三位一体についての歴史とそれがもたらしたもの version 1
三位一体についての歴史とそれがもたらしたもの
# 三位一体についての歴史とそれがもたらしたもの
かつて初期クリスチャンは、唯一の神はみ父ヤハウェ、キリストはある意味で神性を備えているがみ父より下位の方であると信じていました。
ローマのクレメンス、イグナティオスなどの使徒教父、護教家たちである殉教者ユスティノス、アレクサンドリアのクレメンスなど初期クリスチャンはみんな、キリストが神に造られ、神の下位にいて神に従う者だったという、神とキリストの従属関係にあると教えていました。
でもその後、ギリシャ哲学の影響を受けたエジプト神学が入り込んできます。コロサイ2:8ははっきりと「哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません」と警告されていました。
三位一体、位格、同質という概念は元々ギリシャ哲学、エジプトの神学の特徴でした。その教えを学んでいたアタナシオス、異教徒のコンスタンティヌス皇帝、後の司祭たちにより、聖書の神と異教や哲学の融合が図られました。聖書の唯一神ヤハウェと神性を備えた神の子イエスについての単純明快な教えが、哲学や異教によって複雑怪奇になったのです。出来上がったのは、キリスト教版三位一体です。それが、ローマ帝国の支配者たちの指導の下に開かれた公会議により「正統」とされたのです。そしてコンスタンティヌスは圧力をかけて各地の司教たちにこれを受け入れさせました。
小野垣雅也著「キリスト教の歴史」には、三位一体の「位格、本質」というような概念がギリシャ哲学の概念であり、キリスト教本来のものではないとあります。ウィリアム・ダラント著「The Story of Civilization」にも「キリスト教は異教を破壊したのではなく,逆にそれを採用した。三位一体の考えはエジプトから来たものである」とあるとおりです。
では、この結果は何をもたらしたでしょうか。み言葉が勧めている信仰の一致をもたらし、人々を一層神に近づたでしょうか。答えは明らかです。神を知りたいと願う人々は混乱するようになってしまいました。
例えば…
み父とみ子は同じ者なのに、なんでみ子がみ父に祈ってるの?
ヨハネ17:3でイエスははっきりとみ父に「唯一の神であるあなたと、あなたが遣わしたわたし」と、ご自分とみ父が別存在であると祈ってるのに、一緒の存在なの?
み子が死んだ=神が死んだ?
イエスに祈るの?み父に祈るの??そもそもひとつの神だっけ?
そもそも位格とか本質って何?
など、この教義のせいで、聖書は数多くの矛盾や疑問が出てきて、それをこじつけるために多くの仮説が立てられていきました。でも、相変わらず三位一体説にはいろんなものがあり、統一されていません。残っているのは混乱です。
牧師はよく「三位一体について理解する必要はない、信じるのだ」と言いますが、そもそも聖書の教えではなく異教や哲学を源とした考えなのですから、理解できなくてあまり前なのです。しかし、「公会議により決められたのであれば、三位一体の教義は間違いなく正しい」という信仰がある限り、この混乱は続いてゆくでしょう。一方、「たとえ公会議で決められたことであっても、それが聖書によるはっきりとした裏付けがないのなら、それは間違いでありうる」という見方を持つ人は、常に聖書そのものに立ち返り、聖書の中に真理を探します。
キリストが「わたしの神」と呼ばれた、唯一まことの神、み父だけが全能の神であり、イエスは神の子また神の代理者として極めて重要な立場に任命されているお方であることを理解し、その明快な聖書の教えを土台にして聖書を読むと、すべての内容がはっきりと理解できるようになります。そして、神とキリストについてはっきりと理解できると、神やキリストと深い絆を持つことができます。混乱はなくなります。そして神への信仰の一致がもたらされるのです。
また、極めて大切なこととして、このことが理解できると、み子イエスが「み父とわたしは一つ」「あなた方も一つになる」と言われた言葉にある神の素晴らしいご計画が見えてきます。つまり、『み父とみ子が堅い堅い【愛の絆】で結ばれている』ということ、そして『この堅い愛の絆の中に私達も加わり、すべてのものが結ばれて、全宇宙で愛と一致が実現する』という神の壮大な目標があるということです。
この極めて大切なことを、三位一体の教えがあやふやにしているのです
まとめますと
○三位一体論は、ギリシャ哲学やエジプト宗教の影響を受けた人により、公会議により確立された教えである。それは人々を神のもとに一つにするのではなく、分裂をもたらしだ。み父とみ子にある堅い愛の絆や、それに人間が加わるという神の素晴らしいご計画について理解できなくした
○聖書の教える、唯一まことの神と、神が任命されたイエスキリストについての理解は明快であり、聖書だけを根拠とするこの教えは、人が神を理解し神に近づくのを助け、人類が神のもとに一つになることができる。神のみ子に対する深い愛の絆を理解できる。その上で人間を救い集めるためにみ子を贖いとして犠牲にされたことから、私達への愛がいかに深いかを理解できる。
「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」ヨハネによる福音書 17:3
三位一体についての歴史とそれがもたらしたもの
かつて初期クリスチャンは、唯一の神はみ父ヤハウェ、キリストはある意味で神性を備えているがみ父より下位の方であると信じていました。
ローマのクレメンス、イグナティオスなどの使徒教父、護教家たちである殉教者ユスティノス、アレクサンドリアのクレメンスなど初期クリスチャンはみんな、キリストが神に造られ、神の下位にいて神に従う者だったという、神とキリストの従属関係にあると教えていました。
でもその後、ギリシャ哲学の影響を受けたエジプト神学が入り込んできます。コロサイ2:8ははっきりと「哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません」と警告されていました。
三位一体、位格、同質という概念は元々ギリシャ哲学、エジプトの神学の特徴でした。その教えを学んでいたアタナシオス、異教徒のコンスタンティヌス皇帝、後の司祭たちにより、聖書の神と異教や哲学の融合が図られました。聖書の唯一神ヤハウェと神性を備えた神の子イエスについての単純明快な教えが、哲学や異教によって複雑怪奇になったのです。出来上がったのは、キリスト教版三位一体です。それが、ローマ帝国の支配者たちの指導の下に開かれた公会議により「正統」とされたのです。そしてコンスタンティヌスは圧力をかけて各地の司教たちにこれを受け入れさせました。
小野垣雅也著「キリスト教の歴史」には、三位一体の「位格、本質」というような概念がギリシャ哲学の概念であり、キリスト教本来のものではないとあります。ウィリアム・ダラント著「The Story of Civilization」にも「キリスト教は異教を破壊したのではなく,逆にそれを採用した。三位一体の考えはエジプトから来たものである」とあるとおりです。
では、この結果は何をもたらしたでしょうか。み言葉が勧めている信仰の一致をもたらし、人々を一層神に近づたでしょうか。答えは明らかです。神を知りたいと願う人々は混乱するようになってしまいました。
例えば…
み父とみ子は同じ者なのに、なんでみ子がみ父に祈ってるの?
ヨハネ17:3でイエスははっきりとみ父に「唯一の神であるあなたと、あなたが遣わしたわたし」と、ご自分とみ父が別存在であると祈ってるのに、一緒の存在なの?
み子が死んだ=神が死んだ?
イエスに祈るの?み父に祈るの??そもそもひとつの神だっけ?
そもそも位格とか本質って何?
など、この教義のせいで、聖書は数多くの矛盾や疑問が出てきて、それをこじつけるために多くの仮説が立てられていきました。でも、相変わらず三位一体説にはいろんなものがあり、統一されていません。残っているのは混乱です。
牧師はよく「三位一体について理解する必要はない、信じるのだ」と言いますが、そもそも聖書の教えではなく異教や哲学を源とした考えなのですから、理解できなくてあまり前なのです。しかし、「公会議により決められたのであれば、三位一体の教義は間違いなく正しい」という信仰がある限り、この混乱は続いてゆくでしょう。一方、「たとえ公会議で決められたことであっても、それが聖書によるはっきりとした裏付けがないのなら、それは間違いでありうる」という見方を持つ人は、常に聖書そのものに立ち返り、聖書の中に真理を探します。
キリストが「わたしの神」と呼ばれた、唯一まことの神、み父だけが全能の神であり、イエスは神の子また神の代理者として極めて重要な立場に任命されているお方であることを理解し、その明快な聖書の教えを土台にして聖書を読むと、すべての内容がはっきりと理解できるようになります。そして、神とキリストについてはっきりと理解できると、神やキリストと深い絆を持つことができます。混乱はなくなります。そして神への信仰の一致がもたらされるのです。
また、極めて大切なこととして、このことが理解できると、み子イエスが「み父とわたしは一つ」「あなた方も一つになる」と言われた言葉にある神の素晴らしいご計画が見えてきます。つまり、『み父とみ子が堅い堅い【愛の絆】で結ばれている』ということ、そして『この堅い愛の絆の中に私達も加わり、すべてのものが結ばれて、全宇宙で愛と一致が実現する』という神の壮大な目標があるということです。
この極めて大切なことを、三位一体の教えがあやふやにしているのです
まとめますと
○三位一体論は、ギリシャ哲学やエジプト宗教の影響を受けた人により、公会議により確立された教えである。それは人々を神のもとに一つにするのではなく、分裂をもたらしだ。み父とみ子にある堅い愛の絆や、それに人間が加わるという神の素晴らしいご計画について理解できなくした
○聖書の教える、唯一まことの神と、神が任命されたイエスキリストについての理解は明快であり、聖書だけを根拠とするこの教えは、人が神を理解し神に近づくのを助け、人類が神のもとに一つになることができる。神のみ子に対する深い愛の絆を理解できる。その上で人間を救い集めるためにみ子を贖いとして犠牲にされたことから、私達への愛がいかに深いかを理解できる。
「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」ヨハネによる福音書 17:3