2 千想の魔法 4.執筆中……【v.8】 みんなに公開
尾行
まだ薄く霧のかかった、朝の森。木々の間を、一人の青年が歩いている。その後ろを、エイミーがひっそりと追っていた。木の陰に身を隠しながら、一定の距離を保つ。
前を歩くのは、先ほどシエルに教えてもらった男――イジェンド。
まだ日も出ていない頃、エイミーは時計塔でシエルと合流した。
「彼がイジェンドだよ」
シエルが指した先で、イジェンドは街を抜け、森へ向かっていった。
エイミーはその背中を追い、今も気付かれないまま尾行を続けている。
「……」
不意にイジェンドが足を止めた。その先に、影魔がいる。
一体、二体――。エイミーは数えていたが、八体目を数えたところで諦めた。
多すぎる。調査団なら、数人で行動していたとしても即座に撤退する数だ。
けれど、イジェンドは剣を抜いた。次の瞬間、炎が走った。
「……!」
エイミーの身体が強張る。
何体もの影魔をまとめて呑み込んでしまいそうなほどの炎が、あっという間に広がる。
影魔の群れが、炎に包まれた。その中を、剣の軌跡が舞う。黒い身体が次々と灼き斬られ、炎の向こうへ消えていく。
あれだけいた影魔が、ほんのわずかな時間で片付いていく。
エイミーは目を離せなかった。
「……やっぱり」
小さく呟く。
カルナの使い手は、そもそも数が少ない。その中で炎のカルナを使う者といえば、もう二人といないだろう。昨日は彼の姿に変身できるカルナ使いがいて惑わされたけど、今度こそ間違いない。
「……」
エイミーは弓に手を添えた。目の前の青年を、じっと見つめる。彼は既に、あれだけいた影魔の群れを片付けて剣をしまい直している。
圧倒的な強さ。あの数を相手に、ひとりで、無傷で渡り合える。そんな強さはほかに類例がない。疑念が確信に変わるには十分だった。
――見つけた。
対峙
影魔の群れを片付けたイジェンドは、剣を鞘へ収めた。
その時だった。木々の間から、淡い光の輪が飛んできた。
「……!」
イジェンドは身を引いた。
しかし、光の輪は地面すれすれを追いかけるように動き、左足首のあたりを囲んだ。
「……なんだ、これ」
足を引こうとする。だが、左足が異様に重い。
少しずつなら動かせるものの、踏み出そうとすると、まるで足だけに重りをつけられたような感覚があった。
「やっと見つけたわ、炎の魔女」
木の陰から、エイミーが姿を現す。
「炎の魔女?」
イジェンドはエイミーを見る。
「ええ。その呼び名に、聞き覚えがないとは言わせないわよ」
「なんのことだ」
「とぼけないで」
「知らん」
イジェンドはそれだけ言うと、輪から足を引き抜こうとする。やはり、思うように動かない。
「簡単に逃げられると思わないことね。その光環は、ものの“速度”を変えられるの。どう?そこから動けないでしょう」
「……これがお前のカルナか」
エイミーは弓を構えたまま、じわじわと距離を詰める。
「私はあなたに聞きたいことがあるの。そのためにここまで来たのよ」
イジェンドは黙ったままだった。
「……十年前、私は家族を失った。」
エイミーの声が震える。
イジェンドは思わず動きを止めた。
「お前……」
「どうして……」
エイミーが唇を噛む。
「どうして、あんなことをしたの!」
声が、森の中に響いた。
「家族も、友達も……みんな、あの炎に焼かれたのよ!」
「……」
エイミーは荒い息を吐く。
しばらくして、少しだけ声を落とした。
「……十年間、ずっとあなたを探してた。」
弓を握る手に、力がこもる。
「……答えて。どうしてあんなことをしたの。」
エイミーがイジェンドを鋭く見つめる。その目には涙が滲んでいた。
しばらくの沈黙。
やがて、イジェンドが静かに口を開いた。
「……お前のことは知らない。」
エイミーの表情が強張る。
「お前に何があったのかも知らん。」
「……」
「だが、俺には関係ない。」
「なっ……!」
エイミーの目が大きく見開かれる。
「私にはあるの!」
エイミーが声を張る。
「あなたが、なにもかも奪ったんだから!」
「……」
エイミーは弓を握り直した。
「あなたを許さない……!」
「……そうか」
イジェンドはもう一度足下の光の輪を見ると、剣を抜いた。
「えっ――」
振り下ろされた剣が、光の輪を叩きつける。
甲高い音が響き、輪が砕けるように消えた。
「……!」
イジェンドは剣を収める。そして、そのまま森の奥へ歩き出した。
「ちょっと、待ちなさい!」
エイミーが弓を引く。しかし、矢ではなかった。代わりに握られているのは、淡い光の輪。
エイミーが弓を引き絞る。矢ではなく、光環が放たれた。前方に現れたもうひとつの光環を通り抜け、一気に加速した光環がイジェンドへ迫った。
「……!」
イジェンドは身をかわそうとする。しかし、光環は右足を捉えた。
「……やめろ」
「逃げようとするからでしょう!」
イジェンドは足元へ剣を振り下ろし、光環を破壊する。
エイミーが次の光環を放つ。
イジェンドは身をかわし、飛んできた光環を剣で弾いた。
「……しつこいぞ」
「しつこくもなるわよ!」
イジェンドが剣を構える。
エイミーも弓を引き絞る。
ふと、イジェンドの手が止まった。
「……お前」
「なによ」
「エイミーか」
「……え?」
イジェンドは剣を下ろさない。
「弓と光環を使う女だと聞いている」
エイミーの表情が変わる。
「……知ってたのね」
そして、涙を拭う。
「そうよ。私はエイミー。炎の魔女の復讐者よ!」
広場
朝の広場はたくさんの人で賑わっていた。人の声があちこちから聞こえてくるのが、心羽には心地よかった。
「じゃあ、はいこれ」
シエルが手のひらを差し出した。その上には、金貨が一枚と銀貨が三枚載っている。
「これは?」
「昨日、キミが影魔を追い払ってくれた分の報酬だよ。」
「ありがとう」
心羽は、怪我をしていない方の手で硬貨を受け取った。
「それにしても、施療院では休むように言われたんだろう? 出かけてきてよかったのかい?」
「だって、一人でいると寂しいんだもん。ちょっと散歩するくらいなら、いいかなって」
心羽がそう言うと、シエルは呆れたように肩をすくめた。
「ははっ、なるほどね。キミの言う『休む』は、ずいぶんと広いらしい」
シエルは軽く笑った。
「これって、何に使えるの?」
心羽は手のひらに載せた硬貨を見つめながら、首を傾げる。
「お店で、いろんなものと交換できるよ。食べ物や道具を買うこともできるし、誰かに何かを頼む時にも使える。たとえば、ボクなら情報と交換してあげられる」
「へぇー。情報とも交換できるんだ」
心羽は感心したように呟いた。
「じゃあさ、カルナってなに?」
「お、さっそく情報のご注文だね」
シエルは心羽の手のひらから、銀貨を一枚回収した。
「カルナねえ。ざっくり言うと、その人だけが使える力のことだよ」
「その人だけが?」
「うん。たとえば、イジェンドなら燃焼のカルナ。エイミーなら光環のカルナ。ボクも風のカルナを使う。それぞれ、できることが違うんだ」
「じゃあ、みんな何かしらのカルナを使える?」
「ううん。カルナ使いはすごく珍しい。でもそれは、カルナを使える人が限られているって意味じゃないんだ」
「どういうこと?」
「カルナは、生まれつき使える人もいれば、後から使えるようになる人もいる。今は使えない人だって、まだカルナを使えるようになっていないだけかもしれない」
「じゃあ、誰でもカルナ使いになれる?」
「可能性はもちろんある。ただ、目覚めるカルナは人それぞれなんだ。同じカルナを持つ人は、基本的に二人といないよ」
心羽は首を傾げた。
自分も、イジェンドと同じ力を使ったはず。
「あれ? じゃあ私のカルナって……」
「いや、キミはカルナ使いじゃないよ」
「え? 違うの?」
心羽が目を丸くする。
「カルナ使いが力を使えば、その後には痕跡が残る。でも、キミにはそれがないからね」
「じゃあ、私の力は何なの?」
「それは、ボクに聞くことなのかい。」
「えっ」
「キミ自身がそう言ってたじゃない? “魔法”って」
「ピィ!」
その時、一羽の小鳥が、上空から勢いよく飛んできた。
シエルが腕を差し出すと、小鳥はそこへ止まった。
「おや。どうしたんだい?」
「ピィ、ピィ!」
小鳥は忙しなく羽を震わせながら、シエルに何かを伝えている。
「……なるほどね。伝えてくれてありがとう。」
小鳥はひとしきり鳴くとすぐに飛び立った。
シエルはその姿を見送ると、表情を引き締めた。
「心羽、ごめん。ちょっと急用ができた。またあとで!」
シエルが立ち去ろうとした、その時だった。
「待って。イジェンドとエイミーが大変なんでしょ? 私も行く!」
心羽がそう言うと、シエルは驚いたように目を見開いた。
「……どうしてわかったんだい?」
「お金なら払う! 連れてって!」
シエルは困ったように笑い、それから小さくため息をついた。
「もう、しょうがないなぁ。怪我してるってこと、もっと自覚してね?」
シエルは心羽の体を抱きあげ、そのまま森へ向かって飛び立った。
交錯
「待って!」
森の中に、心羽の声が響いた。
イジェンドとエイミーの間に、心羽が割って入ってくる。
「二人とも、どうして戦ってるの!?」
イジェンドは一瞬、心羽を見る。
その後ろに、シエルの姿を捉えた。
「シエル!」
低い声が飛ぶ。
「こいつに余計なこと吹き込んだだろ! どうにかしてくれ!」
「吹き込む? なんのこと?」
シエルはいつもの調子で答えた。
「ボクは案内をこなしただけだよ」
「……はぁ。もういい」
イジェンドは剣を下ろした。
心羽越しにエイミーを一瞥すると、そのまま森の奥へ歩き出す。
「あっ、ちょっと! 待ちなさい!」
エイミーがすぐに後を追おうとする。
その手を、心羽が掴んだ。
「待って! 何があったのか聞かせて?」
エイミーは驚いたように心羽を見る。
「離して!」
「でも、ケンカしないで!」
「これはケンカなんかじゃ……!」
エイミーは言いかけて、心羽の顔を見る。
「……っ、分かったわ。」
エイミーは小さく息を吐き、弓を下ろした。
心羽も手を離す。
二人は前を歩くイジェンドを少し後から追い始めた。
「先に聞いてもいいかな。どうして戦ってたの?」
エイミーは一瞬、言葉を探した。
「……イジェンドに、聞きたいことがあったの」
「聞きたいこと?」
「ええ。でも、話してくれなくて」
エイミーは前を歩くイジェンドへ目を向ける。
「何度か聞こうとしたんだけど……うまくいかなかったわ」
「それで、戦いになったの?」
「……そういうこと」
心羽は少し考える。
「じゃあ、私から聞いてみるよ」
「え?」
「イジェンドに聞けばいいんだよね?」
エイミーは驚いたように心羽を見る。
「ううん。あなたが聞くことじゃないわ」
エイミーは首を振った。前方で揺れる赤髪を見つめる。
「これは、私とあいつの問題だから」
違和感
木々の隙間から、黒い影が次々と姿を現した。
「……また?」
エイミーが目を細める。
手前に、三、四体。その奥にも、複数の影がちらついている。
「多すぎるわね……」
イジェンドは足を止めた。そして、わずかに振り返る。
後ろには、心羽とエイミー。そのさらに後ろにシエルがいる。
三人の姿を横目に確かめると、イジェンドは前へ向き直った。
剣を抜く。
次の瞬間、剣を握る腕から炎が噴き上がった。
森の中が赤く染まる。
炎に照らされた斬撃が、影魔を次々に斬り伏せていく。
それでも止めどなく現れる影魔に、イジェンドはさらに炎を強めた。
炎の余波だけで、三人は近付くことさえできなかった。
「すごい……」
心羽は目を輝かせる。
何度見ても、イジェンドの戦いは凄かった。
炎の中を剣が走るたび、影魔が消えていく。
「やっぱり、イジェンドは強いなぁ……」
その隣で、エイミーは何も言わず前を見つめていた。
その赤い炎を見ているほど、胸の奥が重くなる。
目の前で燃えているのは、自分からすべてを奪った炎。
「……」
エイミーは小さく息を吐いた。
心羽はふと視線をあげ、隣のエイミーを見る。
さっきまでと違う、神妙な眼差し。
すると、エイミーから淡い星座の光が浮かび上がった。
イジェンドの時に見たものとは違う形。
「……もしかして」
心羽は思わず手を伸ばしかける。
しかし、その瞬間。
エイミーの表情がいつものものに戻った。
星座の光もすっと消える。
「それにしても……」
エイミーが口を開いた。
「この辺り、影魔がやけに多いわね」
「そうなの?」
エイミーは前方でイジェンドに襲いかかる影魔の群れを顎で指した。
「さっきもあれぐらいの影魔の群れを見たんだけど、あんなに集まることなんて滅多にないわよ。この辺り、何かあるのかしら」
「シエルなら、なにか知ってるかも……?」
心羽が振り返る。
シエルは腕を組み、少し考えるような素振りを見せた。
「うん。知ってるかもしれないね」
「やっぱり!」
「いくら出してくれるの?」
シエルは何食わぬ顔で言った。
「うわ、がめつい……」
エイミーが呆れたように言う。
「情報をタダで話しちゃったら、ボクの商売はあがったりさ。」
「私、お金なら持ってるよ!」
心羽は袋の中のお金を全て取り出した。
「心羽、キミはもう少しお金を大事にしようか。」
そのとき、前方の炎が静かに収束した。
シエルが視線を向ける。
既に影魔の群れは倒し尽くされ、イジェンドは何事もなかったように剣を収めた。
そして、再び森の奥へ歩き始める。
「あっ、行っちゃう!」
エイミーが後を追う。心羽とシエルも、その後に続いた。
「いや、ボクから聞くまでもない」
シエルが前方を見ながら呟く。
「彼がこのまま進んでいけば、じきにわかるさ」
森道
その後も、四人は何度となく影魔と遭遇した。
イジェンドは足を止めることなく、炎をまとった剣で影魔を倒しながら森の奥へ進んでいく。
エイミーも遅れまいと、光環を通した矢で影魔を牽制しながら進む。
「じゃあ、私も……」
心羽も星晶をかざそうとする。
しかし――
「心羽!」
エイミーの声に、心羽はびくっと肩を震わせた。
「っ、なに?」
「そんななりで戦う気?」
エイミーが心羽の腕と肩を見る。
「その怪我のこと。もう今更だけど――あなた、本当は家で安静にしてなきゃいけないのよ」
「でも、もう動けるよ?」
「そういうことじゃないの。痛みだって、まだあるでしょう?」
「……うん」
心羽は自分の肩へ手を当てる。
まだ少し痛む。
「無理して動いたら、傷が開くこともあるのよ」
「……そうなの?」
「ええ。それに、戦っている途中でまた痛くなったらどうするの?」
「うーん……休む?」
「そうなる前に休むの」
エイミーは呆れたように言った。
「少なくとも、今日は変身はダメ。分かった?」
「うん……」
心羽はしょんぼりと頷いた。
その様子を見ていたシエルが、面白そうに笑う。
「あっはっは。ちゃんと怒ってくれる人がいてよかったね、心羽」
「むぅ……」
心羽は頬を膨らませた。
その時、前方を歩いていたイジェンドが足を止めた。
「……?」
彼の向こうだけ、木々が途切れている。
その先には、いくつもの古びた建物が並んでいた。
屋根は崩れ、壁もところどころ朽ちている。かつて道だった場所は草木に覆われ、崩れた家々には蔓草が絡みついていた。
瓦礫の隙間からは、黒く炭化した木材が覗いている。
「村……?」
心羽が呟く。
けれど、そこには人の気配がまるでなかった。
エイミーは、その光景に釘付けになっていた。
「……」
「……エイミー?」
心羽が声をかける。
エイミーはすぐには答えなかった。
「おい、情報屋」
イジェンドが振り返る。
「これはどういうことだ。なぜここに影魔が集まっている」
シエルは廃村を眺めながら、肩をすくめた。
「ここを調べれば、すぐにわかるさ。」
「……そうか」
イジェンドはシエルを一瞥した。
「お前は、そういう奴だったな」
イジェンドはそれ以上聞くことを諦め、廃村へ向かって歩き出した。
その背中を見送った心羽は、エイミーをちらりと見る。
彼を追いかけようとしない。
心羽は不思議そうにエイミーを見つめる。
「……私の故郷も」
エイミーがぽつりと呟く。
「……こんなふうになっているの?」
その声は、かすかに震えていた。
廃村
廃村へ足を踏み入れた。
おびただしい数の影魔が群れている。
その中を、イジェンドが炎をまとった剣で次々となぎ倒していく。
三人はその後を歩く。
「……」
エイミーは、倒壊した家屋から露出した黒い木柱を目に留めた。
焼け焦げ、炭化している。
炎の痕跡。
まさか、この村も炎の魔女が……?
エイミーは目を逸らし、前へ進んだ。
その時、一体の影魔がこちらへ飛びかかってくる。
エイミーは光環を浮かべ、弓を引いた。
放たれた矢が影魔を貫く。
黒い身体が霧のように崩れ、地面へ消えていった。
その先に、苔むした石碑があった。
表面には文字が刻まれている。
「……ベリコ村」
エイミーが読み上げた。
「この村の名前?」
心羽が隣から覗き込む。
「ベリコ村かぁ」
シエルが後ろから石碑を眺める。
「たしかに、名前を聞かなくなって久しいなぁ」
エイミーはもう一度その名前を見る。
自分の故郷にも、村の名前を刻んだ石碑があった。
隣には小さなパンジーの花壇があって、そこを手入れする庭師さんの息子とよく遊んでいた。
花壇の間を走り回って。怒られて。
それでも、また遊びに行って。
今はもう――。
「エイミー?」
心羽の声で、我に返る。
「……なんでもないわ」
エイミーは歩き出した。
思い出したくなかった。
けれど、足は止まらない。
村の奥へ進むほど、影魔の数は増えていく。
「多いわね……」
エイミーは矢を放ちながら呟いた。
イジェンドが前方の影魔をまとめて薙ぎ払う。
炎の向こうに、開けた場所が見えた。
「……?」
その時、イジェンドが足を止めた。
視線の先に、異質な黒い岩がそびえている。
イジェンドの背丈をゆうに越える巨大な岩。
光をほとんど反射せず、見つめるほど輪郭が曖昧になっていく。
その表面を、無数の黒い粒子がざらざらと不気味に蠢いている。
そして、周囲には無数の影魔が群がっている。
明らかに異常なその物体に、全員が釘付けになる。
「なんだ、これは」
イジェンドが呟く。
その時だった。
黒岩の表面が、ぐにゃりと歪んだ。
岩肌の一部が、円を描くように削り取られていく。
削られた部分から、底のない黒い円盤が現れた。
「……!」
円盤の中から、黒い影がゆっくりと這い出してくる。
腕。脚。頭。
それらが地面へ降り立つと、その身体がうごめく靄を纏って融合し、影魔の姿になった。
そして、円盤は跡形もなく消えた。
削り取られたはずの岩肌も、何事もなかったかのように元へ戻っている。
「影魔が、出てきた……?」
心羽が呟く。
「それは“源泉”。」
シエルが言った。
「見ての通り、影魔が生まれる場所だよ」
「影魔が生まれる場所、だと?」
イジェンドが振り返る。
そのままシエルへ向かって歩いていく。
「おい情報屋。お前はこれを知っていて放置していたのか」
「そうさ。なるべく口にしないようにもしてたね」
「なぜだ!」
「このことを話せば、キミはこれを壊そうとしただろう」
シエルは源泉へ目を向ける。
「でもね、今のキミでは太刀打ちできない。それどころか、ここから生きて帰れないかもしれない」
「なんだと?」
「もしそうなれば、ユール城下町は最高の戦士を失うことになる。だから言えなかったのさ」
「イジェンド、後ろ!」
心羽が叫ぶ。彼の背後に迫る影魔。
イジェンドは振り向きざまに斬り伏せた。
「いいだろう。壊してやる。」
イジェンドは振り返らずにそう告げると、源泉の周囲に群がる影魔へ向かって飛び込んだ。
源泉
イジェンドの剣が炎をまとい、赤い斬撃が次々と影魔を薙ぎ払う。
しかし、影魔を倒しても、次々と新たな影が行く手を塞ぐ。
「……っ、キリがない」
源泉までの距離は、一向に縮まらなかった。
「……しょうがないなあ」
後方で戦況を見ていたシエルが、一歩前に出た。
両手を構え、イジェンドへ視線を定める。
「はぁっ!」
その瞬間、イジェンドを取り巻く風の流れが変わった。
イジェンドは意に介さず剣を振るう。
しかし、ひと振りしたところでシエルへ顔を向けた。
「身体が軽い。なにをした?」
「キミの周りの風を操ってるんだよ。どう? 動きやすいでしょ」
シエルは両手を向けたまま答えた。
「……ああ」
イジェンドは短く返し、再び前を向いた。
剣が走る。
鋭い斬撃が、先ほどよりも速いペースで繰り出されていく。
そのシエルの隣に、エイミーが並んだ。
弓を構え、光環を次々と撃ち出す。
飛んでいった光環は影魔の手足を捉え、その動きを封じていった。
「おや、イジェンドを助けるのかい?」
「いいえ。」
エイミーははっきりと否定した。
「あいつには、まだ聞き出せてないことが沢山あるの。死なれたら困るのよ」
「ふふっ、なるほどねぇ」
エイミーが放つ光環が影魔の動きを封じ、イジェンドの進路を切り開いていく。
イジェンドは風に助けられながら、行く手を塞ぐ影魔を次々と斬り伏せた。
そして、ついに源泉の前へとたどり着いた。
炎をまとった剣を振り上げる。
「はあっ!」
剣が、黒い岩肌へ叩きつけられる。
――ガキィン!
激しい金属音が響いた。
しかし、黒い岩肌には傷ひとつついていない。
その直後、源泉の表面に無数の円盤が浮かび上がった。
円盤の中から、新たな影魔が途切れることなく這い出してくる。
その数は、先ほどまでとは比べものにならない。
イジェンドは思わず飛び退いた。
影魔の群れが源泉の前を埋め尽くし、黒い岩肌が見えなくなる。
「無茶だ、一度退くんだ!」
シエルが叫ぶ。
しかし、イジェンドは剣を握り直した。
炎が、さらに激しく燃え上がる。
赤い炎が黄色へと変わり、やがて刀身を包む炎は、白い輝きへと変わっていった。
「熱っ……!」
心羽は肌を焼くような熱気に、思わず顔を背けた。
これまでの炎とは、明らかに熱さが違う。
イジェンドの足元で燃えていた瓦礫も、その熱に耐えきれず、表面が溶け始めていた。
イジェンドが駆け出す。
白く燃える剣をひと振りすると、立ちはだかる影魔たちが次々と融けていく。
イジェンドはそのまま源泉へ迫り、白い炎をまとった剣を叩きつけた。
――ガァン!
これまでで最も大きな衝撃音が響いた。
炎が爆ぜる。
黒い粒子が周囲へ吹き飛んだ。
その瞬間。
――パキン。
乾いた音が響いた。
刀身に、一本のひびが走る。
「えっ……」
心羽が目を見開いた。
ひびは瞬く間に広がり――
剣が、折れた。
イジェンドを取り巻く白い炎が、瞬時に消えた。
折れた刃が地面へ落ちる。
カラン、と乾いた音が廃村に響いた。
「剣が……!」
心羽は呆然と、地面に落ちた刃を見つめた。
そのとき、源泉の表面に再び円盤が浮かび上がった。
「……まずい」
次の瞬間、円盤から影魔が一斉に這い出してきた。逃げ道を塞ぐように、影が押し寄せる。
イジェンドは折れた剣を捨て、即座に身を翻した。
「走って!」
エイミーが叫び、弓で追いすがる影魔を牽制する。
しかし、押し寄せる影魔の群れを抑えきれない。
イジェンドも影魔の間を縫って走るが、すべての攻撃を避けきることはできなかった。
前方から迫った影魔の爪が、イジェンドへ振り下ろされる。
「ぐっ……!」
その瞬間、シエルが両翼を広げて飛び出した。
強烈な羽ばたきに、心羽の身体が大きくのけぞる。
シエルは一気に距離を詰め、イジェンドの腕を勢い任せに引いた。
イジェンドの身体が傾き、影魔の爪は肩をかすめる。
肩に、細い赤い傷が走る。
「ふうっ!」
シエルはそのままイジェンドを抱えて飛び上がり、群がる影魔の上空を突っ切った。
「心羽、こっち!」
エイミーが心羽の手を引き、走り出す。
背後から迫る影魔へ、エイミーは振り返りざまに矢を放った。さらに光環を撃ち出し、追いすがる影魔の足を拘束する。
「止まらないで!」
「う、うん!」
心羽はエイミーについて、倒壊した家屋の間を駆け抜けた。
行く手を塞ぐ瓦礫を避け、崩れかけた壁の隙間をくぐる。影魔は途切れることなく、あちこちから現れていた。
それでもエイミーは、心羽の手を離さず進んだ。
一体の影魔が、瓦礫を蹴破って正面から現れる。
エイミーは咄嗟に心羽の腕を引き、右へ避けた。
次の逃げ道を素早く見定めながら、心羽にも危害が及ばないよう立ち回る。
心羽は、そんなエイミーの横顔に思わず見とれていた。
やっぱり、エイミーもそうなんだ。イジェンドと同じ――
そう思った時、エイミーが叫んだ。
「心羽、あっち!」
はっと我に返る。
エイミーの指さす先には、見張り台のような石造りの塔があった。
「先に行って!」
「うん!」
心羽は狭い入口へ飛び込み、崩れかけた階段を駆け上がる。
ふと振り返ると、後続のエイミーがさらに下の階段へ光環を放っていた。
光環に足を取られた影魔たちの重みで、階段の一部が崩れ落ちていく。
「あれで、しばらくは大丈夫なはず……」
エイミーは崩れた階段を見届けると、心羽の後を追った。
「はぁっ……はぁっ……」
心羽は階段をのぼりきったところで手すりに手をつき、息を整えた。
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