0 第9話 休養のひととき
イジェンド邸に帰った心羽は、椅子に座り、暮れてゆく窓の外をぼんやりと眺めていた。
安静にしなさい、という言葉が頭の中を反芻する。
腕には、ぐるぐるに巻かれた包帯が白く残っている。
肩にも布が当てられ、動かさないよう固定されていた。
どちらも、エイミーに連れられて行った施療院で処置してもらったものだ。そこでは腕の傷を洗ってもらい、薬を塗ってから包帯で保護してもらった。
肩も診てもらったけれど、骨には異常がないらしい。しばらくは無理に動かさず、安静にしておくように言われた。
けれど、少し落ち着いていると、肩も腕も、結構痛い。
「……あれ。」
さっきまで、こんなに痛かったっけ。
少しだけ腕を動かしてみる。
「いたっ……」
思わず顔をしかめた。じん、と奥の方から痛みが広がっている。
腕にも目をやると、包帯の下から滲み出した血で布が赤みがかっている。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
「……怖かったな」
ぽつりと声が漏れる。
殴られた。すごい衝撃だった。そのまま地面を転がった。
あちこちぶつけて、痛くて……動けないのに、すぐ次の爪を振るわれて。自分の左腕が、目の前で抉られて。
「…………」
心羽は自分の腕を抱いた。
あの時は、怖いと思う暇なんてなかった。
私が男の子を守らなきゃ。それだけを考えていた。
でも――。もし、エイミーが来なかったら。
そこから先を考えた瞬間、身体が震えた。
「……っ」
心羽は慌てて目を閉じる。
考えたくない。あの爪が、もう一度振り下ろされるところなんて。
「…………怖かった」
今度ははっきりと口にした。声が少し震えていた。
イジェンドみたいに、魔法を使えば戦える。炎を放てば敵を倒せる。そう思っていた。
でも、戦えるようになったって、傷つかないわけじゃなかった。
戦うって、痛い。
こんなに痛いなんて思わなかった。
心羽は膝の上で、包帯の巻かれた腕をそっと撫でた。
「難しいな……。」
︎︎⟡
玄関の方から扉の開く音がした。
心羽は顔を上げた。
「イジェンド!」
玄関から入ってきたのは、見慣れた赤い髪の青年だった。
イジェンドは心羽を見ると、足を止める。
そして、腕と肩に巻かれた包帯へ視線を落とした。
「お前、怪我したのか」
「うん。今日、影魔と戦って……」
心羽は自分の腕を見る。
「ちょっとだけ。」
「そうか」
少しの沈黙。イジェンドの視線は心羽の包帯から離れない。
「……痛むか」
「うん。結構痛い」
「……大丈夫だったか」
心羽は顔を上げる。
「うん。エイミーが来てくれたから」
「エイミー?」
「うん。弓を使う女の人。影魔の調査員だって言ってた」
「そうか」
イジェンドはそれ以上尋ねなかった。
「エイミーがね、影魔を倒してくれたの。それから、私と男の子を施療院まで連れていってくれたんだよ」
「……そうか」
「だから、大丈夫」
心羽はそう言って笑った。
「なら、よかった」
イジェンドは小さく頷くと、背負っていた荷物を下ろし、外套を脱いで壁にかけ始めた。
心羽はその背中を眺めながら、ふと尋ねる。
「ねえ、イジェンドも怪我するの?」
「ああ。する」
少し意外だった。イジェンドのように強くても、怪我はするんだ。
「じゃあさ、イジェンドは、怪我した時どうする?」
イジェンドはこちらを向いた。
「休んで治す」
ひとこと。
「それだけ?」
「怪我したまま戦えば、また怪我をする。だから治るまで休む」
イジェンドは淡々と答える。
「なるほど……」
心羽は自分の肩を見る。
「じゃあ、私もしばらく休まないとだね」
「そうだな」
それだけ言って、イジェンドは手元に視線を戻した。
心羽はそんなイジェンドを見つめる。
その瞬間だった。
イジェンドの背中に、また淡い光が浮かんだ。
ひとつ。またひとつ。いくつもの光が線で結ばれ、星座を形作った。
「これって……」
次の瞬間。
目の前の景色が、弾けるように変わった。
︎︎⟡︎︎
そこには、昨日も見た幼い女の子がいた。
その隣には、赤髪の少年。
たぶん、この少年がイジェンドで、隣の女の子は妹なのだろう。
幼いイジェンドが、指先に小さな炎を灯している。
ゆらゆらと煌めく炎を、女の子はじっと眺めていた。
「綺麗……」
ふいに、女の子が手を伸ばす。その指先が、炎に触れた。
次の瞬間。
炎が、大きく弾けた。
「――あっ」
少年が声を上げる。
炎は一気に広がり、辺り一面を包み込んだ。
「きゃあーーっ!」
女の子の悲鳴が響く。
炎は一瞬で消えた。けれど、女の子の服や髪には、いくつもの炎がまとわりついている。
「熱い……! お兄ちゃん……!」
泣き叫ぶ女の子。
少年は慌てて炎を消そうとしている。
「待って、今……!」
心羽は、声を出せなかった。
そして、景色が弾けるように消えた。
︎︎⟡
気づけば、いつもの部屋に戻っていた。
「…………」
心羽は呆然としたまま、自分の胸元へ手を当てる。
「……今の……」
少女の泣き声が、まだ耳に残っている。
心羽はゆっくりとイジェンドを見る。何も言えなかった。
イジェンドにも、こんな頃があったの……?
「どうした、またぼうっとして」
「……ううん。なんでもない」
心羽は小さく首を振った。
イジェンドは訝しげに心羽を見る。
「……そうか。具合も悪いなら、今日はもう休め。」
「うん。」
心羽は椅子から立ち上がり、自分の部屋へ向かった。
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