0 これは私たちが紡いだ希望の物語 No.1 2 / 3

「なんだよ、これ…」
気が付いた時には自身の姿が変化し、それまでの花森健人ではなくなっていた。その変化を見ると、甲虫を思わせる装甲が身体に纏わりついている。それは右腕に槍を思わせる突起を形成し、また鋭い爪も伸びて腕全体が一回り半は肥大していた。左足の装甲も、具足のようになっており、鉤爪が足の先端と踵に備わっている。そして変化の見られない左手で右顔面に触れてみると、仮面ともおぼしい大きなレンズが備わっていた。
そのレンズを以て視認できる前方から、こちらを見据える異形の怪物らの姿がより明確に視認できた。
ヴェムルアと呼ばれた悪魔はどういうわけか隻腕となっていたが、獅子のたてがみのように逆立つ髪を靡かせ、その鋭利な眼を健人に向けている。ヤギを想起させるその姿、身体に震わせ、強い怒りを露にしていた。その傍らでクモの異形は黒い四つ目の付いた顔を僅かに俯かせ、肩を竦めている。その四肢に備え付けられた節足が暗い中で怪しく蠢く。
「だから自分の仕事以上のことなんてするもんじゃない」
「ほざいている場合か。始末するぞ」
「…全く、仕方ありませんな」
毒づくクモを無視し、悪魔が左腕を掲げた。その左手から夜のそれ以上の暗闇が吹き上がり、そして周囲に降り注いだ。世界がより黒く塗り変わっていく。そこはそれまであった、只の田舎道ではなくなろうとしていた。健人は自身に起こる超常的な事象に目を見開いて息を飲む。しかし我に返り、竦み上がって震える脚を、強引ながらも動かしてそこから逃れようと駆けだした。脚の運びが軽い。一足一足が飛んでいるようだ。それまでの自身の身体とは、明らかに動きのしなやかさが違った。だが、その運動機能を以てしても、暗闇に包まれゆく世界の外に出ることは叶わない。
「——っ!なんの冗談だよ、おい!?」
怯え、震えと共に叫ぶ健人だったが、直後に衝撃と共に自身の身体が吹き飛ばされるのを感じた。反射的に衝撃を感じた方を見ると、そこに居たのはアハトと呼ばれたクモの姿。その節足の動きも加わった蹴りが、健人の鳩尾を捉えたためだった。直後に背後に現れたヴェムルアが、棍のような獲物を健人のこめかみ目掛けて振るう。
”右から来るぞ!”
瞬間、何処からともなく響く声と共に反応し、咄嗟に身を竦ませながらも肥大した右腕で棍の一撃を防いだ。しかし及び腰であった故か、衝撃を殺しきれずに大きくよろめき後退する。異形二体はそこを逃さず、追撃にしてきた。襲い来る二体の姿に、恐怖のまま動くことができない。その時先の”声”がまた響いた。
”キーホルダー握れ、早う!”
「——っ…!」
咄嗟に左手を動かし、胸元を握る。シャツの中に着けていたキーホルダーを掴むと、再度赤い光が発し、暗闇の世界の中で閃いた。叫びながら身を丸め、強く目を閉じる。
「すぐここに引きずり込む手はずではあったが、こんなことは想定外だ…!」
「…それも大概にしてもらいたい」
閃光が収まると共に、耳に届く異形二体の声。それを知覚する意識はまだあった。健人は恐る恐る目を開けると、そこにあったのは大きな白い腕と二振りの太刀。自身の背後から伸びて異形らの攻撃を防ぐそれに、すぐ背後を振り返る。それと同時に、人間より二回りも大きい白銀の体躯を持つカラスが、こちらを向いて言った。
「早う動け!死にたいんか!!」
その言葉に慌てて三者の間を抜け出して逃れようとする健人を、尚もヴェムルアとアハトは追う。しかし白カラスの巨体もまた、健人の動きに追随していた。
「何でこっちに来るんだよ!?お前もあいつらの仲間か!?」
「お前が宿主だからじゃ、あいつらと一緒にすなや!」
自身に起きた不可思議な現象を問うも、訳の分からない言葉が飛んできた。宿主ってなんだよ、何がどうなってる…!?
「それより時間がない。早う奴らを退けんと、ここから戻れんくなる…!」
「退けるって…」
「ほいじゃからそのために、お前が戦わんとどうしようもない!」
「そんな…」
瞬間、ヴェムルアとアハトが健人に迫る。白カラスの太刀が大きく薙いだ一閃によって、襲い来る敵二体を身体ごと弾きはするも防戦一方。白カラスは尚も苛烈さを増す敵の攻撃を弾き続けるが、あまりにも迫られた事態に、健人たちは戦うための体勢を取ることも困難だった。
「…覚悟決めい!」
「なんの!?」
「生きて足掻くための覚悟じゃ!!」
背を向けこちらを守る白カラスからそんな言葉が飛んでくる。それは先の赤い光の中で聞いた声と同じもの、同じ”足掻く”という言葉。全身の強張りはその度合いを増す一方で、口からも”覚悟なんて簡単に言うな”と飛び出しそうだった。しかし白カラスの言葉は何故か自身の内に入り込み、健人の目を見開かせる。それは先の光の中で、終わりに首を振った故か。即座に頷くこともできなかった。だが泣きながらでも、未だ世界に在り続ける理由がある。それを思い、構えようとした瞬間だった。

「その必要はない…貴様の身を引き裂いて、あの女の下へ送ってくれる!」

ヴェムルアが、そう言った。白カラスの太刀と巨体を搔い潜りながら、確かに言った。”あの女”——一瞬誰の事かと思ったが、花森健人には直感的に一人だけ浮かぶ人が…いる。ヴェムルアはそのまま棍を健人に向かって振り上げるも、直後に垣間見たのは見開かれた健人の怒りの瞳だった。振り下ろされる棍の先を、肥大した右腕——槍腕で防ぎ、健人はそのままヴェムルアへと問う。
「…誰の事だ?」
「なに?」
「あの女って誰の事か聞いてんだ!!」
そして棍を往なした槍腕は、直後にその切っ先をヴェムルアに突き立てんと振り上げられた。

しかし突きだされる槍をヴェムルアは即座に躱す。同時に逆手で振り回された棍棒の先が健人の胸を即座に打った。呻き声を上げる健人の身に更に棍を打ちつけ、蹴りに繋げる。
「はっ…あの女も哀れよな。最後にした話が、貴様の情けないそれだったのだから…!」
「…てめえっ!」
そう告げながら健人への攻撃の手を緩めないヴェムルア。すぐにそこに駆け寄った白カラスの太刀の閃きがすぐにヴェムルアを飛び退かせるが、健人は悪魔の挑発に対して怒りに身を任せ、敵二体へと突撃しようとした。
「待てっ!」
「放せ!野郎、殺してやる!!」
「お前一人で突っ込んでも死ぬだけじゃ!」
「うるさい!アイツはミユ姉を…!!」
白カラスの大きな手に制止されながら、健人は既に半狂乱に陥っていた。絶叫し激しく抵抗するも、次の瞬間彼の身体は急に動きを止めてその場に倒れこむ。激しい怒りに尚も全身を震わせるも、身動きが取れない。自身の身体を注視すると、そこには幾重もの糸が巻き付けられていた。
「あーあ、喚いて暴れるから糸が締まっちゃったじゃねえか…なあ、シャバ僧」
「っ!…ふざけやがって…!!」
「健人…くっ!」
健人と白カラスが声の方を見ると、アハトが肩を竦めて言い放つ。直後に白カラスの太刀もアハトの張った”糸”に絡められ、その手から奪い取られた。そのまま太刀は地に落とされ、アハトの下へと引き寄せられる。
「貴方もいつまで戯れてるつもりです?全く、クソどもが」
「アハト…それは私に言っているのか?」
「つまらん挑発で上の者が敵に無用な情報を漏らすなど…戯れや茶番以外の何だというんです?…ヴェムルア様」
静かな口調ながら怒気を含ませて問うヴェムルアに、アハトは皮肉と共に彼の名を強調して返すと、左手で手ぐすねを引くように幾匹もの小さなクモを思わせる蟲を自身の周囲に喚び出した。
「で、お前だよ白いの…”エクリプス”でありながら、我々に刃向かうのは何故だ?」
「…とりあえず宿主殺されると俺が困るからじゃ…利害は一致せんぞ」
「ふん、生け捕りにでもしてどういうカラクリか吐かせてもいいが…貴様らからは面倒事の匂いしかしない」
鼻を鳴らすようにしてそう告げると、アハトは左手で健人と白カラスの方を指す。それに応じて蟲たちは宙に浮きあがり、そこで静止した。そして一瞬の静寂の後、アハトはドスの利いた声で言い放つ。
「さっさと死に曝せ、イレギュラー」
その言葉、命令を合図に蟲たちは二人目掛けて一直線に飛んでいった。瞬く間に蟲に取り付かれ、身体を噛みつかれた健人は驚愕と痛みに叫びを上げた。白カラスも纏わりつく蟲に舌打ちの音を発し、その顔を傾ける。
「下らんマネをしやがる。荒療治じゃが…健人、出来るだけ口閉じろ。舌嚙むぞ」
全身を蟲に包まれた健人を見遣ってそう告げ、白カラスは顔を上げる。そして掛け声を上げると共にその身体を輝かせ、赤い電流——否、雷撃を全身に迸らせた。暗闇の世界に赤い光が強く明滅する。次の瞬間には、蟲たちは雷光に宿る熱量に焼かれて滅し、その白銀の身体から剥がれ落ちていた。同時にアハトの下まで転がっていた太刀もまた、その形状を雷へと変え持ち主の下へと戻る。
「属性持ちだと!?ふざけた真似を…!」
アハトの反応を余所に、白カラスはその大きな手を健人にも向けた。瞬時に身に走る雷。自身に何が起きたかは認識しきれなかったが、その熱さと雷光の中で、健人は更に悲鳴を上げて藻掻いた。
「何すんだお前!ああぁっ!!」
「…それだけ動けりゃ、上等じゃろ」
「えっ…うご、ける」
身を焼くような一瞬が過ぎると、身体を支配していた蟲も糸も滅却され、塵芥となって消えていた。それを受け、健人は荒い息のまま身を起こし、状況を白カラスに問う。
「お前が掃ってくれたのか…てか、どうして俺の名前…」
「話は後じゃ。奴さん、しょうもない能力(ちから)を看破されてキレとる」
その言葉に弾かれた様に敵の姿に目を向けると、対するアハトはその四つ目を全て震わせ、右腕の節足で首を掻き切る動作を見せつけてきた。
「貴様ら…」
「やむを得ん、アハト。ここを”廃棄”する」
「なに?あんたは腕を取られ、俺は商売道具を消し炭にされた!今更…」
「だからこそだ。決して生かしては帰さん…何より、奴らは危険だ」
そして次の瞬間、ヴェムルアの眼が周囲の闇よりも濃い紫を放ち始める。それに呼応するように、暗闇の世界に渦巻く暗雲は、よりその流動を早くした。
「何したんじゃ…」
「さあ、何だろうな…精々、無様に足掻け」
ヴェムルアはそれだけ言うと、棍から光球を激しく撃ち出してくる。健人の槍腕と白カラスの太刀はこれを弾いて防ぐも、瞬時に駆けだしたアハトの右腕の節足が迫り出して伸び、健人の喉元を狙ってきた。だが、”動きが見える、見切れる——”。右顔のレンズを始とする向上した認識能力が、敵の挙動、筋肉の動きの一つ一つを捉え、その先を読み取ることができる。そして向上した身体能力を以て、辛くも節足の一撃を躱した健人は、咄嗟に左手でアハトの右腕を掴み寄せ、槍腕をその身に突き立てる。
「なにっ」
「やっと捉えた…失せろクモ野郎が!」
同時に身体からビリビリと、先の白カラスのような放電現象が起きた。叫びを上げる両者。健人から発される激しい放電に呻き苦しむアハトだったが、抵抗に四肢の節足が健人へと伸びる。しかし息を呑んだ瞬間、節足は健人の身に届く直前、その動きを止めた。眼前のアハトの四つ目から、その生命が消えていく。その傍では白カラスの太刀がアハトを貫き、絶命させていた。そしてすぐさまヴェムルアの光球の弾除けにすると、アハトの身はその直撃を受けて爆ぜて消えていった。
「マジで碌でもないのと組むとシャレにならん…お互いにな」
「ああ、全くだ…アハトのバカが。互いに消耗したが、貴様らはこの闇と共に消えてもらう」
毒づくと同時にヴェムルアの目は再度紫に光り、暗雲は更に流動を早める。そしてヴェムルアが暗闇の向こうへと踵を返したその時、健人は絶叫した。
「逃げんなクソ野郎!てめえ!」
「今はいかん!ここは危険じゃ、これ以上は…!」
「止めるな、カラス!何も知らない癖に!」
「ヤケを起こせば仇も討てんぞ!!」
自身の無謀を止める白カラスの言葉を受け、周囲でその流れを早める暗雲とその向こうに消えゆくヴェムルアの姿を見つめる。見つめることしかできなかった。怒りに塗れて忘れていたが、常軌を逸した暗闇の空間と自らの変化、一連の戦闘と特異に過ぎる状況の連続。心身が消耗した中で、それまでの恐れをようやく再自認する。だがヴェムルアが暗闇の世界から完全にその姿を消そうとした瞬間、健人はその眼を見開き今一度怨嗟の叫びを上げた。
「俺はあの人みたいに優しくねえぞ!てめえも絶対に殺してやる!!」
その叫びにヴェムルアは一瞬だけその動きを止めて僅かに顔を傾ける。しかしこちらを見返すことはなく、暗闇の向こうに消えていった。
「足掻いたところで、全ては消えゆく定めよ」
その言葉の真意は如何なるものか、考える時間も余裕もない。度重なる危機の連続に、健人は既に憔悴しきっていた。意識も薄れて途切れかかる中、自身の怒りと白カラスが語り掛ける声がどこか遠くに響く。
「チクショウ…」
「…今はそれでいい。ほいじゃが俺も時間じゃ。残りの力で…」
その声を最後まで聞き取る前に、花森健人は再度その意識を手放した。幾度目かの光を発する白カラスの赤に、消えゆくように——。

そこは朝憬市の何処か、夜空の下の廃工場。隻腕となった黒コート——ヴェムルアが人間そのままの姿で鉄骨の柱にもたれ掛かり、その身を休ませていた。だがその意識は程なく周囲に張り巡らされ、彼の眼を鋭く瞬かせる。
「招かれざる客だ、またの機会にしてくれないか」
「どうした…酷く不機嫌だな、旦那」
「ああ、貴様に見下されているとなると猶更だ。カイルス」
ヴェムルアが見つめるその先には、既にフォーマルスーツに身を包んだ茶髪の青年が彼を見下ろしていた。青年——カイルスはヴェムルアの言葉を鼻で嗤って、その苛立ちを更に買う。だがそれに構う様子のないまま、「ああ、ところで…」と前置きもそこそこに、カイルスは話を切り出した。
「アハトは何処だ?」
「…アレは貴様の差し金か」
「さて、何のことか…俺は奴の掴んだという重要案件を追って、ここに辿り着いただけだ」
「見え透いた虚言をいけしゃあしゃあと」
ヴェムルアは即座に毒づくも、カイルスは何事も無かったように彼の眼前にしゃがみ、再度強く問い質す。
「それよりも、アハトは何処だ?」
「知らん」
「虚言かましてるのはどっちだよ…ったく」
カイルスの目は既に、それまでのほくそ笑んだそれではなく、眉を顰めた詰問のそれに変わっていた。辟易したヴェムルアに構うこともなく、一方でその目を睨みつける彼の視線を逃すこともない。
「アンタと奴が共に行動していたことと、あの女を殺したことまではわかってんだ」
「それがどうした。貴様に全てを開示する必要がどこにある?いちいち嗅ぎまわるほど暇ではないだろう?」
「…あくまで白を切るならそれでもいいが、もう察しはついてんだよ」
「なら俺に話させずとも、精々妄想でもしていればいい」
平行線を装う返答。それに伴う一瞬の沈黙が暗い廃工場を静寂にする。しかし話の主導権はあくまでカイルスにあった。その賢しさに反吐が出る。ヴェムルアの胸中はその思いに煮えくり返る。その怒気を以て彼はカイルスから目を外すことなく睨み続けていた。
「なら…取引という形ならどうだ?ヴェムルアさんよ」
カイルスがその優位性を保持したまま静寂を破る。その提案に対する怪訝さに、ヴェムルアもまた僅かに眉を顰めた。腹の読めぬ嘲笑を殴りつけたい思いを抑え、彼は静かにその一応の意図を問う。
「何が言いたい…」
「その腕、お上から”揮石”を融通してやってもいい。それで義手でも拵えられるだろ」
そう告げながらカイルスはヴェムルアの片腕を失ったコートの袖を掴もうとするも、ヴェムルアはその手を払うように身を捩った。しかしカイルスは尚も言葉を続ける。
「見返りは、あの女の命から読み取った情報と、アハトとアンタを今のようにしたものは何か…提供してもらいたい。悪い話じゃないだろ?」
「随分と余裕ぶった取引だ」
「ああ、少なくとも今のアンタよりは余裕だな。で、飲むか?飲まなくても、俺はこのことをお上にタレこむだけだ」
そうしてカイルスは立ち上がると、自身の左手をヴェムルアの左手に向けて差し出した。ヴェムルアは虫唾が走りながらもその手を取る。夜空の深淵には、もう星一つ瞬くことはなかった。

2020年4月24日。花森健人が目を冷ますと、まず視界に入ってきたのは清潔感を感じさせる白い天井だった。ここは、どこだ?続いて感じたのは手に感じる柔らかな温み。まだ半開きの目線が、その温みを辿る。そこには疲れた顔で自分を見守る母、純子(すみこ)の姿があった。
「母…さん?」
「けん?…けん…!よかった…」
母の頬が涙で濡れる。ああ、また泣かせてしまった。幼いころから苦労をかけてしまっていたと思う故か、母の泣き顔にはどうにも罪悪感を感じてしまう。だけど良かった、母さんが居てくれて。酷く悪い夢でも見ていたんだ。そうだ、あんな特撮か漫画みたいなこと、あるわけないじゃないか。そう思うと、健人自身の頬にも自然と涙が伝った。
「ごめんね」
「…ううん、心配だったけど無事でよかった。大変だったね」
顔をくしゃくしゃにしながら、労りの言葉をかけてくれる母の優しさが嬉しい。しかし、"大変だった"——確かにその通りだ。でも、あれが夢だったのなら、なんで母さんが"大変だった"と思うんだ?そもそもどうして俺は今、この病室のベッドに居るんだ…?
「母さん…俺、どこで見つかったの?」
状況から察するに、誰かが自分を見つけなければここには居らず、また母たち家族にも伝わることはない。ここまでの出来事に対しても、今の状況の確認という意味でもそう聞いてみた。
「けん、大学からアパートに帰る途中だったのかな…朝陽町の街外れの畦道だって、警察の人から…」
情景がありありと浮かんでくる。あれは、夢じゃない?俄には信じられない。いや、認められない。だが、あの悪魔たちに暗闇の世界へ引きずり込まれる直前までいたのと同じ場所だ。事実として自分はそこにいた。その事実が、健人の顔を恐怖にひきつらせた。
「けん?…どうしたの…?」
その様子に、純子も息子を気遣う故か、慎重にそれだけを問いかける。だがそんな母の問いに対し、健人はすぐに答えることが出来ない。どう説明すればいい?どこから説明すればいい?頭が痛み、戸惑いに意識が揺れる。しかしそんな中にあっても一つだけ確かめなければいけないことがあった。その思いに、上半身をベッドから起こしながら口火を切る。
「…母さん。俺、この間…日原さんに会ったんだ」
「えっ…」
「その後で…なんていうか、訳の分からない奴らに襲われた」
健人からの不意の一言に純子の顔に僅かに力が入る。だがそれを読み取って尚、健人は話さないわけにはいかなかった。大切に思った人の命が係っているのだから、避けようがない。
「その時、そいつらの一人が俺に言ったんだ。”あの女のところに送ってやる”って」
「けん、もう…」
「日原さん、死んでるかもしれない」
戦慄、そして沈黙。動揺と不安に、空気が重苦しい。健人は瞳を震わせながらも、その顔を何処か虚空を向けていた。その様を見る純子もまた、右手を胸に当て眉を寄せる。そして深い呼吸を一つして、どうにか言葉を絞り出した。
「…今は落ち着くのが先。そのことは追って話しましょう」
「でも…」
「少しでいいから、時間がいる。けんも、私も…由紀たちに目が覚めたのを伝えてくるね」
「…わかった」
そうして純子は患者のプライバシー確保のためのカーテンを開ける。共に見舞いに来ているのであろう、姉の由紀の下に向かう体で病室を後にする母の背を、健人は沈痛な思いで見送った。

日原望結の件と自身に起きた事象に不穏な思いを抱きながらも、起こしていた身を再びベッドへと横たえようとする。その時、健人は胸元に違和を覚え、胸に手を当てた。常に首から胸にかけていたネックレス付きのキーホルダーが、ない。病院に担ぎ込まれた際に、処置すべく医師たちに取り外されたのだろうことは容易に想像がついた。しかし超常的かつ異常な出来事によって不安定な中、”お守り”としていたあのキーホルダーが自身の下にないことは、それだけで健人を更に不安にさせる。どうにかベッドを抜け出し、窓際にあるクローゼットや引き出し、実家から持ち寄られた大きなバッグの中を全て開けてキーホルダーを探すと、見つけた。キーホルダーは財布やスマートフォン、一連の貴重品と共にバッグの中にしまわれていた。
「良かった…」
そう一言小さく呟き、キーホルダーを手に取る。

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//ギルです。その後、なんかエクリプスサイドの閑話が入りました(;'∀')

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