自分史、私 version 20

2021/01/18 12:11 by reisekiya018
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私の自分史、私
# はしがき

  私は、死んでいないだなのかれな
まず初めに、私はここに色恋沙汰やネガティヴすぎるよう、同情を誘う様な出来事は一切書かな。
理由は様々が、あまり書くのは好きではだ。
今らここに、私の18年間を書き記す訳だが、私はこの自分史を通て、今一度、霞のように消えかかってる過去を振り返り、

 私は、あまり過去にこだわりが無く、(そもそも覚えていないものが多いのだが)生きることに固執しているわけでもない。
しかし、死にたいなどとは思っていない。生きる意味などない、などと思っているわけでもない。
これがわからなかった。これは、私自身、とても知りたいことであった。

今からここに、私の18年間を書き記す訳だが、私はこの自分史を通して、今一度、霞のように消えかかっている過去を振り返り、あわよくばこの「死んでいないだけ」の状況に光が差せば、などと思っている。

# 高校生

ウイルスや思想に左右され、惑う事態になっている。私もまたその一人であった。
都内の専門学校(音楽関係)への進学が決まった私は、今以上に、この混乱の渦に巻き込まれぬ様にならなければいけない。

2019年11月22日に初めて確認されたとされるウイルス性肺炎。当時高校2年生だった私は、ちょうど、政治やニュースに関心を持ち始めていた頃だった。
国内での流行は2020年に入ってからだったため、当時は今ほど大きく報道されてはいなかったが、非常に恐怖した記憶がある。
未知のウイルスの発生、拡大はもちろん恐ろしいと感じていたが、私が当時何より恐れていたのは、不確かな情報による大衆の混乱であった。(私含め)
この様なことになる前、大体高校入学時まで一旦遡ってみる。
はっきり言うと私は自分から望んでこの学校に来たわけではなかった。当時の私はやりたい事もないまま高校入学を迎えた訳だが、まあ、ある程度楽しく過ごせれば良いだろう、といった具合だった。今現在はどうであれ、入学当初から仲の良くなった人もありがたいことに多かった。
部活動は、入学前から、軽音楽部に入部しようと決めていた。これは大きな選択だった。
ベーシストとして軽音楽部に入部した。初めて楽器を始めた。
軽音楽部での様々な出逢いは、とても良いものであった。入部当時の部長は、今現在も関わりがある。同い年の友人、バンドメンバーも出来た。
本格的に音楽に興味を持つようになったのは高校2年生の夏頃だった。
大きなきっかけなどがあった訳では無かった。先輩のライブを観に行ったり、自分がライブをしたり、様々なライブハウスに、観る側や演る側で足を運んだ。
そういったことの積み重ねで、音楽への興味がだんだん強くなっていった。
いつからか曲を作り、いつからかギターを持った。

この高校に入学して良かったことは、間違いなく、軽音楽部に出会えた事だと思う。

# 中学生

先述の通り、やりたい事が無かった中学3年生、普通の男子。
珍しく友達もある程度いた気がする。
中学校は春日部市立中野中学校というところだ。全学年4クラスだった。
今思い返すと、中学3年生の頃は、少し反抗期があった様な気がする。
両親が発する言葉1つ1つに、私は圧迫されている様に思えた。当時、それはかなりのストレスだった。
当時の偏差値は57ほどだった。勉強は本当に嫌いであったため、偏差値ギリギリの所への挑戦は全くといっていいほど望んでおらず、偏差値40台の学校で十分だと思っていた。初めての受験という      

はしがき

まず初めに、私はここに、色恋沙汰やネガティヴすぎるような、同情を誘う様な出来事は一切書かない。
理由は様々だが、あまり書くのは好きではないのだ。
今からここに、私の18年間を書き記す訳だが、私はこの自分史を通して、今一度、霞のように消えかかっている過去を振り返り、

高校生

ウイルスや思想に左右され、惑う事態になっている。私もまたその一人であった。
都内の専門学校(音楽関係)への進学が決まった私は、今以上に、この混乱の渦に巻き込まれぬ様にならなければいけない。

2019年11月22日に初めて確認されたとされるウイルス性肺炎。当時高校2年生だった私は、ちょうど、政治やニュースに関心を持ち始めていた頃だった。
国内での流行は2020年に入ってからだったため、当時は今ほど大きく報道されてはいなかったが、非常に恐怖した記憶がある。
未知のウイルスの発生、拡大はもちろん恐ろしいと感じていたが、私が当時何より恐れていたのは、不確かな情報による大衆の混乱であった。(私含め)
この様なことになる前、大体高校入学時まで一旦遡ってみる。
はっきり言うと私は自分から望んでこの学校に来たわけではなかった。当時の私はやりたい事もないまま高校入学を迎えた訳だが、まあ、ある程度楽しく過ごせれば良いだろう、といった具合だった。今現在はどうであれ、入学当初から仲の良くなった人もありがたいことに多かった。
部活動は、入学前から、軽音楽部に入部しようと決めていた。これは大きな選択だった。
ベーシストとして軽音楽部に入部した。初めて楽器を始めた。
軽音楽部での様々な出逢いは、とても良いものであった。入部当時の部長は、今現在も関わりがある。同い年の友人、バンドメンバーも出来た。
本格的に音楽に興味を持つようになったのは高校2年生の夏頃だった。
大きなきっかけなどがあった訳では無かった。先輩のライブを観に行ったり、自分がライブをしたり、様々なライブハウスに、観る側や演る側で足を運んだ。
そういったことの積み重ねで、音楽への興味がだんだん強くなっていった。
いつからか曲を作り、いつからかギターを持った。

この高校に入学して良かったことは、間違いなく、軽音楽部に出会えた事だと思う。

中学生

先述の通り、やりたい事が無かった中学3年生、普通の男子。
珍しく友達もある程度いた気がする。
中学校は春日部市立中野中学校というところだ。全学年4クラスだった。
今思い返すと、中学3年生の頃は、少し反抗期があった様な気がする。
両親が発する言葉1つ1つに、私は圧迫されている様に思えた。当時、それはかなりのストレスだった。
当時の偏差値は57ほどだった。勉強は本当に嫌いであったため、偏差値ギリギリの所への挑戦は全くといっていいほど望んでおらず、偏差値40台の学校で十分だと思っていた。初めての受験という