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和明との約束の時間は16時だったが、健人が英道大学に到着したのは15時50分だった。あの後寝坊したのと、自転車が壊されたのを忘れていたのは痛手だった。約束の前に休学届を先に提出するのつもりだったが別の機会にせざるを得ない。ボサボサの頭で身だしなみも最低限となってしまったが、どうにか約束の時間の5分前には西棟3階のC教室にたどり着いた。必要ないかとも思ったが、相手は初対面である以上、一応それがマナーと考えC教室のドアをノックする。
「はい、どうぞ」
程なくして電話で話した声が響いた。
「失礼します」と一声かけてドアを開けると、ボストン型の眼鏡をかけた長身の男子学生が教室の机の一つ、その椅子に腰掛けていた。彼は手元の資料を一つずつ見ているようだったが、程なくその顔が健人の方に向き、「どうも、横尾和明です」と自己紹介をする。
「えっと、電話でも話した花森君ですよね?」
「ええ、花森健人です。英道一回生です」
こちらも自己紹介をしながら会釈した。その後、話が途切れないうちに「…えっと、それで…」と本題に入る方向に会話を促す。だが和明はその言葉を受けつつも話を制し、一つだけ前置きを差し込んだ。
「じゃあ、早速話に入りますか…ただ、話に入る前にタメ口でもいいっすか?俺も一年だし、堅苦しいと話しにくい。これじゃ面接だ」
「ええ…じゃなくて、うん」
健人がそう返すと微笑んだ後、朗らかだった和明の表情が真剣なものへと変わった。
「それじゃ、掛けて…情報共有しよう」
和明は自身が座る机の対面に椅子を運ぶと、掛けるよう促す。そして健人が応じるとそこに持参した資料を拡げ始めた。

拡げられた資料は、A4用紙に記された文書が六枚、画像が不鮮明な写真が二枚、そして和明が調査に用いたものだろう、一冊のノートのとあるページが開かれていた。和明はそれらを解説すべく話し始める。
「これは俺がどうにかして怪事件を調査した記録の幾つかなんだけど…開示できる情報を出来るだけ抜粋してみた」
「…拝見するよ」
健人は文書から読み始めた。文書は一枚ごとに1~2件の個別の事件の情報が記録されており、各事件に関する新聞のスクラップ記事が張り付けられていた。その後の顛末は不明なケースも散見されたが、失踪していたり死亡したケースもあった。その数、9件。
「これ、いつから調べた資料なんだ?」
「一年前から。報道されて世間が認知しているものだけでも6件、あとは怪事件としては公表されていないが、ネットに書き込まれてる事件が3件…俺は把握されていない事件が他にもあると見てる」
思い返せば、高校時代やこの英道大学でもこの怪事件の噂や情報を人が話しているのを聞いてはいた。しかし件数にして聞いてみると、朝憬市のような田舎町でここまで事件が起きているとは思わなかった。
「ネットの方の情報ソースは確か?」
「すぐに全ては開示しづらいけど、現場付近の聞き込みとかして、裏は取ってある」
一先ずはその言葉を受け取りはしたものの、健人はある疑問を抱いた。
「助かった人から話を聞くことは出来なかったのか?」
その問いかけに、「やろうとしてはみたが、厳しくてな…」と苦虫を嚙み潰したような表情で返答する和明。その言葉にはここまで掴む調査における苦労が滲んでいた。
「被害者のうち生きている人の殆どは、昏睡状態や精神障害っていうのかな…その類に陥ってて、公的な人たちが”保護”してるって話だ。他の民間人には介入できない」
「…意識障害や精神障害と来たか…殆どってことは、そうじゃない人もいるのか?」
不意に表情が硬くなりながらも健人が質問を投げかけると、和明が眉を少しひそめた。用心深いが無理もない。扱う事が事だ。「無理にはいいよ」と言おうかとも考えたが、こちらも中途半端な話はできない。五秒ほど間が空いたが、やがて和明は口を開いた。
「花森の事情を聴いてから、判断させてもらいたい」
「…わかった…じゃあその前に、あと一個だけ聞くよ。横尾君はこの怪事件の犯人、どんな奴だと思う?」
鎌をかける格好になったが、彼がこの事件をどう見ているかは把握しておかないと、健人としてもここから先に話を進める術を見出せない。だが回答によっては、こちらの事情を話すこともできる。
「…ふぅ」
和明の口からため息が出た。出会ったばかりの状況で、互いがこの怪事件にどのような認識を持っているか、その核心に迫る格好だ。さあ、どうなる…先ほどより眉根を深く寄せると、和明もまた意を決してそう言った。
「俺も簡単に結論は出せない話だが、手元にある情報から状況を見ると…犯人といえるかはともとかく、”人じゃない何か”が関わってると思う…荒唐無稽と思われるかもだけど」
ありがたい…やはり知っている人がいた。何が彼をその犯人像まで思い至らせたのかは未だわからない。しかし健人は和明の言葉と態度に、ある程度自分の話ができると判断した。
「いや…荒唐無稽じゃない。少なくとも俺には…」
「どういうこと?」と問う和明に、健人も決心を固めて自身の事情の一端を説明する。自身でも不意に表情が硬くなるのが分かるも、その目を見据えて言葉を続けた。
「鎌かけてごめん。ていうのも…」
特異にすぎる事情故に、家族にも話せなかったその言葉。その事実をようやく口から出せる時、健人は大きく息をつく。
「俺、怪物に襲われたんだ」
夕闇の橙と深い群青にC教室のカーテンが揺れる。同じ色に染まった健人と和明の姿は、C教室の床にその影を落としていた。

「怪物に、襲われた…?」
ボストン型眼鏡の向こう、和明の瞳が驚愕に揺れる。「大丈夫、なのか?」と言葉を辛うじて続けるものの、それ以上はすぐに言葉が出ない。
「うん、まあ大丈夫…横尾君が問題なければ。一応精密検査は受けて、結果待ちだけど」
健人の神妙な面持ちは、どこか怯えさえ内包していたように和明には見えた。だがその怯えの中にありながら、この場に臨んで自身の事情を開示した”証言者”。和明はその眼差しから目を背けることは出来ない。機会という意味でも、関わると決めたこの事件から、目を背けない意味でも。和明はその表情に一層真剣さを込め、健人のそれに向ける。
「刺激したら申し訳ないんだけど…何があったんだ?どうやって助かった?或いはそれが…」
「…俺にもよくわからないんだ」
それ以上は健人は口を噤んだ。そこから先は自身の存在、或いは所在に関わる———少なくとも健人はそう考えていた。あの白銀の姿は、色こそ違えど襲ってきた烏と同様、異形だった。この心身の構造にも”人間”というものが少なからずあったとして、そいつはとうとう何処に行ったのか…沈黙と共に、遂に和明の眼差しから目を背けてしまいそうになるその時だった。
「うわああああぁぁぁぁぁぁ!!」
その叫びは西棟の外から3階まで響くほどであり、声音から感じ取れる恐怖も事態の異常性を知らせていた。健人と和明は弾かれたように反応し、顔を見合わせると教室の外に出た。

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