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「…最後に高山さんと話したのは、何時ですか?」
”人の話”を聞くことはもう苦痛ながらも、何か情報があれば見落としはできない。どうにか話を続けようと剣人は言葉を絞り出した。神経が昂っているのだろう。手足の痺れが収まる様子は見られない。
「今月の19日、電話で話した。その時にはもう怪物のことは言ってたよ…助けを求めてたんだろうな。他の誰かにもそのことは言っちゃってたみたいでさ、次の日には付き合いがある奴らがネタにしてた」
その言葉と共に横尾は視線を手元のコーヒーへと落とす。その目にはどこか愁いが宿っていた。
「それを知ったかのかどうなのかわからないけど、その後は電話もメールも出てくれないし、会えてない。俺は、何もしてやれない…」
「……」
そう呟く横尾の空虚に、剣人はかける言葉を持てなかった。知らず、顔がこわばる。
「だからかな…花森君が大変そうな高山と似たような顔でアイツのこと聞いてきたからか…初対面なのにマジでこんな話をしてる」
「…優しいんですね」
とりあえずはそれだけ返す。それだけ返すのが精一杯だった。対して横尾もまた苦笑してこれだけ言った。
「…そうでもないさ」
その言葉を聴きながら再度口に運んだコーヒーは、少しだけ温くなっていた。

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翌日4月28日の夕方、剣人は西朝憬駅前で横尾と待ち合わせていた。西朝憬は中心街としての朝憬に次いで二番目に大きい街であり、その街並みとしては種々の商業施設やデパート、スーパーや飲食店が立ち並んでいる。一方で視点を少し遠目に向ければ方々に山が見え、利便性と自然が両立した過ごしやすい土地といえた。駅前での人々の往来を眺めながら、剣人はふと思う。自分にとんでもないことが起きても、世界は今のところ平和だ。もちろんそんなものだろうとは思うし、自分も行き交う人々も、互いの事情は分からない。だがそこにはそれぞれの出来事が、それぞれの形で在る。それは二十歳近くにもなれば多少は見聞きしてきたつもりだ。
「……はぁ」
そう考えてはいるものの、どうにもため息は口をついて出る。昨日の情報共有の場では、最終的に横尾と共に高山と会うことになったのだが、正直億劫だった。あの後話し続けても、互いに抱えている事情が垣間見えるだけで、怪物に対しての有用な情報などはなかったからだ。
「別に人間の相手なんて、もうしたいわけじゃないのにな」
一人呟くその言葉は、誰に聞かれるでもなく夕焼けの朱に溶けていく。その時だった。剣人のスマートフォンの着信音が鳴る。取り出して画面を見ると、横尾の名前が表示されていた。待ち合わせに遅れるとかの連絡だろうか、憂鬱な思いながらも着信に応じる。
「もしもし、花森で―――」
「花森くんか!?そっちには行けなくなった!高山が…」
電話に出るや否や右耳に響く、動揺し焦る横尾の声。その焦燥に吊られてか、剣人も知らず早口になって状況を確認する。
「何があったんですか?」
「怪物が出て、人を襲ってる!高山は…高山はそいつに飲み込まれた…!」
その報せに、剣人の目は見開かれた。

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「横尾さん今何処ですか!?」
「…えっ」
報せに対してすぐにそう問う剣人の言葉は予想外だったのだろう。スマートフォンから彼の呆気に取られたような声が聞こえた。
「そこから早く離れて!」
「君もこっちには来るな…うわぁぁっ!」
次の瞬間スマートフォンから響いたのは、激しい物音と横尾の悲鳴。そして、獣の叫び。
「アアアアァァァァーーーーー!!」
「横尾さん!?…横尾さんっ!!…っ!」
あまりにも突発的な事態に怯えている自分がいた。どうすればいい…!!事が起きている場所もわからず、対処の方法もわからない。事態は明らかに危機的なのに、それを伝える方法も見当たらない。出くわしてしまった最悪の状況に為す術もなく、呪縛めいた言葉が脳裏を過る。

"お前には何も出来ない。そういう風になってる"

うるさい!今そんなことほざいてる場合か…!!自身の内から拡がる諦念に逃げ込むより、どうにか現実に対処せねば…思考を引き戻すため、知らず頭に当てた手に強く力が籠る。しかし思考が全く上手く働かない。首が絞められでもしたかのように息が苦しく、神経は興奮するも、そこから一歩も動けない…誰か、助けて…俺には、もう…

"じゃ……わた…が…なた…ーーセ……のミ…タに……よ"

違う、"あの子"に背負わせてしまった。酷い呪いをかけてしまったにも拘わらず、ここで誤魔化したり狂乱して投げ出すことなんて…今はまだそれだけは出来ない。
「…ああぁっ!!」
声を上げてでも、吐き気がする自分を引き戻す。それと同時のタイミングでパトカーのサイレンが辺りに響いた。顔を上げた剣人の目線の先を、パトカーが左に横切るのが見えた。剣人は駆け出す。今は駆け出すために、大体でも方向が分かれば充分だった。逃げるために走るのでなければ、まだマシだったから。

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パトカーの行った方向に走ることおよそ15分。西朝憬市明山町の北に位置するその現場では、既に警官隊と怪物が交戦状態に入っていた。
「県警に要請出せ!ここは抑えるから早く!」
「包囲も困難です、至急応援願います!」
しかしあまりに想定外なのだろう、警官隊は怪物の包囲も避難誘導もままならず、辺りに怒号が響く中で多くの人が倒れていた。その中心にいた怪物はサソリのような硬い外殻と先端が鋭い尾を有し、それをしならせ暴れている。その体躯は以前の烏よりも大きく、その暴走に理性を見いだすことは不可能だった。
「なんだよ、あれ…!?」
息も絶え絶えになりながらも現場付近に辿り着いた剣人は混乱の中で横尾の姿を探す。彼は車で駅まで迎えに来てくれるはずだった。あるいは怪物から距離を取る際に車を使おうとしたかもしれない。そう考えつつ更に現場に近づくも、警官の一人に「危険だ!早く逃げなさい!」と制止される。その最中、確かに見た。巨大なサソリの異形の足元に転がる車の中、そこに頭から血を流して倒れる横尾の姿があった。
「すみません!あそこに友人がいるんです!」
「何言っているんだ!?早く逃げて!」
警官ともみ合い声が上がったその瞬間、サソリが反応した。すぐさま堅牢な外殻、それその物を凶器とした巨大な体躯がこちらに迫ってくる。その時警官が咄嗟に剣人を突き飛ばした。剣人が身を起こし、すぐに警官の方を見るも、その突進に吹っ飛ばされた彼は倒れ伏したまま動かない。一瞬何が起きたのか理解できなかった。認知したことはただ一つ…

…俺ノせいダ。俺のセいでマタこうナった。

「……ハあァ?…嗚呼ァぁ!?」
見開かれ自我が飛んだ瞳、それと共に呆けたような言葉と、引きつった叫びが口をついて出る。その時胸から光が発し、剣人の全身を包むと、それに反応したサソリが、すぐに剛腕に備わった鋏を振り上げた。だが次の瞬間には、白銀の太刀がサソリの腹部のある一点―――その外殻の狭間である腹部の関節に位置する部位を貫いていた。
「―――ガアアアアァァァァ!?」
「…大人シく殺ラレろや畜生」
白銀の烏の面が、呟くようにそれだけ告げた。

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斬る。ただ斬る。ふざけた節足動物の関節を斬り飛ばす。その行為に特に思うことは何もなかった。戦慄する周辺の人間の声も、節足動物の叫びも、大して気にはならない。別に気にしたところで何になろうか。一方的な蹂躙が止むことはなかった。やがてサソリの身体は二回りほど小さくなるもすぐに再生する四肢や間接のみを狙うのは煩わしくなり、白銀は左手に力を念じ、雷を宿してそのまま太刀の刀身を撫でる。雷を付与した刀身は、その外殻ごとサソリの身を裂いた。そうした裂いた異形の身体の中核に、暗い紫に光る石を背に磔にされた若い男の姿を見つけると、白銀の動きが一瞬止まる。若い男は泣いているようだった。その時、白銀の背後にサソリの尾が迫る。しかし瞬時に加速した白銀は尾を斬り飛ばすと、すぐさま紫の石に刃を突き立て、左腕で男を石から引き剥がした。男を地に下ろすと同時にサソリが狂った叫びを上げる。
「ギアアアアァァァァーーーッ!!!!」
その咆哮のまま突進してくるサソリに、白銀は「ウるせエんだヨ」とだけ発すると、これを迎え撃つべく加速し駆け出した。そのまま正面から真一文字に一閃、白銀の太刀はサソリを斬り捌く。結末は呆気のないものだった。
「ガアアアァァァーー!……ァァ…」
断末魔は怒りと嘆きを内包したかのようだが、塵と共に消えるそれは掬い上げられることはない。太刀からサソリを斬った汚濁が滴る。それを見ると、白銀はただそれだけ一人呟いた。
「汚ネえナ」ーーー

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壊滅寸前の警官隊の包囲を振り切ることは容易だった。程なくして変化していた身体は元に戻ったが、どこか思考はボンヤリとしている。自分に起きたことや見聞きしてきた事象を受け取る部分にフィルターが掛かり、その感覚が鈍磨したようだ。最早、自分が異形になったところで、どうということはない。元から"人間もどき"だろうが…そんな思いから来る虚ろな吐息など、誰も知られるでもなく辺りに消えていった。

その後、高山修二が病院で目を覚ましたと剣人は横尾から電話で知らされた。ひどく極度の疲弊と憔悴が見られ、記憶は混濁しているが、意識はあるということだ。
「花森くんは、あれから大丈夫だった?」
「……」
横尾が気にかける声に、すぐに反応することができなかった。

そう言ったところで横尾にも剣人にも、最早どうしようもない。剣人は大学を一時休学する旨と、今後会う機会があるかはわからないことなど、最低限のことを電話で横尾に伝えるのみに留めた。
「…俺から声をかけた手前…悪いんですが、これ以上は関われません」
無念と共に伝わってきた横尾の言葉に、剣人はそれだけ返した。自分も異形になり、また自分には異形を屠ることしかできない。まして今や人の話などそこまで関係しきれないのが現実だった。
「いや、無理ないよ…寧ろなんていうか、すまなかった。花森くんも高山のようなことには、どうかなるなよ…」
「…すみませんがこれで失礼します」
もう、関係ない話を俺に持ってこられても知らない…また、そう考える自分が横尾に関わるべきではない。そんな思いを以て、スマートフォンの通話を切った。

そうして、ふと思った。何がどうということはない。ただ、人間もどきの疲弊した心身に、異形を宿した愚かな息子を、一度だけ母に抱き締めて貰おうと…それから、これ以上のことになる前に死のうと…そう、思ってしまった。

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