1 モルの手記⑬ 朝憬星供祭 【A】 みんなに公開

まだ暑さの退かないこの時期に、健人はひとり、人混みの中で立ち尽くしていた。
それは、ある人を待つため。健人は誘われてここに来たのだ。
しばらくして彼女は現れる。夜空を想起させる深い青色の浴衣に身を包み、赤い帯を結んだ彼女はいつもと雰囲気が違っていた。
「おまたせ。来てくれたんだ!」
彼女———燎星心羽は、健人を今日のお祭りに誘っていた。江戸時代より伝わる、年に一度の朝憬市伝統のお祭り……とは言っても、今は形骸化してただのお祭りになっているが、通り一帯が屋台で賑わう特別大きなお祭りであることに変わりはない。心羽は友達とまわるはずが、友達に用事が入ってこれなくなったため、独りでまわるよりは……ということらしい。
しかし、誘われたのはつい昨日。もし良ければ来ない?と軽いノリで突然誘われたのだ。一日では何も準備できず、返事もしないまま今日を迎え、Tシャツにジーンズというありふれた格好で、待ち合わせ場所に立ち尽くしていた。
心羽の方は友達とまわる想定で気合いを入れていたのだろう、可愛らしい浴衣を準備していた。
「じゃ、行こっか!人が多いからはぐれないようにね」
心羽に誘導され、健人は屋台の並ぶ通りに足を踏み入れる。

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心羽と屋台を巡ってみて、わかったことがいくつかある。
まず、心羽はなんでも挑戦しようとすること。普通の中学生とは懐事情が違うのもあるのだろうが、屋台を片っ端から巡り、わなげや射的といったゲームには興じて参加し、綿菓子やかき氷などといったお菓子系は必ず買っていった。景品とお菓子とですぐに両手がいっぱいになっていたが、そのことを想定してか大きなマイバッグを持参しており、持ちきれないものはバッグに移していた。
また、おもちゃであっても弓矢の扱いがとても上手いこと。おもちゃの銃を使った射的はそうでもなかったものの、弓矢で射的をしてもいいと知った途端に弓矢に持ち替え、与えられた5本の矢は全て景品に命中させ、そのうちひとつを欲しがっていた隣の男の子にあげていた。
他にも、どうやらりんご飴が好きらしいこと、焼きそばなどお腹が膨れるタイプの食べ物は明確に避けていること、ミニSLなど子ども向けの屋台にも躊躇なく参加し、子どものように満喫すること等がわかった。
そして、お菓子にしろゲームのプレイ券にしろ、必ず健人の分まで買ってくることも。私が誘っただの、一緒にやりたいだの、何かと理由をつけて必ず健人を巻き込んだ。健人が断って食べ物やチケットが余った際には、気兼ねなく周りの子供たちに渡して喜ばせていた。

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2人で過ごす時間はあっという間で、まだ屋台の半分も巡っていないにも関わらず、10時から始まったこのお祭りも昼過ぎを迎え、2人はベンチで休憩していた。
喧騒の冷めないこの大通りに、突然の豪雨が襲う。傘を準備している者はほぼおらず、雨宿りを余儀なくされる観光客たち。大粒の雨が屋台のテントを絶え間なく打ち付け、民衆に代わって大通りの賑やかしを支配する。
「おかしいな…予報では雲ひとつない晴れだって言ってたのに…」
健人は心羽の傘に入って屋内に避難しながら、スマホを開いて再度確認する。表示では現在、朝憬市は晴れ。
「うん…でもこの雨、わずかにエクリプスの気配を感じる…」
そう話す心羽は神経を張り詰め、なにかを探しているように見えた。
次の瞬間。大通りの入口付近から複数人の悲鳴が一斉に響く。
「あっちだ!」
どよめき出す人混みの中、2人は悲鳴の方向へ走り出す…はずが、心羽は履きなれない下駄のせいで躓いてしまう。
「大丈夫!?」
健人は手を差し出す。心羽は健人の手をしっかり握って体を起こした。
「お願い、このまま走って!」

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ミニSLの屋台の付近に、先ほどの悲鳴の根源はいた。そのエクリプスは雨の中でひとり、駄々をこねる子どものように暴れていた。心羽と健人は変身してこれを倒すと、周囲の人々の救助にあたった。
幸い大きな怪我人はおらず、焦って逃げて転倒した等の被害が数件で済んだ。その中に1人、リーンは泣き止まぬ子供を見つける。よっぽど怖かったのだろうか。自分の姿で怖がらせないよう遠目にその男の子を見守っていると、気付いたリュミエが男の子に駆け寄る。
「大丈夫、もう怖くないよ」
リュミエはしゃがんで子どもに目線を合わせ、優しくかけ声をかける。すると、男の子は首を振ってこう言った。
「えすえる…えすえるにのりたかった…」
男の子の視線の先には、先ほど心羽が乗ったミニSLが雨に打たれながら佇んでいた。隣の看板には「雨天中止」の文字。今まで並んでいたのか、男の子の左手には濡れたチケットが握られている。
「そっか…乗りたかったよね…」
男の子の悔しそうな表情にリュミエは同情する。
「今年はダメだったけど、また来年こようね」
男の子の母親が必死に諭すも、男の子は駄々をこねて泣き止まない。その様子は先ほどのエクリプスを彷彿とさせた。それに心羽が雨からエクリプスの気配を感じていたが、倒したところで雨が止む気配はない。もしかすると、この男の子が今のエクリプスの宿主で、親となったエクリプスが他に居る…?
「大丈夫だよ。あと少し待てば、雨が上がって、また乗れるようになるから」
しかし、直後のリュミエの発言がリーンの予想を覆した。
「ほんと…?」
「ほんとだよ。約束する」
リュミエの言葉を受けて泣き止んだ男の子。リュミエは男の子の頭をポンポンして立ち上がり、リーンと共に退避した。

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「健人くんも大方の予想はついてると思うけど、今のエクリプスはあの男の子から生まれたとみていいと思う。生まれたばかりにみえたから、きっと親のエクリプスが今もあの祭りの中に潜んでて、そいつが雨を降らせてる。今みたいなことがこれ以上起きないように私は雨を止めてくるから、健人くんは他にエクリプスの姿がないか、祭りの様子を見張っててほしい。上位のエクリプスは人間に擬態できるから、くれぐれも気を付けてね」
物陰で心羽はそう告げると、再び変身して飛び去っていった。心羽の言っていることが正しければ、いつまた新たなエクリプスが生まれるかわからない。健人は周囲に目を光らせらた。
…しかし、雨を降らせられるということは、天候を操作できるということ。彼らが超常的な存在であることは百も承知だが、気象を操れるとなるともはや規模が大きすぎて想像がつかない。そんなスケールの大きい術を持つような相手とも、いつか戦うことになるかもしれないと思うと気が引ける。
それにしても、リュミエの方も雨を止めるとか言っていたが一体どうするつもりなのだろうか。

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祭りの会場から少し離れた電波塔の、地上80mの鉄骨を足場に、リュミエは会場の様子を遠くから見下ろしていた。
会場上空には不自然なほど低い位置に雨雲が発生し、会場とその周辺約1キロ四方をピンポイントで濡らしている。様子がおかしいのは明らかだった。
「ねえエウィグ…これどういうことだと思う?」
リュミエは不自然な雨雲を観察しながら手首に巻きついたエウィグに訊ねる。エウィグは腕時計への擬態を解き、フクロウの姿に戻ってリュミエの隣に舞い降りた後、黒の燕尾服に黒のハット———執事を思わせる人の姿となってその口を開いた。
「やはり何らかのエクリプスが用いた怨術でしょう。本来あの位置に雨雲が発生することは有り得ません。しかしながらお嬢様、これほどの規模の怨術使いとなると直接相手取るのは危険です」
「うーん、エウィグもそう思う…? でも、この雨は絶対に晴らすんだ。あの子と約束したから。私があの子の希望になる」
「そうですか…それほどまでにあの少年を想っているのですね…しかし、どうやって雨を晴らすおつもりで…?」
しかし、返事はない。
「お嬢様?」
エウィグはリュミエの顔を覗く。リュミエは目を閉じ、神経を集中させているように見えた。「どうなさいました?」
リュミエは大きく息を吸い、力強く、ゆっくりと呪文のようなものを唱えはじめた。
「“———アドバンスド・マジカル・エクスプレッション———星を渡り、古より紡がれた希望の種火———因果が編み出す時の運河に今、大いなる神秘を以て…”」
「おっと、強化詠唱ですか。これは失礼いたしました」
強化詠唱———詠唱の正式な姿であり、本来の威力を発揮させる技。エウィグはその発動を察知すると速やかに距離をとる。
「…といっても、今のお嬢様には聞こえませんね」
リュミエは集中するために五感から得る感覚を遮断しており、エウィグのどんな言動にも構うことなく詠唱を続ける。
辺り一帯の風が止み、やがてリュミエを中心に流れ始める。彼女から湧き出る魔力の奔流が大きな渦を巻き、さながら魔法陣のような点対称の紋様を描きだす。光も、音も、辺りを漂う全てがリュミエの魔力に感化され、耳を澄ませ、息を潜める。
夜の帳が降りたように視界が暗くなり、さっきまで聞こえていた街の喧騒が聞こえなくなると、エウィグはまるで異世界に飛ばされたかのような錯覚を受ける。
リュミエの重ね合わされた手のひらが器となり、その内に因果を覆さんとする規模の魔力が集まる。エウィグはその事象の中心で疼く魔力の鳴動を肌で感じる。
「“……万象の理を打ち破り、新たな運命を創出せよ!———私があの子の希望になる!———イグニス!”」
リュミエは大きく目を見開くと、両手に重なる魔法陣を解いて組み替え、燃えるような魔力に変換し、会場上空に向かってその塊を射出した。
「“フレアウォール・天!”」
放たれた魔力の塊は祭りの会場中心部上空———雨雲との間に飛んでいくと、そこで炎の壁が地面と並行に展開された。炎の壁は
会場と雨雲との間に膜を張るように広がり、街に降り注ぐ雨を遮断し始めた。
「…ふぅ、できたぁ……」
リュミエは自身が纏っていた過剰な魔力を解いて宙に還すと、全身の力を抜いてその場に座り込んだ。
「お嬢様、これは一体…?」
視界が元にもどり、音も正しく聞き取れるようになったエウィグがリュミエに訊ねる。
「降ってくる雨が地面に落ちる前に、全部蒸発させちゃおうと思って、炎の壁を張ってみたの!これでミニSLもまた動かせるでしょ!」
リュミエは朗らかにそう答えた。
「どのように雨をお止めになるのかと思っていましたが、お嬢様は脳筋でいらっしゃいましたか」

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雨が止んだ。
ふと空を見上げる。雨雲は消えていない。なにか、雨だけを止める方法を見つけたのだろうか。詳細はわからないにしろ、リュミエはあの男の子と約束した通り雨を止ませたようだ。
雨が上がったことにより、再び祭りに活気が戻ってきた。心羽が気にかけていたあの男の子も、再開したミニSLの列に並びなおしていた。
「よかったぁ、無事再開したみたいだね」
いつの間にか戻ってきていた心羽がその様子を見て満足そうにしている。
「あの子に笑顔が戻ったね。やっぱり笑顔が一番だよっ」
「本当に雨を止ませるなんて思わなかったよ。一体どうやったんだ?」
健人は疑問に思っていたことを素直にぶつけた。天候を変えられるというエクリプスの大規模な力に、出会う前から戦々恐々としていた健人。しかし、この件でリュミエも天候を操れるらしいことが判明した。そんな規模の大きな力のやり取りができるこのリュミエが、祖国から避難してこなければならなかったことを考えると、エクリプスたちが持つ力の真の規模が窺える。そもそも、リュミエが自分よりずっと強いと語っていたリュミエの親父さん治める国を、まるまる滅ぼしたという事実が存在する。そんなのが来たら、この地球だってひとたまりもないのではないか。現に、ごく一部の範囲ではあるが地球の気象を好き勝手にされているのだから。
「雨雲との間に薄い炎の膜が張ってあってね、降ってくる雨を全部それで蒸発させてるの!」
「えっ…!?」
健人は思わず空を見上げる。炎の膜のようなものは見えないが、かすかに陽炎の影のようなものが見える。
「どう?地上からだとそんなにわからないでしょ?炎の膜とはいっても熱の魔法の応用だから、温度さえ高ければ燃えてる必要はそんなにないんだよね」
なるほど…いやしかし、炎の膜を空中に張っているとは。魔法の規模もだが、その発想にも驚かされる。
「誰だ?雨を妨害してる奴は。せっかくの計画を台無しにしやがって」
背後から聞こえた不審な声に、2人は振り返る。
「ちっ、ここにも赤髪の魔女がいやがったか。」
心羽の姿を見つけた声の主———青年姿のエクリプスが悪態をつく。
「ん、銀鎧も一緒か。てめえらのせいでこちとら先遣隊は手ぇ焼いてんだよ。ウザイったらねぇ」
「あなたは…!」
「俺は雨魔ディカオン。てめぇらが俺の貴重な養ぶn…おっと、俺の手下どもを皆殺しにしたせいで、イライラが募ってんだよ」
こいつが、例の雨を降らせた元凶であり、先ほどのエクリプスの親…。
「あなたが雨を降らせたのね? せっかくのお祭りを台無しにして、大勢から絶望を回収したあげく、あんな小さな子を宿主にまでして…!あなただけは絶対に許さない…!」
「おいおい、なんでてめぇみたいな力のある奴が弱者の味方をしようとする? 理解に苦しむぜ。弱者の正しい使い方を知らないのか?」
「使い方って…!人は皆幸福に生きる権利を持っているものよ!」
「馬鹿かよ。弱者は強者が搾取する為に存在する。強き者には弱者を支配する権利がある!」
「違う!強い力は弱者を守るためにあるのよ。あなたこそ、力の正しい使い方をわかっていない!」
「くそ五月蝿え。 だったら今ここで力の正しい使い方を教えてやるよ。もっとも、その力の餌食になるのはてめぇらだがな!」

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「“チェンジ・フレイミングドレス!”」
「“…”」
健人と心羽は光に包まれ、それぞれ白銀の鎧と紅いドレスを身に纏ったリーンとリュミエが姿を現す。
「“怨術・流水羽織!”」
ディカオンは水の流れを自身に纏う。その姿はさながら鎧のよう。
「“イグニス!プロミネンスシュート!”」
リュミエのかけ声と共に放たれた炎の矢は水の鎧に阻まれ、ディカオンに全くダメージが入らない。リュミエは再び弓矢を構え直し、立て続けに撃ち込むが、水の鎧はリュミエの炎をものともせず受け止める。リーンはディカオンの怨術にリュミエの炎属性は相性が悪いことを察すると、居合の構えをとり、一息にディカオンを斬りこむ。
しかし、ディカオンが纏う水の鎧に剣先が流される。まるで川の中で脚を取られた人のように剣撃の軌道をずらされ、リーンはバランスを崩し転倒してしまう。その隙にディカオンの肘鉄がリーンの背中に打ち込まれる。
「ぐぁっ!」
「リーン!」
焦ったリュミエは唐突に駆け出し、弓を薙刀のように持ち替えて近接戦を仕掛ける。しかし、リュミエの弓も水の流れに乗っ取られ反撃を食らい、後方に吹き飛ばされる。
「いったぁ……」
「っはは。弱ぇ」
ディカオンは地に打ち付けられて痛がるリュミエに照準を定め、掌からエネルギー弾を撃ち出そうとする。
「させるかっ!」
即座に体制を立て直したリーンが水の流れを読みながら剣撃を繰り出し、エネルギー弾を相殺する。
「リュミエを狙うな…!俺が相手だ…」
その後も流れを立て続けに読んで剣を振るい、ディカオンの攻撃を食い止める。しかし、水の鎧に流されてばかりでまともにダメージを与えられない。これではキリがない…そんな時、後ろでリュミエたちの話し声が聞こえてくる。
「“イグニス・炎刃!” はあぁぁあっ!」
「お嬢様!そのまま突っ込むのは無謀です!脳筋でいらっしゃいますか!」
「っでも、どうすれば…」
「水の鎧を焼き払うことに尽力してください!鎧が剥がれた隙に、リーン殿に有効打を差し込んでもらいましょう!」
「わかった!やってみる…」
リュミエは斬り込む構えをキャンセルし、燃え盛る弓を引きターゲットの鎧に矢尻を向ける。
「“イグニス!フレアバードストライク・乱打!”」
次の瞬間、矢は4本に分裂し、同時に放たれる。放たれた矢のひとつひとつが火の鳥を象って鎧に突っ込み、弾けて爆発する。
「今よ、リーン!」
リーンは高熱と爆風で水の鎧が剥がれた隙を見逃さず、雷撃を纏わせた一撃でディカオンの胴体を一閃する。

———ガキン。
「!?」
鈍い音が響いたのち、静まり返った戦場にバチッバチッと雷撃の弾ける音だけが響いてくる。剣から伝わるこの硬い感触…まさか、刃が通らなかったのか…?水の鎧を剥がしてもなお、これだけ硬い皮膚があるとは…。斬撃ダメージは見込めない。あとは雷撃ダメージがどれだけ通るか…
ディカオンに今も剣を押し当て、雷撃を与え続けながらリーンはまぶたを上げ、ディカオンの様子を窺う。
「くっ……無敵の俺の体に傷を付けようとは…」
ディカオンは雷撃に痺れて喋りに若干のもたつきが見えるが、致命傷にはほど遠いようだった。
「調子に乗ってんなァ!」
「ぐはっ」
激昂したディカオンの肘鉄がまたもリーンの背を襲う。叩き付けられ突っ伏すリーン、その背中を踏みにじるディカオン。
「てめぇも俺の養分になれ」
ディカオンの掌から放たれたエネルギー弾が無防備なリーンに追い打ちをかける。銀の鎧が衝撃に耐えきれず、激痛を伴って背中に襲いかかる。
「やめて!!」
リュミエの悲痛な叫び声が後方から聞こえる。踏みつけられていて様子を捉えることは出来ないが、ごうごうと燃え盛る炎の音、肌で感じる爆風、それよりも大きく鈍重な水塊が何度もぶつかって弾ける音、そしてリュミエの甲高い悲鳴…それらが幾度となく立て続けに聞こえ、やがて静まった時にはリュミエが過呼吸気味にしゃくり上げる息遣いが聞こえてきた。
リーンにはリュミエがディカオンを前に惨敗する様子がありありと目に浮かんだ。
「その程度か?よくそれで力の使い方だのとお説教してくれ
たもんだ」
「うぐぁっ…!」
ディカオンはリーンを踏みつけている右足を離し、うつ伏せのリーンの腹元に滑り込ませて蹴りあげる。ボロボロになったリーンの身体は軽々と浮き上がり、地面に横たわる。隣に倒れているリュミエはびしょ濡れで全身に打撲の痣を作り、浅い呼吸だがなんとか息をしていた。
強すぎる…。力の差がありすぎる。こんなの到底敵う相手じゃない。無理だ。戦いを続ければここで2人とも死ぬ。
リーンは改めて実感し、戦慄する…戦いとは命の取り合いであり、強者の前では命のひとつやふたつなど弄ばれるだけのおもちゃに過ぎない。
「まだ…っ!わたし…は…まだ……戦え…る……!」
満身創痍のリュミエが今にも折れそうな脚で立ち上がる。

「まだ勝機があると思っているのだろう。本当の絶望はここからだ!“怨術・催憂雨!”」
ディカオンが両腕を組み、背後に霧を立ち上らせる。両腕を解いて前に突き出すと、霧から雨粒が散弾銃の様に打ち出される。
「あの雨に当たっちゃだめ!エウィグ下がって!“イグニス!フレアウォール!”」
リュミエが眼前に炎の壁を展開し、雨の矢を防ぐ。リーンとエウィグは咄嗟に壁の奥に避難する。
「そんなんで防いでるつもりかよ。上がお留守だぜ」
ディカオンが霧の範囲を広げ、リュミエたち目掛けて多方向から雨を打ち出す。
リーンは防ぎきれないと判断し、“疾雷”を発動。雨粒よりも疾くその剣戟を振るい、雨粒を切り裂きながら一気に駆け抜けディカオン目掛けて構えをとる。
「…甘かったな」
「…っ!?」
ディカオンはリーンのくたびれた剣撃を受け止め、纏う水流に絡めてリーンの体勢を崩した。バランスを失ったリーンは横殴りする雨に打たれる。
その瞬間、リーンの脳裏に焼き付いたのは高校生の頃の記憶。
俺は無力だ。誰も救えはしない。何も守れやしない。正義だのなんだのは絵空事だ。現実を見ろ。俺は何かできる人間じゃない。できていい人間じゃない。その剣はなんだ。なんの真似事だ。

———ハッ。
気付くとリーン———花森健人は、膝から崩れ落ち、雨に打たれていた。
「ハハハハハ!!この特別な雨に触れると、憂鬱な記憶が脳裏に焼き付いて剥がれなくなるのさ。早速かかったなぁ銀鎧ッ!」
ディカオンの高笑いが響く。
「リーン!」
雨に打たれるリーンにリュミエの手が伸びかける。
「お嬢様!このままではお嬢様も雨に打たれます!退避を!!」
「っ…、でも、リーンが…!」
リュミエが判断をし損ねた一瞬の隙に、催憂雨がリュミエを襲う。全身に打ちつけ跳ねあがる雨粒の弾丸が、胸の奥底に潜めようとした心の傷を抉り出す。私は孤独だ。誰にも気付かれない。誰にも必要とされない。存在価値がない。私はそもそも、この世界に存在していい人間じゃない。それなら私は、何のために生まれてきた? 何のために生きている?

“———心羽ちゃんは…優しくてとってもいい子です。異星人だろうとなんだろうと、絶対にそうです”
“君のことを一人の友人として、大切です。ホントです”
“大丈夫、大丈夫だよ。いいんだよ”
“時には一緒に居させてな”

…!!
「違う!私は孤独じゃない!共に並び立ち、支え合う仲間がいる…!」
私は孤独だ。誰も私のことなど覚えていない。降り注ぐ雨が貫くように痛い。泣いてしまうほど痛い。でも…!
「私には守るべき仲間がいる!街がある!友達だって、私を必要としてくれてる…!」
雨が痛くても進め。胸が締め付けられても進め。過去に引きずられるな。目の前の悪夢を祓え。
「今の私には使命もある!絶対に希望の象徴でなきゃいけないんだから…!」
リュミエは雨に打たれながらも立ち上がる。泣き腫らした目を擦って前に進む。
「なぜだ。人にとって雨とは憂鬱なものだろう!なぜ希望が消えない!」
浴びせた相手を例外なく絶望に沈めてきた催憂雨が効かないことに焦るディカオン。
「私から希望は奪えない…!仲間たちがいる限り…!」
濡れた視界で敵を見据える。構えの姿勢を取り、翼を大きく広げ跳躍した。
「“イグニス!メテオライトブロー!”」
羽ばたいた翼がリュミエをディカオン目掛けて真っ直ぐ飛ばし、溜めの構えから繰り出されるリュミエ渾身の握り拳が炎を纏う。燃える拳は雨も水流も絶望さえも焼き焦がしながら突き進み、混乱するディカオンの胸部をまっすぐ殴り飛ばす。
「ぐぉわっ!?」
「“フレアウォール!”」
拳が直撃してディカオンがよろけた隙に炎の壁を再展開し、雨に打たれていた健人を救出する。
「健人くん、大丈夫?」
「ねえ、さっきの……並び立ってくれる支えって、俺のこと…?」
リュミエが差し伸べた手を取り、身体を起こしながら健人は訊ねる。
「ふふ、そんな人、健人くんしかいないよ。」
リュミエは痣だらけの顔をこちらに向け、屈託のない笑顔を見せた。
「健人くんがいるから、私は頑張れるんだ」
リュミエはそう告げると、再び緊張感のある顔つきに戻って前方を見据える。
健人は今の言葉を反芻する———
だとしたら、俺だって否定できるだろう。俺は無力じゃない。
心羽がほんのわずかでも、俺を心の支えにしてくれているのだとしたら。
健人も前方を見つめる。よろけたディカオンは既に体勢を立て直し、次なる一撃への構えをとっている。
今ならできる。健人は変身した。
お互いを結ぶ絆の力……光の魔法を繰り出せる!
「リュミエ、光の魔法だ!」
「うん!」
リーンがリュミエに伸ばした左手に、リュミエが右手を伸ばして手のひらを重ね合わせる。パシッと軽快なハイタッチの音が響き、そこから眩しいほどに煌めく光が粒子状に溢れだす。
この輝く粒子こそが光の魔法の本質。お互いを想う暖かい気持ちの結晶。その柔らかな魔力をリーンは肌で感じる。
粒子は二人にの周囲に渦状に浮遊し、緩やかに旋回している。
「…っ、おかしい…俺の催憂雨が効かないわけがない……くそ、こうなったらもう一度…!“怨術・催憂雨!”」
「“ルミニス・浄化!”」
リュミエが光の粒子を少しだけ手に取り、ギュッと握りしめオーロラ状に変換して前方に撒く。オーロラを通った雨が、濁った黒から無色透明に浄化されて降り注ぐ。もうこの催憂雨に、憂鬱を呼び起こす能力はない———。
「いくよ、リーン!」
「ああ!」
リュミエは“飛燕”の詠唱を始め、リーンは光の粒子を両脚に纏って大地を蹴り、駆け出す。光の粒子で強化された踏み込みによる疾駆は、ディカオンに迎撃の隙を与えない。粒子を腕にも纏わせ、目にも留まらぬ速さで剣を振り抜く。ディカオンは辛うじて防御の構えを取り、なんとか受け止めるもその衝撃に耐えられず、後ろにずり下がる。
「バカなっ…!流水で威力を軽減できない…!?」
その衝撃の強さに驚愕するディカオン。リーンは構わずに二発、三発と剣撃を繰り出す。金属同士のぶつかり合う鈍重な音が響き、その度に光の粒が弾け、ディカオンの鎧が削られる。何度も食らううちに、ディカオンはあることを理解する。軽減できてないのではない……軽減した上でこの威力なだけだ……。おかしいおかしい、そんなはずは…!さっきまでとは一撃の重さが違いすぎる! ディカオンは構えを変え、リーンの攻撃を見切って隙に差し込むスタイルに変更する。一撃、二撃…その軌道を読み、最小のダメージで受けつつ後隙を見逃さずにエネルギー弾で反撃する。リーンもその反撃に気を取られ、エネルギー弾を剣で弾き飛ばす。
構えを変えたディカオンと、光の魔法を纏ったリーンの激しい攻防が続く。しかし、避けるディカオンを追ったリーンの大きなひと払いのわずかな隙に、ディカオンの渾身の一撃が差し込まれる…。
「もらった!」
次の瞬間。
「“ライトニングアーツ!”」
跳躍し、ディカオン目掛けて急降下するリュミエが、手に握る光の剣を大きく振り下ろす。
しまった…!赤髪がここまで迫ってきていたことに気付かなかった。油断した…!
攻撃を中断してなんとか躱すも、今にリーンの斬撃が繰り出される。避けきれない…! 鎧で受け止めるが、その鋭い一撃に鎧が削られる。さらにそこへリュミエが追撃をかける。
リュミエとリーンの剣による光の軌跡が周囲を舞い、ディカオンを追い詰める。
「なんなんだこいつら…! 光を纏った部位の攻撃が馬鹿みたいに痛ぇ…」
「これが私たちの…絆の力だ!」
このままでは勝てないと判断したディカオンは逃げ出そうとする。
「逃がさないっ!」
次の瞬間、跳んで距離を離したはずのディカオンの背に、“飛燕”で追いついたリュミエが光の斧で叩きつける。空中でバランスを崩したディカオンは地に落とされる。
「リーン!今だよ!」
リュミエのかけ声に合わせてリーンは光を纏ったまま“疾雷”を発動。落ちる無防備なディカオンに閃光のごとく斬りかかり、駆け抜けるように渾身の一振りを繰り出す。
剣に収束させた光が爆ぜて燃える斬撃となり、紅く煌めく刃が鎧ごと灼き焦がしながら両断する。
「俺が、負ける……だと……」
斬られてなお、その事実が飲み込めないディカオンに対し、駆け抜けざまにリーンが呟いた。
「———これが俺の……“希望の光”なんだよ———」

——————————————————————————————

紅い閃光が宙を駆け、響く怪物の断末魔。瞬く間に空は晴れあがり、銀の日差しが街を照らす。
賑やかな屋台の立ち並ぶ大通りのその一角。人目につかない路地裏で、燕尾服の男に傷の手当を受ける少女と青年。
痛々しい痣だらけの姿とは裏腹に、嬉しそうな顔で談話をする二人。
「光の魔法、健人くんから提案してくれたの嬉しかったな」
「俺も…心羽ちゃんの言葉に救われたよ。ありがとう」
「ところで御二方は先ほどのエクリプスの断末魔、どのように聞こえましたか?」
二人の会話の流れをぶった斬る燕尾服。
「私は…リガルド様が〜…って聞こえたよ?」
「俺も聞こえた。リガルド様が必ず〜…って」
「だよね」
「うん」
「リガルドって誰?」
「さあ…?」
「ほぼ間違いなくあのエクリプスの親玉でしょう。状況から察するに、リガルドというエクリプスが必ず敵討ちに来る。そういう意味かと思われます」
「じゃあ、敵を討たれないようにもっと強くならないと…」
少女はすらすらと答えるも、目には強い意志の光が宿る。
「しかしお嬢様、そのお身体ではまともに戦うどころか基礎練習もままならないでしょう。まずは休養をとることが先決です」
いつも遊びや練習に気を入れて休息を知らない少女に、いつも以上に念を押す燕尾服。
「なら今から家で休むのかな?それなら送ってくよ」
「ううん。今日は年に一度のお祭りだよ。ちょっと邪魔が入ったけど、せっかく健人くんもいるんだし、最後まで楽しみたいな。健人くんはどうする…?」
「もちろん、心羽ちゃんと一緒に行くよ」
「やったぁ…!」
屈託のない笑顔の少女。心配を通り越して呆れ返る燕尾服。
「仕方ないですね…。ほら、痛みを抑える魔法です。存分に満喫するんですよ」
「ありがとうエウィグ…!」
魔法を施すと燕尾服は梟に戻り、少女の手首に止まったあと腕時計に変身して巻き付く。先ほどまで街の平和を守るため戦っていた青年と少女は、今再び人で賑わう祭り屋台に溶け込んだ。

——————————————————————————————
//これは心羽が光の魔法に覚醒した後なので時期的には大分先になるが、物語の根幹に干渉する描写はないため、よっぽどの方針転換でもない限りは基本的に組み込めるため【A】です。ただ、リーンの戦闘描写が恐らく今の設定にはあっていないことや、そもそもネーゲルが描写されていない事など、現状のままでは完成形には程遠い。//

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