No.1 2/4 (Update) version 2

2021/10/16 15:25 by someone
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白紙のページNo.1 2/4 (Update)
 2020年4月13日。その日の朝憬英道大学文学部一回生、花森健人(ハナモリケント)のスケジュールは、言語学と哲学概論の講義が午前中に1コマずつ。午後は自宅アパートの最寄りの古本屋兼ゲームショップ“ぶりっじ”でのアルバイト勤務が3時間だった。
「…腰痛い」
昨日は3時間も姿勢悪く、机に座してパソコンで”落書き”を描いていたからか、19歳にして時折少々感じる腰痛が出てきている。そんな一日の始まり、おまけに月曜日———面倒以外の何物でもない。起きるの怠い…ホント怠い。一応タスクは軽めにしているが、この起き抜けにカーテンの向こうから差し込んでくる朝日。不意に突き付けられる現実感。こうも身体も意識も重苦しい日には、布団の外には出たくない。スマートフォンのアラームが鳴る。二週間前、大学入学と同時に買い換えたばかりで、その音色は初期設定のままだ。そのエレクトロな音色が、未だカーテンを閉めきった薄暗い部屋の中に響く。
「あぁ…」
訪れる一日の始まりの音が鬱陶しい。まだ少し意識が微睡むその間も、アラームは規則的なリズムで鳴動を続ける。そう急かすなよ、頼むから…健人はスマートフォンを半開きの眼で睨みつけ、その電源ボタンを押すと、光るディスプレイに表示されたロック画面を操作する。“AM6:30”と表示するアラームアプリを憎々し気に停止した後、彼はベッドからその身を起こした。布団の温かさから離れてすぐは、まだ4月中旬の気温は少し肌寒い。カーテンを開けて朝日を部屋に取り込むも、その眩しさに目を細めてしまう。“気持ちがしんどくならないように、日当たりだけはいい場所を”と両親に言われて借りた1Kだが、特段感情に変化はない。一日の最初の一呼吸には、冷たさと虚無が含まれていた。

 9:00開始の言語学の講義では、人の意思疎通の媒体である言葉、その本質というものについて教授が論じ、続いて10:40の哲学概論では、世界の成り立ちや人間とは何かを教授が学生に問いただす。だが健人はそれに真面目に取り組もうとは思えなかった。そんなことが何だというのか。分かったようなことを言いたいだけだろう?心中でそんな台詞を吐き捨て、講義を聞き流しながら、座した長机の下でスマホゲームの周回に勤しむ。やがてゲーム内のスタミナが無くなれば、ノートを取るフリをしながら、彼は自分の空想するキャラクターのラフ画を”落書き”していた。“ただ平穏にいること”…それが、くたびれた残りの人生をやり過ごすために、健人が唯一心掛けることだった。
 午後に入ると、キャンパス内にある学生食堂の隅で健人は一人、唐揚げ定食を食し、大学を出て“ぶりっじ朝憬店”に向かうべく自転車を漕ぐ。到着して仕事仲間に一応の挨拶を交わし、仕事着であるネイビーブルーのエプロンを肩にかけたころには時間は12:53だった。基本的にシフトは平日の昼間に入れることにしている。勤め始めたばかりということがあり、この時間から慣れようという店側の配慮もあってのことだが、正直忙しい時間にシフトを入れられるなど冗談ではない。オタク趣味で特撮を始め、漫画やゲームをそこそこ嗜んでいたから、これらを扱っているぶりっじでのバイトを始めてみたが、面倒な接客・電話対応、一向に慣れないレジ打ち、商品の配置やバックヤードの管理は法則がわからない…要はこれら全てが向いていない。今日も同僚であるパートの主婦、松山にゲームソフトの包装の仕方がなってないと指導を受ける。それは仕方ないとしても、すぐに「違うでしょう」とこちらの余裕を奪う言い方をしてくる、険しいおばさんの顔の皺を見ながらふと思った。気楽なもんだ…この人生やってみろよ。
 バイトを終え、アパートに帰ろうと17時前にぶりっじから発った。どこか遠くに行きたいと思うが、そうしたところでこの息苦しさは付いて回る。“花森健人の自我”とこの“息苦しさ”は切り離すことは難く、どこかに置いていくこともできない。最初からそういう構造の人間だからだ。
近所のスーパーで一応の自炊のための食材を買いに行かねばならない。しかし自身の構造を呪う思考や、ここまでの人生に係わってきた全てを嘲りたい醜悪な感情に、健人の心は乗っ取られる。今はせめて、そこから離れたい。自転車は遂に目的地のスーパーとは別方向へ走り出した。      

2020年4月13日。その日の朝憬英道大学文学部一回生、花森健人(ハナモリケント)のスケジュールは、言語学と哲学概論の講義が午前中に1コマずつ。午後は自宅アパートの最寄りの古本屋兼ゲームショップ“ぶりっじ”でのアルバイト勤務が3時間だった。
「…腰痛い」
昨日は3時間も姿勢悪く、机に座してパソコンで”落書き”を描いていたからか、19歳にして時折少々感じる腰痛が出てきている。そんな一日の始まり、おまけに月曜日———面倒以外の何物でもない。起きるの怠い…ホント怠い。一応タスクは軽めにしているが、この起き抜けにカーテンの向こうから差し込んでくる朝日。不意に突き付けられる現実感。こうも身体も意識も重苦しい日には、布団の外には出たくない。スマートフォンのアラームが鳴る。二週間前、大学入学と同時に買い換えたばかりで、その音色は初期設定のままだ。そのエレクトロな音色が、未だカーテンを閉めきった薄暗い部屋の中に響く。
「あぁ…」
訪れる一日の始まりの音が鬱陶しい。まだ少し意識が微睡むその間も、アラームは規則的なリズムで鳴動を続ける。そう急かすなよ、頼むから…健人はスマートフォンを半開きの眼で睨みつけ、その電源ボタンを押すと、光るディスプレイに表示されたロック画面を操作する。“AM6:30”と表示するアラームアプリを憎々し気に停止した後、彼はベッドからその身を起こした。布団の温かさから離れてすぐは、まだ4月中旬の気温は少し肌寒い。カーテンを開けて朝日を部屋に取り込むも、その眩しさに目を細めてしまう。“気持ちがしんどくならないように、日当たりだけはいい場所を”と両親に言われて借りた1Kだが、特段感情に変化はない。一日の最初の一呼吸には、冷たさと虚無が含まれていた。

9:00開始の言語学の講義では、人の意思疎通の媒体である言葉、その本質というものについて教授が論じ、続いて10:40の哲学概論では、世界の成り立ちや人間とは何かを教授が学生に問いただす。だが健人はそれに真面目に取り組もうとは思えなかった。そんなことが何だというのか。分かったようなことを言いたいだけだろう?心中でそんな台詞を吐き捨て、講義を聞き流しながら、座した長机の下でスマホゲームの周回に勤しむ。やがてゲーム内のスタミナが無くなれば、ノートを取るフリをしながら、彼は自分の空想するキャラクターのラフ画を”落書き”していた。“ただ平穏にいること”…それが、くたびれた残りの人生をやり過ごすために、健人が唯一心掛けることだった。
 午後に入ると、キャンパス内にある学生食堂の隅で健人は一人、唐揚げ定食を食し、大学を出て“ぶりっじ朝憬店”に向かうべく自転車を漕ぐ。到着して仕事仲間に一応の挨拶を交わし、仕事着であるネイビーブルーのエプロンを肩にかけたころには時間は12:53だった。基本的にシフトは平日の昼間に入れることにしている。勤め始めたばかりということがあり、この時間から慣れようという店側の配慮もあってのことだが、正直忙しい時間にシフトを入れられるなど冗談ではない。オタク趣味で特撮を始め、漫画やゲームをそこそこ嗜んでいたから、これらを扱っているぶりっじでのバイトを始めてみたが、面倒な接客・電話対応、一向に慣れないレジ打ち、商品の配置やバックヤードの管理は法則がわからない…要はこれら全てが向いていない。今日も同僚であるパートの主婦、松山にゲームソフトの包装の仕方がなってないと指導を受ける。それは仕方ないとしても、すぐに「違うでしょう」とこちらの余裕を奪う言い方をしてくる、険しいおばさんの顔の皺を見ながらふと思った。気楽なもんだ…この人生やってみろよ。
 バイトを終え、アパートに帰ろうと17時前にぶりっじから発った。どこか遠くに行きたいと思うが、そうしたところでこの息苦しさは付いて回る。“花森健人の自我”とこの“息苦しさ”は切り離すことは難く、どこかに置いていくこともできない。最初からそういう構造の人間だからだ。
近所のスーパーで一応の自炊のための食材を買いに行かねばならない。しかし自身の構造を呪う思考や、ここまでの人生に係わってきた全てを嘲りたい醜悪な感情に、健人の心は乗っ取られる。今はせめて、そこから離れたい。自転車は遂に目的地のスーパーとは別方向へ走り出した。