0 5.指輪と理由 みんなに公開

「花っち!」
「ハッサン、その人を頼む!」
サクラの怪物による攻撃を剣で弾きながら、スクーターに乗って駆けつけた初樹に向けて叫ぶ健人。既に黒地の衣に青い装飾を身に付けていたその姿に、初樹は事態を察知した。
「行きましょう、早く!」
直後に沢村と目を合わせ、初樹は彼をスクーターに乗せようとする。しかしその瞬間、サクラはその花吹雪を自身の周囲に舞わせてその中に消えた。剣の横凪ぎが空振りとなり、慌てて健人が振り向けば、沢村と初樹の前に花びらが舞う。そしてその中からサクラが再び姿を現した。即座に沢村目掛けて攻撃が仕掛けられる。健人の速度も、側にいた初樹でも、間に合わない。直後に攻撃を受けた沢村の叫びが公園に響いた。倒れた彼の胸に負った傷からは血が流れ、共に樹木に斬りつけられたスーツが赤く染まる。離れた場所から、この公園にいたのだろう誰かの悲鳴が聞こえた。健人はサクラを追って剣を振るうも、異形の身が桜の花吹雪に消える一連の挙動を、捉えることができない。
「クソ!これじゃ…!」
初樹と沢村に駆け寄りながらも、頭に血が上り苛立つ健人。沢村に肩を貸して庇いながら、その傍らに立つ初樹が声を張る。
「闇雲に追っても埒が明かない!だったら、花っちーー!」
その時、沢村の左斜め前ーー健人から見て4時の方向に花吹雪が舞い、サクラが再度襲い来る。
「ーーカウンターだ!」
瞬時に迎撃する健人が剣を突き出した。しかしその攻撃は、再度花びらが舞う虚空を突いたのみであり、また超常の力を宿した花びらはその場で爆ぜ、健人にダメージを与える。同時にその対角から、サクラは花吹雪と共に沢村へと突貫した。ふざけんな、無茶苦茶だろこんなの。健人は振り向き様に、沢村と彼を庇わんとした初樹の後ろ姿を見て、心中でそう吐き捨てる。
だが、それだけではなかった。今まさに花森健人の意識が捉えている衝撃的光景。誰かを庇い、大切な友人が傷つこうとしているその瞬間が、"ゆっくりとしている"。それは衝撃故の認知かと一瞬誤認しかけた。しかし、それは否。自身の思考と挙動が周囲のそれとズレ、自分の方がずっと速くなっている。加速する意識はその事象を理解しきれていないが、理屈はいい。まだ間に合う。ならばーー。
夜を思わせる黒地の衣。これを装飾するは空色の水晶で構成された、爪か牙を思わせる魔道具。それが独りでに衣を離れ、素早く宙を舞えば、サクラの異形から友たちを守らんとその間に光を結ぶ。そこに形成された盾が、爆ぜる花びらと伸ばされたサクラの樹木を防いだ。
すぐに初樹が驚愕に健人の方を振り向いたが、その姿は既に後方にはない。健人は跳躍して初樹と沢村を飛び越え、動きが一瞬鈍ったサクラの左腕を斬り飛ばした。響く叫び、呻き。よろめく様につい顔を歪めてしまう。しかし即座に左手を前に構えると、その動作に連動する魔道具を操作してサクラに追撃を仕掛けた。
「彼は、一体…」
沢村はただ晒された脅威と眼前の戦いへの驚愕に呟く。
「ただの大学生です。ちょいくたびれ気味のーーさあ、立てますか?」
その呟きに即答すると、初樹は沢村と共にスクーターに乗ってエンジンをかけた。
「巻き込んどいて結局…花っち、スマン!!」
後半、自身に向けて叫ばれた謝罪に、健人は"速く行け!"と右手を払う。走り出したスクーターを守るべく、サクラに攻撃する魔装具からは、光弾が撃ち出されていた。それを避けるサクラは、その最中にあっても沢村を注視する。左腕を失いながらも、尚も彼に迫らんと駆けるサクラを阻み、健人は強く問う。
「その執着は何だーー!?」
その問いと健人を躱すように、サクラはまたも花びらを舞わせた。だが健人は直後にブレスレットを翳して、自身の周囲に力の奔流を発してこれを吹き飛ばす。そして弾き出されたサクラに、更に一撃を与えんと斬りかかった。しかしその時ーー。
「これ以上の無作法は遠慮願おう」
「お前…!」
黒コートの異形の腕が、健人の剣の一閃を押し止めた。即座に距離を取る。ここで突っ込んでも自滅する。それどころか初樹も沢村もまだ危ない。
「利口な判断だ」
未だ前に突出するサクラを見遣って左腕で制すると、黒コートは憮然と言った。
「我々もここは退く。まだ死なれるわけにもいかん」
そして虚空に闇色の孔を浮かばせると黒コートとサクラはその姿を消した。そして程なく変身が解けた健人は、肩で息をしながらその場にへたりこむ。そのすぐ右には、光沢を放つ指輪が転がっていた。

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その後、騒ぎになる前に公園を抜け出し、健人は初樹と今一度連絡を取った。互いの無事を確認した後、初樹の方は、沢村に病院で手当てを受けさせた後、こちらの事情を説明した。彼も実物を見た今、すぐに理解したという。
「ハッサン、こっからどうする?」
「沢村さん本人の意思では、何だけどさーー」
沢村は攻撃を受けた瞬間、サクラが"あるもの"を左手に嵌めていたのを見た。それは自身が真壁咲良に贈った指輪。

「婚約指輪っていうには、まだ早いけど」
「ありがとう、智輝さん。じゃあ…婚約ってことで」

そう嬉しそうに微笑む彼女は、右手に指輪を嵌めていたという。それをなぜ、あのサクラが持っていたのか。必ず突き止めると、沢村は据わった目で初樹に話していた。
「…一つ、沢村さんに伝えてくれ。その指輪、俺が回収してるって。戦った後に見つけて、何か関係してるかと思ったから」
「そうか良かった…!すぐに伝えるよ」
「それと、あのすぐ後にさ…またあの男が乱入してきた」
「えっ」
「でもサクラと一緒にすぐに消えた」
「マジか…二回も」
「サクラの方はダメージは与えてたから、すぐに再襲撃はないだろうけど…」
その言葉の後には沈黙が続いた。個人や民間の互助の領域は、最早逸脱した状況。そしてそれに対する疲弊こそが、やがて重い口を開かせる。
「やっぱ、本人には申し訳ないけど、沢村さんだけでも警察に保護してもらわないか?」
健人からのその言葉に対し、初樹は未だ口を閉ざした。状況から彼の迷いと思案が見て取れる。故に健人は、努めて静かに言葉を続けた。
「正直、調べるだけでも難しいだろ。その上、関係者の事まで俺たちが担うなんてさ…」
無理。その二文字こそ控えたが、それは本来現実。言いながらその現実は健人の心中を更に重くする。この屈服する苦痛と虚しさは、電話越しでありながらも健人の顔を歪ませた。
「…本人の意思もある。明日、諸々情報共有した上で、他に対応策が無かったら…沢村さんの了解を得て、そうしよう」
「…わかった。状況的には、それが限界かもな」
そう言って通話を終えると、健人は静かに、そして虚ろに呟いた。
「ごめんな」
そう、呟くしかなかった。

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翌、5月3日の午前9時10分。健人は初樹より、沢村と三人で安全な場で話すべく、朝憬市東区にあるファストフード店"ファミリア朝憬東店"に集まろうと連絡を受けた。
もう解放されたい。それが正直な思いだったが、じっとしていても現実が変わるわけでもない。何よりーー
「行き場の失くしたものでも、せめて…だよな」
ブレスレットを見遣って独り呟く。持ち主の消失した贈り物を、せめて贈り主には届けなければ。そうして重苦しい心身をどうにか上げると、健人は最低限の身支度と共に指輪を携え、東区に向かった。

一時間後の午前10時4分。健人がファミリア朝憬東店に着いた時には、初樹が席を取っていた。健人はSサイズのアイスコーヒーを注文し、そこに座る。
「お疲れ、ハッサン。沢村さんは?」
「ああ、ゴールデンウィーク中だけど応じてくれたよ。それどころじゃないよな…」
一瞬目を伏せてそう返す初樹の姿に、胸が痛む。しかし健人としては、まず確認すべきことが一つあった。
「ハッサンさ。どうやってサクラの存在を突き止めたんだ?あんな短時間で」
「ああ、それなら真壁さんのご家族に当たった」
「あの連絡先からか」
初樹は首肯するも、僅かに眉を寄せる。
「どうした?やっぱ、家族さんはやっぱり気落ちしてたとかか?」
「まあ、そりゃあな。俺が訪ねた時は、真壁さんのお母さんだけだったが…自分を責めてたよ」
「…自分を責めてた?」
「あ…心当たりがあるってだけで、子細な説明も難しい俺のような奴にも、すぐにある程度の状況を教えてくれるような状態だったってことだよ」
情報はともかく、これ以上の事情には深入りすべきでない。初樹は暗にそう言っているように聞こえた。その事実に健人も少し、目を伏せる。
「で、"中央区北西で咲良さんの行きそうな場所を出来るだけ教えて下さい"って頼み込んだ。幾つか教えてもらえたよ。彼女の行きつけの映画館とか。でも基本、子供の頃のそれだった」
「そもそも実家暮らしか?真壁さん」
「いや、独り暮らしだ。彼女のお母さんがそう言ってた」
ならば年齢と共に変化していく現在の娘のことを、知らないというものか。ひとまず得心して頷く健人に、初樹も話を続ける。
「でも一つだけ、彼女が3年前から通っていた場所に図書館があった。彼女は沢村さんともそこで知り合ってると」
「そこ、行ったのか?」
「ああ、その周辺の物陰を探したら…奴がいたよ」
「…は!?よく無事だったな、ハッサンも危ない話じゃん!俺そんな時に電話したのかよ」
もし一歩でも間違えてたら…そんな空恐ろしさに動揺する。だが初樹は「もちろん無茶苦茶近づくようなつもりはなかったし、花っちからの電話はその少し前の時点だったよ」と注釈するも、調子を崩すことはない。
「で、程なく奴はあの公園の方に跳んでいった」
「それで、俺に連絡を入れた…と」
「そういうこと。それで、俺の見立てはこうだ。真壁さんの失踪に関わってるアレの、今のターゲットは…沢村さん。あのサクラは恐らく、あの時沢村さんのことを感知したんだ」
情報の供給量に眩暈がする思いだった。勘弁してくれ。健人は自身の胸中で独り言ち、平静を保つべくアイスコーヒーを啜る。
「でも、奴は沢村さんに致命傷を与えることも出来たのに」
「…そこで指輪の話だけどさ、奴が沢村さんを攻撃したとき、一瞬指輪を見せるようだったんだよ」
「えっ…」
「恐らく奴の中でも何か、条件がある。そしてそのために、沢村さんはまた狙われかねない」
「そんなーー」
胃が底冷えする感覚。胸に悪心が上ってくる。そんなこと、沢村と関わった自分がまた戦うことになりかねないではないか。
まして閉塞していた自身の日常を、陽光のように照らしてくれていたはずの初樹の口から出てくる非日常に対する言葉。健人は自身の目の前にいる男が誰なのか、一瞬わからなくなる思いだった。

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沢村が健人たちの下に来たのは、その五分後のこと。彼は二人への挨拶もそこそこに、話を切り出した。
「急な申し出ですが一つ、お二人にお願いしたいことがあります」
「何でしょう?」
俯く健人を見遣りつつも、初樹が応じる。沢村もまた健人を怪訝に見ながらも、静かに言った。
「咲良の真相がわかるまで、私をお二人の調査に参加させて欲しいーー」
「どうして、そこまでして調べないといけないんですか?」
健人の口を、そんな言葉がついて出た。その目は現実と戦う恐れに震える。
「お互いあんな目にまであったんですよ?」
「沢村さん、彼はーー」
「俺たちもあなたも、どうしてそこまでやらないといけないんだ」
そしてその目には、誰も見えていなかった。壊れ行く日常に叫び出したい思いを堪え、辛うじてそう言うのが精一杯だった。それに対し沢村は一瞬顔を落とすと、静かにその思いに応答する。
「私も、花森さんと同じ思いではあるんです。少なくとも、そういう思いも間違いなくある」
意外な言葉だった。故に健人の目は沢村のそれと合う。続く言葉を待ってさえいた。初樹もまた沈黙し、沢村の思いを静かに傾聴する。
「花森さん、私は…彼女を理解さえしてあげられてなかったんです。こんな言葉も咲良に対して烏滸がましいかもしれませんが」
「…"世間体"と言っていたことですか?」
健人は遂に、沢村と真壁咲良の核心に踏み込んだ。それに対し沢村は「咲良、ごめん」と呟くと、一つ息を吐いて話し始める。
「警察の方に、私から彼女と私の抱えている苦痛を話すことは躊躇われたんです…咲良は、生きるのが苦しい女性でした」
ぽつりぽつり、沢村は一つずつ言葉を紡ぐ。健人は神経が昂り、息が上がる中、努めて沢村の思いを聴いた。

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