超多様化の時代 #駄文 version 2
超多様化社会の時代 #駄文
英国のEU離脱の選挙や、トランプ当選の件を見ながら「ああ、世の中のカシコイ人たちも世の中がわからなくなってきているのだなぁ」ということを思った。
トランプ当選の件を見ながら、こんなことを考えていた。
https://twitter.com/zk33/status/796567466507980801
日本で考えてみると、たとえば高度経済成長の時代というのは、「一億総中流」なんていう言葉があったように、みんなだいたい同じような人生を同じように生きていた。グラフ的に表すならこういう感じだろう。
> トランプ当選の件を見ながら、格差やら何やらが進行して人々の多様性というか差異の振れ幅が大きくなればなるほど、自分の属するコミュニティの外にいる人の感情や行動の予測は難しくなりそう、みたいな事をぼんやり考えてる
高度経済成長時代より前の時代は、だいたいこんな感じで、身分制度によって数パターンに分かれることはあっても、生き方に大きな幅はない。
あれこれ考えてみると、もしかして今「**超多様化社会**」とでも言うべき社会に到達しているのではないか。そんなことを考える。
こういう「だいたいみんな同じ」時代は、マスメディアが強い影響力を持つし、同調圧力も強い。CDはン百万枚とか平気で売れる。
そんな時代だから、たとえば「ロック」とか、尾崎豊みたいなはぐれ者っぽいものもウケる。「レールに乗った」ような人生からはみ出すようなものがかっこよく見えたり、共感を集めたりしたのだろう。
国際化による文化の広がり。移民の増加。経済的な格差の広がり。情報化社会の進行による情報格差の広がり。男女のLGBTの受け入れ。都市部と田舎の情報量やライフスタイルの差異…。
一方で今はどうだろう。今、尾崎豊がデビューしても多分ウケない。言うほどみんな縛られてないし、
今、世の中で現在進行形で起こっている様々な変化は、「価値観の多様化」を産むようなものが非常に多い。
今の世の中、先進国は特にそうだと思うのだけど「多様性を受け入れる」方向で全てが進んでいる。グラフ的に描くならこうだろうか。
日本で考えてみると、たとえば高度経済成長の時代というのは、「一億総中流」なんていう言葉があったように、みんなだいたい同じような人生を同じように生きていた。グラフ的に表すならこういう感じだろう。
古い時代はだいたいこんな感じで、身分制度によって数パターンに分かれることはあっても、国家単位で見てそこに暮らす人の生き方に大きな幅はない。
今の世の中、先進国は特にそうだと思うのだけど「多様性を受け入れる」方向で全てが進んでいる。グラフ的に描くならこうだろうか。
これは、どうしたってそうなる。
今でも中世みたいな暮らしをしている人もいれば、先進的な暮らしをする人もいる。価値観もどんどん広がっているし、マイノリティと呼ばれる人も受け入れられてきている。
たとえば、人の寿命が伸びれば、若い人と老いた人との間に年月のギャップが大きくなる。
これは、今の世相を考えたら、どうしたってそうなる。
国際化が進んだり、移民が増えれば文化的に多様性が増す。
人の寿命が伸びれば、若い人と老いた人との間に価値観のギャップが広がる。
収穫加速の法則に則って科学技術が進歩を加速すれば、科学的な知識を正しくアップデートしている人とそうでない人の間では科学的知識のギャップが大きくなる。
経済の規模が大きくなれば、最も稼ぐ人とそうじゃない人のギャップが大きくなる。
インターネットを活用している人とそうでない人との間では情報の格差が広がるし、都市部と田舎では情報量やスピード感、人間関係の作り方など色々なものが違う。
インターネットを活用している人とそうでない人との間では情報の格差が広がるし、
多様化は現代の宿命のようなもので、エントロピーみたいなもので、広がりきって安定するまでは増大するしかない。
都市部と田舎では圧倒的に情報量やスピード感が違う。人間関係の作り方から幅から何から何まで違う。
別にそれが悪いことだってわけじゃない。
人それぞれ色々な向き不向きがあるように、合う暮らしは人それぞれ全く違う。しがらみの多い田舎の暮らしが肌に合う人もいるし、山の中で原始的な暮らしをしたい人だっているだろう。
一方では都市の暮らしじゃないと無理という人もいるし、人工知能だシンギュラリティだと言って先端を突き詰める人もいる。
都市にいるインテリが正しいわけじゃない。人それぞれ色々な向き不向きがあるように、合う暮らしは人それぞれ全く違う。しがらみの多い田舎の暮らしが肌に合う人もいるし、山の中で原始的な暮らしをしたい人だっているだろう。
そういう多様性というのは非常に大事なものだし、尊重されるべきだと僕は思っている。実際、どう考えたって何年も前の時代より、たくさんの人が生きやすい時代になっていると思うし。
現代は言うなれば「超多様化社会」だと思う。
みんながそれぞれ自由に人生を選べる。
だから、グラフ的に表現するならどんどんこうなっていく。
しかしその一方で、厄介な事は確かに起こってくる。
さっきの図で考えてみると分かることなのだけど、
これは悪いことじゃない。
少なくとも色んな人が本当に選びたい選択肢を選べるようになった。
「普通じゃない人」というのがいなくなり、
LGBTの人は堂々とLGBTらしく生きることができる。
そうするとどうなるだろう。
多様化することで、
身近な人、自分が属するコミュニティの事はよくわかる。
でも、同時に、自分には分からない領域がどんどん大きくなっていく。
でも、同時に、自分には分からない領域がどんどん大きくなっていく。価値観の「遠い」人がどんどん増えているのだ。
これは、ある意味では怖い。
世の中のたくさんの人の考えていることが全くうまく推測できなくなるのだ。
世の中のたくさんの人の考えていることが全くうまく推測できなくなるのだ。すぐ隣に住んでいる人と、文化も価値観も違うなんて事が平気で起こりうる。
世界が多様化すればするほど、自分が理解できない人の数は増えていく。
自分の所属するコミュニティの外側にある情報がうまく摂取できなくなる。
正確な予測も難しくなる。「常識的に考えてこうなるだろう」という自分にとっての常識は、世界規模ではまったく通用しなくなるかもしれない。
自分の所属するコミュニティの外側にある情報がうまく摂取できなくなり、正確な予測も難しくなる。「常識的に考えてこうだろう」という自分にとっての常識は、世界規模ではまったく通用しなくなるかもしれない。
実際に、トランプが当選するっていう事も、イギリスがEU離脱を選ぶことも、正しく予測できなかった。
実際に、トランプが当選するっていう事も、イギリスがEU離脱を選ぶことも、正しく予測できなかったわけだし。
ここ数年、「仲間」とか「絆」みたいな「コミュニティのど真ん中」的なもののほうがウケていたのは、多分何かそういう帰属意識とか「中心」みたいなものを見つけて安心したかったのではないか、なんてことを思ったりもする。
同時にベビーメタルみたいな、境界線を壊したり繋いだりするような立ち位置のものも面白い。
そういえばここ数年、「仲間」とか「絆」みたいな「コミュニティのど真ん中」的なもののほうがウケていたのは、価値観が多様化する中で、どこか帰属意識とか「中心」みたいなものを見つけて安心したかったのではないか、なんてことを思ったりもする。
超多様化社会で、さて、国家規模で民主主義みたいなコンセプトはまともに機能できるのか。
さて、価値観が大きく多様化した社会で、さて、国家規模での民主主義みたいなコンセプトはまともに機能できるのか。
これほど同じ国にいる人の間で価値観の違いが大きくなっていくと、過半数を取るというのも、その結果に納得してもらうのもとても難しくなっているように思うのだけど。
トランプの件でカリフォルニア州が独立したいなんていう話が出ていたけど、もしかしたらあれはある意味では正しい考え方なのかもしれない。価値観の近い人を集めて都市や国を作ったほうが、居心地の良い都市/国になるだろうし。
国家の機能は最小化し、都市などのもう少し細かい単位で権限を持つようにするとか、都市はもっと個性を主張して価値観の合う人を集めるような形のほうがいいのでは、とか。
トランプ当選の件を見ながら、こんなことを考えていた。
https://twitter.com/zk33/status/796567466507980801
トランプ当選の件を見ながら、格差やら何やらが進行して人々の多様性というか差異の振れ幅が大きくなればなるほど、自分の属するコミュニティの外にいる人の感情や行動の予測は難しくなりそう、みたいな事をぼんやり考えてる
あれこれ考えてみると、もしかして今「超多様化社会」とでも言うべき社会に到達しているのではないか。そんなことを考える。
国際化による文化の広がり。移民の増加。経済的な格差の広がり。情報化社会の進行による情報格差の広がり。男女のLGBTの受け入れ。都市部と田舎の情報量やライフスタイルの差異…。
今、世の中で現在進行形で起こっている様々な変化は、「価値観の多様化」を産むようなものが非常に多い。
日本で考えてみると、たとえば高度経済成長の時代というのは、「一億総中流」なんていう言葉があったように、みんなだいたい同じような人生を同じように生きていた。グラフ的に表すならこういう感じだろう。
古い時代はだいたいこんな感じで、身分制度によって数パターンに分かれることはあっても、国家単位で見てそこに暮らす人の生き方に大きな幅はない。
今の世の中、先進国は特にそうだと思うのだけど「多様性を受け入れる」方向で全てが進んでいる。グラフ的に描くならこうだろうか。
今でも中世みたいな暮らしをしている人もいれば、先進的な暮らしをする人もいる。価値観もどんどん広がっているし、マイノリティと呼ばれる人も受け入れられてきている。
これは、今の世相を考えたら、どうしたってそうなる。
国際化が進んだり、移民が増えれば文化的に多様性が増す。
人の寿命が伸びれば、若い人と老いた人との間に価値観のギャップが広がる。
収穫加速の法則に則って科学技術が進歩を加速すれば、科学的な知識を正しくアップデートしている人とそうでない人の間では科学的知識のギャップが大きくなる。
経済の規模が大きくなれば、最も稼ぐ人とそうじゃない人のギャップが大きくなる。
インターネットを活用している人とそうでない人との間では情報の格差が広がるし、都市部と田舎では情報量やスピード感、人間関係の作り方など色々なものが違う。
多様化は現代の宿命のようなもので、エントロピーみたいなもので、広がりきって安定するまでは増大するしかない。
別にそれが悪いことだってわけじゃない。
都市にいるインテリが正しいわけじゃない。人それぞれ色々な向き不向きがあるように、合う暮らしは人それぞれ全く違う。しがらみの多い田舎の暮らしが肌に合う人もいるし、山の中で原始的な暮らしをしたい人だっているだろう。
そういう多様性というのは非常に大事なものだし、尊重されるべきだと僕は思っている。実際、どう考えたって何年も前の時代より、たくさんの人が生きやすい時代になっていると思うし。
しかしその一方で、厄介な事は確かに起こってくる。
さっきの図で考えてみると分かることなのだけど、
身近な人、自分が属するコミュニティの事はよくわかる。
でも、同時に、自分には分からない領域がどんどん大きくなっていく。価値観の「遠い」人がどんどん増えているのだ。
これは、ある意味では怖い。
世の中のたくさんの人の考えていることが全くうまく推測できなくなるのだ。すぐ隣に住んでいる人と、文化も価値観も違うなんて事が平気で起こりうる。
世界が多様化すればするほど、自分が理解できない人の数は増えていく。
自分の所属するコミュニティの外側にある情報がうまく摂取できなくなり、正確な予測も難しくなる。「常識的に考えてこうだろう」という自分にとっての常識は、世界規模ではまったく通用しなくなるかもしれない。
実際に、トランプが当選するっていう事も、イギリスがEU離脱を選ぶことも、正しく予測できなかったわけだし。
そういえばここ数年、「仲間」とか「絆」みたいな「コミュニティのど真ん中」的なもののほうがウケていたのは、価値観が多様化する中で、どこか帰属意識とか「中心」みたいなものを見つけて安心したかったのではないか、なんてことを思ったりもする。
さて、価値観が大きく多様化した社会で、さて、国家規模での民主主義みたいなコンセプトはまともに機能できるのか。
これほど同じ国にいる人の間で価値観の違いが大きくなっていくと、過半数を取るというのも、その結果に納得してもらうのもとても難しくなっているように思うのだけど。
トランプの件でカリフォルニア州が独立したいなんていう話が出ていたけど、もしかしたらあれはある意味では正しい考え方なのかもしれない。価値観の近い人を集めて都市や国を作ったほうが、居心地の良い都市/国になるだろうし。
国家の機能は最小化し、都市などのもう少し細かい単位で権限を持つようにするとか、都市はもっと個性を主張して価値観の合う人を集めるような形のほうがいいのでは、とか。