとしてる"って」
家族に起きた病を認められないというのは、精神のそれに於いてはある話だ。専攻していた学問の性質上、そう理解はしていた。しかし、家族のことだ。まるで臭い物に蓋をするその考えに、健人は顔を歪めた。
「そういうことですか…真壁さんの母親の、自責の理由。読み違えていた」
初樹も得心しながら眉根を寄せる。その生真面目さ故に心が疲弊し、精神的困難を抱えた真壁咲良。それを受容しきれず、彼女は尚も笑顔を作ってきた。近しい者もその病みを受容しようとせず、また理解しようとした恋人との関係にも、その困難が付きまとっていた。
「ですがね、彼女の家族が彼女の困難を認めなかったとしても、私が彼女の存在から一瞬でも逃げようとしたことは、言い訳できない。その狭間で揺らいでいたあの時は、安場佐田のご主人に、窘められた思いでした。」
「申し上げにくいのですが、彼女が失踪したのです」
「ですが、何か言いにくい思いもあったのでしょう?」
沢村のその言葉に、健人は彼と出会った時の佐田が、憮然としていたことの意味を理解した。あんな状況で佐田にできる返答は、あれが最大限のものだったのだろう。そして沢村はその後、本気で彼女の真相と向き合うために、安場佐田であのロケット二つを買った。その文脈がようやく読み取れた。
「そのことを受けて思いました。私は彼女を幸せに出来なかったとして、何を差し置いてでもこれだけは、譲れない。逃げられないと」
そう語る沢村の顔、覚悟が刻まれた瞳には、真摯な光が宿っていた。その光に、健人は"ならば自分はどうだ?"と自問した。左手のブレスレットに目を向ける。友から渡されたそれは、怪物に抗う力を花森健人に与えた。そのことが意味するものが何か。自分はそれから、逃げられるだろうか。"あの友の優しさ"に、目を背けられるだろうか。自分はなぜ、このブレスレットを着けているのか。初樹や沢村も、逃れられない中で足掻いている。俺はどうする?俺はーー。
そう語る沢村の顔、覚悟が刻まれた瞳には、真摯な光が宿っていた。
「こんな思いが、花森さんの問いかけへの回答になっているかは解りませんが…私はそんな思いです」
その光に対し、健人は自問する。
"ならば自分はどうだ?"
左手のブレスレットに目を向ける。友から渡されたそれは、怪物に抗う力を花森健人に与えた。そのことが意味するものが何か。自分はそれから、逃げられるだろうか。"あの友の優しさ"に、目を背けられるだろうか。自分はなぜ、このブレスレットを着けているのか。初樹や沢村も、逃れられない中で足掻いている。俺はどうする?俺はーー。
「…俺も、逃げられないか」
「花っちーー」
「わかってる、ハッサン。やれるだけ、やってみるさ」
その言葉に、初樹が強く頷いた。「わかってる、ハッサン。やれるだけやってみるさ」
強く閉じた目を開き、告げた言葉。それに初樹が強く頷いた。その様に沢村は一つ息を吸い、感謝を述べる。
「ありがとう。花森さん、桧山さん」
「いえ…あ、それとお返しするものがあったんです」
そうして健人は真壁咲良の指輪を、送り主である沢村の前に置いた。それを見る沢村の顔は、物悲しいようにも、慈しんでいるようにも見えたが、その全てを窺い知ることだけは出来なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ただ、具体的にどうする?これから先…」
「俺としては、ここで攻めたいと思っている」
「攻める…というと?」
「今のところ、俺たちは連中に不意を突かれて動いている。でもここでは、こちらからあのサクラに迫り、更なる真相に近づきたいということです。花っちがダメージを与えた今がチャンスだ」
「でも、あのサクラは言葉が通じそうにないぞ。それに、またあの黒コートの男が来る可能性もある。そうなると俺も抑えられない」
「黒コートの男というのは…」
「怪物を指揮している奴がいるみたいなんです。そいつも昨日、現れて」
「待ってください。その人物が事に関わっている可能性は?」
「かなり濃厚だと思います。ただ、無茶苦茶強い」
「何か、策が要るのは間違いないか…」
「花っち、悪いが戦ってもらえるか?先にサクラを抑えよう」
「さっきも言ったが…やってみるさ」
「だが倒しはしない。言い方は悪いが人質に取る」
「人質って言うと…」
「黒コートの男に対してだよ。奴は昨日の戦いで花っちの前に立ち塞がって、サクラを庇って去っていった。なら恐らく、その損失は奴にとってはマイナスなんだ」
「なるほど。そこでその人物から真相を引き出すわけですか」
「ええ、上手くいけば真壁さんに辿り着くこともできる」
「ただ、そうなると黒コートとの交戦も避けられないんじゃないか?アイツは一対一でも危険だ。退路も考えとかないと」
「それにはサクラの解放のタイミングが関わってくるな」
「…退路に関しては、もう一つ確実な要素が欲しいところです」
「ええ、そこですよね」
「…奴は周囲の人の注意を引くことを、嫌っているようだった」
「注意を嫌う?」
「嫌うっていうか、忌避してるって感じか。大学で襲われた時は、それで退いていったよ」
「なるほど…それなら花っち、サクラを無力化した後、そのままサクラを抱えて人前に出ることは出来そうか?」
「そういうことか…多分二つ問題がある。変身してからも俺、顔が出てるから後がな…っていうのと、他の人を巻き込んでしまうのは良くない」
「いや、奴自身が目立つ行為を忌避するなら、人を巻き込むことは考えにくい。顔はベタにマスクとかで対処できる。退路確保の可能性が上がるのはでかいしな」
「マスクか…」
「やっぱ嫌か?」
「まあな…けど手段は選べない」
「すごく真面目で優秀な、努力家でした」
真壁咲良という人、そして沢村智輝が彼女を愛したということ。その説明は、そんな言葉から始まった。
「ただ、彼女はその生真面目で優しい笑顔の裏で、彼女自身を囲むものに心を砕きすぎていたんです。けれど私は、彼女をそんな笑顔から好きになってしまった人間だった」
沢村は悔恨に眉をひそめる。またその言葉から彼の葛藤が垣間見えた。そしてそれは、健人の内の"ある記憶"を揺さぶった。
"この夜にあなたが私に優しくしてくれたこと、覚えててねーー"
だが、想起される思い出に今は頭を振り、目の前の話に意識を向け直す。
「彼女を楽にして上げたい反面、彼女の抱える思いを置いて先走ったり、すれ違ったり。それで互いにずっと苦しんでいたんです」
「…事件が起きた頃合いは、どうでした?」
「二人とも、今話した思いに疲弊していました」
初樹が間合いを見て差し込んだ問いに対し、沢村は一つ間を置いて答えた。その応答には嗚咽にも似た小さな溜め息が混じっていた。
「そして事が起きて…警察の方に、私から彼女と私の抱えている苦痛を話すことは躊躇われた。疲弊していた私はふとその時…その一瞬だけ、世間体を気にしたんです」
「それで世間体って言っても…」
「うん、それは失踪届けと併せて、家族がするような話でもある」
健人と初樹の提示した疑問に、沢村は目を伏せる。そして静かにこう言った。
「いえ、あのご家族は全ては話さなかったでしょう。咲良はいつか言っていました。"家族は私のことは何もないとしてる"って」
家族に起きた病を認められないというのは、精神のそれに於いてはある話だ。専攻していた学問の性質上、そう理解はしていた。しかし、家族のことだ。まるで臭い物に蓋をするその考えに、健人は顔を歪めた。
「そういうことですか…真壁さんの母親の、自責の理由。読み違えていた」
初樹も得心しながら眉根を寄せる。その生真面目さ故に心が疲弊し、精神的困難を抱えた真壁咲良。それを受容しきれず、彼女は尚も笑顔を作ってきた。近しい者もその病みを受容しようとせず、また理解しようとした恋人との関係にも、その困難が付きまとっていた。
「ですがね、彼女の家族が彼女の困難を認めなかったとしても、私が彼女の存在から一瞬でも逃げようとしたことは、言い訳できない。その狭間で揺らいでいたあの時は、安場佐田のご主人に、窘められた思いでした。」
「申し上げにくいのですが、彼女が失踪したのです」
「ですが、何か言いにくい思いもあったのでしょう?」
沢村のその言葉に、健人は彼と出会った時の佐田が、憮然としていたことの意味を理解した。あんな状況で佐田にできる返答は、あれが最大限のものだったのだろう。そして沢村はその後、本気で彼女の真相と向き合うために、安場佐田であのロケット二つを買った。その文脈がようやく読み取れた。
「そのことを受けて思いました。私は彼女を幸せに出来なかったとして、何を差し置いてでもこれだけは、譲れない。逃げられないと」
そう語る沢村の顔、覚悟が刻まれた瞳には、真摯な光が宿っていた。
「こんな思いが、花森さんの問いかけへの回答になっているかは解りませんが…私はそんな思いです」
その光に対し、健人は自問する。
"ならば自分はどうだ?"
左手のブレスレットに目を向ける。友から渡されたそれは、怪物に抗う力を花森健人に与えた。そのことが意味するものが何か。自分はそれから、逃げられるだろうか。"あの友の優しさ"に、目を背けられるだろうか。自分はなぜ、このブレスレットを着けているのか。初樹や沢村も、逃れられない中で足掻いている。俺はどうする?俺はーー。
「…俺も、逃げられないか」
「花っちーー」
「わかってる、ハッサン。やれるだけやってみるさ」
強く閉じた目を開き、告げた言葉。それに初樹が強く頷いた。その様に沢村は一つ息を吸い、感謝を述べる。
「ありがとう。花森さん、桧山さん」
「いえ…あ、それとお返しするものがあったんです」
そうして健人は真壁咲良の指輪を、送り主である沢村の前に置いた。それを見る沢村の顔は、物悲しいようにも、慈しんでいるようにも見えたが、その全てを窺い知ることだけは出来なかった。
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「ただ、具体的にどうする?これから先…」
「俺としては、ここで攻めたいと思っている」
「攻める…というと?」
「今のところ、俺たちは連中に不意を突かれて動いている。でもここでは、こちらからあのサクラに迫り、更なる真相に近づきたいということです。花っちがダメージを与えた今がチャンスだ」
「でも、あのサクラは言葉が通じそうにないぞ。それに、またあの黒コートの男が来る可能性もある。そうなると俺も抑えられない」
「黒コートの男というのは…」
「怪物を指揮している奴がいるみたいなんです。そいつも昨日、現れて」
「待ってください。その人物が事に関わっている可能性は?」
「かなり濃厚だと思います。ただ、無茶苦茶強い」
「何か、策が要るのは間違いないか…」
「花っち、悪いが戦ってもらえるか?先にサクラを抑えよう」
「さっきも言ったが…やってみるさ」
「だが倒しはしない。言い方は悪いが人質に取る」
「人質って言うと…」
「黒コートの男に対してだよ。奴は昨日の戦いで花っちの前に立ち塞がって、サクラを庇って去っていった。なら恐らく、その損失は奴にとってはマイナスなんだ」
「なるほど。そこでその人物から真相を引き出すわけですか」
「ええ、上手くいけば真壁さんに辿り着くこともできる」
「ただ、そうなると黒コートとの交戦も避けられないんじゃないか?アイツは一対一でも危険だ。退路も考えとかないと」
「それにはサクラの解放のタイミングが関わってくるな」
「…退路に関しては、もう一つ確実な要素が欲しいところです」
「ええ、そこですよね」
「…奴は周囲の人の注意を引くことを、嫌っているようだった」
「注意を嫌う?」
「嫌うっていうか、忌避してるって感じか。大学で襲われた時は、それで退いていったよ」
「なるほど…それなら花っち、サクラを無力化した後、そのままサクラを抱えて人前に出ることは出来そうか?」
「そういうことか…多分二つ問題がある。変身してからも俺、顔が出てるから後がな…っていうのと、他の人を巻き込んでしまうのは良くない」
「いや、奴自身が目立つ行為を忌避するなら、人を巻き込むことは考えにくい。顔はベタにマスクとかで対処できる。退路確保の可能性が上がるのはでかいしな」
「マスクか…」
「やっぱ嫌か?」
「まあな…けど手段は選べない」