超多様化の時代 #駄文 version 1
超多様化社会の時代 #駄文
英国のEU離脱の選挙や、トランプ当選の件を見ながら「ああ、世の中のカシコイ人たちも世の中がわからなくなってきているのだなぁ」ということを思った。
日本で考えてみると、たとえば高度経済成長の時代というのは、「一億総中流」なんていう言葉があったように、みんなだいたい同じような人生を同じように生きていた。グラフ的に表すならこういう感じだろう。
高度経済成長時代より前の時代は、だいたいこんな感じで、身分制度によって数パターンに分かれることはあっても、生き方に大きな幅はない。
こういう「だいたいみんな同じ」時代は、マスメディアが強い影響力を持つし、同調圧力も強い。CDはン百万枚とか平気で売れる。
そんな時代だから、たとえば「ロック」とか、尾崎豊みたいなはぐれ者っぽいものもウケる。「レールに乗った」ような人生からはみ出すようなものがかっこよく見えたり、共感を集めたりしたのだろう。
一方で今はどうだろう。今、尾崎豊がデビューしても多分ウケない。言うほどみんな縛られてないし、
今の世の中、先進国は特にそうだと思うのだけど「多様性を受け入れる」方向で全てが進んでいる。グラフ的に描くならこうだろうか。
これは、どうしたってそうなる。
たとえば、人の寿命が伸びれば、若い人と老いた人との間に年月のギャップが大きくなる。
収穫加速の法則に則って科学技術が進歩を加速すれば、科学的な知識を正しくアップデートしている人とそうでない人の間では科学的知識のギャップが大きくなる。
経済の規模が大きくなれば、最も稼ぐ人とそうじゃない人のギャップが大きくなる。
インターネットを活用している人とそうでない人との間では情報の格差が広がるし、
都市部と田舎では圧倒的に情報量やスピード感が違う。人間関係の作り方から幅から何から何まで違う。
別にそれが悪いことだってわけじゃない。
人それぞれ色々な向き不向きがあるように、合う暮らしは人それぞれ全く違う。しがらみの多い田舎の暮らしが肌に合う人もいるし、山の中で原始的な暮らしをしたい人だっているだろう。
一方では都市の暮らしじゃないと無理という人もいるし、人工知能だシンギュラリティだと言って先端を突き詰める人もいる。
現代は言うなれば「超多様化社会」だと思う。
みんながそれぞれ自由に人生を選べる。
だから、グラフ的に表現するならどんどんこうなっていく。
これは悪いことじゃない。
少なくとも色んな人が本当に選びたい選択肢を選べるようになった。
「普通じゃない人」というのがいなくなり、
LGBTの人は堂々とLGBTらしく生きることができる。
そうするとどうなるだろう。
多様化することで、
身近な人、自分が属するコミュニティの事はよくわかる。
でも、同時に、自分には分からない領域がどんどん大きくなっていく。
これは、ある意味では怖い。
世の中のたくさんの人の考えていることが全くうまく推測できなくなるのだ。
世界が多様化すればするほど、自分が理解できない人の数は増えていく。
自分の所属するコミュニティの外側にある情報がうまく摂取できなくなる。
正確な予測も難しくなる。「常識的に考えてこうなるだろう」という自分にとっての常識は、世界規模ではまったく通用しなくなるかもしれない。
実際に、トランプが当選するっていう事も、イギリスがEU離脱を選ぶことも、正しく予測できなかった。
ここ数年、「仲間」とか「絆」みたいな「コミュニティのど真ん中」的なもののほうがウケていたのは、多分何かそういう帰属意識とか「中心」みたいなものを見つけて安心したかったのではないか、なんてことを思ったりもする。
同時にベビーメタルみたいな、境界線を壊したり繋いだりするような立ち位置のものも面白い。
超多様化社会で、さて、国家規模で民主主義みたいなコンセプトはまともに機能できるのか。
英国のEU離脱の選挙や、トランプ当選の件を見ながら「ああ、世の中のカシコイ人たちも世の中がわからなくなってきているのだなぁ」ということを思った。
日本で考えてみると、たとえば高度経済成長の時代というのは、「一億総中流」なんていう言葉があったように、みんなだいたい同じような人生を同じように生きていた。グラフ的に表すならこういう感じだろう。
高度経済成長時代より前の時代は、だいたいこんな感じで、身分制度によって数パターンに分かれることはあっても、生き方に大きな幅はない。
こういう「だいたいみんな同じ」時代は、マスメディアが強い影響力を持つし、同調圧力も強い。CDはン百万枚とか平気で売れる。
そんな時代だから、たとえば「ロック」とか、尾崎豊みたいなはぐれ者っぽいものもウケる。「レールに乗った」ような人生からはみ出すようなものがかっこよく見えたり、共感を集めたりしたのだろう。
一方で今はどうだろう。今、尾崎豊がデビューしても多分ウケない。言うほどみんな縛られてないし、
今の世の中、先進国は特にそうだと思うのだけど「多様性を受け入れる」方向で全てが進んでいる。グラフ的に描くならこうだろうか。
これは、どうしたってそうなる。
たとえば、人の寿命が伸びれば、若い人と老いた人との間に年月のギャップが大きくなる。
収穫加速の法則に則って科学技術が進歩を加速すれば、科学的な知識を正しくアップデートしている人とそうでない人の間では科学的知識のギャップが大きくなる。
経済の規模が大きくなれば、最も稼ぐ人とそうじゃない人のギャップが大きくなる。
インターネットを活用している人とそうでない人との間では情報の格差が広がるし、
都市部と田舎では圧倒的に情報量やスピード感が違う。人間関係の作り方から幅から何から何まで違う。
別にそれが悪いことだってわけじゃない。
人それぞれ色々な向き不向きがあるように、合う暮らしは人それぞれ全く違う。しがらみの多い田舎の暮らしが肌に合う人もいるし、山の中で原始的な暮らしをしたい人だっているだろう。
一方では都市の暮らしじゃないと無理という人もいるし、人工知能だシンギュラリティだと言って先端を突き詰める人もいる。
現代は言うなれば「超多様化社会」だと思う。
みんながそれぞれ自由に人生を選べる。
だから、グラフ的に表現するならどんどんこうなっていく。
これは悪いことじゃない。
少なくとも色んな人が本当に選びたい選択肢を選べるようになった。
「普通じゃない人」というのがいなくなり、
LGBTの人は堂々とLGBTらしく生きることができる。
そうするとどうなるだろう。
多様化することで、
身近な人、自分が属するコミュニティの事はよくわかる。
でも、同時に、自分には分からない領域がどんどん大きくなっていく。
これは、ある意味では怖い。
世の中のたくさんの人の考えていることが全くうまく推測できなくなるのだ。
世界が多様化すればするほど、自分が理解できない人の数は増えていく。
自分の所属するコミュニティの外側にある情報がうまく摂取できなくなる。
正確な予測も難しくなる。「常識的に考えてこうなるだろう」という自分にとっての常識は、世界規模ではまったく通用しなくなるかもしれない。
実際に、トランプが当選するっていう事も、イギリスがEU離脱を選ぶことも、正しく予測できなかった。
ここ数年、「仲間」とか「絆」みたいな「コミュニティのど真ん中」的なもののほうがウケていたのは、多分何かそういう帰属意識とか「中心」みたいなものを見つけて安心したかったのではないか、なんてことを思ったりもする。
同時にベビーメタルみたいな、境界線を壊したり繋いだりするような立ち位置のものも面白い。
超多様化社会で、さて、国家規模で民主主義みたいなコンセプトはまともに機能できるのか。