これは私たちが紡いだ希望の物語  No.1 1/2 version 47

2022/07/07 08:20 by someone
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これは私たちが紡いだ希望の物語  No.1 1/2 【?】
 2020年、4月12日。その日、朝憬市立朝憬英道大学二回生である花森健人は、同大学B棟3階、第2講義室にて行われる人体の機能と構造の講義に出席していた。
2020年、4月16日。その日、朝憬市立朝憬英道大学二回生である花森健人は、同大学B棟3階、第2講義室にて行われる人体の機能と構造の講義に出席していた。
「…そのためICF、国際生活機能分類では…」
時間は10時51分。単調な講師の話と昼食までもたない空腹、そして気怠さ。既に講義に意識を集中させることが難しい。天を仰ぐように軽く首を逸らし、左目を瞬かせて再度講義を聴くよう努める。しかし、そこに加わる周囲の学生らの小声の数々。それが健人の意識をかき乱す。最早聴講することは投げ出して、彼は前方を向いて時間をやり過ごすことだけに注力していた。そんな折、彼の座す講義室中段の席の一つ前から、男子学生の二人組がある都市伝説を小声で話すのが聞こえてくる。
時間は11時5分。単調な講師の話と昼食までもたない空腹、そして気怠さ。既に講義に意識を集中させることが難しい。天を仰ぐように軽く首を逸らし、左目を瞬かせて再度講義を聴くよう努める。しかし、そこに加わる周囲の学生らの小声の数々。それが健人の意識をかき乱す。最早聴講することは投げ出して、彼は前方を向いて時間をやり過ごすことだけに注力していた。そんな折、彼の座す講義室中段の席の一つ前から、男子学生の二人組がある都市伝説を小声で話すのが聞こえてくる。
「また出たって、”赤髪の魔女”」
「お前好きだな、その与太話」
話を振った方の小柄な男子学生が「講義よりは面白いだろ」と渇いた笑みを浮かべて小声で話し続けた。
「それが諸星町の教会近くで怪物と争ってたってSNSでさ…」
「お前その感じ、特撮とかそういうもんの延長で見てんだろ。別に否定はしないけど、俺にそれを話されてもさ」
話を聞くガタイのいい男子学生がその大きな肩を竦ませ、呆れた口調で返す。
「なんだよ…なんか、イケてんじゃん。赤髪の魔女」
「お前、ミーハーだな…」
ガタイから小柄へ発された言葉に共感し、健人は小柄の方を冷ややかに見るものの、気が付けば講義よりもそちらの話ばかりを耳が拾っていた。最終的に講師が講義終了を告げると同時に、健人の胸中には苦い自己嫌悪が広がる。講師と学生らがそれぞれの荷物をまとめて講義室を後にする中、同じゼミに所属する友人——横尾和明が上の空である健人の下にやってきてその肩を叩いた。
「お疲れ、花っち」
「ああ、お疲れカズさん」
「どした?また夜更かしして絵でも描いてたのか?」
心ここに在らず。そんな健人のうだつの上がらない声に、和明は苦笑しながらその理由を問う。
「いや、それが…何て言うかさ…」
「うん、どした?」
「何で俺、この勉強してるんだっけって思ってさ」
話はそこで一瞬間が空いた。和明の口から「…え?」という一音だけがポツリと零れる。
「…とりあえずちょい早いけど、飯行く?」
「…とりあえず、まあ飯行く?」
「行く。腹減った」
怪訝な顔と共に言った和明の一言に即答し、健人は傍らのショルダーバッグを掴んで席を立った。

「なんか最近花っち、ボーっとしてること多いけど…さっき言ったの、深刻なやつ?」
「深刻、なのかな?それもぼんやりしててさ」
英道大学の学食。その食堂にて、熱い醤油ラーメンに息を吹き掛けて冷ましながら和明が言った。健人は唐揚げ定食のキャベツを貪る合間にそれに応える。どんぶりから立ち上る熱い湯気に和明の眼鏡が曇った。
「モラトリアムだな~」
「俺もそう思う…まあ、そういう奴もいるさ」
和明の感想の一言に対し、健人は苦笑しつつ応え、唐揚げを口に入れた。肉の旨味と油、柔らかさに、続くご飯が大口を開けた中へと消えていく。ラーメンを啜る和明の眼鏡は未だに曇っていた。やがて咀嚼と嚥下を一先ず終えると、健人は努めて軽い口調で話し始める。
和明の感想の一言に対し、健人は苦笑しつつ応え、唐揚げを口に入れた。肉の旨味と油、柔らかさに、続くご飯が大口を開けた中へと消えていく。ラーメンを啜る和明の眼鏡は未だに曇っていた。やがて咀嚼と嚥下を一先ず終えると、健人はふと口を開いて努めて軽い口調で話し始める。
「自分が信じてたものが、ここしばらくわからなくてさ」
「ここしばらくってどれくらい?」
「2年ちょい」
和明の持った箸の先が、ラーメンのスープに浸かったまま止まった。
「…長いな、ていうか高校からか。信じてたものって、どんなのか聞いてもいい?」
丁寧に尋ねる和明に友人としての誠実さを感じる。だが健人は僅かに俯いてラーメンのどんぶりに視線を外した。しかしその目の端には、眼鏡の向こうで和明の目が少し動いたのが見えた。
「人を思ってた自分、かな」
和明は頷くと一瞬だけ眉根を寄せる。健人もドリンクのウーロン茶にしか手が伸びなかった。
その言葉に、和明は一瞬だけ眉根を寄せる。健人もドリンクのウーロン茶にしか手が伸びなかった。
「…深刻じゃん」
「やっぱ?」
「少なくとも、確かに学業の目的には関わるな…でも…」
その真剣な表情の前で両腕を組む姿は、健人の胸に一瞬沈鬱なものを抱かせる。だが次に続く言葉に健人は呆気にとられた。
「とりあえず食おう!このままじゃ飯が冷める、大事なことだし食べてから考えよう!」
そして一瞬間が空いたところに「…マズかった?」と問う和明。その動揺が見られる様に健人は思わず笑った。
「そうだな、確かにラーメン伸びるし飯もカピカピになるわ、これじゃあ」
笑い声と共に頷き、唐揚げとご飯を平らげんとする健人を和明はじっと睨む。しかし次には和明も静かに笑い、レンゲでスープを掬っていた。
「まあ、話せる時にでも話しな。もし花っちが良ければ聞くから」
「助かるカズさん、甘えるわ…俺には今そういうのが要るんだ。多分」
そんな和明の様に、健人はようやく自身の思いを伝える。そうして唐揚げの最後の一個を口に入れた。

「少なくとも、確かに学業の目的には関わるな…」
ラーメンを置いて、真剣な表情を浮かべる和明。その姿は、健人の胸に一瞬沈鬱なものを抱かせた。あまり考えたくないし、あまり考えさせたくはない。気が付けばウーロン茶だけがますます消費されていった。
「逆にさ、人を思ってた切っ掛けって、何かあった?」
やがて繰り出された言葉に対してバツの悪さを感じ、遂に健人の手が止まる。続けられる話題から、胸の内に仕舞った思いに関して問われ、健人は困惑を抱いた。それが不意に顔に出る。
「…悪い、花っち。大丈夫か?」
健人は自分がどんな顔をしているのか、それさえ取り繕えなかった。恐らくぎこちなく笑う事しかできなかったのだろう。和明のこちらを見遣る神妙な表情から、そのことを感じ取った。
「ああ…大丈夫。ちょっと、考えちゃってさ」
「ごめん…ベタな考えだけど、何か力になれないかと思ってさ」
健人は視線を和明から逸らし、少し俯く。しばし流れる静寂と沈黙。しかしやがて耐え切れなくなり、健人は目を細めながら、ポツリと呟くように和明に投げかけた。
「そういうの、思い出していいものなのかな…?」
「えっ…」
「…今更、面倒なんだ」
今度の自分の顔は、どんなものだったのだろうか。しかしそこに注意を払う余裕は、尚も健人には無かった。だが、和明はその言葉を受けつつ、健人に向けて静かに問いを返す。
「思い出したく、無いんだな?」
「…悪い、やっぱ上手く言えない」
誰かに胸の内を聴かせることに伴う不安。真に人と共有することの難しい苦さの吐露は、その一端を垣間見せるだけでも、知らず健人の意識に張り詰めた感覚を抱かせた。
「そうか。なら今はいいんだと思う」
しかしその緊張は和明の肯定によって解け、知らぬ間に緩められる。健人は僅かに顔を上げて和明を見た。
「必要なら思い出せると思う、そうじゃないなら面倒でいいんだ」
「必要なら、か…」
「うん、花っちの思いなんだから。花っちが必要なら、必要な時に思い出していいと思う」
そんな和明の言葉に、健人はどこか”自然さ”を感じ取った。自らを縛り付けるような頑なさなどはなく、流動する自身の思いと在り様を踏まえて対処すること。そういった視座が、和明の言う”必要なら”から見て取れた。
「寧ろ、俺が話を振るべきじゃなかった」
「いや…実際これ、俺が一番執着してることだから。それは自分でわかる…ありがとな、カズさん」
そこまで話してようやく、健人は冷めた唐揚げ定食へと再度箸を進める。
「いや、足しになったら良かったんだが…深堀しすぎたな」
和明もまた、そこで話を切ると伸びてしまったラーメンを啜った。
 
そこは何処かの廃工場。暗がりの中で佇む長髪の男が、羽織っている黒コートを翻して振り向く。そこにはクモを思わせる異形の人型があった。今まさに天井から垂らした糸を右手で握り、クモはスルスルとその場に降り立つ。
「アハト…諜報部隊の君が私に言伝か。どういう風の吹き回しだ」
黒コートは憮然として言った。クモ——アハトを半ば睨みつけるように、鋭い眼をそちらに向ける。
「ヴェムルア様、まずはこちらの要請に応じてくださり感謝致し…」
「下らん前置きはいい。状況を説明してもらおう」
自身の謝辞を切り伏せられたアハトは一瞬、反応の間を開けた。しかし黒コート——ヴェムルアがそれに構うことは無く、その態度を崩すことも無い。アハトは鼻を鳴らしながらも、静かに説明を始めた。
「我々諜報部隊が予ねてから追っておりました、さるアズが見つかりました」
「私にそれを狩れと?」
「お察しの通りです。奴らは何かと面倒ですから」
事務的に響くアハトの言葉に、事務的に上役としての返しをするヴェムルア。アハトの即答にヴェムルアは自身の内で独り言ちる。この場をいち早く去りたいのは貴様だけではない。しかし――
「私以外に適任がいるだろう?」
「そこは個にして一軍に匹敵する力を誇る、ヴェムルア様にとの声が上がりまして」
「ただの閑職だ。余計な飾り立てをするな」
そう言って尚も食い下がるヴェムルアに、遂にアハトも溜息を隠さなくなった。アハトは携えた情報端末を起動させると、ヴェムルアに向けて一歩進み、虚空に映し出された電子文書を彼に突き出す。そこに表記されたものを見遣ると、ヴェムルアは目を見開いた。その様に肩を竦めるも、すぐにアハトはヴェムルアの目を見据えて告げる。
「事態は急を要します。我々全体に関わる」
そのアハトの丸く黒い四つ目を、ヴェムルアもまた真っ直ぐに見るとこう返した。
「…了解した。それで、このアズの女は何者だ?手元の情報は全て寄越せ」
電子文書の上に重ねて表示される画像には、標的たる美しい女の姿が小さく表記されていた。

「そういや逆にさ、人を大切にしたい切っ掛けって、何かあった?」
次の講義である社会福祉援助技術総論が始まるのを、大学のB棟2階の第1講義室で待っていた時だった。健人は自身の一つ前の席に座る和明から、振り返ってそう問われた。バツが悪い。不意に続けられる先の話題と、それに関することを問われて困惑する。そうした切っ掛けや理由は、以前なら回答もある程度容易かった。しかし今は、どうにも胸中が搔き毟られるような違和と不具合に、言葉が殆ど浮かぶことすらない。
「…悪い、花っち。大丈夫か?」
健人は自分がどんな顔をしているのか、それさえ取り繕えないが、恐らくぎこちなく笑う事しかできなかったのだろう。和明のこちらを見遣る神妙な表情から、そのことを感じ取った。
「ああ…大丈夫。ちょっと、考えちゃってさ」
「ごめん…ベタな考えだけど、何か力になれないかと思ってさ」
健人は視線を和明から逸らし、少し俯く。座していた講義室の長机の上で両手を組み、そのまま押し黙った。和明もそこで、健人から少しずつ視線を離し、前に向き直るとそこで言葉を切る。しばし流れる静寂と沈黙。しかしやがて耐え切れなくなり、健人は目を細めながら、ポツリと呟くように和明に投げかけた。
「そういうの、思い出していいものなのかな…?」
「えっ…」
「…今更、面倒なんだ」
今度の自分の顔は、どんなものだったのだろうか。しかしそこに注意を払う余裕は、尚も健人には無かった。だが、再度振り返った和明はその言葉を受けつつ、健人の細められた目から自身のそれを離さない。
「思い出したく、無いんだな?」
「…悪い、やっぱ上手く言えない」
対して健人は和明からの真摯な眼差しを見返すことができず、その顔は再度斜め下を向いた。誰かに胸の内を聴かせることに伴う不安。真に人と共有することの難しい苦さの吐露は、その一端を垣間見せるだけでも、知らず健人の意識に張り詰めた感覚を抱かせる。
「そうか。なら今はいいんだと思う」
「えっ」
しかしその緊張は、和明の肯定によって解け、机の上の両手は知らぬ間に緩められた。健人は僅かに顔を上げて和明を見る。
「必要なら思い出せると思う、そうじゃないなら面倒でいいんだ」
「必要なら、か…」
「うん、花っちの思いなんだから。花っちが必要なら、必要な時に思い出したらいいと思うよ」
そんな和明の言葉に、健人はどこか”自然さ”を感じた。自らを縛り付けるような頑なさなどはなく、流動する自身の思いと在り様を踏まえて対処すること。そういった視座が、和明の言う”必要なら”から見て取れた。
「寧ろ、俺が話を振るべきじゃなかった…」
「いや…実際これ、俺が一番執着してることだから。それは自分でわかるんだ」
自然さを持つ必要と同時に、それを阻む自身の頑なさ、執着の大きさも感じる。流動しゆく自身を堰き止める大きな鬱積がそこにはあった。和明に向けて"思い出す"と表現こそしたが、忘れたことなどない。誰かの力になりたかったから、福祉という人の生活の困難と幸福に関わる学問を専攻した。だが今、疲れ果てて尚、その思いと記憶は健人の中でこびり付き、腐敗臭を放っている。そう想起しながら健人は教卓の頭上にある時計を見ると、講義の開始時間が迫っていた。徐々に他の学生たちも第1講義室に入室し始めている。
「でも、ありがとうカズさん。ちょっと自分のペース取り戻さないとな」
「足しになれたら良かったよ」
そう言葉を交わすと、和明は年配の講師の入ってきた教卓に顔を向ける。健人は一瞬自身のスマートフォンを取り出すと、メールアプリを開いてあるアドレスを検索した。使われなくなって久しいそのアドレスだったが、昔やり取りした記録をどうにか探し当てる。
「ミユ姉…」
アドレスの主の名をそう呟くと、健人はメール作成画面を開いた状態でスマートフォンの画面を一度消した。



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###### //モルです。エクリプス側が民衆に対して堂々と宣戦布告をするのは今後の展開が大きく変わりそうなので懸念してます。もし意図があれば聞きたい…! それと、この時点でもう警察や消防は6〜7割がた機能してないと考えていい…?
###### //なるほど…。宣戦布告することでモルが懸念しているのは「これから被害に遭う全ての人が事前にエクリプスを知っていて、恐怖の対象として認知している」という状況になることなので、その状況の方が都合がよければこのままで大丈夫です。それとこの懸念は、この一件が報道機関によって公的に報道された場合の話なので、それがなければ全ての人がエクリプスを認知している状況にもならないので安心してほしい…。それともう一件、健人が赤髪の魔女に遭遇するのが早いような気がするけど、ここで会わせたのにもなにか意図があれば聞いておきたい…
###### //ギルです。一連の文章を修正し始めました。先日ここに書いてた色々は諸事情があってプロットから書き直してます。後日、別項目にギルのプロットと銘打って上げますので、モルにはご理解頂きたく…樋川梨沙は後で登場するかもです(^^;      

2020年、4月16日。その日、朝憬市立朝憬英道大学二回生である花森健人は、同大学B棟3階、第2講義室にて行われる人体の機能と構造の講義に出席していた。
「…そのためICF、国際生活機能分類では…」
時間は11時57分。単調な講師の話と昼食までもたない空腹、そして気怠さ。既に講義に意識を集中させることが難しい。天を仰ぐように軽く首を逸らし、左目を瞬かせて再度講義を聴くよう努める。しかし、そこに加わる周囲の学生らの小声の数々。それが健人の意識をかき乱す。最早聴講することは投げ出して、彼は前方を向いて時間をやり過ごすことだけに注力していた。そんな折、彼の座す講義室中段の席の一つ前から、男子学生の二人組がある都市伝説を小声で話すのが聞こえてくる。
「また出たって、”赤髪の魔女”」
「お前好きだな、その与太話」
話を振った方の小柄な男子学生が「講義よりは面白いだろ」と渇いた笑みを浮かべて小声で話し続けた。
「それが諸星町の教会近くで怪物と争ってたってSNSでさ…」
「お前その感じ、特撮とかそういうもんの延長で見てんだろ。別に否定はしないけど、俺にそれを話されてもさ」
話を聞くガタイのいい男子学生がその大きな肩を竦ませ、呆れた口調で返す。
「なんだよ…なんか、イケてんじゃん。赤髪の魔女」
「お前、ミーハーだな…」
ガタイから小柄へ発された言葉に共感し、健人は小柄の方を冷ややかに見るものの、気が付けば講義よりもそちらの話ばかりを耳が拾っていた。最終的に講師が講義終了を告げると同時に、健人の胸中には苦い自己嫌悪が広がる。講師と学生らがそれぞれの荷物をまとめて講義室を後にする中、同じゼミに所属する友人——横尾和明が上の空である健人の下にやってきてその肩を叩いた。
「お疲れ、花っち」
「ああ、お疲れカズさん」
「どした?また夜更かしして絵でも描いてたのか?」
心ここに在らず。そんな健人のうだつの上がらない声に、和明は苦笑しながらその理由を問う。
「いや、それが…何て言うかさ…」
「うん、どした?」
「何で俺、この勉強してるんだっけって思ってさ」
話はそこで一瞬間が空いた。和明の口から「…え?」という一音だけがポツリと零れる。
「…とりあえず、まあ飯行く?」
「行く。腹減った」
怪訝な顔と共に言った和明の一言に即答し、健人は傍らのショルダーバッグを掴んで席を立った。

「なんか最近花っち、ボーっとしてること多いけど…さっき言ったの、深刻なやつ?」
「深刻、なのかな?それもぼんやりしててさ」
英道大学の学食。その食堂にて、熱い醤油ラーメンに息を吹き掛けて冷ましながら和明が言った。健人は唐揚げ定食のキャベツを貪る合間にそれに応える。どんぶりから立ち上る熱い湯気に和明の眼鏡が曇った。
「モラトリアムだな~」
「俺もそう思う…まあ、そういう奴もいるさ」
和明の感想の一言に対し、健人は苦笑しつつ応え、唐揚げを口に入れた。肉の旨味と油、柔らかさに、続くご飯が大口を開けた中へと消えていく。ラーメンを啜る和明の眼鏡は未だに曇っていた。やがて咀嚼と嚥下を一先ず終えると、健人はふと口を開いて努めて軽い口調で話し始める。
「自分が信じてたものが、ここしばらくわからなくてさ」
「ここしばらくってどれくらい?」
「2年ちょい」
和明の持った箸の先が、ラーメンのスープに浸かったまま止まった。
「…長いな、ていうか高校からか。信じてたものって、どんなのか聞いてもいい?」
丁寧に尋ねる和明に友人としての誠実さを感じる。だが健人は僅かに俯いてラーメンのどんぶりに視線を外した。しかしその目の端には、眼鏡の向こうで和明の目が少し動いたのが見えた。
「人を思ってた自分、かな」
その言葉に、和明は一瞬だけ眉根を寄せる。健人もドリンクのウーロン茶にしか手が伸びなかった。
「…深刻じゃん」
「やっぱ?」
「少なくとも、確かに学業の目的には関わるな…」
ラーメンを置いて、真剣な表情を浮かべる和明。その姿は、健人の胸に一瞬沈鬱なものを抱かせた。あまり考えたくないし、あまり考えさせたくはない。気が付けばウーロン茶だけがますます消費されていった。
「逆にさ、人を思ってた切っ掛けって、何かあった?」
やがて繰り出された言葉に対してバツの悪さを感じ、遂に健人の手が止まる。続けられる話題から、胸の内に仕舞った思いに関して問われ、健人は困惑を抱いた。それが不意に顔に出る。
「…悪い、花っち。大丈夫か?」
健人は自分がどんな顔をしているのか、それさえ取り繕えなかった。恐らくぎこちなく笑う事しかできなかったのだろう。和明のこちらを見遣る神妙な表情から、そのことを感じ取った。
「ああ…大丈夫。ちょっと、考えちゃってさ」
「ごめん…ベタな考えだけど、何か力になれないかと思ってさ」
健人は視線を和明から逸らし、少し俯く。しばし流れる静寂と沈黙。しかしやがて耐え切れなくなり、健人は目を細めながら、ポツリと呟くように和明に投げかけた。
「そういうの、思い出していいものなのかな…?」
「えっ…」
「…今更、面倒なんだ」
今度の自分の顔は、どんなものだったのだろうか。しかしそこに注意を払う余裕は、尚も健人には無かった。だが、和明はその言葉を受けつつ、健人に向けて静かに問いを返す。
「思い出したく、無いんだな?」
「…悪い、やっぱ上手く言えない」
誰かに胸の内を聴かせることに伴う不安。真に人と共有することの難しい苦さの吐露は、その一端を垣間見せるだけでも、知らず健人の意識に張り詰めた感覚を抱かせた。
「そうか。なら今はいいんだと思う」
しかしその緊張は和明の肯定によって解け、知らぬ間に緩められる。健人は僅かに顔を上げて和明を見た。
「必要なら思い出せると思う、そうじゃないなら面倒でいいんだ」
「必要なら、か…」
「うん、花っちの思いなんだから。花っちが必要なら、必要な時に思い出していいと思う」
そんな和明の言葉に、健人はどこか”自然さ”を感じ取った。自らを縛り付けるような頑なさなどはなく、流動する自身の思いと在り様を踏まえて対処すること。そういった視座が、和明の言う”必要なら”から見て取れた。
「寧ろ、俺が話を振るべきじゃなかった」
「いや…実際これ、俺が一番執着してることだから。それは自分でわかる…ありがとな、カズさん」
そこまで話してようやく、健人は冷めた唐揚げ定食へと再度箸を進める。
「いや、足しになったら良かったんだが…深堀しすぎたな」
和明もまた、そこで話を切ると伸びてしまったラーメンを啜った。
 
そこは何処かの廃工場。暗がりの中で佇む長髪の男が、羽織っている黒コートを翻して振り向く。そこにはクモを思わせる異形の人型があった。今まさに天井から垂らした糸を右手で握り、クモはスルスルとその場に降り立つ。
「アハト…諜報部隊の君が私に言伝か。どういう風の吹き回しだ」
黒コートは憮然として言った。クモ——アハトを半ば睨みつけるように、鋭い眼をそちらに向ける。
「ヴェムルア様、まずはこちらの要請に応じてくださり感謝致し…」
「下らん前置きはいい。状況を説明してもらおう」
自身の謝辞を切り伏せられたアハトは一瞬、反応の間を開けた。しかし黒コート——ヴェムルアがそれに構うことは無く、その態度を崩すことも無い。アハトは鼻を鳴らしながらも、静かに説明を始めた。
「我々諜報部隊が予ねてから追っておりました、さるアズが見つかりました」
「私にそれを狩れと?」
「お察しの通りです。奴らは何かと面倒ですから」
事務的に響くアハトの言葉に、事務的に上役としての返しをするヴェムルア。アハトの即答にヴェムルアは自身の内で独り言ちる。この場をいち早く去りたいのは貴様だけではない。しかし――
「私以外に適任がいるだろう?」
「そこは個にして一軍に匹敵する力を誇る、ヴェムルア様にとの声が上がりまして」
「ただの閑職だ。余計な飾り立てをするな」
そう言って尚も食い下がるヴェムルアに、遂にアハトも溜息を隠さなくなった。アハトは携えた情報端末を起動させると、ヴェムルアに向けて一歩進み、虚空に映し出された電子文書を彼に突き出す。そこに表記されたものを見遣ると、ヴェムルアは目を見開いた。その様に肩を竦めるも、すぐにアハトはヴェムルアの目を見据えて告げる。
「事態は急を要します。我々全体に関わる」
そのアハトの丸く黒い四つ目を、ヴェムルアもまた真っ直ぐに見るとこう返した。
「…了解した。それで、このアズの女は何者だ?手元の情報は全て寄越せ」
電子文書の上に重ねて表示される画像には、標的たる美しい女の姿が小さく表記されていた。


//モルです。エクリプス側が民衆に対して堂々と宣戦布告をするのは今後の展開が大きく変わりそうなので懸念してます。もし意図があれば聞きたい…! それと、この時点でもう警察や消防は6〜7割がた機能してないと考えていい…?
//なるほど…。宣戦布告することでモルが懸念しているのは「これから被害に遭う全ての人が事前にエクリプスを知っていて、恐怖の対象として認知している」という状況になることなので、その状況の方が都合がよければこのままで大丈夫です。それとこの懸念は、この一件が報道機関によって公的に報道された場合の話なので、それがなければ全ての人がエクリプスを認知している状況にもならないので安心してほしい…。それともう一件、健人が赤髪の魔女に遭遇するのが早いような気がするけど、ここで会わせたのにもなにか意図があれば聞いておきたい…
//ギルです。一連の文章を修正し始めました。先日ここに書いてた色々は諸事情があってプロットから書き直してます。後日、別項目にギルのプロットと銘打って上げますので、モルにはご理解頂きたく…樋川梨沙は後で登場するかもです(^^;